庭園の噴水
今日はアルハンブラ宮殿を見学してからセビージャ(Sevilla)へドライブです。ジョギングをするつもりで起きましたが、窓から手を出すと外は肌寒いのでベッドへ戻りました。二度寝はいくつになっても心地よいもので、また寝坊をしちゃいました。でも朝食はちゃんと食べました。歩いて回るアルハンブラ宮殿やヘネラリィヘ庭園の見学は体力です。おっと、その前にホテルのチェックアウトです。フロントで部屋のミニバーのビールやパーキング代の清算を頼みました。ビール代はフロントの女の子が「私がご馳走します」、パーキング代は「ホテルがサービスします」、となんと!太っ腹なホテルでしょうか!
涼しげな噴水
アルハンブラ宮殿の見学が済むまでは荷物と車は預かりますので楽しんできてください、とドアマンが宮殿の入口を教えてくれました。坂道を10分ほど登ったらチケット売り場でした。アルハンブラ宮殿見学のチケット購入はカイシャ銀行(la caixa)の「催し物サイト」にアクセスしました。正直言って、グラナダの観光ガイドが生活に困らないように作られたサイトじゃないのか、と勘繰りました。僕がアクセスしたのはひと月前でしたが、午前の部の個人フリーチケットは完売でした(くそー)。正規のチケットの3倍の料金を払ってガイド付きグループに申し込みました。一人分なら前日にアクセスしてもキャンセルを拾えるかもしれません。二人以上なら2か月か3か月前に取ったほうが無難です。このチケットを確保してからホテルを取るヨーロッパ人夫婦は多いです。
宮殿の前庭
夏なら夜の部のアルハンブラ宮殿見学、と言う手もありますが、どうも照明が不十分のようです。チケット予約もせずに入れるなら、アルハンブラ宮殿は毎日でも訪れたいです。モロッコも旅をしました。モスク(礼拝堂)もいたるところにありました。モスクと宮殿は違いますが、完成度の上品さとその維持保存の高さではグラナダのアルハンブラ宮殿が勝っています。これも昔のことですが、おそらく20年か30年前です、幸運に恵まれました。日本から来た建築家の友達とマドリードで飲んでいました。僕がアルハンブラ宮殿の美しさを口から泡が出るように話したので(と後日、彼曰く)、翌日二日酔い状態の二人でグラナダへ飛びました。
宮殿の天井
真冬のみぞれ交じりの小雨の降る日でした。宮殿内はひとっこひとり居なくて我々だけでした。雨の音も風の音も聞こえるほど静寂に包まれていました。じぃ~と佇んでいると、不思議な雰囲気に包まれました。異文化に包まれて異邦人となっている自分でした。その時からアルハンブラ宮殿を訪れるたびに昔の恋人に会いに来たような気持になりました。グラナダの友達には悪いけど、僕はアルハンブラ宮殿が目当てなので、マドリードからは飛行機で日帰りをしてしまいます。市内には大聖堂、カルツゥハ修道院などもっと見るところもありますが、他を見るとアルハンブラ宮殿の感動が薄れるのです。でも今日は日本の友達とガイド付きで回ります。
宮殿の天井
友達はスペイン語が分からないので英語のガイドにしました。まずはヘネラリィヘ庭園からです。アラブ民族が「水を崇める」のが分かる噴水の造りです。ヨーロッパ人のバケツをぶちまけるような水の使い方の噴水ではなく、細く穏やかです。繊細です。そして静かです。噴水を押し出す水の源まで若い頃は登りましたが、もう数年登っていません。階段脇の石壁の上の細い溝を水は流れ落ちます。水のきつい落下によって噴水を押し出す圧力が生まれるので、登るのはきついのです。まぁ、物好きしか登りませんね。
コーランの教えを書き込んだ壁
庭園のあとは宮殿見学ですが、観光客であふれかえっているので、グループから外れて僕は一人で観ました。自然光の中で輝く天井の装飾の絢爛さは夢のようです。あの世はこのように美しいのでしょうか? 僕には表面的な仕上がりの「美」しか分かりませんが、イスラム教徒の人にはもっと感動する、何かがあるのだと思います。首が痛くなるんじゃないのか、と心配になるほど見上げているアラブ人も居ました。ひと昔から比べたらアラブ人観光客が増えて、僕らのグループの三分の一は彼ら、彼女らでした。歴史は見方によってどちらかが幸か不幸になります。でも長い目でみたら、遺跡は残しておいて損はありません。
美しすぎる世界
言葉も出ないほどに感激した(たぶん)友達と昼はパラドールのテラスで軽く食べました。昨日の来た道を引き返してグラナダを後にしてセビージャへ向かいました。A-92号線をひたすら走れば、260キロ足らずなので3時間くらいで着きます。セビージャはグアダルキビィル河(Rio Guadalquivir)の河口にある平らな都市です。歩くのはグラナダよりも楽なので、ホテルは大通りにある昔泊まったホテル・アルカサール(Hotel Alcazar)にしました。清潔なビジネスホテルに生まれ変わっていたので二部屋をとりました。このホテルはガレージ付きです。
光と影
セビージャへは車で何回も来ています。そのたびに「車あらし」に遭いました。不幸中の幸い(?)なのでしょうか、窓ガラスは割られませんがドアを開けられて、中のものは盗まれました。ラジカセは取り外し式が当時のスペイン車では当たり前でした。外して持って歩きました。セビージャの友達いわく、他県ナンバーの車があるとつい開けてしまう、のだそうです。冗談じゃありません!おまけに、価値にないものは近くゴミ箱に捨てるよ、と言うではありませんか!!確かにゴミ箱に捨ててありました。
サンタ・クルス街
昔もA-92号線でセビージャ市内に入りそのまま進み、ホテルのある大通りにぶつかりました。ところが左折ができないので(右側通行です)、直進をしたら旧市街に迷い込みました。旧市街は一方通行が当たり前で、両サイドが路上駐車です。そこに車をはみ出して止めてバルで引っ掛けてる輩が多いのがセビージャです。ちょっと大きめの車は通れませんので、ブーブー鳴らしますがなかなかバルから出てきません。今回は同じへまをしないように、手前で右折して迂回をするのをグーグルマップで確認して、紙マップに書き込みました。それでも再び間違えました(くそー)。
僕のナビはタッチパネルが不調なので、もっぱら位置確認に使っていました。それもスマホのグーグルマップで済むようになり、車のボックスに入れっぱなしです。やっとホテルにたどり着いて、車をガレージに入れました。入口がこんなに狭かった!?と驚きました。ミニバンの幅にぎりぎりでした。地下は柱だらけで、厚いクッションが巻かれ、あっちこっちが擦り減っていました。かなりの車が擦ったようです。初めからへまの連続をさせられるのがセビージャです。夕飯はサンタ・クルス街(Santa Cruz)のバル巡りをしましたが、どこもツーリスト相手でした。最悪のパエジャに出くわしたほど、バルにはついていない夜でした。
サンタ・クルス街
やはり、トゥリアナ地区(Triana)へ行くべきでした。東京の浅草のような庶民街なので、「座って食事」よりも「立って摘まむ」地区なのでバルは地元の人が多いです。同じ値段なら、トゥリアナのタパスは皿に山盛りです。サンタ・クルスからはグアダルキビィル河を渡らなければならないので、ちょっと歩きます。ホテルの裏にセルべセリア(cerveceria/ビアガーデンですがバルと大差はありません)があったのを思い出しました。セビージャまで来て友達にペスカィート(pescaito/魚介の揚げ物の盛り合わせ)を食べてもらわなければ「ヤマダの沽券」にかかわります。
チョコ(choco/コウイカ)、ボケロン(boqueron/カタクチイワシ)の定番のペスカィートとカソン(cazon/サメ)も頼みました。何ザメだか知りませんが(グアダルキビィル河ではキャビアもつくるので、たぶんチョウザメ)、そのぶつ切りを酢でしめてから揚げます(酢でしめたサメはアンモニア臭さが消えるようです)。好き嫌いがあるので友達には「サカナを酢に漬けてぇ~、フライ」とお茶を濁しておきました。以前、正直に言ったら、ひえ~、って食べなかった日本人がいました。セビージャの夜は暑いのでテラスで食べてビールを飲んでいました。しめに僕はフィノ(fino/シェリー酒の辛口)にしましたが、友達は「シェリーは癖があるよ~」なので白ワインを頼んでいました。
サンタ・クルス街
アンダルシアでは「ウン・ブランコ(un blanco/白ワイン一杯)」って注文するとモンティージャ(montilla)が出てきます。シェリー酒の甥っ子みたいなものでフィノと大差ありませんが、友達には黙っていました(う、ひぃひぃ~、とセビージャに来ると性格が悪くなります)。リオハ(rioja)とかルエダ(rueda)とか、銘柄で頼まないと「純粋の白ワイン」が出てこないのがアンダルシアの土地柄です。今日はアルハンブラ宮殿を歩き、ホテルへの道は間違え、駐車で苦労して、バルは外れたので、心身ともに疲れがどっと出ました。ほんと、セビージャはいつ来ても「ツ・カ・レ・ル」です。