マドリーの恋人

ヤマダトミオ。 画家。 在スペイン52年。

4度目のヨーロッパカップ

2024-07-18 11:00:00 | スペイン日記

優勝者スペイン代表

 サッカー・ユーロ2024(UEFA欧州選手権)を全勝で進んだスペインが4度目の優勝を果たしました。初戦のクロアチア戦を見たサッカー通(スポーツ解説者たちも)たちはスペイン代表が優勝すると思ったそうです。僕はサッカー通ではないけど、同じように思いました。

 

 事実上の決勝戦と言われた準々決勝のドイツ戦はハラハラドキドキしました。双方とも3度ヨーロッパカップを手にしています。どちらかが優勝したらヨーロッパで初めての4度目のカップ獲得です。それにドイツはユーロ2024の開催国です。選手もサポーターも国民も力の入れ方は生半可ではありません。

国王とスペイン代表

 

 そのドイツに勝ったあとの残り試合はビール片手に観戦を楽しめました。フランス代表もイタリア代表もイングランド代表も退屈なプレーでした。サッカー(日本ではフットボールでしょうか?)は退屈になりました。なぜこんなにつまらないサッカーになったのか?冒険を避けて保守的なプレーをするようになったからです。体のぶつけ合いでボールを奪い合うサッカーになりました。そこには創造性はなくエレガンスにも欠けます。

 

 スペイン代表がサッカー通を魅了したのは勇敢なプレーと創造力でした。スペイン選手たちは誰よりも上手にプレーしたし、上手くいかない時の解決の能力もありました。それが戦うごとに成熟していきました。スポーツの一つの魅力に娯楽がありますが、それも見せてくれました。

市内を凱旋パレード

 スペイン代表の監督は若い選手を色々なクラブから集めました。ひと昔はレアルマドリードやバルセロナを中心に集めていました。人種的にも移民者の子供(はスペイン生まれ)やハーフと多様です。スペイン人は彼らがスペイン代表になるのには違和感はありません。

 

 そのスペイン代表たちは優勝の夜は明け方までホテルで大はしゃぎでした。その後マドリードへ特別機で帰国をしました。国王から祝福を受けたあと市内パレードが始まりました。沿道はスペイン人でぎっしりです。オープンバスで優勝カップを掲げる選手たちはお揃いの白いシャツ、その胸には大きく赤い4が映えます。ヨーロッパで初めての4度目の優勝です。

赤で埋まったシベレス広場

 フエスタ(祭り)会場のシベレス広場を埋め尽くしたスペイン人の赤いユニホームが絨毯に見えます。何万人集まったのかは分かりませんが地方から駆けつけた人も大勢いました。スペイン中が優勝を祝いました。多民族のスペインがラ・ロホ(La Rojo/スペイン代表のチームカラー)に一つになりました。

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欧州議会選挙/スペイン

2024-06-17 17:00:00 | スペイン日記

勝利を祝う国民党

 5年ごとに行われるのが欧州議会選挙です。EU(欧州連合・27国・総人口約3億7千万人)の立法機関が欧州議会です。国によって投票日/投票期間は異なりますが早い国は6月6日から始まりました。スペインは6月9日に行われました。投票終了時間が一番遅いイタリアの夜11時を待ってEU27カ国の選挙結果が出ました。

 

 保守党会派(中道右派や右派/右翼)が勝ちました。欧州議会は720議席です。国に割り当てられる議席数はドイツ(96議席)、フランス(同81)、イタリア(76)に次いで4番目に多いのがスペインの61議席です。一番少ないのはキプロス、ルクセンブルク、マルタですがそれぞれ6議席ずつです。人口比率で割り当てる議席数ですが、小国には有利な割り当て比率が適用されています。日本のニュースでも驚いたように右派政党や極右ポピュリスト政党が大躍進をしました。

 

 スペインでの欧州議会選はどうだったのか?と言いますと、まずスペインの投票率は49%でした。6月は春光です。スペイン人でなくとも週末は出かけたくなる陽気です。半数の有権者家族は投票日の前日から地中海のリゾート地へ泳ぎに出かけて投票をしませんでした。その結果、国民党(PP/中道右派)の勝利で22議席、社会労働者党(PSOE/中道左派)は20議席、ヴォックス党(VOX/右翼)は6議席でした。左派は5年前と大差ない議席数ですが右派は2倍に議席数を増やしました。有権者の半数以下しか投票をしなかった国の選挙結果をあれこれ言うのは無意味です。

 

 欧州連合の国々の選挙結果でも保守党会派が勝ちました(左派党が勝ったのは27国中の4国です)。欧州議会ではマニフェストの近い政党が国を超えて会派を構成します。スペインのPP党は欧州議会ではPPE(中道右派会・189議席)、PSOEはS&D(中道左派会・135議席)、VOXはCRE/ID(右派会・極右派会で合わせて130議席)です。乱暴な区別を承知で言うと、この欧州議会を国政における右派左派と分けるよりも「親・欧州連合派」と「欧州連合・懐疑派」あるいは「開いたヨーロッパ」と「閉じたヨーロッパ」と分けた方が我々日本人には分かり易いと思います。

 

 ヨーロッパは苛立っています。不法移民者問題と増える犯罪数、ウクライナ戦争の先不安とその経済的疲労、IT産業への乗り遅れ、中国製電気自動車の氾濫、環境問題におけるヨーロッパ主張の疑問、インフレに喘ぐ庶民の救済などと頭を痛めています。本来はヨーロッパ人に使われるべきだったお金が“ヨーロッパの誇り”にまわってしまいました。「武士は食わねど高楊枝」は終わりにして27国の庶民の声が届く欧州議会になる必要があります。

 

 今まで欧州議会と一般市民との間は離れすぎていました。スペインの49%の投票率がその結果です。ヨーロッパ人一人ひとりはスペイン人でもドイツ人でもポーランド人でも日本人と同じです。ところが一つのヨーロッパとなると頭でっかちになります(理念を求めすぎる)。アメリカとも中国とも違う個体になるヨーロッパを説明する適切な言葉が僕には欠けますが、こんな感じです。

 

 昔ローマ帝国がありました。皆ローマ人になりたがりました。ローマの市民権を得てローマ人になればローマ帝国が法と軍隊で自分を守ってくれました。今の欧州議会はヨーロッパ人を守ってくれていません。ヨーロッパは陸続きのユーラシア大陸の一部なので人種的に見れば多種多様です。例えば先祖代々のフランス人もいれば途中から入ってフランス人なった人もいます。それはEU27カ国の人種構成を見れば納得します。それを若い世代のヨーロッパ人も理解はしていますが、21世紀の我々(ヨーロッパ人)のアイデンティティーは何?それはEU以外でも通用するのか?と疑問視し始めました。ヨーロッパ人としての“価値”が足元から揺らいできました。

 

 欧州議会はそのアイデンティティーをあるカタチにしようと努めましたがブレグジット(英国の脱EU)などで足を引っ張られて未完成です。時間と金の無駄遣いにうんざりした人々は分かり易い右翼に投票したと僕は推論します。トランプ前大統領の“アメリカ第一”のように“ヨーロッパ第一”、いや、“ポーランド第一”、“フランス第一”となるとヨーロッパの旗印「革新」は半旗掲げになります。

 

 この欧州議会選では色々な国から“悪ふざけ?”と思わせる政党(と言えるのか?)がいつも出ます。スペインでは「パーティーは終わった党(Se Acabo La Fiesta略してSALF)」が3議席を取りました(ルクセンブルクの議席数の半分です)。滅茶苦茶な党名同様に政策(あるのか?)はお粗末で反体制を叫んでいるだけです。インフルエンサー・アルビセ氏(Alvise)がネット上で選挙運動をしただけで80万の票を得ました。マドリード―ブリュッセルの5年分の往復航空券を得ました。ブリュッセルに欧州議会があります。

 

 このように議席数が3議席以下の小党(個人とそのお仲間)で100議席近くを占めます(冒頭に書いた欧州議会の議席数を思い出してください、720議席です)。これを民主主義議会の選挙の正しい結果と受け止めるのかそれとも無駄と切り捨てるのかは自由ですが、ブレグジットをしたくなりませんか?

パーティーは終わった党のアルビセ氏

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カタルーニャ自治州議会選挙

2024-05-15 15:00:00 | スペイン日記

第一党になったカタルーニャ社会党のイジャ氏

 

 5月12日はカタルーニャ自治州議会選挙でした。投票率は58%でした。州議会は135議席で過半数は68議席です。議会は二つのブロックに分かれています。スペインからの独立を目論む「独立派」とそれに反対する「反独立派」です。この40年間は独立派が過半数の議席を獲得していました。今回は逆転して反独立派が過半数を超えました。74議席対61議席でした。主な反独立派政党はカタルーニャ社会党(PSC/中道左派)、国民党(PP/中道右派)、ヴォックス党(VOX/右翼)です。独立派はカタルーニャ連合(Junts/ジュンツ/左翼)、カタルーニャ共和党(ERC/エルク/左派)です。

 

 第一党になったのはカタルーニャ社会党です。大躍進をして42議席(前回は33議席)を獲得しました。国民党は5倍に議席数を増やし15議席(同3議席)でした。第二党はカタルーニャ連合で35議席(同32議席)でした。今回の選挙では与党だったカタルーニャ共和党が議席数を前回の33議席から20議席に落としました。しかしメディアの予測ではカタルーニャ社会党(反独立派)、カタルーニャ共和党(独立派)、小党のコムネス(Comunes/反独立派)の三党連合になるそうです。三党で68議席数になります。

 

 国外逃亡中のカタルーニャ連合の党首プイデモンテ氏(カタラン語ではプチデモン)は今回の選挙運動をスペイン国境に近いフランス側からしました。彼はスペインのサンチェス首相に独立派で固めた州議会と自分の州知事を求めています。もし受け入れられないのなら首相の座は保証しないと脅しています。現内閣はスペイン各地の民族党の助けで成り立っています。さて、カタルーニャ州ですが、スペインの北東にあり地中海沿岸です。バルセロナ県(Barcelona)、タラゴナ県(Tarragona)、ジロナ県(Gerona)、レリダ県(Lerida/内陸です)の四県です。州都バルセロナは大聖堂のサグラダファミリアやサッカーチーム・バルサで日本にも知られています。

 

 話は戻りますが2017年、当時の州知事プイデモンテ氏が強行した独立の是非を問う住民投票、州議会の一方的な独立宣言はスペイン中央政府によるカタルーニャ州自治権の一時停止に至りました。憲法に不服従の罪を受けたプイデモンテ氏は国外へ逃亡をしました。それからです、カタルーニャ州にあるスペイン企業の他州への移転が始まりました。今は戻った企業や新しくできた企業で会社の数は増えたそうですが、以前から比べると4000社くらい足りない様子です。日本の日産自動車もバルセロナから撤退をしました。スペイン大手銀行のカイシャ・バンク、サバデル銀行も本社を移転しました。経営者には独立騒ぎは迷惑なだけです。

 

 今は4人に一人のカタルーニャ人が貧困に怯え、社会脱落者になりました。カタルーニャ州議会は中央政府に特別予算を要求していますが、ほかの州が黙っていません。台所が苦しいのはどこの州も同じです。観光名所のバルセロナもオーバーツーリズムで住民の抗議が絶えません。確かに大型観光船は一回に数千人の観光客をバルセロナの旧市街に送り出します。それらが一日数隻訪れます。人気のランブラス通りの住民は溢れるツーリストでスーパーの買い物や犬の散歩など日常生活に支障がでています。救急車が通れなくなったら命にかかわります。6月末までには新しい州知事が決まり、新しい州政策が問題解決を始めるでしょう。まさか再選挙にはならないと思います。

 

第二党になったカタルーニャ連合の国外逃亡中のプイデモンテ氏

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バスク

2024-04-29 14:00:00 | スペイン日記

どうにか勝ち残ったPNV党

 4月21日はバスク州議会選挙でした。日本で言う地方選の一つです。その話を始める前にバスク州(スペイン語ではパイス・バスコ/バスク語ではエウスカディ)の話です。イベリア半島の北東にあり、アラバ県、ビスカヤ県、ギプスコア県の3県から成り立ちます。独自のバスク語を話し男たちはベレー帽が好きです。仲間たちと料理を創造し合って食べるサークル(ソシエダデス・ガストロノミカス/Sociedades gastronomicasa)があるくらいの“美食家州”です。それに甘んじてツーリストもバルで美味しいピンチョス(スペイン語Pinchos/バスク語Pintxos)が味わえます。ワインは白ワインのチャコリをお勧めします。

 

 僕はバスクの彫刻家チリーダが好きなのでギプスコア県のサン・セバスチャンはいつでも行きたいし住みたい街です(僕には購入不可ですが不動産価格はスペイン一です)。マドリードからサン・セバスチャンへ初めて行った時はプロペラ機でした。1970年代でした。その頃はフランコ独裁時代だったのでチリーダはフランスにいたと思いますが、バスクで個展を開いていました。

 

 チリーダの彫刻は鉄です。鉄は熱いうちはカタチを造りやすく、さらに叩けばより強くなります。その鉄が伸び切らないように何か(誰か)が圧力をかけているのではないか?と想像させる作品です。スペイン国民を押さえつけていた当時のフランコ独裁政治を暗に表現した作品、と思うのは僕の勝手でしょうか?勝手な想像はさておいても、彼の鉄の作品が創り出す“空間”は美しいです。

 

 フライトは数年後にジェット機になりましたが、着陸するには一度フランスへ国境越えをしてターンをしてスペインに入りました。スペイン側国境の隣はフランス・バスクです。このフランス・バスクを含めた“バスク地方”とスペイン・バスクだけの“バスク州”の“地方”と“州”の話を始めるとバスク民族の闘争史になるので今回はやめます。

 

 言いたいのは、マドリードを発ったのがプロペラ機ならフランス・バスク領域に侵入することなくしてサン・セバスチャンに着きました。そのフライトをジェット機にできたのはフランス・バスク(フランス政府)とスペイン政府の合意があったからです。これはスペインが欧州連合に加入する前の話です。加入後はノープロブレムになっただけではなく滑走路も拡張されました。

 

 そのあとビルバオ・グッゲンハイム美術館がオープンしたので、ビスカヤ県のビルバオへも足を運びました。ビルバオはバスクの大工業地です。鉄工所から造船所までスペイン一の重工業の街です。昔はスモッグが漂う薄汚れた街でした。それが今はビルバオ・グッゲンハイム美術館の壁は太陽で眩しく輝く空気のすんだ街に生まれ変わりました。

 

 マドリードから車でバスクへ行く時はバスク州の入り口のアラバ県のヴィトリアを宿にしました。マドリードから高速道路を乗り継いで5時間くらいです。このヴィトリアからはビルバオへもサン・セバスチャンへも1時間か2時間弱です。ここを宿にするのはサン・セバスチャンの高い宿代とビルバオの街の騒音が嫌だからです。ヴィトリアの落ち着いた街並みが好きだし、何しろ隣はリオハ州なので美味しい赤ワインが楽しめます。

 

 バスク州とバスク人を日本人の僕の感覚で言わせてもらうと“ひと癖も二癖ある”です。さて前置きが長くなりました。バスク州議会選挙は二つのバスク・ナショナリスト政党(バスク民族主義党です)の勝利でした。その二つのナショナリスト政党の一つは今まで与党だった穏健派のぺ・エヌ・ウベ(中道/PNV)ともう一つは今回大躍進したテロ組織エタ(ETA/バスク祖国と自由)の政治部門のビルドゥ(極左翼/HB BILDU)です。

 

 この二党で非ナショナリストのバスク社会党(PSE)と国民党(PP)を大幅に上回りました(54議席対21議席)。PNVはHB BILDUと同議席数(お互いに27議席)だったのでPSE(12議席)と手を組んで再びバスク州議会の与党になります。ですが今回の選挙の目玉になった祖国一体を掲げるHB BILDUの大躍進は収まりそうもないので次の州議会選で大勝利をしそうです。そうしたらバスク州をスペインから離脱させるでしょう。チリーダの彫刻の森へ行くのもグッゲンハイム美術館を訪れるのもパスポートが必要になりそうです。

 

躍進したHB BILDU

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ペドラサ

2024-03-27 15:00:00 | スペイン日記

ペドラサの広場

 ペドラサ(Pedraza)はセゴビア県にある小さな村です。コウノトリの里だそうでその巣がたくさんあります。マドリードからは車で1時間半足らずです。週末はマドリっ子たちが溢れています。彼らの目的はコウノトリウォッチではありません。ラムの丸焼きを食べに行きます。

ペドラサの広場

 セゴビア(Segovia)はマドリードの北にあり、ローマ時代の水道橋とおとぎ話に出てくるような可愛い城があります。そしてこの地方のかまどで焼く子豚やラムの丸焼きは絶品です。昔はかまどでパンを焼いていました。パンを焼いた後その残り火で肉を焼きました。スペイン語では丸焼きをアサド(asado)と言い、子豚をコチニィジョ(cochinillo)、ラムをコルデロ・レチャル(cordero lechal)と言います。

ペドラサ

 セゴビアは豚、羊、牛の肉の味が他と違います。小さい村が点在する酪農に適した土地と涼しい気候が良いのでしょう。ペドラサにそれらを食べに行きました。レストランに予約を入れると、注文を聞かれます。丸焼きは時間がかかるのとラムや子豚は焼きたてを食べないとセゴビア産の肉がもったいないです。それにラムの脂肪は融点が高いので冷めると脂が固まります。不味くなります。食事時間は1時半か3時半なので、1時半にしてラムの丸焼き二人分と子豚の丸焼き二人分を注文しました。友達と4人です。「時間に遅れないでください」とスペインらしくない注意を受けました。

ペドラサ

 当日村を散策したら沢山のコウノトリの巣がありました。それも大きい立派な巣ばかりです(巣にもコウノトリの大工工事の上手さがみられます)。ペドラサは茶色い壁の背の低い家が並ぶカスティージャ地方(イベリア半島の中央部)にはどこにでもある村ですが、その街並み(村並み?)が昔のままで残っています。村の中心である大広場を囲む家々も昔のままです。

ペドラサの城

 ぶらぶらしながら土産物屋をのぞいたりして、指定時間にレストランに入りました。いい匂いが漂っています。リオハの赤ワインとシンプルなサラダも頼んだら、待ち構えていたようにラムと子豚の丸焼きが運ばれてきました。茶色い土鍋のような器ごとかまどで焼いたので熱々です。この器ならしばらくの間は冷めません。下には下駄のようなものが敷いてありました。

コウノトリと巣

 子豚はとろけるように柔らかい肉とパリパリの皮の相性が絶妙です。ラムは良い香りに誘われて口に入れるとジューシーで味のある肉にビックリです。まったく羊の臭みはありません。器に残った汁もパンに浸して食べてしまいました。赤ワインにぴったりの料理に大満足をしました。来たかいがありました。そして聖週間(セマナサンタ/Semana Santa)が始まりました。その間は肉を食べるのは慎むのがしきたりですが、聖週間のペドラサはツーリストでごった返します。丸焼きを食べないツーリストはいないでしょう。

コウノトリと大きい巣

手前がラム、後ろが子豚

下駄を敷いています

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