マドリーの恋人

ヤマダトミオ。 画家。 在スペイン52年。

ジジイたちのスペイン旅行 1

2016-05-26 13:00:00 | スペイン日記

青空のトレド

 日本の友達とグラナダ、セビージャ、リスボンを旅して来ました。当初の予定では、我々の還暦前にしようと計画を立てたスペイン旅行でした。でも、親の介護や仕事の都合で10年も遅れました。そのために買った車もガレージで昼寝をしていました。ここは70歳前に旅ができたのを喜ぶべきでしょう。東京―マドリード間は直行便がありませんが、この10月にイベリア航空が直行便を再開します。その季節でも良いのですが「スペインの旅は5月」と僕が決めていたので、この10年間友達二人もそのつもりで居ました。

 5月は暑くなく寒くなく、イベリア半島の日没は9時過ぎです。老眼のドライバーには日が長いのは安心です。夜の8時頃にマドリードのバラハス空港に着いた友達はまだ明るいので、きっと時間の感覚が狂ったはずです。幸いに我が家は空港に近いので、すぐにビールにありつけました。「友、遠方より来たる酒また楽しからず」です。まずは無事のマドリード到着に乾杯!軽い夕飯もワインで乾杯しました。疲れがでたようなので、我が家のそれぞれの部屋で寝てもらいました。

 翌日は時差ぼけで二人とも気怠そうなので、近所を散歩したあとは家でうつらうつら、ゴロゴロとしていました。夕方はマドリードの飲み屋街へバスで行き、バル巡りです。一軒目は「タラのブニュエロ(buñuelo/天ぷらよりも衣がふっくら)とタラのコロッケのタパスで知られた、80年くらい前からあるバルです。スペインの地方から来た人は必ず寄りますし、中南米からの旅行ツアー客も入ります。バルの中はあらゆるなまりのスペイン語が飛び交います。おまけに土曜日の午後!人混みは中途半端ではありません。

 すぐにカマレロ(camarero/ ウェイター)を捕まえてビールを注文して壁の棚(タパスやビールを置くバー)を確保しました。ここでは(1)カマレロは捕まえる (2)同時に飲み物を注文して場所を確保する (3)すぐタパスを買う列に並ぶ、です。

タラのブニュエロのバル

 僕が一人で行くときは⑶、⑵、⑴の順です。友達がまだスペインのペースに馴染まないのは当たり前ですが、二軒目のエビ(鉄板焼きとオリーブ煮)、三軒目のタコ(茹でタコ+ジャガイモ)、四軒目のトルティージャ(スペイン風オムレツ)とタパスを摘まみながら回るバルの雰囲気にはすぐ慣れました。日本でもこの数年のあいだにタパスのバルが増えたお陰です。

 このブログにも時々書いているバル巡りですが、その仕上げはシェリー酒のバルです。ここも目一杯混んでました。この数年、なぜか、イギリス人観光客で一杯なのです(アイルランド人?)友達は「立ち飲み」に疲れてきたのか、シェリー酒が強すぎるのか(アルコール度はワインより高く、日本酒くらい)、はては時差ボケか、ポケ~としてきたのでタクシーで家へ戻りました。このバル巡りを日本から来た友達とするときは、パスポートのコピーと現金60ユーロだけをポケットに入れて来て貰います。僕の財布の話(前のブログ)ではありませんが、スリに気を使っていたらワインが美味しくありません。

エビのタパス

 翌日はトレドへ行きました。僕の車(ミツビシのミニバン)で旅行をするので友達に慣れてもらうのと、スペインの交通の左ハンドル運転にも慣れてもらうためです。僕らの世代はアメリカのTVドラマ「ルート66」を見て育ちました。爺になった僕らも、窓から肘を出して風に吹かれながらスペインの荒野をドライブするのが夢でした。車はオープンカーではなくミニバンと歳相応にしました。旅の最終日はリスボンからマドリードへ一気に戻るので、運転は三人で交代します。オートマ車が当たり前の日本ですが、僕の車はマニュアル・チェンジでスペインはまだまだ主流はマニュアル車です。

 尻込みする二人を車に押し込んで、いざ、トレドです。マドリードからトレドは高速で一直線なので1時間足らずです。二人とも長年運転しているので、こちらの交通事情にもすぐ慣れました。でも、ロータリーは苦手なようなので、市内は僕が運転する「暗黙の了解」をしました。トレドへ来ると僕はいつも街の全景を眺めてから市内に入ります。そのビュースポットまでのくねくねの山道が嫌ですが、一望の価値はあります。おつりがくるほどです。夕暮れに包まれるトレドの全景が大好き、の日本人観光客が99%だと思います。僕も好きですが、朝日の作り出す建物の陰影で立体的になったトレドの街も好きです。

 トレドの全景を眺めながらいつも思うのはエルサレムです。ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地エルサレムには宗教が違いながらも一緒住んでいた時代もありました。聖地ではありませんがトレドもそうでした。囲むタホ河はこれから行くリスボンまで続き、大西洋に流れ出ます。ワイン片手に一日中眺めていたい街並みです。狭い路地のトレドの街中は観光客でごった返へしていました。昼飯時だったのでテラスはどこも満席で、「2時間後まで席はありません」のスペイン語が聞こえていました。表通りも裏通りも同じように狭いのがトレドで、広場と大聖堂前が広いだけです。

トレド大聖堂の正面

 こう言う観光地では、歩いていて店の中でも外でもテーブルが空いてるバルがあったら、すぐ座ります。ガイドブックの「満足度何点のレストラン」や「お勧めタパスのバル」探しを日曜日のトレドでやってると、必ず食いっぱぐれるか、マクドナルドになります。ここはスペインです、トレドは世界遺産の観光地です。そんなところでガイドブックにも載れないバルでましなものを食べるには、まず、店主に今日は何があるの(ケ・プラト・ティエネス)?って聞きます。店主もスペイン語が分かる客なら美味しいものを出してくれます。

 僕らが食べた自家製(奥さん手作り)のピスト(ラ・マンチャ地方のトマトの名物料理-トレドはラ・マンチャ州の州都)はトマト・ソースで水増しをしていました(日曜日の観光地です)。でもズッキーニや玉ねぎはちゃんとトマトのぶつ切りと一緒に炒め始めたようなのでトマトの酸味がしみていました。救いは上質のオリーブ・オイルを使っていたことです。

 生ハムはイベリコブタではないけど、普通のハモン・セラーノを厚く切ってくれました。サラダはレタスがパリパリ新鮮でしたが、マドリードの食堂点数で言ったら30点です。マドリードへ戻り、友達二人をプラド美術館で降ろしてから、僕は夕飯の用意と旅バッグのパッキングがあるので家へ帰りました。心配だったけど二人はバスで無事に我が家へ戻りました。

 明日から日本食はないので、今夜は鍋焼きうどんを作り再び乾杯です。きのうの昼に焼いた鳥の丸焼きが残っています。バラシて鍋に入れたらうどんが隠れてしまいましたが、その上にタマゴを割って落としました。鳥の骨はラーメンのスープ用にニンニクと長ネギと一緒に煮込みました。寝る前に瓶に入れて、明日、旅に出る前に冷凍します。

 次はグラナダの話ですが、毎週アップできるようにします。そうそう、この土曜日(528日)はミラノでヨーロッパ・チャンピオンズリーグの決勝戦です。レアルとアトレティコが再びぶつかります。2年前のリスボン戦の時は「奇跡のダービー」とマドリっ子たちがそれぞれのクラブの旗を担いで、どっとリスボンへ行きました。奇跡って何回も起きるものなんでしょうか・・・?

コメント (1)
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