スペイン史上最高額の財宝が見つかりました。先のブログ「財宝450億円を奪われた海賊」で書いたように大西洋のあっちこっちの海底には金銀を積んだスペイン王国の船が沈んだままです。時価30億ユーロ(ほぼ3200億円)の財宝を積んだスペイン王国のフンカル丸(Juncal)の沈没位置が確認できました。前回はポルトガル沖でしたが、今回はメキシコ湾です。
メキシコ湾
その財宝がいかに貴重なものであったのかを、歴史で見てみましょう。時は1500年から1700年です。コロンブスの新大陸発見(1492年)のお陰で、中南米を植民地支配したスペイン大帝国が誕生しました。オーストリアのハプスブルグ家の血を継ぐカルロス(Carlos)がスペイン国王となった時代は「世界に日の沈む場はない」スペイン大帝国の黄金期だったのです。それを継ついだフェリペ二世(FelipeII)で絶頂期を迎えましたが、だんだんと没落も始まりました。1590年頃からです。それでも植民地からの銀で財政的には帝国を維持できました。当時の中南米の産金量はまだヨーロッパに及びませんでしたが、スペイン植民地における銀の産出量は全ヨーロッパのそれを凌ぐどころか、なんと3倍を超えました。
湯水のように湧き出るスペイン王国の財源にヨーロッパ諸国は太刀打ちできませんでした。でもオランダの独立やそれをサポートしたイギリスの台頭はスペインの中央集権を揺さぶり始めます。交易商売が国策のオランダにはスペイン植民地の物産は不可欠でした。再々のフェリペ二世による嫌がらせに、とうとうオランダは自らカリブ海の制海権を奪いに出ました。その結果、制海権の独占を失ったスペインは1630年頃から海運が苦しくなり、オランダとイギリスの砲撃にも悩まされます。スペイン王国の負債も膨れ上がりました。
何か、2012年のスペインも同じですね。フェリペ四世の時代になった1631年、スペイン王国の財政救済のために120トンの金銀を積んだフンカル丸がメキシコのヴェラクルス港(Veracruz)を出港しました。フンカル丸を守るように他12隻の船で半円を描く、三日月型配置でキューバ・ハバナ港に向いました。しかし3日後に暴風雨に遭います。フンカル丸は24砲の大砲を備えた3本マストの50メートル級、当時としては大型帆船です。いかんせん船腹には120トンの金銀です、他の帆船のように荒波を軽々とは乗り越えられません。
他の船は港へ引き返し始めましたが、フンカル丸は先へ進みました。大嵐は弱まる気配を見せません。水が入り込んだフンカル丸は半分沈んだのも同様で、その姿は大海原を突く進むクジラのようなものです。もう、港へ戻るには遅く、ハバナ港もまだまだ遠くです。若いアンドレス提督は「舵を切れ!」「カンペチェ海岸だ!」と叫びます。ユカタン半島のカンペチェ海岸が近いのです。船首を南へ向け始めたフンカル丸に嵐は容赦なく襲い掛かります。「マストを切り倒せ!」「大砲を海へ捨てろ!」。経験の浅いアンドレスの指示は迅速さに欠けます。「荷も捨てろ!」。いよいよフンカル丸は船頭から沈み始めます。
「ボートに袋(銀貨)を投げ入れろ!」「降ろせ!!」「全員船を捨てろ!!!!」。荒海に投げ出された船員はボートに向いました。でも361人はメキシコ湾に消えました。39人がボートで命からがらカンペチェ海岸にたどり着きました。このフンカル丸沈没でスペイン大帝国は最後の槍を食らった象のように滅亡したのです。フンカル丸の沈没で失ったのは金銀だけではなく、オランダが喉から手が出るほど欲しがった1トンを超えるシャム織りの絹、大量のカカオ、30トンの染め粉・コチニールと46トンの染料・藍(あい)などの貴重な商品も失いました。スペインの交易商にも甚大な被害でした。
宝はここだ!
それから400年近い歳月が流れました。さぁ、ここで現代の海賊・オデュッセイア(Odyssey)の登場です。パイレーツ・オブ・カリビアンのジャック・スパロウ船長ではありませんが、オデュッセイアを率いるグレッグ船長(Greg Stemm)はどう出るのでしょうか?素早くメキシコ政府と周りの要人にコネをつけ始めました。今回は公海では無く、メキシコ領海なのでスペイン政府も駒を慎重に運ばないといけません。ただ沈没船の眠る場所はかなりの深海でサメも多そうです。引き上げはかなりの時間と金もかかります。
今回は裁判争いなどをせずに、財宝を引き上げる前に配分を決めてしまえば良いのです。僕は4人で分ければ良いと思います。400年間の持ち主スペイン、サメに噛まれるかもしれない海賊・オデュッセイア、自分ちに沈没してラッキーなメキシコ、それと、いつも損をしているペルーの4人です。銀は全てペルーのポトシ銀鉱から産出したのは歴史にハッキリと書かれています。取り分が四分の一に減ってもスペインは前回の2倍の財宝です。