マドリーの恋人

ヤマダトミオ。 画家。 在スペイン52年。

もう真夏の暑さです

2022-06-14 12:30:00 | スペイン日記

あまりの暑さで誰もいない公園

 

 まだ6月だというのにマドリードは日陰で39度の真夏の暑さになりました。南のセビージャは43度です。毎日ウォーキングをしている公園は日差しが強いので昼は誰も居ません。これから迎える78月が怖くなりました。気温だけではなく水も心配です。南のムルシア州は春に雨が降らなかったので土地の90%が干ばつです。こんなに暑い6月は初めてで、スペインは砂漠化が進んでいる話です。先月5月より急に気温が上がり始めましたが、太陽が高くなり日照時間が長くなったせいだと思っていました。4月が曇り日の毎日だったので太陽が顔を出したので喜んでいましたが、この暑さはどうやら異常気象のようです。

 

 僕はビールの消費量がうなぎ上りに増えました。それでなくても乾燥しているマドリードでは常に水分の補給は欠かせません。暑くなったらビールが一番です。そのビールはこのウクライナ戦争で麦不足になり、値段があっという間に5割増しになりました。ウクライナ産のひまわり油は2倍に跳ね上がりました。ヨーロッパの他の国も物価が値上がりしていますが、スペインの値上がりは凄いです。今の物価上昇率は30年ぶりの勢いだそうです。エネルギー代電気代やガス代5割増しから倍になりました。これからクーラーの消費量が増えるので心配です。

 

 食料品は野菜も果物も肉も魚もすべてが値上がりしました。僕はジョギングの後に小さいスーパーによります。パン、数個のリンゴやトマトと卵、ワインなどと小さいショッピング・バックに収まる程度の量を週に数回買います。昨年までは一回2000円程度ですみましたが今は3000円です。5年、6年かけて徐々に上がるならわかりますが、半年間でいきなり5割増しです。この値上がり分が生産者の農家のおじさんおばさんのフトコロに入るなら、僕は2倍になっても払います。残念ながら中間業者、特に物流に流れます。ガソリン代が上がったのでトラック運転手は仕事をこなしても赤字だそうです。今スペインのガソリン代はレギュラー2,1ユーロですから日本円では270円です(1€=130円で)。ロシアからの石油が途絶えたのが高値の原因と言いますが、電気自動車を買わせる欧州連合議会の悪巧みじゃないでしょうか?

 

 この619日にアンダルシア州議会の選挙があります。今はスペイン政府の与党も野党もその選挙運動に忙しく、国民の感心もそっちに向いています。それが一段落したら、国民は内閣にこの値上がりをどうにかしろ!と大規模なデモを始めるのではないでしょうか?やったら僕も参加します。贅沢は求めないけど、好きなビールとワインを今までどおりに飲ませて欲しいです。このままでは生活費の半分はエネルギー代で消え、四分の一は最低必要限の食料品で消えます。スペイン人一人当たり年間200ユーロ(2万6千円)の生活費アップだそうです。四人家族だと10万円の生活費の値上がりです。給料や年金がそれに合わせて上がるとは誰も信じていません。酷暑と生活苦の夏になりそうです。

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西サハラ紛争の話をちょっといいですか?

2022-04-12 12:00:00 | スペイン日記

欧州と北アフリカの地図です。左のSAHARA OCCIDENTALが西サハラです。その上のMARRUECOSがモロッコでさらに上のESPAÑAがスペインです。

 西サハラ(スペイン語ではサハラ・オキシデンタル/ SÁHARA OCCIDENTAL)はモロッコの下にあります。そのモロッコ(MARRUECOS)はアフリカ大陸のてっぺんの西(地図では左)にあります。西サハラは「アラブ・サハラウイー民主共和国(la República Árabe Saharaui Democrática/略してRASDです)」とも言い、サハラウイー人(Saharaui)が住んでいます。砂漠ですが国土は250.000k㎡で豊富なリン酸塩(地図2の🔨マーク)を産出して、大西洋岸には大漁場(🐟マーク)があります。そして西サハラは1975年まではスペインの53番目の県でした(当時のスペインには自治州制度はなく中央集権国家でした)。

 

 つまりスペイン領西サハラ(Sáhara español)でした。1976年にスペインが西サハラから撤退をしてその地を近隣のモロッコ(3分の2)とモーリタニア(3分の1)に割譲しました。これに怒ったのがサハラウイー人のポリサリオ戦線(Frente Polisario)です。1973年に反植民地運動を目的に結成されたのがポリサリオ戦線です。この三者で戦いが起こりましたがモーリタニアは早々と敗退をしました。その後モロッコとポリサリオ戦線/アルジェリアの戦いが長く続きました。ポリサリオ戦線を援助したのがアルジェリア(ARGELIA)で、今も援助を続けています。

 

 モロッコとアルジェリアは昔から犬猿の仲です。国連の仲裁で1991年にモロッコとポリサリオ戦線は平和交渉を結び停戦をしました。交渉内容は1992年に民族自決かモロッコ領かの住民投票でした。がモロッコは約束を守らず住民投票もせずに砂漠の3分の2に壁(地図2の赤い線)を造りました。再び戦争となり、国連の使節団「西サハラ住民投票ミッション(MINURSO)」の仲介の甲斐もなくズルズルと今世紀も戦争は続いています。これが西サハラ紛争の大雑把な歴史です。

西サハラの地図です。赤い線が壁で、左がモロッコの占拠地、右がポリサリオ戦線の占拠地です

 ではなぜ?住民投票ができなかったのか? 砂漠の民の多くには定住地がなく正確な住民数を把握できませんでした。今分かっているサハラウイー人の数はスペイン在住3千人、アルジェリアの難民キャンプに17万人、西サハラに62万人です。この紛争がさらにこじれてしまったのが2020年です。あのトランプ大統領(当時)のTwitter「西サハラはモロッコの自治州とするのがよろしい」でした。「我が意を得た」モロッコとアルジェリアは国交断絶をしました。アルジェリアはモロッコへ供給していた天然ガスパイプを閉めました。

 

 そのガスパイプはジブラルタル海峡を渡りスペインと繋がっています。スペインは困りましたが、アルジェリアから直に繋がっているもう一本の天然ガスパイプがあるので片肺飛行とは言え、スペインにはどうにか天然ガスが届いています。アルジェリアからは液化天然ガスも買っていますし、アメリカ合衆国からも買っているので火力発電所も我が家のセントラルヒーティングもガス欠にはなっていません。ところが、その残り一本のガス管も危うくなりました。スペインのサンチェス首相がトランプ前大統領のTwitterのような内容の親書をモロッコのモハメド6世国王に送ったのが、この3月に明るみに出てしまいました。怒ったアルジェリアは在スペイン・アルジェリア大使を帰国させました。

 

 スペイン政府はアルジェリアの天然ガスパイプ閉止はないとしても値上がりは致し方ない、としています。今年急に値上がりしたのがガス代・電気代ですが、さらに値上がりしたら我々庶民の生活費はエネルギー代の支払いで消えてしまいます。話は前後しますが、スペイン領西サハラの時代も今もスペインとモロッコとの間にはいざこざが絶えません。46年前に西サハラを手放しましたが、「今」のスペインとモロッコとのいざこざはセウタ(Ceuta)とメリィジャ(Melilla)です(地図3)。

地図の上がスペイン、下がモロッコです。そのモロッコの左崎がCeuta/セウタで右崎がMelilla/メリィジャです。

 スペインはモロッコの北、ジブラルタル海峡沿いにセウタとメリジャと言う都市を持っています。ゴマ粒ほどの港街でセウタは19k㎡、メリィジャが13k㎡です。でもスペイン自治州なので、言い方を換えればここも欧州連合(EU)の一部になります。なので、アフリカ大陸の難民だけではなくバングラデシュからもここを目がけて集まります。国境線を交えてモロッコ側とスペイン側にそれぞれの関所があります。モロッコはスペインと喧嘩をすると、自分の関所を開けて難民をスペイン側へ送り込んできます。

 

 常にパンク状態のセウタとメリィジャの難民施設はお手上げで、難民は路上に溢れます。住んでいるスペイン人は安心して街を歩けません。スペイン政府はEUから難民保護を強制され、難民保護団体からは行政の手落ちを非難されます。踏んだり蹴ったりです。それでもスペインのファン・カルロス前国王とモロッコのハサン2世前国王の時代はそれなりにうまく付き合っていました。最近の不祥事は今のサンチェス首相が起こしました。コロナウイルスに罹ったポリサリオ戦線のリーダー・ガリ氏のスペイン病院での治療を受け入れてしまいました。アルジェリアから頼まれたのです。

 

 怒ったモロッコのモハメド6世国王は在スペイン・モロッコ大使を帰国させました。それだけでなく、関所を開けました。アフリカ難民だけではなくドイツやイギリスへ出稼ぎに行きたいモロッコ人まで、どっとセウタやメリィジャになだれ込みました。サンチェス首相の親書はこのあたりの問題解決があったと思われます。しかし国連の住民投票実行に賛成をして中立を守っていたのがスペインです。一国の外交上の立場に関する問題は国会で審議されるべきです。長引く西サハラ紛争はスペインにエネルギー問題と難民問題を投げかけました。

 

 「植民地の紛争はその土地を植民地化した第一日目から始まる」と言われています。本当にそうだと思います。最後になりましたが、住民投票が行なわれるまでは民族自決もできず国も承認されません。いまだにサハラウイー人の砂漠の土地はアラブ・サハラウイー民主共和国とは呼ばれずに西サハラと呼ばれています。スペインも国と承認していません。いつでも紛争で困るのは我々庶民なので、ウクライナ戦争が西サハラ紛争のように長引かないことを祈ります。ウクライナ戦争でスペインの台所(家庭も菓子屋も)からはひまわり油が消え、家畜肥料のトウモロコシは不足なので牛も豚も腹を空かせています。ヤレヤレ。

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ウクライナ戦争と日本酒とワインとウォッカ

2022-03-09 13:00:00 | スペイン日記

 日本酒を飲むと愚痴が多くなり、ワインを飲むと歌い始め、ウォッカを飲むと狂暴になります。それぞれの平均アルコール度は低い順にワインは13度、日本酒17度、ウォッカ45度でしょうか。おっとくだらない話はさておいて、このウクライナ戦争の避難民は180万人にもなりました。EU(欧州連合)は戦争が終わるまでの間、無条件でウクライナの子供、女性、老人を受け入れることにしました。

 

 スペインも受け入れ態勢が整いましたが、気の早いスペイン人はマイカーを運転してポーランドまで避難民を引き取りに行きました。マドリードからウクライナの国境までは3000㎞はあると思います。市民は食料品、日用品、医療品を赤十字や支援センターにどっと持ち込みました。スペイン政府も武器の援助をウクライナ軍に始めました。当初は、ヨーロッパ議会のウクライナ軍への武器援助要請を渋っていたのがサンチェス首相でした。EUが兵器を各国から集めてウクライナに武器援助とするなら提供します、の姿勢でした。

 

 現内閣は社会労働者党(PSOE)と極左翼連合(UPUNION PODEMOS)の合同内閣です。UPは勿論ロシア寄りです。そんなサンチェス首相にスペインも武器援助をせよ! と怒鳴ったのは、PSOE出身のヨーロッパ議員のボレル・EU高等外交官でした。彼が欧州連合外交のトップです。「武器援助は戦争を泥沼化させるかもしれないが、我々は戦後から今まで臆病すぎた。今、ウクライナを救はないとヨーロッパは歴史的後悔をする」と叱咤しました。彼はNATO(北大西洋条約機構)を介入させないで戦争を終結させるために飛び回っています。中国に仲介を頼んでいるのも第三次世界大戦になるのを一番恐れているからです。

 前世紀の頭の持ち主のプーチン大統領に21世紀のヨーロッパ地政学の重要さは通じません。戦争をして欲しいものを手に入れていたのがローマ帝国時代です。そんな時代錯誤もほどほどにとプーチン大統領に言うと、核で脅します。EUには以前からEU軍を造る案がありました。このウクライナ戦争を機にヨーロッパ議会で可決されるでしょう。ドイツとフランスが昔から練っていた案です。この両国でヨーロッパ経済の4割を握ります。ヨーロッパ軍を装備する兵器製造とは言え、両国の軍事産業力はさらに強くなりドイツ、フランスの経済力はより強大になります。因みに、残りの6割の経済を25国(EU27国/スペインは第4位の経済力)で分け合っています。

 

 核兵器を保有するNATO軍、核なしだが最新武器を持つEU軍、武器を持たない国連軍(UN)となります。プーチン大統領を失脚させて、ロシア国民は自由主義を選んでEUに加盟した方がいいと思いますが、ロシアの民主化は時間がかかります。陸続きのヨーロッパ、さらに広げてユーラシア大陸の歴史は戦です。中国からスペインまでユーラシア民族はイチャモンを剣で解決してきました。21世紀のIT世界では理解できませんが、プーチン大統領の頭には中世の戦争解決策しかないのです。僕が初めてヨーロッパを歩くように旅行したときは西側だけでソ連邦領の東欧はシャットアウトでした。

 

 コカ・コーラを飲んでる奴らは入れないと、ベルリンも二つに分かれていました。そのベルリンの壁が崩壊をして生まれたこの30年間のヨーロッパの平和が奇跡だったと思います。とは言え、このコロナウイルス禍の時に戦争をしている場合でしょうか。このコロナウイルスに罹っても庶民は毎日の生活のために働いています。その為にワクチン接種をしています。スペインは濃厚接触者の隔離は無くなり、学校は感染者でも無症状なら登校できます。コロナウイルスとは戦うのではなく共存する方をヨーロッパは選びました。プーチン大統領のミサイルで死ぬのもコロナウイルス感染で死ぬのも運です。

 日本人は外国人がコロナウイルスを持ち込むので、年金老人は孫がかかったら可哀想、と岸田首相に水際対策をさせています。ウクライナ人はポーランドの国境まで子供を連れて行き、親はロシア軍と戦うために戻ります。その子供たちが他国で育ち、戦争が終わった時に祖国ウクライナへ戻ってこられるように彼らは戦場に戻るのです。水際対策で祖国を守る国民と自分の子供を他国に預けてでも祖国を守る国民とはプライドの質が違います。僕は涙が出て頭が下がります。頑張れ、ウクライナ!

 

 保身に徹する日本人を有事の時はある程度までアメリカ合衆国が助けてくれるでしょう。でも、ウクライナのように大勢の仲間が日本を助けてくれでしょうか? 日本人も我が身の安全だけを考えるのではなく、国境を開けてコロナウイルス禍の生む痛みを他国民と分かち合えないと日本は孤立します。イギリスやオーストラリアも島国です。でも彼らにはファイブ・アイと言う仲間がいます。自然災害で起こった福島原発事故は世界が助けてくれました。戦争が起こったらそうはいきません。このウクライナ戦争とコロナウイルス禍で思うのは、日本は独りぼっち、です。

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個展開催の再度延期

2022-02-07 13:00:00 | スペイン日記

個展延期のお知らせ

 先のブログでは好天気で正月を迎えたマドリードの話をしました。今思い出しても昨年2021年の一月のマドリードは散々でした。50年ぶりの大雪は我々マドリード市民を閉じ込めました。スーパーに買い物に行くには、まずは雪かきをしなければ歩道に出られませんでした。スーパーにたどり着いても棚は空っぽでした。飢え死にはしませんが日常生活に不便が生じると我々老人は(団塊世代です)はとても不安になりました。その大雪の教訓で僕はこの冬のクリスマス前に長靴を新調しました。ダンロップ社のごつい長靴にしました。それは靴底が厚くスリップ止めカットでした。スノータイヤみたいなものでしょうか、ついでにみぞれ用のカッパも揃えました。

 

 でも今年の一月は正月の好天気が毎日続きました。気温はマイナス5度止まりで雪は降りませんでした。太陽が輝くいつものマドリードの冬でした。災害は予期しないときに来る、と言いますが青空を見上げながらテラスでビールを味わっていると、世界はこのまま幸せな毎日が続くと楽観的になります。我々の残りの人生もそうであるように、とスペイン人の飲み友達と乾杯を繰り返しました。そのブログでは今秋の11月に東京での個展開催のお知らせもしました。しかし、「再度延期のお知らせをさせて頂きます」となりました。

 

 一歩先が分からないのが世の中ですが、そこにコロナウイルス禍が加わると舵取り不能です。オミクロン新種株のように新しいウイルスが生まれるのは伝染病世界では当たり前のようですが、それをどのようにコントロールをするのかが各国政府の能力です。日本の岸田政府がとったのがいつもの水際作戦でした。日本という島国にお住みの皆さんにもそれが一番良いはずです。

 

 ですが、ヨーロッパからの入国者/帰国者(日本人でもスペイン人でも)は強制隔離となりました。ヨーロッパは、EU内ですが、移動は自由です。コロナワクチンの完全接種済者(今は三回目接種済)やPCR検査陰性者はフライト先では隔離フリーです。IATA(世界航空会社連盟)の調査では2021年の全世界のフライトはコロナ前の2019年の54%減でした。ヨーロッパは67%減ですがアジア太平洋は93,2%!

 

 でも、この年末年始はヨーロッパ内のフライトは大幅に増えました。それは誰でもクリスマスは家族と過ごしたいからです。一月に入ってからはスペインの太陽を求めて北の老人夫婦が増えました。コロナパスポート(完全接種済のQR証明)のお陰です。

 

 この強制隔離でヨーロッパから日本へのツーリストは無くなり、フライトも無くなりました。マドリード東京の直行便の運行は夢の話で、ヨーロッパの田舎のスペインからどのように乗り継いで都会の東京へ帰るか?となりました。僕は作品を分解してスーツケースに入れて帰ります。スーツケースの数とサイズは増えるのでオーバーウエイト料金を払ってエアーチケットを買っていました。これができたのは直行便、あるいは乗り換えでも回数が少なくかつ乗り継ぎ時間に余裕があったからです。

 

 お陰でスーツケースの紛失は皆無でした。作品が東京に届かなかったら僕のような画家はただの豚です。一度豚になった経験をしているので、それからは作品を肌身離さず運ぶことにしました。正直、ヤマダが居なくても作品が届けばギャラリーは展覧会を開けます。このような「綱渡り的作品持参帰国者」に強制隔離はきついです。今年もコロナウイルスの新種株は現れるでしょうが、そのたびに国境封鎖や隔離を繰り返していたら国民も経済も社会も疲れ果ててしまいます。日本へ戻ったら泊りがけで温泉へ行くのを夢見てコロナウイルスを避けてこもっていました。またもう一年アトリエに籠っています。

 

個展延期のお知らせ

「年賀状2022」にて今秋11月にヤマダトミオ展の開催を

お伝えしましたが再度延期のお知らせをさせて頂きます。

2023年に皆様との再会を心から楽しみに新作の制作をマドリードで続けます。

これ以上の延期がないことを祈ります。

2023年11月13日(月)~11月25日(土)    

 

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2022 新春

2022-01-05 12:30:00 | スペイン日記

今年もよろしくお願いします

 新年を迎えました。マドリードは好天に恵まれ、さほど寒くない元日でした。大晦日の夜も凍てつく寒さではなかったので、ソル広場には7000人が集まりました。コロナウィルス禍で入場制限をしましたが、スペイン人は集まって騒ぐのが大好きです。今回はブドウやカバ(スペインシャンパン)の持ち込みは禁止で皆マスク着用、でしたが全てのスペイン人がそれを守ったはずがありません。ソル広場の時計台が打つ年最後の12の鐘に合わせて12粒のブドウを食べると幸せな年を迎えられる、と誰かが言って始まった大年越しパーティーです。

 

 僕は家でテレビ中継を見ながらブドウを食べました。そのブドウを食べて迎えた新年は50回以上にもなりますが、特別に幸せだった年はありませんでした。今年も同じでしょう。今秋は1114日~26日に延期中の個展を東京・銀座のギャラリーQで開きますが、コロナウィルスが少しでも収まるのを祈るばかりです。隔離も心配ですが、一番困るのは日本行きの飛行機が飛ばなくなること、次はそれの乗り換えが増えることです。

 

 スペインは三回目接種を終えた80歳以上はほぼ100%、60歳以上も80%を超えヨーロッパの中でも高接種率なのですが、このオミクロン新種株の感染者数は増えました。感染率はヨーロッパではイギリスに次ぐ高率です。皆、なぜか?です。考えられるのは、屋外のマスクフリーですが、やはりパーティーなどの集まりが好きな国民性だと僕は思います。マドリードの繁華街は路上でも密集したらマスク着用です。年末は買い物客でごった返し、ブラックフライデーやクリスマスはあまりの人込みで歩道は一方通行になりました。

 

 それでもそこに乳母車を押して出かけます。出かけるなら一家総出です。理解に苦しむ国民性です。願わくば年内に世界中の人の80%接種済、いやせめて70%でも接種済になって欲しいです。じゃないと2023年はとんでもない新異種が生まれるではないでしょうか? 2022年を迎えたばかりなのにもう2023年の心配です。ヤレヤレ。

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