マドリーの恋人

ヤマダトミオ。 画家。 在スペイン52年。

とうとう手に入れた74641

2019-12-17 12:00:00 | スペイン日記

クリスマス宝くじ

 日本でも、スぺインのクリスマス宝くじ(ロテリア・デ・ナビダァ/Loteria de Navidad)はニュースになります。今年僕が買ったそのクリスマス宝くじの番号が74641です。写真はデシモ(decimo)と呼ぶ“十分の一券”で、その二枚を裏表で並べました。これが10枚綴りになったのを”ビジェテ/billete”と呼びます。それが当たったら5億円、二枚で一億円です。


 さて、この番号の話です。長い話になるので、来週僕が億万長者になったか?いつもの貧乏人か?だけに興味のある方は今回のブログは読まずに飛ばして下さい。12月22日の「スぺインのクリスマス宝くじ」の世界ニュースに日本人の顔が出たら僕です。


 では話を始めます。僕が住んでいる地区はマドリードの都心ではありません。東京で例えれば山手線の内側ではありません。マドリードではその山手線に当たるのが環状30号線(Ⅿ-30)です。鉄道線ではなく車の走る環状線で、もともとはマドリード(標高600メートルを超える丘です)を囲むように流れていた川が乾いたので埋め立て、6車線のハイウェイとなりました。繋げて丸くなった環状線の輪の姿を上から見たらアーモンド(ラグビーのボールの形です)に似ているので、マドリードの都心を「アーモンド」と呼ぶようになりました。スペイン語ではアルメンドラ(almendra)です。


 マドリード国際空港バラハスに着いた貴方がタクシーに都心のホテルの住所代わりに、アルメンドラの○○ホテルへお願い、と言ったら超カッコイイですね。にぎやかな都心が好きな若者はアーモンドの中に住みたがり、僕のようなアーティストは広いアトリエを求めてアーモンドの外に住みます。制作に集中している時は静寂も欲しいです。スペイン人にもアーモンド内は通勤に便利だけど土いじりができない、と不満です。


 それなりの庭が欲しいと引っ越してきたのが、お隣さんとなったホセ・マヌエルさん家族でした(以後敬称なし)。20数年前の話です。ホセ・マヌエル夫妻と男の子二人、女の子二人の6人家族でした。女の子は双子なので、いまだに見わけはつきません。私はマルタ、私はエリチョと僕の前では名乗ってくれます。


 おっと、宝くじの話でしたね。そのお隣さんとはすぐに仲良くなり、夏はバーベキューを楽しみました。彼の庭でのバーベキューはイワシを焼き、僕の庭では羊でした。なぜ、こうなったのかは、彼のバーベキューはガス火で僕のは炭火です。それもオリーブの枯れ木を炭にして羊を焼きます。このように、お互い食べるのが好きで料理もするのが分かり、ワインの好みも同じとなると、二人でワイングラスを傾ける時間が増えました。ある時、昔話になりました。


 ホセ・マヌエルの両親はバスク州(Vasco/スペインの北東、フランスのバスク州と背中合わせ)出身ですが、マドリードへ引っ越してきてからも頻繁にサン・セバスチャン(San Sebastian/美食で知られている州都)へ戻っていました。今でも、親せきはバスクに住んでいます。


 彼が8歳の時、今彼は75歳なので67年も昔のことですが事故に遭いました。彼の兄弟は6人か8人(うち一組は双子)ですが、両親と子供たちが乗った自家用車(フォードだったそうです。当時は一台の車に乗れるだけ乗れました)がサン・セバスチャンからマドリードへの帰り道でパンクをしました。子供が詰め込まれた車はバランスを崩し道路から転げ落ち、横転しました。ホセ・マヌエルは割れた窓ガラスで顔を切りました。でも、フォード車の丈夫なボディーのお陰で、その程度のケガや打ち傷ですみ家族全員の命は助かりました。


 無事にマドリードの家に戻りました。そのフォード車のナンバーが74641だったのです。本当に怖い思いをしたのでしょう、ホセ・マヌエルの頭には車のナンバー焼き付いてしまい、今でも覚えています。さて、これで宝くじの番号の出どころは分かりました。これから、なぜ?今?その番号を?の話になりますが、眠くなった方はどうぞお休みください。


 僕は近所の銀行へ行った帰りに宝くじ屋に寄ります。銀行から宝くじ屋へ足が向かうのは、21世紀の銀行は金を失うところだからです。その穴埋めに自然と足が宝くじ屋へ向かうようです。でも買うのは“木曜日抽選”の3ユーロ(350円ですが感覚的には日本のワンコイン)の宝くじです。他に土曜日抽選の6ユーロ宝くじ券もあります。3ユーロはバルで払うワイン一杯代なので、外れても惜しくもないです。当たったら二杯飲みます。


 ほぼ毎週買うので、店のおばさん、おじさんとも顔馴染みです。買うのは毎週決まって末尾7です。ラッキーセブンにあやかったわけではありません。何番でも同じなら7でいい、と選ぶのが面倒なだけです。宝くじ屋の人も僕の顔を見たら末尾7番を出してくれます。クリスマス宝くじも毎年買っていますが(40年間)当たりません。これは決まった末尾を買うわけでもなく、その時の気分次第です。


 で、この夏休み前にひらめきました! どうせ買うならホセ・マヌエルの家族を救った自動車ナンバーを買おう、と。それと僕はいまだにビジェテ券を買ったことがありません。毎年デシモ券、十分の一券でした。自分一人で買うのではないけれど一度は手にしてみたいクリスマス宝くじビジェテです。で、ホセ・マヌエルに「どうだ、その番号のビジェテを一緒に買おうじゃないか」と持ち掛けました。二つ返事でOKだったので、その宝くじ屋に74641の番号を探してもらいました。


 もし、自分の気に入った番号があったら、宝くじ屋はデジタル印刷をしてくれます。が白い紙に数字が印刷されているだけで、レシートと同じです。クリスマス宝くじには欠かせない聖家族のイラストはありません。それでもちゃんとした宝くじ券ですが、何か寂しいです。なので、ビジェテ(10枚綴り)を二枚買うからと宝くじ屋に頼んだのです。


 ホセ・マヌエルは兄弟が多いので一枚では足りません。それぞれが買った十分の一券を兄弟だけではなく、従妹たちとも交換します。10枚綴りで一枚のビジェテは200ユーロで2万5千円です。2枚で5万円です。宝くじ屋の話では、夏のヴァカンスが終わったら全国の宝くじ屋が持っている宝くじ券を交換するそうです。その時にその番号を探してくれることになりました。


 僕は制作に追われていたのでそのことを忘れていましたが、9月の末にいつもの銀行の帰りに寄ったら「残念だけど希望の番号券はなかった、ごめんね」と言われました。そのことをホセ・マヌエルに話して二人で、仕方がないね、とバルで飲みました。彼もレシートみたいな宝くじ券は嫌で、クリスマス宝くじ券は昔からの印刷だ、でした。そのあと僕は日本へ帰って個展をオープンしました。11月にマドリードへ戻ったら、ホセ・マヌエルから電話がありました。「トミオ、個展はどうだった?」「一杯飲むか?」と近所のバルで会いました。


 で、彼は74641の宝くじ券を僕の前に出しました。その番号を手に入れたのです!彼がバスクの友達に話したら、根気よくネットで探してくれました。オビエド(Oviedo/スぺインの北で、バスク州の隣のアストゥリアス州の州都)の宝くじ屋が持っているのが分かり、ホセ・マニュエルは電話をしました。相手に送金をしたら宅配でビジェテを送って貰えました。宝くじは運です、見つかったのも運です。これで当たらなかったら、僕は神様に石をぶつけます。ホセ・マヌエルに宝くじの代金を払い、これは宅配代だ、とワインをおごりました。

抽選会の丸かご大と小

 抽選日は12月22日です。抽選方式は昔からの“伝統スタイル”で0から99999までの玉が入った巨大な丸かごと一等から末尾賞までの玉が入った小さい丸かごを同時に回します。出た玉の数字と賞を子供たち(サン・デ・イルホンソ学校の生徒)が歌い上げます。半日もかかる大イベントですが、クリスマスには欠かせません。生活に困っている人に当たるとテレビを観ているスぺイン人も一緒に涙を流します。


 前歯の欠けたお婆さんに市場の肉屋で買った“孫券”が当たった映像には、もう涙、涙ですね。孫券とは、肉屋が買ったビジェテを客に2,20ユーロ(250円)で売る、100分の一券です。お婆さんに一等が当たれば500万円で、外れても完売した肉屋には220ユーロ入るので一割の儲けです。パン屋はひ孫券(千分の一)を客にタダで配ります。来年もご贔屓に、です。どれも年末の心温まる行事です。


 賞金額はビジェテ(10枚綴り)単位なので、一等賞は4百万ユーロです。日本円でほぼ5億円です(写真の宝くじ券は十分の一券なので5千万円)。スぺインの宝くじの魅力は一等から五等まですべての賞は当たり番号だけです。いたって単純で、組番号もシリーズ番号もありません。同一番号のビジェテ券が170枚ほどあるので、一等だけの賞金総額だけでも850億円になります。


 庶民は写真の十分の一券(デシモ/decimo)を買います。デシモ券は20ユーロ、2500円ですが、一等が当たれば5千万円です。それで家が買えます。二枚持っていれば一億円です。買った家にデザイナー家具を入れ、友達を招待したお披露目パーティーには生バンドも呼べますね。急にみみっちくなりますが、末尾でも元金は戻ります。抽選日までスペイン中をバラ色の夢で染めてくれるのがクリスマス宝くじです。

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奈良井宿

2019-12-10 12:30:00 | スペイン日記

諏訪湖の紅葉

 2週間の個展の間は毎日画廊に居ました。作品を観に来て頂いた方々にお礼を言い、話し、個展の感想を聞くのは僕にはとても勉強になりました。マドリードでの個展はひと月単位なので毎日は行きません。画廊に居るのはオープニングの時だけで他の日は気の向いたときに顔を出す程度で、基本的には画廊任せです。


 ヨーロッパと日本の違いをあげ始めたらきりがありません。郷に入っては郷に従えですが、ギャラリーQとは2年後の2021年の秋の企画展契約にサインができました。スぺインに住んでいる僕ですが、銀座で個展をするようになって思うのは、日本の画廊もヨーロッパのように契約社会なったことです。金銭の話ではなく、その条件で契約する、です。マドリードの画廊で個展を開くときも、まずは契約です。


 昔、ユダヤ人の画商から教わりました(スぺインの旧都トレドはユダヤ人の街でした)「契約書が2枚以上だったらサインするな」。つまり詳細なことは人種の文化の違いで起きる程度のことなので内容は大筋だけにしろ、です。問題が起こったら裁判所で決着をつけるので、詳細を契約書に盛り込まれたら裁判が長引き、お互いが損をします。あくまでも自分のタフネス(行動できる若さ)と経済力(当時は高利貸しの信用度)で判断をしなさい、です。

奈良井宿の紅葉

 日本の画廊も日本人同志のなれ合いから外国人アーティストも受け入れ始めて、契約が前提になりました。日本では「裁判所」と聞くと悪いことをした罪人を裁くような意識ですが、ヨーロッパではあらゆる人種が自分の正当性を訴える場所です。紀元前のローマ時代の市民議会での審判と思って頂ければ話は早いです。まぁ、日本の家庭裁判所で扱う程度の訴訟です。


 おっと、話はそれました。このように、次回の日本での作品発表の場が確保できたので羽を伸ばして日本の紅葉を楽しみに行きました。僕は日本の箱根の“紅い”紅葉しか知りませんでした。日本語を疑われそうですが、紅葉だから紅い、のは当たり前です。


 今回は諏訪湖へ行きました。諏訪湖を囲む紅葉は黄色でした。時期が早かったのかもしれませんが、スペインの紅葉も黄色です。木の種類や標高で紅葉の色も違ってくるようですが、湖を囲む山の姿が“こんもり”でそれが黄色なので、優しい山に映りました。

奈良井宿

 “スぺイン紅葉”の黄色い林はそれぞれが壁のように突っ立っているので“とんがった山”です。日本の林は小さい葉が重なった木が集まっているのでしょう、林の陰は消えて山は機械編みのセーターを着ている感じです。スぺインの木はガッシリとした葉に包まれて、それが林となっている山は手編みの黄色のフィッシャーマンセーターを着込んだ感じです。


 それともう一つ、湿気の多い日本は太陽光が空気中で乱反射するのでしょうか、陰がとても柔らかいです。異国で旅人となったスペイン人の心を優しく包むのが日本の風景なので、リピーターが絶えないのだと思います。紅葉にセットが温泉です。

 

 神保町のマンションにはシャワーだけでした。大家さんが銭湯を見つけてくれましたが、古本屋街のメインストリートには外国人観光客も歩いています、マンションから歩いて15分の銭湯に“手ぬぐいを肩にかけて下駄ばき”の雰囲気はすでにこの街にはありません。日曜日に行けば? ですが、あいにく僕が宿泊した10月と11月の週末は「本屋フェスティバル」で神保町の裏道も人でごった返していました。

奈良井宿

 マンションの隣の広場は児童書店のワークショップが所狭しと並び、童話のぬいぐるみも出てきたので子供で溢れていました。とても風呂上りの浴衣の爺さんがウロウロするような世界ではありませんでした。なので、諏訪湖の温泉は夢に見た日本の温泉でした。広々した湯船から諏訪湖を眺め、体を温めました。


 翌日は奈良井宿へ行きました。中山道周辺には宿場町が多いと聞きますが、奈良井宿は初めてです。宿場町が欧米人観光客に大人気なのは、絵に描いたような昔の日本家屋が並んでいる! は間違いありません。マドリードに住んでいる僕の家はレンガ造りです。僕でさえも、童話の「三匹の子豚」ではありませんが、突風で吹き飛ばされそうな昔のままの木造りの日本家屋を目の前にすると、本当に建ってるの?と体ごと寄りかかって試したくなります。先祖代々石造りの街に住んでいるヨーロッパ人は僕以上にその衝動に駆られると思います。


 その家屋の街並みが創り出す和やかな風景は昔の日本人の旅人にも同じように映ったと思います。台風があったせいなのか奈良井宿は寂しいくらい観光客が少なかった。それがよかったのか、一軒一軒ゆっくりと眺め、写真を撮りました。お土産屋の陶器や漆食器が通りまではみ出していない街のたたずまいはシックでした。

 

 宿場町としては、黒く統一された家並みは揃いすぎ、きれいすぎかもしれません。保存に力がそそがれているのは十分に感じます。スペイン人に紹介したら、きっと気に入ると思います。この家並みをバックにフラメンコを踊るスペイン人ダンサーが現れるかもしれません。スぺインのパンプローナで有名な「牛追い祭り」ですが、それに合いそうな穏やかなスロープをもつのが奈良井宿のメインストリートです。駅前の街の入り口から終わりの神社までは一キロくらいの距離ですが、そのメインストリートに真っ黒い闘牛を走らせても絵になる奈良井宿です。気に入りました。

奈良井宿

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2019年の個展・NO・ZO・KI

2019-12-03 12:00:00 | スペイン日記

ギャラリーQの個展

 

 今回の個展「のぞき」は僕の期待どおりに、観に来られた方々には楽しんで頂けました。「気難しい美術」ではなく、覗いて笑っていただけたと思います。高尚な美術を求めて来られた方には肩透かしだったと思います。僕がしたかった個展ができて、アーチストとしては満足でした。今回は東京へ向けて10月の初め頃にマドリードを発ちました。イベリア航空の直行便は成田空港まで13時間のフライトです。

 

 機内はスペイン人ツーリストで満席でした。たまたま、6人全員60代後半と思われるスペイン人グループと話しました。一人だけ、コンニチワ、アリガトウのあいさつ程度の日本語を話せますが、残りは全くダメです。ツアー旅行ではないので、ガイドはいません。「困らない?」と聞いたら、一人がスマホの翻訳アプリ「日本語-スペイン語」を開いて、これで大丈夫、とニコリとしました。何事にも臆さない、ラテン的と言うのか、こういうスペイン人が日本中を旅行しています。この直行便はほぼ毎日飛んでいます。

 

 これだけでもかなりの数のスペイン人ですが、乗り換え便も含めたら大勢のスペイン人が日本中を旅行しています。マドリードのバルで飲んでいても、見知らぬスペイン人から、日本へ行った、と声をかけられます。マドリードには相変わらず中国人のスシヤは多いのですが、この数年、スペイン人がラーメン屋やアジア風にアレンジした日本料理屋を始めました。今回は神田神保町に宿泊しましたが、神保町界隈の食べ物屋よりもマドリードの「それ風」日本レストランの方がモダンで綺麗です。

 

 13時間のフライトを我慢して成田空港に着きました。そこではスーツケース3個の宅配、ユーロの換金、スマホの日本国内用SIMカードを購入、都心へ向かう電車の切符購入やスイカのチャージ、借りるマンションの大家さんへの連絡等々をしないと、翌日からの日本生活がスタートしません。あわよくば「美味しい刺身を食べる」です。国際空港は世界中どこでも同じようにどこでも不慣れの外国人観光客の列ができ、あまり進みません。

ギャラリーQの個展

 とは言え、その僕も、機内では眠なかったので頭がボ~として、着いたばかりの時は日本語がよく理解できませんでした。耳には日本語として入ってきますが、頭が理解するまでにズレがありました。こういう時は“ビール一杯が頭の回転をスムーズにする”とあるはずのないバルを探してしまう自分に「ここは日本だ」「缶ビールはコンビニだ」と納得させるもどかしさ。結局、刺身は夜のお楽しみに回し、空港を後にして都心に向かう電車に乗り込みました。

 

 車中で缶ビール大を二本(1ℓ)あけたらウトウトしてしまいました。無事に神保町のマンションにたどり着いて、その夜はサンマの刺身にありつけました。でも神保町に落ち着いて二日目、これから美味しい日本料理三昧だ!と思ったら、台風です。マドリードで台風は庶民生活とは無縁です。テレビを付けたら、前代未聞の台風19号が関東を襲います、と言うではありませんか! ワンルームマンションには僕一人です。そのワンルームマンションのあるビルには誰も住んでいません。

 

 まさか台風で店が閉まり、地下鉄は止まるとは想像もしませんでした。でも本当に周りのコンビニも焼き鳥屋もカレー店もすべてが“クローズ”してしまいました。通りは突風でゴミは飛ばされ、豪雨は流れ、猫も歩いていません。同じ直行便で日本へ着いたスペイン人達はホテルでビックリしているだろうなぁ、と思いましたが、自分のことが先です。

 

 まだどこにスーパーマーケットがあるのかはわからないので、マンションの冷蔵庫は空っぽです。手元にあるのはスペインから持ってきたビスケット一袋(機内で食べるつもりでした)と成田空港で買ったサンドイッチ(車中ではビールで寝てしまい食べず仕舞い)とつまみに買った柿の種だけです。コンビニが近くにあったので、ビールは買いました。友達のお土産に持ってきたスペイン産イベリコ豚の極上生ハムは数キロあります。検疫犬の鼻を騙して無事に成田税関をパスした代物です。僕が食べてしまったら友人の喜ぶ顔が消えてしまいます。

覗いた目

 絵描きは自分の作品以外にも荷物が多いものです。スペインを出るときに主治医に「時差があるから」と睡眠薬を出してもらいました。台風が東京を襲った夜は柿の種をほおばって、ビールを飲んで、睡眠薬で爆睡をしました。翌日の夕方には神保町は平常に戻り、カレーが食べられました。スペインから持ってきた12本のワインも3キロの生ハムも手を付けずに済みました。

 

 日本に着いた初めの一週間は「台風19号」で潰れました。翌週は数件の画材屋を回り、作品を組み立てるための数種類の接着剤を買い求め、仕上がりの実験をしました。紙がベースの今回の作品は日本の湿気に合う接着剤が必要でした。ですが、一週間様子を見た結果、スペインから持ってきたベルギー製の接着剤が日本の湿気には合っていました。

 

 個展オープン前日の丸一日を使って、画廊での作品組み立てを予定していました。が、友達が組み立てた作品を彼の車で銀座まで運んであげるよ、と言ってくれました。おかげ様で残りの一週間をかけて15点の作品をマンションでたっぷりと時間をかけて組み立てることができました。その一週間は、起きたら皇居の周りをジョギング、昼間は作品を組み立て、夕方は神保町界隈を飲み歩きました。

覗いた口

 ジョギングですが上り坂はウォーキング、下りと平坦地だけをジョギング、と言うユルユルです。どんどん抜かれるので、端っこを走りましたが、外国人が多いのに驚きました。それも欧米人が多かったのはラグビーW杯を観に来ている人達だったのでしょうか?

 

 泊まった神保町は初めての街で、右も左も分かりません。でも、友達が“本屋と学生とカレー屋の街”と教えてくれて飲み屋にも付き合ってくれました。昭和の香りのするビアホール(マドリードのカフェ・ヒホンの雰囲気でした)、70年代の薄暗い喫茶店(マドリードは大理石のテーブルでしたがここはニス塗りの木の“べと”が懐かしい)、両端が閉じられていない、いい加減な餃子の店、生き残ったから価値がある店が多いのは、さすが古本屋街です。銀座から比べたら安いですが、マドリードと比べたらアルコール代(ビールは倍です)は高いので、スペイン人がマドリードのバル巡りの感覚で飲み歩いたら破産しそうです。

美大の生徒さん達

 バル巡りは酒(ワインやビール)がメインでつまみのタパスはあくまでも酒の友です。夕飯ではありません。EUワインもこの4月から関税フリーか値下がったのでスペインワインは安くなっていいのに、3倍の値段でした。スマホに翻訳アプリを入れて旅をするスペイン人はワインではなくホッピーを飲むと思います。そのうち、マドリードにもホッピーバルができるかもしれません。

覗く貴方の姿も僕の作品です

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