マドリーの恋人

ヤマダトミオ。 画家。 在スペイン52年。

ふんだり蹴ったり

2015-06-22 11:00:00 | スペイン日記

水浸しの玄関

水浸しの玄関

 アスタ エル・クアレンタ デ マジョ ノ テ キテス エル・サヨ(Hasta el cuarenta de mayo no te quites el sayo)はスペインのことわざです。540日まで冬着は仕舞うな、の意味です。昔の話ですが、5月のマドリードに雪が降りました。5月ですよ。この540日、つまり、6月の10日ごろまでは冬が戻ってくることがあるので衣替えは待て、との警告です。日本人は「スペインは春と秋が無いところだなぁ」と感じるくらい、冬から夏へ一週間で移ります。日本の三寒四温でさえ、ひと月でしょう。


 首都マドリードはイベリア半島のど真ん中にあり、カスティ-ジャ(Castilla)地方です。グーグル衛星マップでみると羊だらけです、は冗談ですが、そのカスティージャの高地にあるのがマドリードなので、はざまの一週間の寒暖は猫の目のように変わります。で、何があったのか?と言うと、①家が水浸し、②オカマを掘られた、です。


 まずは①の豪雨の話から。近くの公園でいつものジョギング中、青空が暗転してヒョウ混じりの雷雨となりました。公園の管理人小屋の軒先での雨宿り30分!横殴りの土砂降り雷雨は、軒先の僕をビショビショにしました。ヒョウも混じってたので痛かったです。小降りになったので濡れながら、やっと家へ戻りました。開けた玄関から水が外へ流れ出てきました!ギョォ~オオオ!2階から地下まで水浸し!きゃぁ~!


 こういう時に人間の本性が出るものです。オドオドして一人でオロオロ。漏電でブレイカーはあがり、家の中は真っ暗。まずは懐中電灯とローソク(オレは戦中派か?)と地下のアトリエへ降りました。階段も水浸しで、それもタイル貼りの階段なので滑ります。おっとっと~、オレは老人なのだ!を確認しながら、手すりにつかまりながら降りました。幸いアトリエ前にある階段脇のトイレに水は流れ込んでくれたので、アトリエの浸水は免れました。作品は無事でした。


 懐中電灯、モップ、バケツを持って上がり、2階の浸水場所の天井の下にバケツを置きました。上の階からモップで水を拭き取りながら地下まで下がったら、バケツ4杯の水でした。全ての床に新聞紙を敷いたら2ヶ月分になりました。ここは落ち着け、と自分に言い聞かせて赤ワインを一杯。保険会社に電話をしたら、テクニコ(tecnico)、まぁ、修理人ですね、に連絡をするとの返事。その間に被害の写真を撮りました。


 雨のやんだ頃、若い兄ちゃんが二人来ました。マノロとアンヘルだそうです。二人は、夜はドロボーやってんじゃないの?と思うほど軽々と屋根に登り、雨ドイに詰まって氷の山になっているヒョウの写真を僕のケータイに送ってきました。雨ドイが詰まっただけで、なぜ?家の中が水浸しになるのか?それは、外壁の最上部が、ソーメン流しができるくらいの幅と深さの溝の雨ドイになっているからです。降った雨は瓦屋根を流れ、その雨ドイに落ちて外壁の中にビルト・インされている排水管を流れ落ち、地下の下水管に流れます。その下水管は道路の地下を流れる市の大下水管と繋がっています。なので、外見はスッキリした建物です。


 でも、年に一回は雨ドイを掃除して枯れ葉などを取り除かないとひどい目に合います。今回は降水量が異常だったのと、ヒョウが雨ドイの排水口を氷で固めてしまいました。あふれた雨水(ソーメン流しOKの溝の水量です)が屋根に突き出ているトイレの排気口の穴に流れ込みました。出口を見つけた水の勢いはスゴイもので、階段を下り玄関を水浸しにして地下まで流れ下りました。


 屋根に登った二人からお湯が欲しいと連絡がありました。ホント、ケータイは便利です。バケツに入れたお湯を屋根に持ち上げ、氷の塊を溶かし、庭の水撒き用のホースを屋根に上げ、雨ドイを掃除しました。これでもう一度豪雨来ても大丈夫だろうと、保険会社に応急処理の連絡をしました。翌日の午後に保険会社の調査員が来る、と言うので、彼らにチップを払ってヤレヤレと思ったら、もう午後3時。Tシャツ短パンのジョギングのスタイルのままだったので寒くなり、電気も回復したのでシャワーを浴び着替えました。パンに切った生ハムを挟んで赤ワインで腹ごしらえをしました。


 まわり近所から電話がはいり、被害情況の話となりました。隣は台所が床上浸水10センチ、3台の冷蔵庫が全滅、その隣は、2日前に改修工事が終わったばかりの風呂場がプールとなりました。我々の住んでいる地区だけのヒョウ混じり極局地的集中豪雨でした。死者は、地下ガレージになだれ込んだ水に弾かれたドアに首の骨を折られたオバサンでした。こんな、地球の一部、ヨーロッパの片隅、スペインのマドリード、それも鼻くそサイズの地区での自然災害でした。


 2キロ離れた友達の地区は大雨が降っただけでした。不運のひと言です。浸水の被害は天井、壁、床でしたが、それぞれの専門職人が見積もりに来るので、結構疲れました。トイレや寝室の天井や壁はペンキ屋が、玄関の天井の板張りと家具は大工が、床はフローリングなので床板職人とバラバラに来ます。最後に保険会社の人が被害調査に来ました。ヤレヤレでした。


 ②オカマを掘られた、ですが掘られたのは僕の車、三菱のミニバンです。水浸しの翌日、年に一度の目の検査に病院へ行きました。その帰りに、マドリードの外を大きくひと回りする環状線で“昼の渋滞”に巻き込まれました。スペインは昼休み(シエスタ/siesta・午後2時~5時)に家へ帰ってメシを食べるサラリーマンがまだかなり居ます。だから、食事時間の午後2時頃も渋滞が起きます。もちろん朝の出勤時間(7時~9時)も渋滞です。やっと流れ始めたなぁ、と思ったら、後ろからド~ンです。


 メルセデス・ベンツのバンが三菱のバックミラーに目一杯映ってました。車を路肩に移動したら、ベンツのバンは後ろを新車のBMWのでっかい四駆のクロスカントリー車に食い込まれて、BMWのナンバープレートがへばりついていました。こいつが玉突きの張本人です。どんなアホかと思ったら、若いネーチャン妊婦がBMWから降りてきました。かなりデッカイ腹で、それをさすりながら降りてきたので、男どもはドッキリしました。


 バンもオッサン二人で、腰や背中をぶつけたようです。僕は首でした。こういう時って、スペイン・オトコは本当に優しいと思う。オッサンたちは車よりも、アンタのお腹は大丈夫か?と心配しました。止まったり走ったりのノロノロ運転だったのでBMWと僕の三菱の被害は蚊に刺された程度で、車は動きます。でも、ベンツ・バンはラジエーターから水が漏れ始めました。当たりどころが悪く、三菱の後ろにある牽引フックにぶつかりました。運が悪かった、オッサン達です。


 エアーバックも作動しなかった、この程度の交通事故ではパトカーが来るわけではありません。それぞれが車のナンバー、身分証書番号、保険会社と保険ナンバー、ケータイの番号を交換しあって、バイバイです。口から生まれたようなのがスペイン人の性格ですから、お前が悪い、アンタだ、が始まったら終始がつきません。だから、当事者同志は事故には関わらず、事故の責任問題も含めて保険会社に全てを任せます。


 僕の三菱とベンツ・バンは同じ保険会社なので、ことはスムーズに運びますが、BMWは別の保険会社でした。でも、ネーチャンが私の保険会社が全てを弁償すると、ハァハァしながら腹を抱えて言うので、納得して別れました。オッサン達に「乗ってくか?」と聞いたら、「もうレッカー車が近くに来てるから大丈夫」だったので、「じゃぁな」と僕も帰りました。ものの10分くらいでことは終わりました。


 きのうの水浸し、今日の交通事故と疲れたので、車の保険会社に電話をするのは翌日にしました。事故状況とぶつけられた車と運転者のデータを伝えたら、書類を送るのでそれにサインをして、医者の診断書を添えてメールで返信して下さい、で済みました。ケータイに受理確認のメッセージが入りました。これで、修理代支払い書が届いたらそれを持って三菱の修理工場へ行けば車を直してくれます。


 制作に追われてるので時間を無駄にできませんが、生きていれば何かが起こります。これ以上不運に会わないように、木製のキャンバス枠を握りしめました。スペインではトカール マデラ(tocar madera)と言って、不吉を察したら木製品を手で触れろ、それで不運を避けられる、と信じられています。木の家に住んでいる日本人は、だから皆幸せなのですよ・・・。

コメント (1)
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