マドリーの恋人

ヤマダトミオ。 画家。 在スペイン52年。

財宝450億円を奪われた海賊

2012-02-28 17:00:00 | スペイン日記


 宝探しの冒険談を一つ。宝探しは子供が誰でも夢中になる遊びだが、それを大人になっても続けていられたら「男のロマン」だ。そんなことをやっている「時代錯誤人種」は、やっぱりアメリカ人だった。

 オデュッセイア(Odyssey)と呼ぶ立派な名前の宝探しの会社がカリフォルニアにあるとは驚いた。仕事は世界中の海底に沈んでいる船の財宝を探しまわる「海賊」だ。う~ん、素晴らしい!社員は顔じゅうヒゲだらけだ。それも素晴らしい!その昔、スペインが中南米から山ほどの金銀を奪ってきた話はあまりにも有名だ。話は1804年のことで、ペルーから金銀貨幣を運んでいたスペイン海軍の帆船が、大西洋上でイギリス海軍の砲撃を食らって沈んだ。その歴史的事実を頼りにオデュッセイアは何年も探し続け、とうとう、その財宝を探し当てた。

 やったぜベイビー!!と叫んだ報酬は60万の金銀貨幣で、21トンの重さ。時価・4億万ユーロ(ざっと、450億円か)。5年前の2007年の出来事だった。ところがスペイン政府は男達のロマンを打ち砕いた。財宝の所有権はスペイン国家にあると、オデュッセイアに返却を訴えでた。おいおい、200年間も放っておいて、今頃になって「私達のものです」はないだろうよ。確かに大西洋の海底にはスペインの船がかなり沈んだままになっているので、それらを全て引き上げる資金は今のスペインにはない。それにしても、全部を返せ、はないだろう。せめてオデュッセイアに引き上げ代金くらいは払ってもいいのではないか。スペインの博物館にはこの手の貨幣は沢山あるではないか。オデュッセイアもすごすごと返さないで、発見した海の底に貨幣をぶちまけて、そんなに欲しかったら自分達で引き上げろ、と啖呵の一つを切ってもよかったのだ。それが海賊魂だ。

 だが現代の海賊は紳士になってしまった。スペイン政府の訴えがカリフォルニアの裁判所で認められたのは、貨幣を運搬していた船がスペイン海軍の帆船だったからだ。商船だったら少しは海賊の方に有利な判決になびいたようだ。ペルーも所有権を訴えたが、金銀の延べ棒ならまだしも、リマで鋳造されたスペイン貨幣(カルロス四世の肖像入り)だったので主張は難しい。

 財宝は昨日(2月26日)マドリードの空軍基地へ戻ってきた。でも、スペイン政府はあの船にはもっと積まれていたはずだ、とすんなりと返却に応じた海賊を疑っている。確かに、大西洋と言え、今回の発見場所はポルトガル南部の海底だったので、オデュッセイアは引き上げた財宝を一時、近くのイギリス領のジブラルタルに保管した。そこにまだ財宝の一部を隠し持っているのなら、それこそ大海賊だ。それは手間賃だ。疑り深いスペイン財務省は、これから60万の貨幣を一つ一つ数えて帳簿と照らし合わせると言う。

 ただ今回の事件で驚いたことは、いい加減なヤツらだ、と思っていたまわりのスペイン人のお祖父さん達は結構几帳面だったことだ。きちんと船積み書を作って200年間も保存しておいたのだ。鋳造した貨幣の帳簿は財務省のお役人の仕事だが、どこの国でもしっかり者がいるものだ。男のロマンがどんどん消えて行くのが寂しい。
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禁じられていたカーニバル

2012-02-21 12:00:00 | スペイン日記

 スペイン語ではカルナバール(carnaval)。ブラジルの「リオのカーニバル」が世界的に有名だけど、ヴェネツィアの仮装カーニバルがヨーロッパ調ですね。スペインではフランコ独裁時代はカーニバルが禁止されていた。祭りに混じってフランコ暗殺を企てた輩がいたらしい。特に、マドリードはキツークご法度だったので、30年以上もたった今でも盛り上がりに欠ける。学校でも子供たちは仮装をしたり、マドリードの目抜き通りで仮装デモンストレーションをするけど、ぱっとしませんな。

 でも、禁止されると、わざとやっちゃう人たちは居る。アンダルシアのカディスやカナリア諸島の人達がそうだった。カディスのカーニバルはチリゴタと呼ばれる仮装した合唱団が皮肉や風刺を歌う。グラン・カナリア島やテネリッフェ島のカーニバルは十分に派手だけど、リオのサンバのリズムで踊る、あの規模ではない。
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ユーロ危機でも地中海は楽しい

2012-02-16 12:00:00 | スペイン日記


 経済に疎い、ひとりの日本人の僕がヨーロッパ経済のことに口を挟むことははばかれる。だが、一応、マドリードで生活をして税金もこの40年間スペイン国庫に収めているので、あえて言わせて貰う。スペインがギリシャのようになったら、ユーロから脱退して昔のペセタに戻って欲しい。こんな無責任な言葉を吐いたら、まわりのスペイン人から石を投げつけられると思う、きっと。何故って?

 スペイン人の性格では重税に喘いでもユーロから脱退はしない。食料が底をついたスペイン市民戦争を生き抜き、その後の貧しいフランコ独裁時代にも耐えぬいた貧困根性がある。でもギリシャの場合、国民の65%がユーロ脱退を望んでいる。EU(欧州連合)から脱退するのではなく、たかが、ユーロ組合から抜けるだけではないか。ドイツ人は口では言わないが心の中では「ギリシャよ、ドラクマに戻れ」と思っている。ヨーロッパの国々がEUに加盟して通貨ユーロも出来たお陰で、製造業がお家芸のドイツには製品を売り込む市場が一気に拡大した。すごく儲かった。そんなユーロ市場の一部のギリシャを失うのは惜しいけど、まだまだこれから旧ソビエトの国が仲間に増える。そっちのほうが将来性はある。確かに、一回目のユーロ支援を受けながら約束を実行していないギリシャは悪い。口約束にうんざりしたドイツや金を貸す国がギリシャに契約書にサインしろと迫るのはもっともだ。でもさ、ギリシャ、イタリア、スペインなどの地中海メンバーはゆるい財政管理が好きなのでドイツのようにはいきません。

 僕はこのいい加減さが好きでスペインに住んでいるので、嫌だったら几帳面なドイツ人と住んでいます。そんなに遠くない昔、ギリシャには世界の海運王・オナシスがいた。金の使い道に困った彼は、スペインのヴァレンシア・オレンジを毎日自家用ジェット機で取りに行かせて、再婚した、元ケネディ米大統領夫人・ジャクリーヌの朝のオレンジジュースにしていた。そんなオナシスもギリシャ国庫にはきちんと納税していなかったけど、エーゲ海を人一倍愛した地中海洋人だった。ドイツの皆さん、地中海が凍らない海なのは、稼いだ金が湯水のように消えていくからなのですよ。いっそうのこと、ドイツがユーロに見切りをつけて、マルクに戻ったほうが丸く収まるかも知れない。

 そして、ドイツが抜けた後のユーロ組合です。

ギリシャ「カジノですっちゃった。誰か10兆円貸して」
イタリア「しょうがねぇな、シシリア・マフィアにブラック・マネーを持たせるから、ちゃんと返してよ」
スペイン「うちもヤバイから、誰か貸して」
イタリア「しょうがない、ニッポンはフクシマでだめだから、中国へまたマルコポーロを送るから、船賃だけ都合しろよ」
ギリシャ「マルコポーロ、中国には5000のドイツ企業軍団があるから、メルケル将軍には気を付けろ。へんてこな税金を取られるぞ」
ギリシャ・イタリア・スペイン「あんなに貯めこんで、何が楽しいんだろうね」
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ムシロに包まれたタピエス

2012-02-14 12:00:00 | スペイン日記


『80歳になったタピエス/TAPIES、A LOS 80 AÑOS。
 芸術家は年を取らないのか?タピエス/ANTONI TAPIES(1923年バルセロナ生まれ)の新作に囲まれた僕はそう思った。素材に魂を乗り移らせ己の中を表現するタピエスの抽象画は壁のように大きい。今回の人体がテーマの14点もそうで、ベニヤ板を墨で塗りつぶした半身画、バックを大理石の粉で埋め尽くされた乳房など全身ではないが大作揃いだ。ムシロを使った作品はなかったがシーツがカーテンのように開いた馬鹿でかい〈壁〉があった(約4×2m)。
 こんな若々しい作品を創るタピエスは化け物だ。ここはマドリードのソレダ・ロレンソ・ギャラリーで、ほとんどバルセロナを離れないタピエスが現れた。当地のコンプルテンセ大学が彼に名誉博士号を授けるので、それに合わせてのオープニングだった。現れたタピエスが80歳の老人でほっとした。化け物ではなかった。耳が遠く目も悪くなったが、タピエスは「現実は心の目で見る。二つの目で見えるのは真の現実ではない」とその昔〈シュール〉の巨匠・ダリと言い争った。肉体は衰えても精神は昔のままのタピエスはカタロニアのシンボルだ』

 9年前にある美術雑誌に載せた僕のコメントです。そのタピエスが2月6日亡くなった。89歳だった。東洋哲学を研究し続けたタピエスの夢は仙人のようになることだった。彼の作品はスペイン人よりも日本人のほうがすんなりと受け止められると思う。

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馬のシャンプーは効くのだ

2012-02-07 11:00:00 | スペイン日記
 スペインのホットニュース(la ultimanoticia)を3つ。

 ①馬用のシャンプーのバカ売れが止まらない。「ハゲの馬を見たことあるか?」。物好きか、よっぽど薄毛が気になったオヤジか誰だか知らないが、ツヤツヤした体毛で覆われた馬、それ用のシャンプーを自分の頭に使った。しばらく使ってると、抜け毛が減り、毛がしっかりとしてきてツヤも出た。それが口コミで広がり、あるスーパーの社長の耳に入った。早速、馬用シャンプーの製造元に人間用を作らせた。それを店頭に並べたら、売れに売れ続けている。商品名「シャンプー・DA. Biotina」で、ビオティナ(biotina)と呼ばれるビタミンBが入っている。専門家は「ビタミンB類は服用すれば効き目が出るが、頭皮から吸収されることはない」と話している。ワラをもつかむオヤジには馬耳東風だ。頭はハゲでも体毛は濃いのがスペイン人だ。クマのようにならなければいいのだが、この不景気風が吹き荒れる今日、ちょっと景気の良い話です。

 ②ルーブル美術館のモナ・リサの複製画がプラド美術館にあった。400年もの間プラド美術館の地下倉庫に眠っていた代物だ。ラ・ジオコンダ(laGioconda)とプラドでは呼ばれ、モナ・リサと同じモデルだ。それを数年前から修整を始めたら、真っ黒だった背景からモナ・リサと同じ風景が現れた。この3月26日~6月25日にルーブル美術館で開かれる「ダ・ヴィンチのマドンナ展」に並べるために修整を急いでいたのだが、それを美術雑誌「ザ・アーツ・ニュースペーパー」のデジタル版ですっぱ抜かれてしまった。まだ修整は終わっていないのだが、急遽発表となった。時は1503~1506年のイタリアのフィレンツェ。彼の地でレオナルド・ダ・ヴィンチがモナ・リサを描いていたが、プラド美術館のラ・ジオコンダはその横で彼の弟子が描いたものだ。同サイズなので、写真で見る限りは瓜二つ。保存状態がオリジナルより遥かに良いので、「謎の微笑」の謎が解かれるかも知れない。これが400年後の未来では、実はプラド美術館の絵が本物だった、となりかねない。歴史は時間と共に色褪せる。でも、あまりにも物事が手際よく展開するので、ルーブル美術館での展覧会の前宣伝にサルコジ大統領がチクったのでは?と勘ぐりたくなる。奥さんはイタリア人だし。

 ③2月4日のスペイン社会労働党(PSOE)の書記長選ではベテラン政治家・ルバルカバ(Rubalcaba)が勝った。首相として立候補した2ヶ月前のスペイン総選挙では、ペーペー党(P.P.国民党)のラホイ(Rajoy)に大敗をきしただけではなく、PSOE(ペーセ・オーエ)シンパの4百万票を失った。ペーセ・オーエ党始まって以来の最低国会議席数だった。日本人の感覚では責任をとって、一時的にでも退く。ところが、大敗は自分の責任ではありません、とばかり書記長に立候補するところがスペイン人の面の皮の厚さだ。ルバルカバの対抗馬は前サパテロ政権で防衛大臣を務めたチャコン(Chacon)女史だったが、僅かな差で敗れた。まだ40歳の若手女性なので党の改革にはうってつけだと思った。ただ個人的な感覚で言わせてもらうと、妊娠のデッカイ腹を突き出しての軍隊謁見は、そこまでして「政治をする女」をアピールするか?だった。あれはいただけなかった。ラホイ新首相にとってはお互い古狸同士のルバルカバが野党の党首になったので、わけわからぬネーちゃん(チャコン)よりも安心したと思う。二人とも(ほぼ60歳前後)、吸うのは葉巻、贔屓はレアル・マドリードだ。これでは、3月のアンダルシア州選挙ではペーセ・オーエ党は再びペーペー党に負ける。ペーセ・オーエ党にとってアンダルシアはふる里だ。そこを追い出されたペーセ・オーエ党はどこへ行く?「やっぱり、チャコンにするべきだった」では遅い。

ヤマダトミオ
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