マドリーの恋人

ヤマダトミオ。 画家。 在スペイン48年。

10年遅れて光ファイバー

2018-04-19 10:00:00 | スペイン日記

フェリア

 ことの始まりは3月の半ばの平日でした。ルーターに異常を知らせる赤ランプが点きました。固定電話も不通です。携帯でモービィスタ-電話局に電話をしました。音声ガイドに従って固定電話番号を入力すると「お客様の地区は電話回線の復旧工事中です。復旧しましたら連絡をします。ご迷惑をお詫びします」と、これも音声ガイドで答えてきました。  表に出ると、家の前の歩道にある数軒先のマンフォールから黄色い梯子の先が顔を出していました。近づいて、作業服のおっさんに「モービィスタ-の人?」と聞くと、「そうだよ」でした。「どうしたの?」「雨で電話線が水浸し。水をくみ上げて、修理中です」「どのくらいかかるの?」「今日中は無理。早くて明日中、まぁ、明後日だね」。つまり、明後日は週末なので、4~5日間はネット難民です。


 隣人のホセさんに「ネット、繋がってる?」と聞きました。「繋がってるよ」の返事に僕は「え~?」となりました。再び、マンフォールへ行っておっさんに聞きました。「光ファイバーは大丈夫なの?」「お宅は銅線?」「そう」「銅線は水に弱いけど、ファイバーは大丈夫」。ガ~ン。近所でまだ光ファイバーにしていないのは僕だけでした。でも金曜日の夕暮れ時に復旧して土曜日にテクニコ(técnico/ 修理人)が家に来ました。


 名前はホセさんですが、彼が回線を調べても電話が繋がりません。マンフォールから出た電話線はやはり歩道にある配電盤に行きます。その配電盤から各家庭の門にある電話線ボックスを通って家に入ります。そのルートの“我が家の銅線”には故障はありません。どうやら、復旧工事後の接続間違いなのか、我が家の銅線に我が家の電話番号が乗ってない(?)ようです。「こんな復旧工事をした奴は誰だ!」とブツブツ言いながらホセが中央センターへ接続の確認へ行きました。再び戻ってきて配電盤に電話番号を入れてやっと電話は復旧しました。


 行ったり来たりのホセは「だからマドリードは嫌なんだ」とぼやきます。訳を聞くと、かれは長い間カナリア諸島(Islas Canarias /モロッコの大西洋側にあるスペイン領)のランサロテ島(Lanzarote)の勤務でしたが、最近マドリードへ転勤になりました。「あっちはおおらかで時間に追われないし、いつも暖かい。マドリードはせかせかしすぎだよ」と、今すぐにでもランサロテ島に飛んで帰りそうでした。僕が「(銅線を)光ファイバーにするよ」と言うと、彼がモービィスタ-に電話をしてくれました。彼に2ユーロ(250円)のチップを渡しました。


 僕の固定電話はスペインのモービィスタ-電話会社(Movistar)、ネットはフランスのオレンジ電話会社(Orange)、携帯はイギリスのボーダホン電話会社(Vodafone)です。なぜこのようにバラバラなったのかは忘れましたが、自分の胸に手を当ててみるときっと景品付きの甘い勧誘に釣られたのです。この際、モービィスタ-の光ファイバーにしてネットもスマホも同社にまとめることにしました。

光ファイバー用の溶接機

 モービィスタ-が「固定電話無料+ネット50メガ+スマホ2ギガで月60ユーロ(7500円)のお得なセットはいかがですか?」と勧めるで、すぐに釣られて電話で契約をしました。僕は昼の定食もセットメニューを選ぶ性格なので引っかかり易いのです。「電話番号は今までのままで」と注文を付けると、モービィスタ-で電話会社の乗り換えはしますが「その後の解約はお客様でして下さい」だった。結果的にはこれが失敗で数日が無駄になった。


 即解約にして新電話番号が最短でした。携帯は「新しいSIMカードを翌日の午後以降に最寄りのモービィスタ-・ショップで受け取って下さい。明後日から使えます」だった。ファイバーは「雨で工事が遅れているので早くて2日以内、遅くても一週間以内」だった。ところがここはスペイン、ことがスムーズには運んだら奇跡です。新しいSIMカードを今まで使っていたサムスンのガラケーにセットして、シークレット番号も入れました。ところが“携帯回線ブロック解除ナンバーを入力せよ”と出ました。初めて耳にする“解除ナンバー”ですが、携帯が使えないとお手上げです。


 翌日再びショップへ行くと「以前がボーダホンだったので、そこで解除してください」と言われ、近くのボーダホン・ショップへ行くと「あ~、それは“解除屋”でやって下さい」とたらいまわしにされました。“解除屋??”なんだぁ?それは? リベラァル・モビル(liberar movil / 直訳すると“携帯の解放”です)と言う仕事があるのを初めて知りました。大通りに胡散臭そうなデジタル商品ショップがあったので、そこで聞くと裏通りにある“解除屋”を教えてくれました。時間は昼休みの閉店まで1時間もありません。


 早足で探して行った“解除屋”は怪しげな小さい店でした。ショーウインドーに並んでるのは中古のスマホで壁にはパソコンの部品やスマホのアクセサリーがぶら下がってます。どうみても堅気の仕事人には見えない先客と話しながら店の人がすぐに解除してくれました。携帯が繋がるのを確認して8ユーロ(千円)でした。その“解除人”は30代の中南米人でしたが、盗品のスマホも解除するでしょう。スマホ用の格安バッテリーもあり、ノートパソコンも修理するので、いい店を見つけました。


 僕はボーダホンと別のスマホも契約してます。もっぱら“ナビ”と“あまり友達になりたくない人”用に使ってます。持ち歩きは小さいガラケーだけです。これもきっとボーダホンの契約持続キャンペーンのプレゼントだったと思いますが、10年以上も使ってます。でも今回の事でキャリア提供の端末は乗り換えると新品を買わせるように、同業者内での取り決めがあるのが分かりました。

ロセタ

 携帯のほうが一段落したと思ったら今度はネットです。「オレンジ社からの乗り換えをしてますが、いったんモービィスターの銅線用ルーターをセットして貰ってから乗り換えを終えます。その後に光ファイバー用のルーターに取り替えが可能になります。2日以内に銅線用ルーターを宅配します」と連絡を受けました。届いたルーターを接続してもネットは繋がらず固定電話も再び不通です。


 またモービィスターに電話をすると翌日に他のテクニコが来ました。今度はアルフォンソさんです。点検後再び中央センターへ行き、繋がりました。チップに2ユーロ渡しました。その数日後、やっとファイバーを敷くテクニコが来ました。今度は30歳前の若いアレックスさんでした。歩道にある大型配電盤からファイバーケーブルを我が家へ敷きますが、間にある2軒の隣人宅の電話線ボックスを通さなければなりません。門の内側にあるので、隣人宅に入れさせてもらい我が家の門のボックスまでに届くのに2時間かかりました。


 ボックスとボックスの間は地中のパイプにケーブルを潜らすので、沈んだり浮かんだりの繰り返しです。ここからポーチと呼ばれる前庭の地下に埋まってる樹脂製のパイプにファイバーを通すのですが、すでに銅線が入ってます。それも電話回線が3本入る太目です。90年代に2本の電話回線を入れました。一本は電話用、もう一本はファックスとインターネット用でした。今はWi-Fiが普及したので一本は解約をしましたが電話線はそのままです。門から玄関までは1213メートルくらいですが、アレックスが誘導用ケーブルを入れても通りません。玄関側のパイプから入れてもだめです。


 あきらめたアレックスの答えは「上の責任者に連絡します」だった。「責任者が来てもパイプに通らないと地上に敷くので、カナレタ(canaleta/溝)を用意したほうが賢明ですよ。今回のファイバー敷工事は新規契約なので割安だけど、裸の状態で敷いたファイバーケーブルが故障した場合の修理代は高額になりますよ」と脅かされた。つまり、裸のケーブルに着せる服は僕が用意するのです。門までは電話会社がやるが敷地内の設備は客持ちで、それにファイバーを入れて電話やネットに電話会社が繋げるのです。


 マンションは設備が整ってるけど個人住宅は何かと面倒です。カナレタも聞きなれない言葉なのでアレックスに書いてもらいました。まだ銅線のネットは使えるので裸の状態でのケーブル敷はやめましたが、はて? お隣さんはどうしてるのかなぁ? と覗いてみました。左隣(フェルナンドさん宅)は樹脂製チューブを花壇の上に敷いてあります。右隣(エミリオさん宅)はなんと!裸で玄関まで敷いてあります!大胆なエミリオです。アレックスにも2ユーロ渡したら、ニッポン人?とニッコリとしました。若いスペイン人は漫画の影響でハポン(Japón)よりもニッポンを使います。

セマナ・サンタ

 そんな訳で翌日に東急ハンズのような日用品センターでカナレタを買いました。一本が2メートルの四角いチューブのようなものですが、上が蓋になってます。それを7本買いました。その翌日に責任者のおっさんテクニコ・アントニオさんが来ました。彼が持ってきたのは細めの誘導ケーブルで長さもアレックスの倍はあります。僕も手伝いましたが1時間もかからずにパイプを通り、誘導線を敷きました。カナレタは使わずにすみました。ところがアントニオは「わしの仕事はここまででファイバーは他のテクニコが来て敷くから」と道具を片づけ始めました。「(社に)戻ったら準備万端と報告するので、早ければ今日の午後、遅くても明日には他のが来るよ」と言うアントニオに「必ず報告してよね」と、チップ2ユーロを渡しました。


 ところが、そのアントニオが帰った後に不通になりました。銅線に傷でもついたのでしょうか? 困ります。再びモービィスターに電話をして、すぐ直すようにせっつきました。翌日にテクニコ・フアン・カルロスさんが来ました。結果を先に言うと光ファイバー工事は彼で終わりましたが、4時間もかかりました。アントニオが敷いた誘導線にファイバーを繋げて引きますが、パイプを入ったところで詰まります。フアン・カルロスは銅線を抜いてしまうと万が一の場合に“回線なし状態”になるのを嫌がります。


 最悪の場合はカナレタを使って地上に敷けばよいので、僕が責任を取るので銅線を抜いて貰いました。再び引っ張り続けるとやっと玄関脇のパイプに地下を通ったファイバーが顔を出しました。それを再び床下の管に潜らして台所の壁の管から出てきました。歩道のマンフォールから台所まで地下に潜ったり地上に出たりを繰り返してやっと繋がりました。


 このファン・カルロスは昔、マドリードの東芝で働いていたので、僕が日本人とすぐに分かったようです。今は“離婚ホヤホヤ”だそうです。“新婚ホヤホヤ”は聞きますが、離婚にも“ホヤホヤ”があるのですね。東芝のあと、奥さんのお父さんの会社で働き、離婚でモービィスターに移りました。まぁ、離婚の原因は知りませんが、アルゼンチン生まれの48歳のスペイン人です。全くアルゼンチン訛りのないスペイン語を話すので訳を聞くと、二十歳の時に両親と引き上げて来ました。4時間もあれば色々な人生話で盛り上がります。


 台所の壁にロセタ(roseta )と呼ばれる分配器みたいな箱を取り付けますが、その中に素っ裸にしたファイバーをグルグル巻きます。ファイバーグラス線は毛よりも細いけど丈夫です。それが数層にコーティングされてます。それを層別にそいでいき繋げるのはかなりデリケートな作業です。アントニオがしなかったのが納得です。そのファイバーグラス線の“溶接機”が3000ユーロ(40万円)だそうです。ハンダで繋げていた銅線とは大違いです。それが終わり、光ファイバー用のルーターをセットしてから、中央センターと接続のやり取りがありました。

フェリア

 すでに親しくなったファン・カルロスが「トミオさんは300メガを契約した? 」と聞きます。僕が契約したのは50メガです。ところがうちの回線に届いてるのは300メガでした。それだと基本料金が上がります。再びモービィスターからの電話に僕が契約内容の再確認をすると50メガまでに下がりました。これから次の仕事へ向かうファン・カルロスに3ユーロ渡しました。


 これで終わりましたが、ひと月まではいきませんが3週間以上はかかりました。電話でのやり取りも疲れましたが、何人のテクニコが来たのでしょうか? それにも疲れました。ひと昔から比べるとスペインのモービィスター電話会社はサービスのレベルが良くなりました。テクニコも訪問時間に遅れる場合は連絡が入りました。やっとネットも正常に使えるようになったので、あとはオレンジ社とボーダホン社の解約と、新しいスマホの購入です。その間に、バレンシアの火祭りがあり、ヨーロッパは夏時間になりました。


 お騒がせプイデモン前首長はドイツで捕まり、仮釈放の身でそこに居ます。そうそう、プイデモンの愛称が“プッチィ”なので日本ではプチデモンと呼ばれてます。かなり昔にプッチィと呼ばれるバイクメーカーがスペインにありました。そしてセマナ・サンタ(Semana Santa/聖週間)があり、セビージャの4月祭り“フェリア”(Feria del Abril)が始まりました。あっという間過ぎた23月ですが、マドリードは長雨が続きました。うんざりしました。今回はちと長くなりましたが、次回も宜しくお付き合い下さい。

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タバルニア国

2018-01-29 10:30:00 | スペイン日記

タバルニア共同団体を立ち上げたミゲ-ル、ジャウメ、ジョアン

 むかしむかし、そのむかし、スペインはカタルニァ(Catalunya)のお話です。バルセロナ(Barcelona)とタラゴナ(Tarragona)の間に小さな美しいタバルニア国(Tabarnia)がありました・・・。青い地中海の温暖な町には世界中の花が一年中溢れていました。人々は自由を謳歌して、生活はとても豊かでした。スペイン語とカタルニァ語を話し、スペイン各地とも通商を通して文化交流も盛んでした。


 でも、カタルニァがスペインからの独立を宣言したので、スペインに残りたいタバルニア国の国民は立ち上がりました。銃や大砲の代わりに、タバルニアの人々はユーモアとダジャレをもってカタルニァに対抗しました。国外に亡命をしたタバルニア国大統領はテレビ演説を通して国民を励ましました。


 では一部ですが、パロディにあふれたとても楽しい演説をご紹介します。「国民の皆さん、私はタバルニアには居りません。こうした亡命先からの演説をお許しください。私は道化師かも知れません。でも私はカタルニァの道化師(ブリュッセルに逃亡中のカタルーニャ州前首長・プイデモンのこと)から比べたら、まだまだ、未熟な見習いです。なぜなら、国庫を空にしたり、国を分断したりはしていません・・・・・」と昔ばなしを語るようなことが現実に起こりました。


 まだ架空の国ですが、カタルーニャ州がスペインから独立するなら我々はカタルーニャ州の中に独立国タバルニアを創る、とタバルニア共同団体が立ち上がりました。大統領にはカタルーニャ人の人気劇作家・アルベルツ・ボァデジャ(Albert Boadella)がなり、プイデモン前首長のようにテレビ演説をしました。彼は舞台役者でもあります。ボァデジャ演じるタバルニア国大統領のプイデモンを真似たジェスチャーには腹の底から大いに笑えました。彼の後ろには、ヨーロッパ連合旗、スペイン国旗、タバルニア国旗が並びました。


 やっと独立に反対を声明する組織団体が現れました。この団体は「ユーモアをもって訴える」がモットーで政治団体になる気はありません。今までは極左翼からの暴行を恐れたカタルーニャ人は声を大にして独立反対を訴えませんでした。学校で子供がいじめにあうのを恐れてかスペイン語学習の足りなさ訴える父兄は少数でした。30年間続いたカタルーニャ民族主義党治政はカタルーニャ州民の言論の自由を奪っていたのです。バルセロナでは独立派がインテリで反対派は田舎者です。

ボァデジャの大統領演説

 先週、カタルーニャ州議会長には独立派のトレンツ氏(Torrent)が選出されました。次は州首長の選出です。独立派は前首長のプイデモン氏を推しますが、国外逃亡中の彼にはその資格がありません。クーデターを起こしたのも同様のプイデモン前首長は帰国したら造反罪でブタ箱入りです。それともブリュッセルからネットでカタルーニャ州の治政が本当にできると思っているのでしょうか?


 独立だけが州の議会問題ではなく州民の毎日の生活問題も重要です。独立派のカタラン人も現実に戻る時で、カタルーニャ州はディズニーランドではありません。130日が州首長の投票日ですが、議席の過半数は独立派です。選出される首長は誰にせよ独立派です。議席数ではトップになった護憲派のシウダダノス党(カタルーニャ市民党)に首長の道は閉ざされましたが、嘆くことはありません。スペイン国憲法においては勝者の権利は認められますが敗者の自由も尊重されます。優しいのです。独立派が“独裁色”政治をしたら、その都度、護憲派は憲法裁判所に訴えるのです。


 議会における嫌がらせ、護憲派党への連絡不備、ネットでの中傷、街での暴行、どんなに些細なことでもその都度訴えるのです。裁判所が訴訟を受け入れたら中央政府には政治カラーは何色であれ、彼らを守る義務があります。これを続けてカタラン人にもスペイン国憲法で守られていることを示し続けるのです。


 このカタルーニャ“独立劇”にはスペイン人はうんざり、メディアがはやし立てるニュースにも食傷気味です。その反動か、バルコニーに窓に玄関にスペイン国旗を飾る家が急に増えました。それも異常と思える数のスペイン国旗です。それでなくても政治には皆は嫌気がさしています。繰り返される国民党(ペーペー/PP)の汚職や社会労働者党(PSOE)の公金横領には怒りを通り越してあきらめです。


 明るいニュースはアルバイトやパート採用だった息子、娘たちの正式採用に喜ぶ親の笑顔です。飲食業、サービス業が失業者を大量に吸収しました。もう2月になりますね。「聖ブラスのおかげで日が一時間のびる」は2月のことわざですが、日ごとに太陽が高くなります。そしてカーニバルの始まりです。春が来て、3月はヴァレンシアの火祭りです。祭りとワインは嫌なことを忘れさせてくれます。

スペイン国旗を飾る家

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フェリス アニョ 2018

2018-01-05 11:00:00 | スペイン日記

迎春

 今年もよろしくお願いします。新しい年を迎えるとウキウキします。初めの2週間は新しい自分になれるではないのか? と淡い期待があります。それを過ぎると、今年も同じか、となります。さらに春も過ぎる頃になると、同じ繰り返しを続けられている自分に感謝をするようになります。そして年末になります。


 でも、2018年の新年を刑務所や逃亡先の異国で迎えた人々もいます。もちろん彼らには初体験です。スペイン王国への造反罪で起訴されたカタルーニャ州議会のメンバーです。スペイン憲法裁判所から自治権を剥奪されたカタルーニャ州議会はその再構築のために1221日に州議会選挙が行われました。選挙運動中の各党のマニフェストは分離か護憲だけのお粗末なものでした。州民の生活問題を取り上げたのはカタルーニャ市民党(シウダダノス/Cs/ Ciudadanos)だけでした。蓋を開けると投票率は82%! 驚く数字でした。


 その82%のカタルーニャ人の52%は独立に反対でした。開票結果はカタルーニャ市民党が37議席獲得のトップでした。カタルーニャ共同体(ジュス・ペール・カタルーニャ/JxCat/ Junts per Catalunya34、カタルーニャ共和左派(エルク/ERC32がそれに続きました。ラホイ首相の国民党(ペーペー/ PP)はたった4議席の惨敗でした。これでは護憲派のカタルーニャ市民党、カタルーニャ社会党、国民党がスクラムを組んでも議会の過半数(68議席)になりません。分離派はカタルーニャ共同体、共和党、急進左派(クップ/ CUP /4議席)で固まって、以前と同じ議会構成です。

逃亡中のプイデモン前首長

 その議会から選出されるのが州首長ですが、ベルギーに逃亡中の前首長プイデモン氏(Puigdemont)が帰国するのか、獄中の前副首長ジュンケラ氏(Junquerra)が仮釈放されるか、誰になるのかは分かりません。獄中のジュンケラは逃亡したプイデモンをカプージョ(クソ野郎/Capullo)!とののしっています。この1月中に決まらないと、再選挙です。

シウダダノス党のアリマダス女史

 可哀そうなのはシウダダノス党のバルセロナ代表のアリマダス女史(Arrimadas/ 36歳)です。大躍進をしてトップ党になったのに、国民党の墜落で州首長の座は果てぬ夢となりました。せめてなれても州会議長です。


 新年早々からすったもんだのスペインですが、クリスマスは誰にでも来ます。クリスマス宝くじは一等が5億円でした。それが160本出たので800億円でした。マドリードやヴァレンシアやマラガなどスペイン全土に数十億円ずつの一等が当たりました。金持ちは宝くじ券をそっくり一枚買います。200ユーロ(26千円ほど)で10枚綴りです。庶民はその十分の一券(20ユーロ)を買うので、1600人の庶民の懐に5千万円ずつ入りました。


 孫券(100分の一)を2ユーロ(260円)で買ったおばさんおじさんの懐にも500万円入りました。二等から五等までも160本ずつ出るし、末尾当選も含めれば少なくても1万人の庶民にナンボかのお年玉が出ました。僕もその一人で100ユーロ当たりました! 元金が5倍になって帰って来ました。すぐに次の「ニーニョ宝くじ」を買い、残りはワインに消えました。

一等の当選番号。赤丸が一等が当たった各地です。

 1224日に始まったスペインクリスマスは16日の子供の日(エル・ニーニョ/El  Niño)で終わります。その日にも大宝くじ抽選会があるのです。大晦日はマドリードのソル広場にある時計台の12時に合わせて、12粒のブドウを食べました。それが幸運を運んでくれるのでニーニョの3千万円は僕のものです・・・と良い初夢でした。子供の日の前日、5日の夕方は市内の目抜き通りにはレジェス・マゴス(Reyes Magos)のパレードが出ます。クリスマスプレゼントを山ほど積んだラクダに乗った東方の三賢帝のパレードです。

シャンパンを振りまく宝くじ屋。当たりましたぁ!!!

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2年ごとに夢は花開く

2017-11-22 10:00:00 | スペイン日記

ベサメ・ムーチョ展

 ベサメ・ムーチョ(たくさんキスをして!)が個展タイトルでした。画廊を訪れた方々は今回の💋作品、壁に並ぶおびただしい💋💋💋にビックリされました。作品から離れてのお茶を飲みながらの世間話はスペインのバルセロナの独立(カタルーニャ州独立が正しい)の事でした。そのバルセロナを州都とするカタルーニャ州の独立茶番劇はあとで語るとして、個展は無事に終わりました。個展案内状がショッキングだったのか、ベサメ・ムーチョのタイトルが受けたのか、ヤマダトミオの作品の質度が上がったのか、たくさんの方々が見に来て下さいました。有り難う御座いました。

ベサメ・ムーチョ展

 2年おきに東京で個展を続けて40年近くになります。時期はいつも10月下中から11月初旬です。いかにも“芸術の秋”を狙ったかのようですが、違います。作品の運送上の都合でそうなっただけです。80年代は作品を木箱につめて船で東京に運んでいました。8月にはひと月のヴァカンスを取るスペインでは、夏前に作品を送る書類手続きを始める必要がありました。その申請が通り作品が税関をパスしてスペインの港から日本向けのコンテナ船に載るのが、ヴァカンス明けの9月の初めでした。地中海を進みスエズ運河をプカプカと通過して東京港へ着くにはひと月から40日間かかりました。その結果、上記の時期の個展開催となった次第です。

ベサメ・ムーチョ展

 21世紀になり、作品運送は航空便になりましたが、20世紀からの習慣でその時期に個展を続けているのです。いつも好天に恵まれた“天高く~”の秋です。ところが今年の東京はその時期に2回もの台風が来ました。夏服プラスαで帰国した僕は寒さと雨と突風にいじめられ、ユニクロとコンビニに駆け込みました。温暖化による気象異変とは言え、いくらなんでも台風が!!それも2回も! 来るの? でした。でも過ぎた出来事なので蒸し返しはやめます。そのような悪天候でしたが、それにもめげずに沢山の方々が個展へ来て下さいました、有難いことです。

ベサメ・ムーチョ展

 ところが話題はベサメ・ムーチョよりもバルセロナでした。結論から言わせてもらえば、もう勘弁してよ、バルセロナでした。僕はアンチ・バルサではありません。個展の盛況は写真で確認して頂くとして、カタラン人(カタルーニャの人々をそう呼びます)の話をします。一つ言わせてもらえれば、日本のメディアはカタルーニャ州とバスク州(スペイン北東部。スペイン語とは全く違ったバスク語を話し独自の文化を持ちます)を勘違いしています。さてですが、カタルーニャ州独立劇は2年ごとにくりかえされて300年も続いています。意味することは過去も今も明日も独立は不可能なのです。

オープンしました

 でも何故、やるのか? ですよね。それは一種の病気で、カタルーニア病と呼ばれています。それを繰り返すことで、スペイン国家予算配分の優遇、EU援助金の獲得です。得たその金は独立劇の資金となり、余ったのは独立資金として埋蔵していました。それがバレました。カタルーニャ州に本社を置く企業からは儲けの4%を独立税として闇で搾取をしていました。それもバレました。もろもろの真実が明かるみに出たのが、今回の独立劇を急速に正当化するための世界的アピールでした。


 それにまんまと乗せられたのが日本のメディアでした。それらのアピール費用はスペイン人の税金です。スペイン憲法だけでなくヨーロッパの他の国の憲法も同様に、一地方がその住民だけで独立を問う投票は違法です。もしするなら、憲法の一部を改正してから全国民による独立を問う投票を義務づけられています。なぜか?民主主義国家だからです。その民主主義の象徴が国会です。プイデモンテ・カタルーニャ州首長は度重なるラホイ首相(現政府・国民党)の国会での独立に関する演説とその討議の誘いを拒否しました。国会での討議を自ら否定をしておきながら、スペインには民主主義がない、の彼の言葉にはスペイン国民の300年間の堪忍袋の緒が切れました。

カタルーニャ州の自治権剝奪の閣議に臨むラホイ首相

 ラホイ首相にスペイン憲法の155条‐自治州の自治権限剝奪-の施行を迫ったのはスペイン国民だったのです。スペイン国に対して反乱を起こしたのがカタルーニャ州議会なので、今回のラホイ首相の政府の対応には60%を超えるスペイン国民が賛同をしました。ヨーロッパ人にとって、政府の仕事は自国の憲法を守ることが第一です。それが国民の自由につながることを第二次世界大戦で学んだからです。80年代にできた現スペイン憲法ですが、その憲法承認に賛成した州民の数ではカタルーニャ州がトップでした。


 自分たちで築き上げた民主主義を壊そうとしているがバルセロナのカタルーニア独立右翼政党です。カタルーニャ州の住民の60%は独立に反対です。独立したら公務員は年金を失います。今でも州立学校ではスペイン語を満足に学習できないことに父兄は不満です。でもそれを大声で言えません、カタルーニア独立極右翼(極左翼も)が怖いからです。彼ら、カタルーニア独立右翼政党に牛耳られた州議会がやっていることはフランコ時代の独裁政治と同じです。

プイデモンテ・カタルーニャ州首長 

 来月の州選挙では乱立した小党がバラバラと票を得ますが、それらが束なってカタルーニア独立右翼政党をつくります。こうして繰り返し演じられる独立劇がカタルーニャの歴史となったのです。2年後にも再び起こるカタルーニャ州独立劇ですが、その時は日本のメディアが今回と同じ落とし穴に落ちないことを願います。そして2年後の僕は東京で個展を開いています。そして、またかよ!と言いなが、繰り返されるカタルーニャ独立劇をブログで愚痴ってることでしょう。


 チャーチル英国元首相の言葉の一つに「人は歴史に学ばない」があります。カタルーニャ人は絶対に歴史に学びません。それは病気だからです。個展ともカタルーニャとも関係ありませんが、この1126日はあの“カサブランカ”の封切り75周年記念日です。「サム、もう一度弾いてくれ」には痺れました。

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ベサメ・ムーチョ/ Besame Mucho

2017-10-11 13:00:00 | スペイン日記

1023日(月)より2週間、ヤマダトミオ展を東京・銀座のギャラリーQで開きます。もう貴方の唇だらけです。キスを十分味わって下さい。オープニングパーティーではワインとキスをして下さい。1023日~114日の会期中は無休です。

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