マドリーの恋人

ヤマダトミオ。 画家。 在スペイン52年。

カタルーニャ自治州議会選挙

2024-05-15 15:00:00 | スペイン日記

第一党になったカタルーニャ社会党のイジャ氏

 

 5月12日はカタルーニャ自治州議会選挙でした。投票率は58%でした。州議会は135議席で過半数は68議席です。議会は二つのブロックに分かれています。スペインからの独立を目論む「独立派」とそれに反対する「反独立派」です。この40年間は独立派が過半数の議席を獲得していました。今回は逆転して反独立派が過半数を超えました。74議席対61議席でした。主な反独立派政党はカタルーニャ社会党(PSC/中道左派)、国民党(PP/中道右派)、ヴォックス党(VOX/右翼)です。独立派はカタルーニャ連合(Junts/ジュンツ/左翼)、カタルーニャ共和党(ERC/エルク/左派)です。

 

 第一党になったのはカタルーニャ社会党です。大躍進をして42議席(前回は33議席)を獲得しました。国民党は5倍に議席数を増やし15議席(同3議席)でした。第二党はカタルーニャ連合で35議席(同32議席)でした。今回の選挙では与党だったカタルーニャ共和党が議席数を前回の33議席から20議席に落としました。しかしメディアの予測ではカタルーニャ社会党(反独立派)、カタルーニャ共和党(独立派)、小党のコムネス(Comunes/反独立派)の三党連合になるそうです。三党で68議席数になります。

 

 国外逃亡中のカタルーニャ連合の党首プイデモンテ氏(カタラン語ではプチデモン)は今回の選挙運動をスペイン国境に近いフランス側からしました。彼はスペインのサンチェス首相に独立派で固めた州議会と自分の州知事を求めています。もし受け入れられないのなら首相の座は保証しないと脅しています。現内閣はスペイン各地の民族党の助けで成り立っています。さて、カタルーニャ州ですが、スペインの北東にあり地中海沿岸です。バルセロナ県(Barcelona)、タラゴナ県(Tarragona)、ジロナ県(Gerona)、レリダ県(Lerida/内陸です)の四県です。州都バルセロナは大聖堂のサグラダファミリアやサッカーチーム・バルサで日本にも知られています。

 

 話は戻りますが2017年、当時の州知事プイデモンテ氏が強行した独立の是非を問う住民投票、州議会の一方的な独立宣言はスペイン中央政府によるカタルーニャ州自治権の一時停止に至りました。憲法に不服従の罪を受けたプイデモンテ氏は国外へ逃亡をしました。それからです、カタルーニャ州にあるスペイン企業の他州への移転が始まりました。今は戻った企業や新しくできた企業で会社の数は増えたそうですが、以前から比べると4000社くらい足りない様子です。日本の日産自動車もバルセロナから撤退をしました。スペイン大手銀行のカイシャ・バンク、サバデル銀行も本社を移転しました。経営者には独立騒ぎは迷惑なだけです。

 

 今は4人に一人のカタルーニャ人が貧困に怯え、社会脱落者になりました。カタルーニャ州議会は中央政府に特別予算を要求していますが、ほかの州が黙っていません。台所が苦しいのはどこの州も同じです。観光名所のバルセロナもオーバーツーリズムで住民の抗議が絶えません。確かに大型観光船は一回に数千人の観光客をバルセロナの旧市街に送り出します。それらが一日数隻訪れます。人気のランブラス通りの住民は溢れるツーリストでスーパーの買い物や犬の散歩など日常生活に支障がでています。救急車が通れなくなったら命にかかわります。6月末までには新しい州知事が決まり、新しい州政策が問題解決を始めるでしょう。まさか再選挙にはならないと思います。

 

第二党になったカタルーニャ連合の国外逃亡中のプイデモンテ氏

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バスク

2024-04-29 14:00:00 | スペイン日記

どうにか勝ち残ったPNV党

 4月21日はバスク州議会選挙でした。日本で言う地方選の一つです。その話を始める前にバスク州(スペイン語ではパイス・バスコ/バスク語ではエウスカディ)の話です。イベリア半島の北東にあり、アラバ県、ビスカヤ県、ギプスコア県の3県から成り立ちます。独自のバスク語を話し男たちはベレー帽が好きです。仲間たちと料理を創造し合って食べるサークル(ソシエダデス・ガストロノミカス/Sociedades gastronomicasa)があるくらいの“美食家州”です。それに甘んじてツーリストもバルで美味しいピンチョス(スペイン語Pinchos/バスク語Pintxos)が味わえます。ワインは白ワインのチャコリをお勧めします。

 

 僕はバスクの彫刻家チリーダが好きなのでギプスコア県のサン・セバスチャンはいつでも行きたいし住みたい街です(僕には購入不可ですが不動産価格はスペイン一です)。マドリードからサン・セバスチャンへ初めて行った時はプロペラ機でした。1970年代でした。その頃はフランコ独裁時代だったのでチリーダはフランスにいたと思いますが、バスクで個展を開いていました。

 

 チリーダの彫刻は鉄です。鉄は熱いうちはカタチを造りやすく、さらに叩けばより強くなります。その鉄が伸び切らないように何か(誰か)が圧力をかけているのではないか?と想像させる作品です。スペイン国民を押さえつけていた当時のフランコ独裁政治を暗に表現した作品、と思うのは僕の勝手でしょうか?勝手な想像はさておいても、彼の鉄の作品が創り出す“空間”は美しいです。

 

 フライトは数年後にジェット機になりましたが、着陸するには一度フランスへ国境越えをしてターンをしてスペインに入りました。スペイン側国境の隣はフランス・バスクです。このフランス・バスクを含めた“バスク地方”とスペイン・バスクだけの“バスク州”の“地方”と“州”の話を始めるとバスク民族の闘争史になるので今回はやめます。

 

 言いたいのは、マドリードを発ったのがプロペラ機ならフランス・バスク領域に侵入することなくしてサン・セバスチャンに着きました。そのフライトをジェット機にできたのはフランス・バスク(フランス政府)とスペイン政府の合意があったからです。これはスペインが欧州連合に加入する前の話です。加入後はノープロブレムになっただけではなく滑走路も拡張されました。

 

 そのあとビルバオ・グッゲンハイム美術館がオープンしたので、ビスカヤ県のビルバオへも足を運びました。ビルバオはバスクの大工業地です。鉄工所から造船所までスペイン一の重工業の街です。昔はスモッグが漂う薄汚れた街でした。それが今はビルバオ・グッゲンハイム美術館の壁は太陽で眩しく輝く空気のすんだ街に生まれ変わりました。

 

 マドリードから車でバスクへ行く時はバスク州の入り口のアラバ県のヴィトリアを宿にしました。マドリードから高速道路を乗り継いで5時間くらいです。このヴィトリアからはビルバオへもサン・セバスチャンへも1時間か2時間弱です。ここを宿にするのはサン・セバスチャンの高い宿代とビルバオの街の騒音が嫌だからです。ヴィトリアの落ち着いた街並みが好きだし、何しろ隣はリオハ州なので美味しい赤ワインが楽しめます。

 

 バスク州とバスク人を日本人の僕の感覚で言わせてもらうと“ひと癖も二癖ある”です。さて前置きが長くなりました。バスク州議会選挙は二つのバスク・ナショナリスト政党(バスク民族主義党です)の勝利でした。その二つのナショナリスト政党の一つは今まで与党だった穏健派のぺ・エヌ・ウベ(中道/PNV)ともう一つは今回大躍進したテロ組織エタ(ETA/バスク祖国と自由)の政治部門のビルドゥ(極左翼/HB BILDU)です。

 

 この二党で非ナショナリストのバスク社会党(PSE)と国民党(PP)を大幅に上回りました(54議席対21議席)。PNVはHB BILDUと同議席数(お互いに27議席)だったのでPSE(12議席)と手を組んで再びバスク州議会の与党になります。ですが今回の選挙の目玉になった祖国一体を掲げるHB BILDUの大躍進は収まりそうもないので次の州議会選で大勝利をしそうです。そうしたらバスク州をスペインから離脱させるでしょう。チリーダの彫刻の森へ行くのもグッゲンハイム美術館を訪れるのもパスポートが必要になりそうです。

 

躍進したHB BILDU

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ペドラサ

2024-03-27 15:00:00 | スペイン日記

ペドラサの広場

 ペドラサ(Pedraza)はセゴビア県にある小さな村です。コウノトリの里だそうでその巣がたくさんあります。マドリードからは車で1時間半足らずです。週末はマドリっ子たちが溢れています。彼らの目的はコウノトリウォッチではありません。ラムの丸焼きを食べに行きます。

ペドラサの広場

 セゴビア(Segovia)はマドリードの北にあり、ローマ時代の水道橋とおとぎ話に出てくるような可愛い城があります。そしてこの地方のかまどで焼く子豚やラムの丸焼きは絶品です。昔はかまどでパンを焼いていました。パンを焼いた後その残り火で肉を焼きました。スペイン語では丸焼きをアサド(asado)と言い、子豚をコチニィジョ(cochinillo)、ラムをコルデロ・レチャル(cordero lechal)と言います。

ペドラサ

 セゴビアは豚、羊、牛の肉の味が他と違います。小さい村が点在する酪農に適した土地と涼しい気候が良いのでしょう。ペドラサにそれらを食べに行きました。レストランに予約を入れると、注文を聞かれます。丸焼きは時間がかかるのとラムや子豚は焼きたてを食べないとセゴビア産の肉がもったいないです。それにラムの脂肪は融点が高いので冷めると脂が固まります。不味くなります。食事時間は1時半か3時半なので、1時半にしてラムの丸焼き二人分と子豚の丸焼き二人分を注文しました。友達と4人です。「時間に遅れないでください」とスペインらしくない注意を受けました。

ペドラサ

 当日村を散策したら沢山のコウノトリの巣がありました。それも大きい立派な巣ばかりです(巣にもコウノトリの大工工事の上手さがみられます)。ペドラサは茶色い壁の背の低い家が並ぶカスティージャ地方(イベリア半島の中央部)にはどこにでもある村ですが、その街並み(村並み?)が昔のままで残っています。村の中心である大広場を囲む家々も昔のままです。

ペドラサの城

 ぶらぶらしながら土産物屋をのぞいたりして、指定時間にレストランに入りました。いい匂いが漂っています。リオハの赤ワインとシンプルなサラダも頼んだら、待ち構えていたようにラムと子豚の丸焼きが運ばれてきました。茶色い土鍋のような器ごとかまどで焼いたので熱々です。この器ならしばらくの間は冷めません。下には下駄のようなものが敷いてありました。

コウノトリと巣

 子豚はとろけるように柔らかい肉とパリパリの皮の相性が絶妙です。ラムは良い香りに誘われて口に入れるとジューシーで味のある肉にビックリです。まったく羊の臭みはありません。器に残った汁もパンに浸して食べてしまいました。赤ワインにぴったりの料理に大満足をしました。来たかいがありました。そして聖週間(セマナサンタ/Semana Santa)が始まりました。その間は肉を食べるのは慎むのがしきたりですが、聖週間のペドラサはツーリストでごった返します。丸焼きを食べないツーリストはいないでしょう。

コウノトリと大きい巣

手前がラム、後ろが子豚

下駄を敷いています

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ガリシア

2024-03-06 12:01:27 | スペイン日記

 

勝利を祝うPP党のルエダ氏とファミリー(El Mundo)

 先のブログでも書いたように、ガリシア州議会選(18‐Fとスペインメディアでは表記されます。2月(February)18日の意味です)はPP党(ペーペー/国民党/中道右派)の圧勝でした。スペインの現内閣・サンチェス氏が率いるPSOE党(スペイン社会主義労働者党/左派)はボロボロに負けました。ガリシア州議会の野党に躍り出たのはBNG(ガリシア民族党/左派)です。投票率は70%に近い67,3%です。立派なものです。大雑把ですがその投票者の半分近くがPP党に入れ(獲得議席数40/75議席中)三分の一がBNG入れ(25/75)、PSOE党はたったの9議席でした。

 

 ガリシア州は漁業で成り立っています。その漁民は漁に出たら投票に戻っては来られませんので今回の投票率70%は驚きです。そのガリシアについて軽く書きます。イベリア半島の北西部-地図上ではポルトガルの上-に位置します。雨の多い土地なので、スペインでは日本に近い景色がみられる土地です。4つの県からなるガリシア州ですが地方や国外へ出た移民者が多いのもガリシア人です。南米のアルゼンチンには多くのガリシア人が移民したので、アルゼンチン人はスペイン人を“ガジェゴ/ガリシア人”と呼びます。

 

 海のないマドリードで海産物が食べたくなったらガリシア・レストランへ行きます。スペイン人はタコを食べるならガリシアのタコと言います。パエジャの本場はバレンシアですが、エビ、カニ、ムール貝をふんだんに使うガリシアの魚介パエジャも人気です。サンティアゴ巡礼で有名なサンティアゴ・デ・コンポステーラはガリシアの州都です。独自の言葉・ガリシア語を話すのはケルト人の血が混ざっているからです。ガイタ(gaita)と呼ばれるバックパイプを奏でるのもケルト音楽です。ガリシアサッカーチームのセルタ(Celta)もケルト人の意味です。アパレルメーカーのZARA(日本ではザラですがスペインではサラと発音します)はガリシアの大企業です。

 ZARAがガリシアで生まれたのはそれなりの理由があります。夫が漁に出ている間は主婦の手は空いるので多くの女性が服を縫いました。今は世界中に縫製工場を持つZARAですが地元の工場をとても大切にしています。賃金の安さだけで工場能力を評価せずに自分たちのアイデンティティーも大切にします。彼女らはその工場で働くだけではなく仕事前やその後は浜で貝を採ります。スペイン一の働き者が集まっているのがガリシアです。

 僕がガリシアの村で夏を過ごした時の話ですが、彼らは自給自足です。お隣さんに「近くにコンビニある?朝のミルクのため」と聞いたら「朝、鍋もっておいで」と言われました。朝食前に持って行くと鍋に絞ったミルクをくれました。普通のサラリーマンの家でも猫の額程度の庭があれば野菜を植え、もう少し広ければ鶏はもちろん牛も飼ってミルクを絞ります。もちろんその生ミルクは飲む前に煮沸しました。

 

 無駄遣いをしないのもケルト人の血でしょう。南欧とはかけ離れたスペイン・ガリシアを味わうには旅ではなく滞在をお勧めします。そして政治家を出すのが多いのもガリシア州です。今のスペイン国会の野党は前記したガリシア州議会選に勝ったPP党ですが、その党の前身AP党を造ったのはガリシア出身のフラガ氏です。フランコ総統もガリシア出身でキューバのカストロ議長の父親もガリシア出身です。前首相のラホイ氏も次期の首相候補のヘイホー氏もガリシア人です。ガリシア州の政治が与えるスペインの政治への影響力は大きいです。

辣な風刺画:エデンの園を追われるアダムとイブのようにガリシアから追われたサンチェス氏とディアス氏(獲得議席数0のスマル党)(El Mundo)

 政治ですが、サンチェス首相は退陣を考えておらず、サーカスの綱渡り状態の内閣を続けるつもりです。ですが今、マスコミはそのサンチェス氏を首相にした影の立役者・アバロス氏(Abalos)の汚職問題で大騒ぎです。マスコミが“コルド事件/Caso Koldo”と名付けた汚職事件はアバロス氏の右腕コルド氏がした“マスク汚職”です。2020年のコロナウイルスの時ですが、ヨーロッパ連合(EU)は特別医療費(マスク購入費、殺菌剤購入費など)をばら撒きました。サンチェス内閣の当時の大臣たちはそれで私腹を肥やしました。アバロス大臣が中心になり各大臣、社会主義労働者党の州長も巻き込んでやりました。

 

 それを首相が知らない訳がありません。身の回りがきな臭くなったサンチェス首相や社会主義労働者党はアバロス氏を切り捨てました。彼は自分を切り捨てたサンチェス首相と社会主義労働者党と真っ向から争うつもりのようです。党から脱会されても辞職を拒否して国会議員を続けます。お先は真っ暗のサンチェス内閣です。政府にやってほしいのは今月の電気代ガス代の請求書にビクビクする庶民を救うことです。それらの消費税が10%から21%に戻りました(トホホ)。こっちの問題に真面目に対処して欲しいです(ヤレヤレ)。

アバロス氏(El Mundo)

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トレド

2024-02-13 21:00:00 | スペイン日記

いつもの街並みのトレド

 コロナ禍の前は年に数回は訪れていたのが古都トレドです。マドリードから近いので日本から遊びに来た友人たちを良く連れて行きました。コロナ禍以降は全く行かなかったので、今回は4年ぶりに訪れました。当たり前のことですが街並みはそのままなので路地もそのままでした。そこを歩いていたらいつものトレドを思い出しました。バルやお土産屋も以前からの姿をしていました。それがマドリードの中心地のバルとの違いです。マドリードの店は外観や名前は同じでも中に入るとすっかり改装され(トイレが清潔になったのには賛成です)、働いているウエイターやウエイトレスも東欧人やアフリカ黒人に変わっています。

 

 多分オーナーは同じでも営業は飲食業のチェーン店会社に譲ったのでしょう。値段はコロナ禍前と比べると2倍に上がりました。仕入れの値上がりよりも人件費の値上がりでしょう。ツーリスト相手の商売なら来る客も一度だけなので働くスタッフが変わってもノープロブレムです。赤ワインを片手にバルのおやじとの昔話が楽しみで行く年寄りにはマドリードの飲み屋街は寂しいものになってしまいました。マドリードから1時間とは言えトレドの昔からのバルに毎晩通うのは僕には敵いません。

一人が歩くのがやっとの路地

 でも毎晩通いたくなる居酒屋(Taberna/タベルナ)がありました。トレドに住む友人が教えてくれました。そこで食べた“豚の耳の鉄板焼き”は今まで自分が食べていたマドリードの“豚の耳”はいったい何だったのだ!と思い知らされました。香ばしく、柔らかく、ゼラチンは甘かったです。耳は細かく切り刻まれていました。マドリードで僕が贔屓にしていたバルの一つはこの豚の耳の専門店でした。おやじが変わってから足が遠のきましたが、そのおやじの数倍の旨さでした。

肩が触れ合うピソ

 こうなるとトレドに住むのが良いのですが、如何せん住居が古すぎます。住居をピソ(piso)と呼びますが、いつ崩れてもおかしくないようなピソが肩を触れ合うように建ち並びます。絵になる景色ですが水道管や下水管のことを考えると僕は毎晩眠れなくなりそうです。1500年前からスペイン中央部カスティージャ・ラマンチャの州都でキリスト教、イスラム教、ユダヤ教が共存共栄したまれなる都なのです。ピソは比較的新しくても100年前の建物です。

時が止まったようなバル

 敷地は中世のままなのか、道路は狭く迷路のようです。その迷路がトレドを救いました。城壁内に攻め込んだ敵兵たちは自分たちが何処に居るのかを見失いました。立ち往生しているところを上から弓矢で皆殺しにしました。とは言えそれは大昔の話で、タホ河に囲まれた丘の上を城壁で囲った都造りなので、如何せん坂が多い。その城壁の外には21世紀のピソが建ち並びますが、そこから旧市街の飲み屋へはその城壁をくぐって入らなければなりません。待っているのは坂で、それを毎晩上るのはきついです。酔っぱらった老人には帰りの坂は転げ落ちそうになりそうです。それでもいつまでも今のままで居て欲しいのがトレドの旧市街です。

最高に美味かった豚の耳の鉄板焼き

 さて、昨年日本へ帰る前に書いたブログから3か月も過ぎてしまいました。マドリードへ戻った12月は旅の片付けやクリスマス行事に追われて、あっという間に新年を迎えました。1月は疲れが出たのか風邪で寝込み、気温の異常な上下で血圧も上下してこれまた寝込みました。この2月も変な天気でカーニバルが始まる前にアーモンドは咲き始めました。スペインの政治も天候のように異常で、この先どのようになるのかが分かりません。民族党と手を組んで組閣をしたサンチェス内閣(与党・PSOE/スペイン社会主義労働者党)は不安定です。

中世の騎士が似合う街トレド

 ドイツから始まり全ヨーロッパに汚染中の農民の“トラクター抗議”はスペインでも始まりました。スペイン農民は農業の不満よりもスペイン国民の誰でもが持っている今の政治、生活への持って行き場のない不満が爆発した感じです。農作業はきついですが、考えてみれば農業は単純です。例えば麦は畑に種を蒔き雨で成長させトラクターで刈り取ります。ところがスペインは昨年から大干ばつです。お天気は政府のせいではないとしても河水の分割は政治です。おまけに肥料代からトラクターのディーゼル代も大幅に値上がりました。

この門をくぐって飲み屋へ

 物価の値上がりのスピードから取り残された野菜の値段に農民は何もできませんでした。買い手市場なのと物流の値上がりが原因です。そんな農民にはなんでもいいから捌け口が必要だったのです。これが農民だけの抗議で終わらず、全労働者に汚染してゼネストにつながらないことを祈るのみです。不安定な政治を続けるよりはさっさと内閣を解散して総選挙をすればよいのですが、首相の座にしがみつくのが命のサンチェス氏は居座るでしょう。2月18日のガリシア州議会選挙の結果が「引導を渡す」になって欲しいと誰もが願っています。予測では野党・国民党(PP)が圧勝です。

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