タバルニア共同団体を立ち上げたミゲ-ル、ジャウメ、ジョアン
むかしむかし、そのむかし、スペインはカタルニァ(Catalunya)のお話です。バルセロナ(Barcelona)とタラゴナ(Tarragona)の間に小さな美しいタバルニア国(Tabarnia)がありました・・・。青い地中海の温暖な町には世界中の花が一年中溢れていました。人々は自由を謳歌して、生活はとても豊かでした。スペイン語とカタルニァ語を話し、スペイン各地とも通商を通して文化交流も盛んでした。
でも、カタルニァがスペインからの独立を宣言したので、スペインに残りたいタバルニア国の国民は立ち上がりました。銃や大砲の代わりに、タバルニアの人々はユーモアとダジャレをもってカタルニァに対抗しました。国外に亡命をしたタバルニア国大統領はテレビ演説を通して国民を励ましました。
では一部ですが、パロディにあふれたとても楽しい演説をご紹介します。「国民の皆さん、私はタバルニアには居りません。こうした亡命先からの演説をお許しください。私は道化師かも知れません。でも私はカタルニァの道化師(ブリュッセルに逃亡中のカタルーニャ州前首長・プイデモンのこと)から比べたら、まだまだ、未熟な見習いです。なぜなら、国庫を空にしたり、国を分断したりはしていません・・・・・」と昔ばなしを語るようなことが現実に起こりました。
まだ架空の国ですが、カタルーニャ州がスペインから独立するなら我々はカタルーニャ州の中に独立国タバルニアを創る、とタバルニア共同団体が立ち上がりました。大統領にはカタルーニャ人の人気劇作家・アルベルツ・ボァデジャ(Albert Boadella)がなり、プイデモン前首長のようにテレビ演説をしました。彼は舞台役者でもあります。ボァデジャ演じるタバルニア国大統領のプイデモンを真似たジェスチャーには腹の底から大いに笑えました。彼の後ろには、ヨーロッパ連合旗、スペイン国旗、タバルニア国旗が並びました。
やっと独立に反対を声明する組織団体が現れました。この団体は「ユーモアをもって訴える」がモットーで政治団体になる気はありません。今までは極左翼からの暴行を恐れたカタルーニャ人は声を大にして独立反対を訴えませんでした。学校で子供がいじめにあうのを恐れてかスペイン語学習の足りなさ訴える父兄は少数でした。30年間続いたカタルーニャ民族主義党治政はカタルーニャ州民の言論の自由を奪っていたのです。バルセロナでは独立派がインテリで反対派は田舎者です。
ボァデジャの大統領演説
先週、カタルーニャ州議会長には独立派のトレンツ氏(Torrent)が選出されました。次は州首長の選出です。独立派は前首長のプイデモン氏を推しますが、国外逃亡中の彼にはその資格がありません。クーデターを起こしたのも同様のプイデモン前首長は帰国したら造反罪でブタ箱入りです。それともブリュッセルからネットでカタルーニャ州の治政が本当にできると思っているのでしょうか?
独立だけが州の議会問題ではなく州民の毎日の生活問題も重要です。独立派のカタラン人も現実に戻る時で、カタルーニャ州はディズニーランドではありません。1月30日が州首長の投票日ですが、議席の過半数は独立派です。選出される首長は誰にせよ独立派です。議席数ではトップになった護憲派のシウダダノス党(カタルーニャ市民党)に首長の道は閉ざされましたが、嘆くことはありません。スペイン国憲法においては勝者の権利は認められますが敗者の自由も尊重されます。優しいのです。独立派が“独裁色”政治をしたら、その都度、護憲派は憲法裁判所に訴えるのです。
議会における嫌がらせ、護憲派党への連絡不備、ネットでの中傷、街での暴行、どんなに些細なことでもその都度訴えるのです。裁判所が訴訟を受け入れたら中央政府には政治カラーは何色であれ、彼らを守る義務があります。これを続けてカタラン人にもスペイン国憲法で守られていることを示し続けるのです。
このカタルーニャ“独立劇”にはスペイン人はうんざり、メディアがはやし立てるニュースにも食傷気味です。その反動か、バルコニーに窓に玄関にスペイン国旗を飾る家が急に増えました。それも異常と思える数のスペイン国旗です。それでなくても政治には皆は嫌気がさしています。繰り返される国民党(ペーペー/PP)の汚職や社会労働者党(PSOE)の公金横領には怒りを通り越してあきらめです。
明るいニュースはアルバイトやパート採用だった息子、娘たちの正式採用に喜ぶ親の笑顔です。飲食業、サービス業が失業者を大量に吸収しました。もう2月になりますね。「聖ブラスのおかげで日が一時間のびる」は2月のことわざですが、日ごとに太陽が高くなります。そしてカーニバルの始まりです。春が来て、3月はヴァレンシアの火祭りです。祭りとワインは嫌なことを忘れさせてくれます。
スペイン国旗を飾る家