マドリーの恋人

ヤマダトミオ。 画家。 在スペイン52年。

よみがえれ!海賊!夢よ、もう一度!(その1)

2012-04-29 22:00:00 | スペイン日記


 スペイン史上最高額の財宝が見つかりました。先のブログ「財宝450億円を奪われた海賊」で書いたように大西洋のあっちこっちの海底には金銀を積んだスペイン王国の船が沈んだままです。時価30億ユーロ(ほぼ3200億円)の財宝を積んだスペイン王国のフンカル丸(Juncal)の沈没位置が確認できました。前回はポルトガル沖でしたが、今回はメキシコ湾です。


メキシコ湾

 その財宝がいかに貴重なものであったのかを、歴史で見てみましょう。時は1500年から1700年です。コロンブスの新大陸発見(1492年)のお陰で、中南米を植民地支配したスペイン大帝国が誕生しました。オーストリアのハプスブルグ家の血を継ぐカルロス(Carlos)がスペイン国王となった時代は「世界に日の沈む場はない」スペイン大帝国の黄金期だったのです。それを継ついだフェリペ二世(FelipeII)で絶頂期を迎えましたが、だんだんと没落も始まりました。1590年頃からです。それでも植民地からの銀で財政的には帝国を維持できました。当時の中南米の産金量はまだヨーロッパに及びませんでしたが、スペイン植民地における銀の産出量は全ヨーロッパのそれを凌ぐどころか、なんと3倍を超えました。

 湯水のように湧き出るスペイン王国の財源にヨーロッパ諸国は太刀打ちできませんでした。でもオランダの独立やそれをサポートしたイギリスの台頭はスペインの中央集権を揺さぶり始めます。交易商売が国策のオランダにはスペイン植民地の物産は不可欠でした。再々のフェリペ二世による嫌がらせに、とうとうオランダは自らカリブ海の制海権を奪いに出ました。その結果、制海権の独占を失ったスペインは1630年頃から海運が苦しくなり、オランダとイギリスの砲撃にも悩まされます。スペイン王国の負債も膨れ上がりました。

 何か、2012年のスペインも同じですね。フェリペ四世の時代になった1631年、スペイン王国の財政救済のために120トンの金銀を積んだフンカル丸がメキシコのヴェラクルス港(Veracruz)を出港しました。フンカル丸を守るように他12隻の船で半円を描く、三日月型配置でキューバ・ハバナ港に向いました。しかし3日後に暴風雨に遭います。フンカル丸は24砲の大砲を備えた3本マストの50メートル級、当時としては大型帆船です。いかんせん船腹には120トンの金銀です、他の帆船のように荒波を軽々とは乗り越えられません。

 他の船は港へ引き返し始めましたが、フンカル丸は先へ進みました。大嵐は弱まる気配を見せません。水が入り込んだフンカル丸は半分沈んだのも同様で、その姿は大海原を突く進むクジラのようなものです。もう、港へ戻るには遅く、ハバナ港もまだまだ遠くです。若いアンドレス提督は「舵を切れ!」「カンペチェ海岸だ!」と叫びます。ユカタン半島のカンペチェ海岸が近いのです。船首を南へ向け始めたフンカル丸に嵐は容赦なく襲い掛かります。「マストを切り倒せ!」「大砲を海へ捨てろ!」。経験の浅いアンドレスの指示は迅速さに欠けます。「荷も捨てろ!」。いよいよフンカル丸は船頭から沈み始めます。

 「ボートに袋(銀貨)を投げ入れろ!」「降ろせ!!」「全員船を捨てろ!!!!」。荒海に投げ出された船員はボートに向いました。でも361人はメキシコ湾に消えました。39人がボートで命からがらカンペチェ海岸にたどり着きました。このフンカル丸沈没でスペイン大帝国は最後の槍を食らった象のように滅亡したのです。フンカル丸の沈没で失ったのは金銀だけではなく、オランダが喉から手が出るほど欲しがった1トンを超えるシャム織りの絹、大量のカカオ、30トンの染め粉・コチニールと46トンの染料・藍(あい)などの貴重な商品も失いました。スペインの交易商にも甚大な被害でした。


宝はここだ!

 それから400年近い歳月が流れました。さぁ、ここで現代の海賊・オデュッセイア(Odyssey)の登場です。パイレーツ・オブ・カリビアンのジャック・スパロウ船長ではありませんが、オデュッセイアを率いるグレッグ船長(Greg Stemm)はどう出るのでしょうか?素早くメキシコ政府と周りの要人にコネをつけ始めました。今回は公海では無く、メキシコ領海なのでスペイン政府も駒を慎重に運ばないといけません。ただ沈没船の眠る場所はかなりの深海でサメも多そうです。引き上げはかなりの時間と金もかかります。

 今回は裁判争いなどをせずに、財宝を引き上げる前に配分を決めてしまえば良いのです。僕は4人で分ければ良いと思います。400年間の持ち主スペイン、サメに噛まれるかもしれない海賊・オデュッセイア、自分ちに沈没してラッキーなメキシコ、それと、いつも損をしているペルーの4人です。銀は全てペルーのポトシ銀鉱から産出したのは歴史にハッキリと書かれています。取り分が四分の一に減ってもスペインは前回の2倍の財宝です。
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飲んで踊るフェリア・デ・アブリィル

2012-04-25 11:30:00 | スペイン日記

30万個の電球で輝く入場門

 飲むのはフィノ(Fino)と呼ぶヘレス(jerez/シェリー酒)で踊るのはセビジャ-ナス(sevillanas)です。食べるのはペスカィート(pescaito/pescadito)で通じてしまう、サカナのフライです。この一週間飲んで踊って騒ぐのがフェリア・デ・アブリィル(Feria de Abril/4月の市)で、セビージャの春祭りです。昨日(4月23日と言っても、24日の午前0時)馬鹿騒ぎが始まり、29日(日)まで遊び惚けます。

 フェリア会場にはテント小屋が建ち並び、遊園地もできます。夜はすごい人出なので、スリやドロボーもめっちゃ多いです。こっちもシェリーで酔っ払っているので、防ぎようが無いです。飲み代の小銭は分けてポケットに入れて、帰りのタクシー代は靴の中にでも隠しておくことですね。カードなんてご法度です。僕の友達は、すっかりスられちゃったけど道に落ちていた50ユーロ札でホテルへ帰れた、なんて言ってました。馬鹿騒ぎのために集まるのだからしょうがないです。

 テント小屋をカセタ(caseta)と呼び、1000軒以上はあります。それぞれのカセタには家族や親戚や友達が集まり、喋って、歌って、飲んで、食って、踊ってが延々と繰り返へされるのです。それらは一見さんお断りだから、我々よそ者はセビージャ人のコネで紛れ込むか、20軒ほどあるエントラダ・リブレ(Entrada Libre/入場自由)のカセタで負けずに騒ぎます。誰でも入れるカセタは市の主催や労働組合、政党、教会、などとまちまちですが、楽しむのには誰のでも良いのです。

 昼間は馬や馬車、フラメンコ衣装のパレードがあります。よそ者はジーンズですが地元のアンダルッサ(andaluza)はフリル一杯のフラメンコ衣装です。その水玉模様のドレスは上半身が体にピタっとしているのですが、若い子だけではなく太ったオバサンの着こなしも見事なものです。ところで、スペイン語の分かる人には「フェリア・デ・アブリィル」って「4月の市場」の言う意味でしょう。それがなんで「春祭り?」ですね。

 19世紀の半ばにセビージャで始まったフェリア・デ・アブリィルですが、開催したのはバスク人とカタラン人でした。セビージャ人(sevillano)ではなく、それも家畜の市だったのです。しばらくは見本市として毎年開かれていましたが、歳月とセビージャ人の祭り好きが高じて、だんだんと飲み食いの春祭りになりました。花見化してしまった訳です。

 今では観光客も賑わう6億ユーロが動く大イベントです。セビージャは不思議な街で、数日居るとアンダルシア人(andaluz)特有のやかましさと厚かましさに辟易となります。でも忘れた頃になると、懐かしく、恋しくなり、また行ってみるか、となります。街は綺麗です。清潔と言う意味でなく、建物のデコレーションや色がイスラム風なので、マドリードやバルセロナと全く趣が違います。そんなセビージャの街は迷子になるのが一番面白いです。街中を流れるグアダルキビィル河(Guadalquivir)を目印に南北を確認したら、マップを持たずに歩くことです。

 真夏は死ぬのほどに暑いので、歩くには今の時期・春です。街の中心は結構平らなのですが、春でも歩くのは日陰です。疲れたらバルで休んで、タクシーでホテルへ戻れば良いのです。あとは馬車があるけど観光用です。英語はもちろん通じないけど、僕らがしゃべるスペイン語・カスティジャーナ語に返ってくるのはアンダルシア語です。


さぁ、毎晩パーティーだぁ


 さて、話はそれますが、週末のサッカー・リーグはクラシック戦でスペイン中がわきました。レアル・マドリーとバルセロナ(バルサァ)の試合のことで、4年ぶりにレアルが敵地で勝ちました。このままトップで逃げ切れそうなので、次はヨーロッパ・チャンピオン戦で再度レアル-バルサァがぶつかるのを期待していました。が、今夜、バルサァはチェルシーに負けてしまい、皆がっくりです。再度のクラシック戦はなくなりました。試合はテレビ中継の時代ですが、次期のスペインリーグは「本当のラジオ中継」が復活します。テレビ画面を観ながらの中継ではなく、サッカー場からライブのラジオ中継に心が躍るオッサンは多いのです。

 追加です:今夜のチャンピオン戦で(4月25日です)レアルがバイエルンにペナルティ・キックで敗れました。あの、ロナルドとカカアが外したのです(バカヤロー)。ラモスもです。もう、ガックリ。マドリードの街中は静かです。
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やっぱりあった象狩りの裏、それはコネ

2012-04-19 11:00:00 | スペイン日記

スミマセン、とファン・カルロス国王

 前のブログ「オッサン、そんなことをしている場合かぁぁぁぁ!」を読んでからのほうがいいと思います。

 スペインが経済破綻して、国が売りに出たら一番困るのはスペイン王家、国王です。スペインが買われてトップが変わっても、庶民のタクシーの運転手もパン屋もバルのオヤジも生活には困りません。自分たちの手に職があるからです。国王は何も手に職がありません。だから、21世紀の王室は国民の顔を窺いながら、うまく立ちまわっていかなければなりません。

 で、今回、ファン・カルロス・スペイン国王をアフリカの象狩りに招待したのはサウジアラビアがらみだったのです。アラブ国家の王権は親→子共と繼承されるのではなく、兄→弟→従兄弟などの男世界で繼承されていきます。だから、一夫多妻で子供を沢山持つと得をします。じゃ、女は?となりますね。

 ところがどっこい、女性は強いのです。例えば、ある国のアラブの王様が別々の奥さんから50人の子供を授かったとします(ひとクラスの生徒数じゃ子供の数としては多いけど、あくまでも例えばです)。そうなると子供たちは自分の父親ではなくて、自分の母親でグループを組むのです。だから兄弟を抹殺して自分の子供に王権を繼承できたら、子沢山の王ほど安泰なのです(でも、ひとクラスの半数位の数が無難なようです)。これで、アラビアンナイト・千一夜物語も面白く読めると思います。

 スペイン国王の遊び仲間がサウジアラビア王室です。サウジアラビアの海外事業を牛耳っているのが、防衛大臣のサルマン王子です。その王子のスペインにおける右腕が、カジャリ(Kayali)で、ファン・カルロス王の狩猟仲間で歳も同じです。このコネ・ルートでスペインがサウジアラビアの新幹線工事を競り落としたのです。スペイン史上始まって以来の海外事業のヒットです。本来なら、スペインに新幹線(AVE)を導入したフランスやドイツがサウジアラビアの新幹線工事を請け負って当たり前です。でも、こう言う裏があったのです。

 何か、中国がアジアの国の鉄道/新幹線工事を請け負うのと同じです。やはり、華僑・華人絡みのコネです。国王のお仕事はフェイスブックのようにコネを広げることです。で、スペイン王家(多分1000年、10世紀です)始まって以来初めて、ファン・カルロス国王は国民に詫びを入れました。「こんな時になって済まなかった、もう二度としない」と病室を出た所で、予期せずにマイクを突き出されてポロッとでた言葉です。イタズラがバレた子供のような表情に、国民は「しょうがねえなぁ」となるでしょう。これは歴史に残りますね。ホント、長生きしていると世の中が面白い。
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オッサン、そんなことをしている場合かぁぁぁぁ!

2012-04-17 11:00:00 | スペイン日記

王様の象狩り

 気軽に呼んでしまった「オッサン」とはファン・カルロス・スペイン国王です。「そんなこと」とはアフリカでの象狩りです。全て4月8日(日曜日)の復活祭の夜から昨日15日(日曜日)の一週間の出来事でした。このブログで僕がスペインの納税者の一人として度々愚痴っているように、スペインは経済破綻寸前です。おまけにイランからは石油を止められ、アルゼンチンに持っている油田会社はアルゼンチン政府に国有化されそうで、もう真っ青です。ふんだり蹴ったりですが、国の借金減らしと500万人の失業者減らしために、庶民は増税に応じます。国王も、仕事の無い大勢の若者の将来を思うと夜も眠れないので、「国民よ、余も我慢いたす」でした。

 その国王がアフリカで象狩りです。それも、政府のトップ、ラホイ首相に明かさずにこっそりと。悪いことをしていた訳ではないが、ひっそりと城に篭って猫の頭でも撫でて居るのがスペインの現状を憂える一国の主の姿です。それでなくても、このブログの「庶民の怒りを3つ」で怒ったように、国王の次女の夫・ウルダンガリン(娘婿です)の公金横領、脱税の問題を抱えているのが王室です。ファン・カルロス国王はスキーとヨット競技と狩猟が大好きです。スキーでの怪我で体は骨折だらけ、ヨット競技も大型ヨットクラスなのでさすが体がきつくなったのか、74歳の国王はその二つをやめました。残ったのは、他のスペイン人同様狩りです。

 ヨーロッパ人は-国王から庶民まで-狩りが好きです。スペインも少し前まで徴兵制があったので銃の扱いは慣れています。未だにスペインではゴルフよりも狩りです。その狩り好きにはアフリカはヨダレの出るところだそうです。王室のスポークスマンは「この象狩りには国費を使って居ない」と言うので、大方、スペイン経団連の連中と行ったのでしょう。

 復活祭の日曜日の夜にメンバーの自家用ジェット機でマドリードからアフリカのボツアナ(Botsuana)へ飛びました。象狩りを楽しんで次の日曜日までにマドリードへ戻っていれば、何もバレません。マドリードからはアフリカ大陸を縦断するのですが、ボツアナは南アの手前なので10時間もかかりません。でも、間を悪くするいじわる魔女はどこにでもいるのです。王が居ない間に、長女の長男が猟銃で自分の足を誤って撃ってしまいました。まだ、13歳の子供に銃を与える父親(離婚済み)もバカです。ちなみに、スペインで猟銃を持てるのは14歳からです。

 病院へ母親やおばあちゃん(王妃)、皇太子一家が見舞いに現れるのに国王の姿が見えません。王様はどうした?でした。何しろ、その子は国王の初孫で、おじいちゃんが知ったら、大目玉を食らうと泣いていたのです。皇太子には女の子とは言え跡継ぎ出来たので、直の繼承からは外れますが可愛い孫の事故です。そのうちに現れるだろうと思っていたら、王自身が怪我をして病院へ担ぎ込まれたのです。天罰でしょうか?アフリカでバンガローの階段を踏み外して転んで、腰の骨を折ってしまいました。金曜日の夜中に急遽マドリードへ戻って、そのまま病院へ直行、すぐ手術でした。これで、すっかりバレバレで、ラホイ首相も国王がアフリカへ象狩りに行っていたのを知ったのです。追い打ちをかけるようにまずかったのは、手術が済んだ土曜日は第二共和制の81周年記念日でした。

 早速、王政廃止、共和制復活を訴える左翼が噛み付きました。国民が家計のやりくりで苦しい時に、アフリカで象狩りとはなに事だ!と。泣きっ面に蜂はそれだけではありません。王が手術中の週末は王妃もスペイン不在でした。ギリシャ王室から嫁いだソフィア王妃はギリシャ正教会の復活祭のために里帰りしていたのです。もう、しょうがないわね、とばかり、今朝アテネから戻ったその足で病院へ行きました。体もガタガタなのだから、もう隠居して44歳の皇太子に任せちゃえばいいのですよ、お爺ちゃん。よりにもよってこんな時に、ですが運の悪いことは重なるのが古今東西の教えのようです。それにしても日本の皇室は大人しいです。まぁ、オッサンと呼べるスペインの王室も庶民的で悪くありません。これはお国柄の違いですね。
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生ハムの脚の末路は…。

2012-04-15 12:00:00 | スペイン日記

ファバダ

 復活祭でワインを飲み過ぎて二日酔いになりました。スペイン語でワインをビノ(Vino)、二日酔いをレサカ(Resaca)と言います。人にもよりますが、二日酔いだと濃い料理を避けて、水っぽい食べ物に走ってしまいませんか?

 だから餃子をつくってビールを飲んでいました、マドリードで、です。つまり、ワインからは遠ざかっていました。そんな訳で、先のブログに書いた生ハムの結末を忘れていました。食べ尽くした生ハムの脚は骨だけになっていました。二日酔いが覚めたので、バラして、生ハムスープを作りました。スペイン人もここまでやるのかは知りませんが、僕は「ふた月近くの間、君のお陰で美味しいワインが飲めました」と感謝の気持ちを込めてイベリコ豚に最後のご奉公をして貰うのです。


バラした脚

 豚の後ろ脚をバラすのは、結構厄介です。関節部に小型ナイフを入れて、切ります。切り口ができたら、折り曲げて、再び切ります。こうして3つに解体したのが写真です。こうしないと大鍋に入りません。写真のようにどうしても脚の先ははみ出してしまいます。この状態で2日~3日間コトコトと煮ます。ちょっと困ることは、かなり臭います。完璧な豚の匂いです。しつこく煮込み続けると骨にこびりついていたイベリコ豚肉もすっかり落ちて、素の骨になります。それは近所の犬にあげます。犬も噛み砕くには数日かかりますが、毎日幸せそうに噛み続けます。


大鍋でグツグツ

 こうして出来上がった生ハムスープは豆料理に欠かせません。今日作ったのは写真のファバダ(Fabada)です。白いんげん豆を使った腸詰め入りの煮込み料理です。茶色のがチョリッソ(Chorizo)で黒いのはモルシージャ(morcilla)です。チョリッソは豚のバラ肉の腸詰で、モルシージャは血の腸詰です。丸いのは小さい玉ねぎです。一晩水に浸した白いんげん豆を煮ます。沸騰して白い泡がでたら、ザルにあけて水をかけます。再び豆を鍋に戻して、生ハムスープを入れて、腸詰、三枚肉、ニンニク、玉ねぎ、ローレルを加えて2時間煮込みます。途中、水を足しながら、パプリカ、ヴァージンオリーブオイルを少々加えます。豆料理は元気の付くひと皿です。


 話は変わりますが、北朝鮮のミサイル失敗はスペインのTVニュースでも新聞でも報道されました。近所の日本には迷惑な話です。憂さ晴らしではありませんが、新独裁者になったキム・ジョンウンの話です。スペインの新聞に載った、キム・ジョンウンと6年間クラスメートだったポルトガル人の話です。ポルトガル外交官の息子・ミカエロで、一番仲が良かったそうです。

 これはミカエロの思い出話です。キム・ジョンウンはスイスの学校ではウン・パクと名乗って、北朝鮮外交官の息子と言っていた。ドイツ語は不得意で他の科目も下位の成績、特に自然科学は落としてた。まあまあできたのが音楽とテクノロジーだった。勉強以外では、クラスで女の子の話はするけどガールハントはしなかった奥手で、パーティーでもアルコールがダメだった。一番の興味はバスケットだった。僕もクラスメートも、ウン・パクも僕らと同じ環境の子と思っていたが事実は結構違っていた。家庭教師だけではなく、専用コックと運転手付きだったけど、一人暮らしのせいかいつも寂しそうで、朝鮮の歌ばかりを聞いていた。そんな面を見せながらも、実は大のアメリカ好きだった。ただ、クラスでの政治のディスカッション-例えば民主主義の討論―ではいつも下を向いていた。
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