ワイン樽が並ぶ小さいボデガ
スペインは不景気です。消費はドンドン落ち込み、庶民は必需品しか買いません。食品も高い子牛肉や魚を食べず、臓物やすね肉を煮込んでます。米やパスタの消費量が増えたのは少なくなったおかずをカバーするためです。高いウイスキーやワインは飲まず、水道水です。税金、ガス代、電気代、教育費など毎月の生活に必要な出費が値上がったので、他の部分を削る羽目になりました。生活に絶対に必要とはいえないワインは安くないと売れませし、若い人はワインを飲まなくなりました。ワイナリーも困っているようです。
ワイナリーをスペイン語ではボデガ(Bodega)と言いますので、ボデガと呼んで話を進めます。スペインはブドウ畑の面積では世界一です。日照条件がワイン用ブドウに最適なので高い糖分が得られます。醸造にアルコール糖分の添加を必要としないので100%収穫したブドウです。そこがフランスワインやドイツワインとの違いです。この数年でスペインワインの知名度は世界的に広まりました。大手のボデガはそれを利用してアメリアや中国へ輸出を大幅に増やし、スペイン国内のマイナス消費を乗り切っています。
小さいボデガはオーナーが気さく
でも小さいボデガは四苦八苦です。ざっとスペインには5000のボデガがあります。100を超えるボデガが売りに出ています。国内の消費が冷え込んでも、それらのボデガの生産量は高が知れているので地元で消費されます。問題は資金繰りの行き詰りです。ワインはブドウの収穫からビン詰めしたのが店頭に並ぶまでには数年かかります。今まではその間の回転資金は銀行が貸していました。ところが今はスペインの全ての銀行はバブルの焦げ付きを抱えて大赤字です。それどこか、欧州中央銀行からのスペイン銀行向け特別融資でやっと破産を免れている状態です。ボデガや中小企業や個人にカネを貸す余裕は全くありません。
そこでこのチャンスを逃すまいと手を差しのべるのが投資銀行です。その後ろには中国、ロシア、サウジアラビアのプチ投資家達が居ます。投資銀行にしても投資家にもスペインのボデガを買い取ってワイン造りをしてワインを自国で売って儲けようなんて考えてもいません。兎も角、安く買い叩いて、近いうちに訪れる「スペインボデガの大セール」までにペンキを塗り替えて、売り逃げるのです。もうハゲタカ行為としか言い様がないです。彼らが物色しているのが百万リットル程度の生産量規模のボデガを2百万ユーロ(約2億5千万円)以下での買い叩きです。
どこにでもあるバル
普通その規模のボデガを立ち直すには7億円近くはかかると言われています。ボデガに詳しいスペインの銀行の人は、そんなハゲタカには債務整理を裁判所に申請したボデガを掴ませろ、と言います。まず、再建の見込みが無いそうです。こうなるとタヌキとキツネの騙し合いです。ボデガを持つのは男のロマンなのでスペインのマンション・バブルの時に、土建屋のシロウト達がドッとボデガの世界に入りました。今売りに出ている多くはそのボデガです。
僕らのようにワイン通でもない、たんなる呑兵衛の楽しみは旅行先の地ワインを味見して気に入ったら一箱買って持ち帰ります。それをとなり近所や友達に配ります。皆、フルーティー度がどうのこうの、タンニンが何だかんだの能書きを言う連中ではありません。夫々の好みで自分の口に合ったか合わなかったか、それだけです。彼らも同じように僕に地方ワインをおみやげにくれます。小さいボデガのワインなので、高くても一本千円で、大抵500円か600円です。量り売りなら1リットル、200円でもあります。外れても惜しくない値段で、酸化防止剤なしの天然ワインです。これらの小さいボデガが潰れていきます。ワインはスペイン語でビノ(vino)です。
生ビール一杯は200円くらいでアペリティボ(アペリチフ/aperitivo)はサービス。
このつまみ・ファバダ(白インゲン豆の煮込み)は塩が強かったので、
ビールをお代わりしてしまった。商売上手
ボデガだけではなく、バル(Bar)も消えて行きます。5軒に1軒のバルが消え、この4年間で20%、72万軒のバルが閉まりました。客足が遠のいたのと、一人の客が使う金も減りました。ペセタ(Peseta/20世紀まで)の時代にはオヤジや年金爺さん達が一日中バルにたむろしていました。用事があったら彼らの家へ行くよりも、彼らの行きつけのバルへ行きました。バルAで飲んでいなかったら、バルBにいました。もう皆の溜まり場、遊び場でした。
昼メシに頃にはオカミさんや子供がオトーサンを呼びに来ます。午後も再び現れて、トランプやドミノゲーム、サッカー試合のある時は、自分ちで観ないでバルで仲間と応援します。もうバルは生活の一部で自分ちの居間でした。タパスで日本でも知られるスペイン版飲み屋・バルですが、ワインやビールだけではなく、コーヒーやソフトドリンクもあり、朝食はもちろん昼メシもだすバルもあります。その日の新聞も置いてあり、頭が痛くなったらアスピリンもくれます。
ツーリストで賑わうバル。手前はジャガイモ、奥はタコのラシオン(ración/一皿盛り)
土地の人だけではなく旅行者にもトイレがあるので何かと便利です。コンビニの便利さもありファミレス的な役割もこなしていたのが昔からのバルです。バルは一日中オープンしているようなものなので、かなりの重労働です。家族で切り盛りしていれば子供を大学まで行かせることが出来ました。人を雇えるのは繁華街のツーリストが多い場所です。
そのバルが変わったのがユーロになってからです。ワインやビール一杯の値段が2倍から3倍になりました。ペセタからユーロへ切り替えの便乗値上げです。ペセタの時代は生ビールコップ一杯が80円~120円でした。ユーロになって160円~280円(2001年レート1ユーロ=110円)に上がり、今は200円~350円(2013年レート1ユーロ=130円)です。
チャコリ(バスク白ワイン)とタパス2つ。これで800円くらい。
値上がった分、バルも清潔になりました。何でも床にポイポイ捨てていましたが、ゴミ箱が置かれました。トイレがまともになり、トイレットペーパーだけではなく石鹸や紙ナプキンが常備されました。マドリード市内でもツーリストで賑わう繁華街と住宅街では値段がちょっとだけ違います。マドリードやバルセロナなど大都市と地方都市では生ビール一杯の値はだいぶ違います。さらに田舎へ行くとペセタ時代のオヤジ大好き値段のバルもあります。つまみもペセタ時代のオリーブ漬けやピーナッツから気の利いたタパスになりましたが、客はだんだんと行く回数が減り始めました。
その後、マンション・バブルが来てバルのオヤジはこんなきつい仕事はやっていられない、と若い中南米人を雇いました。顔をだすのは売上げの勘定をする夜の戸締りの時だけになりました。僕もこの頃からバル離れが始まりました。バルでスペイン人のオヤジと昔話をしながら飲むワインが美味しいのであって、昨日今日マドリードへ来たエクアドル人との会話は水を飲んでいるようでした。
田舎のバル。
ワインの染み付いた大理石のカウンターを今風の合板に取り替えて、黒を基調のおしゃれなバルが人気になりました。でも、バブルは弾け、中南米人は国へ帰り、再びオヤジがバルへ戻りましたが、一度遠のいた客はなかなか戻りません。そこが客商売の難しいところです。おしゃれに模様替えしたバルに50過ぎの腹の出たオヤジが戻り、昔ながらの白エプロンじゃ似合いません。リフォームの借金も残っているので値段を下げるわけにも行かず、不景気で客は減り儲けも薄くなり、結局店をたたむハメになりました。
確かに、バルが減った、スペイン人は行かなくなったと言っても、スペインはヨーロッパではキプロスの次にバルの数は多く、170人に一軒のバルがあります。使う金もヨーロッパ人平均の倍は使っています。だから少々減っても大丈夫に思えますが、客の回転する観光地や街の中心地ばかりのバルが残り、家の近所にあった昔スタイルのバルが消えていくのが困るのです。
大手のボデガの貯蔵庫
こうなると年寄りは田舎へ引っ越しです。統計上では田舎のバルの減り方は本当に深刻ですが、昔スタイルのバルはそこのオヤジが生きのびている限り残ります。都会の年金者は家飲みかメトロで繁華街へ出向いて飲むかです。年金で美味しいワインを飲みながらのバラ色の老後を夢見ていた僕ですが、これではサーモンピンク色程度になってしまいます。トホホホ。
バルは楽しい