マドリーの恋人

ヤマダトミオ。 画家。 在スペイン52年。

まだゼネストやってます

2012-03-31 12:30:00 | スペイン日記


 ヤレヤレ、昨日(3月29日)はゼネスト(General Strike)でした。ストの後のデモにも参加した人も、ストに反対して働いていた人も、「どちら様もお疲れ様でした」と労いの言葉が出ます。スペインではウエルガ・ヘネラル(Huelga General)と呼びますが、僕の記憶では1978年ごろに小さいのがあったような気がする(ゼネストに大小あるの?と突っ込まれると困るが)。それがゼネストだったのかデモだったのか?

 兎も角フランコ没後の70年代末から80年代後半まではやたらとデモが多かったマドリードを覚えています。80年代の東京と言うと、今のアラフィーがジュリアナ東京で扇子を広げてバブル踊りに狂乱していた時代でしょう。地球の裏と表とは言え、当時の若い子たちの社会環境は随分と違っていたのです。スペインに民主主義が戻った当時のスペイン人の頭は民主主義=デモだった。永かったフランコ独裁の「自由無し」の社会から急に「何でも自由」の社会に放り出されたスペイン国民は戸惑った。

 だから当初はオドオドと「集会の自由」「言論の自由」などとまっとうなスローガンのデモだった。それが、地方文化を復活しなければと「教育に方言を」、ワインをもっと飲みたいので「年金支給を完璧に」などの「お願いデモ」を経て、挙句の果てが「牛の乳がでない」「ジャガイモが冷害で腐った」の「お助けデモ」もまかり通る様になってしまった(僕の記憶のスローガンなので間違っているかも知れません、念のため)。

 あの頃はスペイン各地からマドリードへ「デモ観光」へ来ていたのではないだろうか。マドリードへデモに行く、と地方のオッサン、おばちゃんたちが貸切リバスで上京して、午前中の2時間位マドリードの中心地を占拠して、その後はマドリードに住んでいる兄弟、親戚と昼メシ食べて、だべって、飲んで午後のシエスタをバスでしながら村へ帰って行った。

 正直、マドリードに住んでいる我々は迷惑でした。街はビラとゴミで埋まるし、落書きで汚くなるし、渋滞でブーブーとクラクションがうるさい。デモに出くわして、車で30分の立ち往生は何回も味わいました。これから買い物、と言う時は午後2時~5時の間は店が昼休みなのでイライラしました。デモに向かって「誰も居ない野原でやれ!」と立ち往生した車のドアを開けて罵倒したものです。

 スペインの民主国家が落ち着いてからは届けて許可を貰うデモになったようで減りましたが、正直、飽きたのでしょう。あの頃は悪夢でした。でも、何をやってもスペイン人なのは、デモの終わった連中はバルで飲んでいて、まぁ、まぁ、一緒に飲め、となります。ワッペンももらったりして。組合ごとの職場グループか、小さく固まっているので、ビールは組合費でしょう。

 そのような昔を知っているので僕はデモやストが良い結果を出すとは思わないけど、やりたい奴がやって、反対したい奴は反対すれば良い。そんな事よりも可哀そうなのは善良庶民なので、爺さん婆さんは巻き込まないでほしい。

 書いていて思い出しましたが、大きいのが続けてありました、80年代後半です。85年と88年だったと思うけど、24時間ストだった。確か、スローガンは「年金カット反対」と、もう一つは忘れた。ところで、2年ぶりの昨日のゼネストに労働組合が掲げたスローガンは「全てを取り上げられる!労働者の権利も社会福祉も!」です。長いですね。これが前世紀のように「パンをくれ!」「この手に仕事を!」と切羽詰まった訴えなら、皆ゼネストに参加すると思う。労働改革反対と叫んでも、大体、組合の旗を持ってデモってるオッサン、オバサンは政府の発表した労働改革の中身なんか知らないと思う。そう言う僕だって詳細は分からないけど、多分、その労働改革の内容をみた日本人は腰を抜かすと思う。え!そんなにスペインの労働者は優遇されていたの!って。

 なんだかんだと失業手当を2年間は貰っている。新聞記事で読んだ改革案は現実に基づいた改革だと思う。確かに、解雇手当は減るが、その分、会社は退職金を心配せずに従業員をもっと雇える。スペイン産業構造の中核である中小企業には若者雇用の援助金が出る。労働者は今の雇用条件でいたいけど、530万人の失業者があふれる現実では、今仕事のある人が痛みを分かち合って若い子達に就職のチャンスを与えないと雇用市場は広がらない。スペインは25歳以下の若者の失業が50%を超える。だから、公務員に職を求める若い子が多い。

 ひとくちに公務員と言っても多種だが、頭脳の墓場だ。スペインの大学を出た優秀な学生は多い。でも誰にでもこなせる公務員職についてしまうと、そこで若い子の頭脳は進化を止めてしまう。もったいない、とてももったいないと僕は思う。


 ところで昨日のゼネストだが、今日は労働組合と経団連のくだらないデータ争いだ。誰が勝っても現実は変わらない。TVニュースを見たり、新聞を読んだり、ネットの声よりも、周りのスペイン人の生の声が大多数の意見だと思う。結論は労働組合の敗北だ。従業員を奴隷のように扱う会社はスペインの現代社会にはすでに存在しないのだ。ゼネストだったので公共テレビが再開したのが、夜中の12時すぎだった。ゼネストのニュースのあとは討論会になった。

 そこに出ていた労働組合の女性は墓穴を掘った。彼女は、80年代から何回も労働改革が行われてきたが、雇用の拡大にはならなかった、と数字を出しながら、とんでもないこと言って抜けた。オバサン、政府がだした労働改革に即、ゼネストで応戦して、再交渉に引っ張り出して、労働改革を骨抜きにする。そんな労働改革案で失業者が減るわけがないでしょうが。昔を知らない若者をそんな数字で騙せても、ジジイは、それが日本人でも、だてに年を食ってるんじゃないよ。

 今の新内閣が発足して100日足らずだが、短い間に結構色々の行政改革案を出したと思う。スペイン人も思っているが、何故?改革案をやってみて、結果を見てからストをやらないのか?だ。昔の労働改革の有り様を知っているから、新内閣は絶対に改革案を変える気はない。政府は5百万人の失業者を人質にして労働改革を推しつける、と労働組合と野党は喚くが、労働者を人質にしてゼネストをやったのは労働組合ではないか。それとは話がそれるが、海外のメデイアは昨日のゼネストもそうだったが、デモを悪用した火事場泥棒まがいの暴動の広がりを心配している。これから、5月1日のメーデー、5月15日の世界デモがあるからだ。

 そうそう、労働組合の話をしていながら、最後になりましたが、スペインの二大労働組合はコミシオネス・オブレロス(CC.OO/政党・左派連合系)とウーヘーテ(UGT/政党・社会労働党系)です。これに各地方(州)に根付いた「土着労働組合」が加わります。ついでに、知っていても何の役にも立ちませんが、スペインの初めてのゼネストは1855年でした。これもどうでもいいことですが、昨日のゼネストで絵が動かない紙芝居になったテレビ番組の穴埋めは映画ベン・ハーでした。本来は来週のセマナ・サンタ(聖週間)に流す定番映画ですが、また、チャールトン・ヘストンの裸を見てしまいました。日本でゼネストが死語となってからどのくらいたつのでしょうか?
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週末のビールはサッカーと地方選挙で

2012-03-27 11:00:00 | スペイン日記


 マドリードのバル(Bar)でオヤジどもが口から泡を飛ばすのはサッカーの話だ。スペインリーグは今、レアル・マドリーが6ポイント差でバルシャを離してトップだが、プレッシャーに負けないでこのまま行けるのか?この間のように、レアルは下位の不良チームに弄ばれたりする「坊っちゃん」チームなのでマドリっ子たちは心配なのだ。ところが、この数日は地方選の話だった。

「ペーペー(PP/国民党)は勝てるのか?」

 これだけで何のことだか分かるくらいだった。政治をサッカー・リーグの勝敗賭けごとと一緒にするのは失礼だが、所詮、バルでのオヤジたちのたわいもない話は、いつもこの程度だ。じゃないとワインがまずくなる。そんな訳で、昨日(3月25日)の日曜日にスペインのアンダルシア州(Andalucia)とアスツィリアス州(Asturias)の地方選挙(州議会選です)がありました。この2つの州だけが昨年あった地方選挙とずれたのです。たまたま、この2つはある意味ではスペインの両極端だ。

 ある意味とは歴史です。ご存知のようにスペインは長い間イスラム帝国に統治されていた。アスツィリアスはイベリア半島の北にある山と海に囲まれた緑あふれる地方です。海岸の付いたスイスです。そしてイベリア半島でイスラム教徒らの征服を免れた唯一の土地です。だから、スペイン国民がヨーロッパ連合(EU)に顔を向ける時は「我が祖国・アスツィリアス」を歌います。スペインでは珍しく昔からウニを食べていた人々です。炭鉱町の多い土地ですが今はF1のアロンソ(Alonso)が有名です。昨日のマレーシアGPではフェラーリで1位になりました。

 その反対がイスラム教徒の世界にどっぷりと浸かっていた南のアンダルシアです。アフリカを向く時はアル・アンダルス(Al Andalus―アラビア文化圏)を持ち出すのです。スペイン国内のバスク、カタルーニャ、ガリシアなどの州は独立か分離を虎視眈々と狙っていますが、この2つの州はその気配がありません。

 日本人にはアスツィリアスよりもアンダルシアほうが観光的にも身近なので、そっちの州選挙に話を絞ります。ヨーロッパ連合(EU)における現時点でのギリシャの立場がスペインにおけるアンダルシアと思って下さい。毎日工場で働くよりも、ネギを背負った鴨の観光客、彼らを相手にした商売が好きです。9ヶ月間そんな仕事をして残りは失業手当てで食べます。だから失業者の数はスペインでも断トツで、就労人口の31%です。3人中一人はブラブラしています。

 そんな風になったのはアンダルシア人気質もありますが、誰もが、30年間もアンダルシア州議会を牛耳っているペーセーオーエ(PSOE/スペイン社会労働党)に責任があると思っています。汚職、税金バラまき、公金横領、親戚優遇、あらゆることをやった結果が25万人を超える公務員の数です。それもスペインでトップです。それらの恩恵をアンダルシア人の多くが受けているのでしょうが、今のスペインは経済破綻の崖っぷちに居ます。それは7年間の社会労働党前政府が残した負の遺産です。

 ここで、スペイン全国民は30年間の社会労働党の腐敗政治にアンダルシア人が決別をして、まっとうなサラリーマンになるのかどうかに固唾を飲んだのです。何しろ、州議会選挙ですから投票できるのはアンダルシア人です。選挙結果はスペイン政治史上初めての国民党(ペーペー)の勝利です。アンダルシア州議会の第一党になりました。しかし、大勝利にはならず、過半数55議席は獲得できず50議席でした。皆ガクッとなりました。レアルがスペインリーグで優勝してもチャンピオンリーグで負けるようなものです。アンダルシア州はもともと左派の選挙基盤地です。そんな土地で右派・国民党がやっと4回目にして得た勝利は立派です。しかし、それだけで力尽きて、過半数割れでは徒労です。

 国民党は政府与党ですが、アンダルシアには組める相手はおらず一匹なのです。負けた社会労働党は旧共産党を中心に集まった左派連合党(IU)と組むので、アンダルシアは再びこの30年間のままです。だから写真の新聞タイトル「アンダルシア異変なし」です。これで政府がスペイン全土で推し進めている自治州・市町村の財政縮小が難しくなりました。アンダルシア州は拒否するので、道楽息子の無駄遣いをやめさせたい親としては頭が痛いところでしょう。

 働かないアンダルシア人ですが、憎めない奴らなのです。日本人的感覚で言うと、出来の悪い子供ほど親とっては可愛い、でしょうか。アスツィリアスの選挙結果は、アンダルシアの反対で社会労働党が第一党になりました。が、国民党とアスツィリアス党が組んで治めます。しかし、これで弾みの付いた社会労働党と左派連合党は夫々の率いる労働組合にこの3月29日にゼネストをやらせます。政府の労働改革に反対するためです。そんな事に労力を無駄遣いしている場合じゃないと思うのは、僕一人か?
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生ハムの秘密の部分

2012-03-22 11:00:00 | スペイン日記

さぁ、食べ始めるぞ

 台所に置いてある生ハムを切り始めた頃の写真です。豚のまえ脚やうしろ脚を塩漬けにして冷暗所で干したのが生ハムです。ひと昔のスペインの田舎ではチーズや腸詰、生ハムなどの保存食べ物は自分の家で作っていました。住んでいる場所の自然環境が保存食の種類を決めるわけですが、生ハムはそれらの保存食品の中でも出来上がるのに3年かかる「大物」です。イタリアのパロマハムや中国の黄金ハム(と呼ぶと思いますが)との違いは、それらは燻製にしたり蒸したりと熱処理を加えますが、生ハムはその名の通り生です。それ故に長い間スペインを離れることが出来ませんでした。生と言っても刺身の生ではなく漬物の生なので、欠点はいかんせん塩が強いことです。僕が買うのはハモン・イベリコ・デ・セボ(Jamon Iberico de Cebo)のうしろ脚一本で、8キロ前後の重さです。まえ脚(paleta)は半分くらいです。この冬の値段は一本110ユーロ(1万円ちょっと)でした。


霜降りです

 ハモン・イベリコ・デ・セボは「一般の肥料で飼育された」イベリコ豚の生ハムで、相場は100~200ユーロ(1万円ちょっと~2万円強)です。乱造のしっぺ返しか、この数年で随分安くなりました。このワンランク上がハモン・イベリコ・デ・ベジョタ(Jamon Iberico de Bellota)です。「どんぐりだけを食べて太った」イベリコ豚で一本2万円くらいからでしょうか。年初めの生ハムオークションでは一本8万円が出ました。その反対、一万円以下で買えるのは、普通の白豚の生ハム、ハモン・セラノ(Jamon Serrano)です。白豚とイベリコ豚の違いは爪の色で、黒いのがイベリコ豚です。出来上がった生ハムの違いは脂身の色と味です。イベリコ豚はピンク色で口の中でとろ~と溶けます。白豚の脂身をスペイン人は手で外して捨てちゃいますね。切るのもあの細長い包丁を使うのがイベリコ豚で、白豚は電動スライサーでサーサーです。同じ豚でもこうも扱いが違ってきます。

 でも、白豚のために言わせて貰えば、丁寧に作ったハモン・セラノは肉が柔らかいので、スペイン風サンドイッチ、ボカディージョ(Bocadillo)にはこれです。僕は塩気を和らげるためにトマトやキュウリのスライスも一緒にはさみ、それを持って野原へ出かけます。イベリコ豚の「どんぐり」と「一般肥料」の違いは香りです。だから、高いカネを払って食べるハモン・イベリコ・デ・ベジョタは目の前でスライスして貰って口に入れないと価値がありません。売り場の人は30秒で香りが薄れると言います(本当かなぁ?)。僕は台所に置いといて、晩ご飯を作りながらちびちび飲むワインのツマミだから「一般肥料」で十分です。ついでに日本人の旅人にひと言:マドリードの生ハム居酒屋・ムセオ・デル・ハモン(Museo del jamon)は「お立ち寄りポイント」になっているのか日本人をよく見かけます。そこの生ハムはすでにスライスされて皿に盛られているので、食べるのは三番目ランクくらいのイベリコ豚を勧めます。一番高いのを注文するならその場でスライスしてもらうことです。

 これもお節介になりますが、もし貴方がうしろ脚一本を買うなら、そして貴方が右利きならブタの左脚を選ぶのを勧めます。生ハムを台にしっかりと固定をして余分な脂身をそぎ落としていきます。ピンクの脂身が現れたらそこで止めます。僕は初めの白い脂身も残しておいてスライスした部分の蓋に使います。切り始めは霜降りの味をリザーブのワインで堪能しますが、だんだんと食べ飽きてテーブルワインのツマミになってくると写真のような骨が右側に突起してきます。スライス用の包丁は細長いので本当に邪魔です。左脚だとこれが左側になるので右利きの僕はスライスしやすいのです。


この右上の骨が邪魔です

 さぁ~て、ダラダラと生ハムの話を書いてきましたが、僕が何故?一本買うのか?はまさにその突起した部分にあるのです。その骨の下あたりの肉が僕には絶品なのです。確かに、切り始めの霜降りは美味しいのです。歯ごたえある肉と霜降り模様の脂身のハーモニーは口の中で、あ~、生きていて良かった、と感動しますね、オーバーですが。でも、その骨の周りの肉の「ねちっ」とした噛んだ感触と豚肉の甘みの感激度は、もう、死んでもいい、です。その部分の肉はちょっぴりです。だから小型ナイフで削げ落とします。二人分も無いので至福を独り占めします。その部分の肉の旨みはイベリコ豚でも白豚でも変わりないと思います。なにはともあれ、台所の一角における冬限定の庶民の楽しみです。


骨の下の肉は絶品!


一月後の姿

 大体ひと月で写真の状態になりひっくり返しますが、反対側は肉が少ないので半月も持ちません。スペイン人の中にはこっちの肉の少ない部分から切り始める人も居ます。でも、それをすると本番の「肉がみっちり部分」の脂が抜けるとも聞きます。こういう類のバル談義をするのは男どもです。一番良く分かっているのはオバサンですが、彼女らは夕飯の支度で忙しいのです。僕は骨だけになった生ハムを大鍋で3日間ほど煮ます。こってりした生ハムスープができ、それをタッパーに入れて冷凍しておきます。豆の煮込み料理に使います。夏はさすが「スライス買い」です。クソ暑い夏の台所にブタ脚一本は見ただけでも暑っ苦しいし、冷蔵庫には入りきれません。


食べつくした片側


ひっくり返しました
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ファジャスは燃やす

2012-03-17 19:30:00 | スペイン日記

‘ニノッ’

 ファジャス(Fallas)とはバレンシア(Valencia)の火祭りです。3月19日が聖人日のサン・ホセ(San Jose/聖人・ホセ)を守護神としているバレンシアの一番大事な祭りです。今日3月16日に祭りは始まりました。この火祭りへ初めて行ったのは1970年代でした。当時は外国人観光客よりもスペイン人が多かったです。まだ市内は車が走れたと思う。何故なら、昼間は海で泳いで夜は街中で飲んでいたからです。そう、バレンシアは地中海の都です。3月の地中海はまだ冷たいけど海岸での日光浴は最高にいい気持ちです。最後に行ったのは数年前だけど、何回行っても人ごみには驚きます。市内の中心地は人人人、そして人。そして爆竹がやかましいぃぃぃ!

 それが毎日午後2時のマスクレタ(mascletas/爆竹)なのですが、その他にも皆が地面にかんしゃく玉を叩きつけながら、爆竹に火をつけながら歩くので、その音でも耳がおかしくなります。日本人は要耳栓です。通行止めになった道路の十字路や広場にニノッ(Ninot)と呼ぶ巨大人形オブジェがあります。燃えやすいようにカートンと木で出来ていて、町内会のニノッがあっちこっちにあります。ニノッは世相を風刺した漫画チックな人間像で、今年は、引き締め政策のラホイ・新首相が弄ばれています。

 それはスペイン人には分かりますが、外国人にはヨーロッパを牛耳るドイツのメルケル・女親分の風刺でしょう。それらをブラブラとワイン片手に見て回ります。街の中心にある大聖堂、その広場では聖母への献花が毎日行われます。バレンシア衣装を着た人達がこの祭りのためにバレンシア州の各地から花を持って来ます。それの行進もあるので、市内は通行止めなのです。ですからホテルは街中に取らないと不便です。市外にはリゾートホテルが沢山あるので、安いからとそっちのホテルに泊まると往復だけで疲れてしまいます。

 ニノッを見て歩いてお腹が空いたら昼メシはパエジャ(Paella)です。バレンシアのパエジャは安レストランで食べても、マドリードで食べているパエジャは何なんだ、と思うくらい本当に美味しい。毎日食べても夫々に味が違うので僕は飽きません。パエジャの真髄は米を煮るスープの味にあります。エビやムール貝などの飾りの具はどうでも良いのです。獲りたての雑魚をタップリと使ったスープは海のないマドリードでは真似ができません。

 パエジャで腹が一杯になったらホテルへ戻ってシエスタ(Siesta/昼寝)です。それをしないと、夜中まで体が持ちません。スペイン人は祭りとなるとシエスタなしで一日中騒いでいます。本当に体力があるなぁ、と感心します。祭の夜はやはり夜店と屋台でしょう。人をかき分け、爆竹にもめげず、つまんで飲んで徘徊するのです。困るのはトイレです。バルのトイレはいつも行列ができています。だから喉が乾いてもビールを我慢して白ワインで潤します。でも、徘徊をしているとついついビールを飲んでしまうので、酔った勢いで闘牛場の壁に小便です。男は皆やってます。

 今年のファジャスは週末に当たり、19日の月曜日はスペインの「父の日」なので連休です。だからスペイン中、いや、世界中から観光客が集まるので今年は行くのを諦めました。そんな訳で、写真は数年前のです。


‘献花の行進’

 マドリードからはアベ(Ave/新幹線)で日帰りの手がありますが、ファジャスのクライマックスは19日の夜中(20日の0時ですが)のクレマ(Crema)です。ニノッは一等に選ばれた他は全て燃やし、大広場での大花火大会でバレンシア市内は炎と煙で包まれます。それがクレマです。その火祭りを見ながら、煙でむせながら皆で涙を流して泣くのです、終わってしまった祭りに。州庁舎の前の大広場は仕掛け花火も見事なので、柵の前の場所を取るには2時間前から居ないとダメです。夜空での大花火が終わったら、一気に柵を倒して広場の中央へ駆け込こんで仕掛け花火を目の前で見るのです。これだから祭りは疲れる、だけど本当に楽しい。


‘夜店・屋台街の入り口’


 こうやって、このファジャスからスペインの各地の祭りが始まります。厳かな聖週間・セマナ・サンタは祭りではありませんが、その後はセビージャの春祭り、マドリードのサン・イシドロ祭、パンプローナの牛追い祭り、と半年に及ぶ祭りのスタートです。まぁ、スペインは年の半分は祭りと思って頂いても差し支えありません。
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家検はコワイです

2012-03-13 13:00:00 | スペイン日記


 イエケンと読んで下さい。クルマの車両検査が車検なら、家の検査は家検だろうと勝手に名付けました。スペインではイテエ(ITE)と呼んでいます。「痛てぇ」ではありません、念のため。日本にもある検査制度なのか知りませんが、スペインでは築30年か40年を超える建物に義務付けられる検査のようです。昔は聞かなかったので、スペインがEU(ヨーロッパ連合)に加入してからでしょう。お役所の好きな「ヨーロッパ基準」と言うやつです。それじゃ、400年も超える教会や、アンダルシアでは丘の腹に穴を掘って住んでいる人も多いが、そんな洞窟住居はどうなるんだ、とツッコミを入れたくなります。

 マドリードの中心部ではマンション住まいが当たり前ですが、僕の家は都心ではないのでテラスハウスとメゾネットを合わせたようなへそ曲がりタイプです。東京に例えるなら山の手線の輪のちょっと外です。話を分り易くするために、マンションは羊羹を縦に立てたようなカタチなので「縦の羊羹」、ウチみたいなのを「横の羊羹」としましょう。スペインでは前者タイプをピソ(Piso)我が家タイプをチャレ(Chalet)と呼んでいます。それぞれに住人同士でつくる自治会があるのは同じです。その自治会に役所から、家検をして報告書を出すように、とお達しが届きました。わが隣人たちは、建物全体の検査か?「横の羊羹」の我々はどうするんだ、一軒一軒か?

 などとすったもんだの挙句、自治会でまとめて検査をして報告書を提出しました。救われたのは役所から検査員が来るのではなく、自治会で検査資格のある建築家に依頼できることです。我々は秘密をもった家の隣人同士なのです。あまりにも正直者は困るので、建築家の人選に時間がかかりました。そのすったもんだは昨年か一昨年の話でした。

 そんな出来事も忘れていた先月、何故か、僕の家に役所から罰金の通知が来ました。「提出が遅すぎた。よって罰金を課す」です。冗談はアサッテ言え、です。どうも役所は我々の家を「縦の羊羹」と勘違いして、建物全体の検査なのに何故こんなに時間がかかったのか?です。所詮はお役所仕事です。建物がどういうタイプなんては調べもせずに、提出日に提出されていなかった、ハイ、罰金、です。ふんだくるのを楽しみにしているのが役所です。

 僕は役所へ出向くべきか、考えました。我々の「横の羊羹」は23軒が繋がっています。我々の共通の秘密は勝手に増築をしていて、それは違法です。僕の家は玄関を広げたついでにゲストルームを増築しました。役所には花壇を広げる工事と真っ赤な嘘を申請しました。右隣りはパティオを潰して台所を3倍に広げました。左隣りは最上階の上に更に屋根裏部屋を造りました。その隣りは半地下室の下に地下室を掘り下げました。他の隣人たちも似たりよったりの違法増築をしています。アンダルシアの洞窟住まいの人が穴を掘って一部屋を増やすのと似たようなものです。ただアンダルシアの人達と違うのは、我々の建物はレンガ、セメント、鉄筋です。増築には時間と費用がかったので取り壊しも同じように手間暇かかります。

 うちもそうですが、隣人たちの増築を見ても、本当に必要だったのか?です。一軒一軒は十分に広いので、正直、気まぐれでしょう。もし役所が一軒一軒を綿密に調べたら、役所に提出してある図面との違いは一目瞭然です。昔から寝ている子は起こすな、と言います。ノコノコと役所へ行くよりも、このまま大人しく罰金を収めるほうが触らぬ神に祟りなしです。

 ただ、僕の性分としては、訳の分からぬものに金を払うのは悔しいし、ましてや税金とか罰金のたぐいにはかなり吝嗇です。ワインなんかは値段も見ないで買うのと大違いです。釈然としない事を放っておくのもとても気になるタイプです。意を決し、役所へ出向来ました。役所も日本人が現れるとは思っていなかったようです。僕は良き納税者を装い、自治会の代表者でもないのに、たまたま提出が遅れた非も詫び、腰を低くしました。責任者は罰金額を半分にまけるのは可能だが帳消しはできない、とまで折れました。この40年間スペインで培った、言葉の分からぬ外国人にお慈悲を、が功を奏したようです。後日回答をする、となりました。

 そして役所はどうやら我々の家が「横の羊羹」だと気付いたようです。もう一つ厄介なことは、我々の「横の羊羹」は切った羊羹が一つ一つずれたような並び方をしています。つまり、一軒は手前に出ていてその隣は奥へ引っ込んで居るので、グーグルマップで見ると一軒家に見えなくはない。しばらくして隣人それぞれに、半額になった罰金が来てしまいました。僕は「うへぇ~」となり、やっぱり大人しくしているべきでした。オマケに、一軒一軒の検査結果の家の軽傷を修繕した報告書を一軒一軒提出するようになってしまいました。僕はいまだに、役所へ出向いたことを隣人にバラしていません。ヤバイ展開になってしまいました。やっぱり、「痛てぇ」でした。
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