マドリーの恋人

ヤマダトミオ。 画家。 在スペイン52年。

バスク

2024-04-29 14:00:00 | スペイン日記

どうにか勝ち残ったPNV党

 4月21日はバスク州議会選挙でした。日本で言う地方選の一つです。その話を始める前にバスク州(スペイン語ではパイス・バスコ/バスク語ではエウスカディ)の話です。イベリア半島の北東にあり、アラバ県、ビスカヤ県、ギプスコア県の3県から成り立ちます。独自のバスク語を話し男たちはベレー帽が好きです。仲間たちと料理を創造し合って食べるサークル(ソシエダデス・ガストロノミカス/Sociedades gastronomicasa)があるくらいの“美食家州”です。それに甘んじてツーリストもバルで美味しいピンチョス(スペイン語Pinchos/バスク語Pintxos)が味わえます。ワインは白ワインのチャコリをお勧めします。

 

 僕はバスクの彫刻家チリーダが好きなのでギプスコア県のサン・セバスチャンはいつでも行きたいし住みたい街です(僕には購入不可ですが不動産価格はスペイン一です)。マドリードからサン・セバスチャンへ初めて行った時はプロペラ機でした。1970年代でした。その頃はフランコ独裁時代だったのでチリーダはフランスにいたと思いますが、バスクで個展を開いていました。

 

 チリーダの彫刻は鉄です。鉄は熱いうちはカタチを造りやすく、さらに叩けばより強くなります。その鉄が伸び切らないように何か(誰か)が圧力をかけているのではないか?と想像させる作品です。スペイン国民を押さえつけていた当時のフランコ独裁政治を暗に表現した作品、と思うのは僕の勝手でしょうか?勝手な想像はさておいても、彼の鉄の作品が創り出す“空間”は美しいです。

 

 フライトは数年後にジェット機になりましたが、着陸するには一度フランスへ国境越えをしてターンをしてスペインに入りました。スペイン側国境の隣はフランス・バスクです。このフランス・バスクを含めた“バスク地方”とスペイン・バスクだけの“バスク州”の“地方”と“州”の話を始めるとバスク民族の闘争史になるので今回はやめます。

 

 言いたいのは、マドリードを発ったのがプロペラ機ならフランス・バスク領域に侵入することなくしてサン・セバスチャンに着きました。そのフライトをジェット機にできたのはフランス・バスク(フランス政府)とスペイン政府の合意があったからです。これはスペインが欧州連合に加入する前の話です。加入後はノープロブレムになっただけではなく滑走路も拡張されました。

 

 そのあとビルバオ・グッゲンハイム美術館がオープンしたので、ビスカヤ県のビルバオへも足を運びました。ビルバオはバスクの大工業地です。鉄工所から造船所までスペイン一の重工業の街です。昔はスモッグが漂う薄汚れた街でした。それが今はビルバオ・グッゲンハイム美術館の壁は太陽で眩しく輝く空気のすんだ街に生まれ変わりました。

 

 マドリードから車でバスクへ行く時はバスク州の入り口のアラバ県のヴィトリアを宿にしました。マドリードから高速道路を乗り継いで5時間くらいです。このヴィトリアからはビルバオへもサン・セバスチャンへも1時間か2時間弱です。ここを宿にするのはサン・セバスチャンの高い宿代とビルバオの街の騒音が嫌だからです。ヴィトリアの落ち着いた街並みが好きだし、何しろ隣はリオハ州なので美味しい赤ワインが楽しめます。

 

 バスク州とバスク人を日本人の僕の感覚で言わせてもらうと“ひと癖も二癖ある”です。さて前置きが長くなりました。バスク州議会選挙は二つのバスク・ナショナリスト政党(バスク民族主義党です)の勝利でした。その二つのナショナリスト政党の一つは今まで与党だった穏健派のぺ・エヌ・ウベ(中道/PNV)ともう一つは今回大躍進したテロ組織エタ(ETA/バスク祖国と自由)の政治部門のビルドゥ(極左翼/HB BILDU)です。

 

 この二党で非ナショナリストのバスク社会党(PSE)と国民党(PP)を大幅に上回りました(54議席対21議席)。PNVはHB BILDUと同議席数(お互いに27議席)だったのでPSE(12議席)と手を組んで再びバスク州議会の与党になります。ですが今回の選挙の目玉になった祖国一体を掲げるHB BILDUの大躍進は収まりそうもないので次の州議会選で大勝利をしそうです。そうしたらバスク州をスペインから離脱させるでしょう。チリーダの彫刻の森へ行くのもグッゲンハイム美術館を訪れるのもパスポートが必要になりそうです。

 

躍進したHB BILDU

コメント (1)
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