マドリーの恋人

ヤマダトミオ。 画家。 在スペイン52年。

続く飛行機の墜落事故

2014-07-28 12:00:00 | スペイン日記

スウィフト航空機の墜落現場 写真全てのソース元:(RTVE1より)

 「飛べ!フェニックス」と言う映画がありました。1965年のアルドリッチ監督のオリジナル版の方で、ゴビ砂漠でロケーションしたリメイク版ではありません。舞台はサハラ砂漠で、砂嵐に巻き込まれたプロペラ双発機が、もう墜落だぁ!となりながらかろうじて不時着して、乗客と荷物は九死に一生をえます。どうして荷物も九死一生なのかは、どちらかといえば貨物機の余ったスペースにとりあえず人が乗っていたような飛行機でしたからです。

 ジェームズ・スチュアートが演じたパイロットの操縦の下手さを生き残った乗客が墜落の原因だと罵ります。でも、砂嵐に突入したのはアル中の航空士のせいですが、本当の原因は乗客のラジオが計器を狂わせたのです。その後は、生き残った汗臭い男どもがドイツ人技師の指導で飛行機を組み立てて砂漠からの脱出に成功します。このドイツ人技師(クルュ-ガ-が演じる)が嫌なやつで、絵に描いたよう自己中でおまけに優越感プンプンのドイツ人なのです。

 でも物語のオチはこのドイツ人技術者、バラバラになった双発機を単発機に仕立てあげた立役者なのですが、彼の専門が本物の飛行機造りではなくて、たんなる模型飛行機(プラモデル?)だった、と言うところです。何回観ても最後にするクルューガーのこの告白シーンが大好きです。僕も双発機でサハラ砂漠を飛びましたが、プロペラ機の良い所は低空飛行なので砂丘の創りだす光と陰の造形美を堪能出来たことと、その映画のお陰で墜落してもたすかる可能性が高いと言う安心感です。

 これは、ほかのプロペラ機に乗った時ですが、タラップを登って機内に入るとスチュワーデス(当時はまだキャビンアシスタントと呼んでなかった)が立っていて、乗客を上から下までジロッとみて、貴方はこっちの席、貴方はあっちの席と選別していました。別に人種差別では無くて、乗客の体重を目測して、機体のバランスを取るためです。ちなみに僕が初めてヨーロッパへ来る時に乗ったスカンジナビア航空機はすでにジェット機でしたが、前半分は人間で、シートをたたんだ後ろ半分は荷物でした。

 ついでに、ジャンボ機が飛び始め頃の話です。すでにマドリードに住んでいましたが、当時はトランスワールド航空(TWA)がヨーロッパ巡回便をジャンボ機で飛ばしていました。機内の天井からローマとかチューリッヒとフランクフルトかと書いた掲示板がぶら下がっていて、マドリードから途中乗車(途中乗機ですね)した僕は自分の行き先の看板の下当たりの席に座っていた訳です。機内放送で到着した空港をアナウンスされたら「途中下機」します。確か僕はパリで降りたと思います。昔も今に劣らずユニークなヒコーキが飛んでいました。


スウィフト航空機の墜落現場

 この7月はマレーシア機、台湾機、アルジェリア航空と墜落事故が続きました。墜落の原因も場所も異なり、マレーシア航空機はミサイルに撃ち落とされてウクライナに墜落、台湾の復興航空のプロペラ機が台風に巻き込まれて、アルジェリア航空機は砂嵐に巻き込まれて、と立て続けに墜落しました。どれもこれも悲惨ですが、ミサイルは言語道断で、墜落現場が紛争地だったのも最悪です。事故ニュースを見ながら、国連軍が何故直ちに現地入り出来ないのか!と苛つきました。ホント、国連って何のためにあるんでしょうか?

 アルジェリア航空機は映画「飛べ!フェニックス」と同じ砂嵐が原因ですが、この砂嵐って上空1万5千メートルまで届き(ジェット機は普通高度1万メートル)、中はカミナリやヒョウで本当に「嵐」のようだそうです。飛行機が突入したら生きては脱出が不可能のようです。砂嵐の起きたのはサハラ砂漠の南、サヘル砂漠で、今頃はカミナリを伴った砂嵐が頻繁に起きる時期のようです。

 この当たりはレーダーの完備がお粗末で、世界で一番航空事故の多発する航空路で、下ではマリの政府軍とフランス軍の合同軍がイスラム原理主義テロ団を相手に地上戦が続いています。こういう「超危険区域」だという情報は事故が起こってから一般の知るところとなるのが常で、この航路の墜落の頻繁度は世界平均の6倍!と言うデータ結果です。

 このアルジェリア便は夜中の1時にブルキナ・ファソ国の首都ワガドゥグを発ち明け方の5時にアルジェリアのアルジェに到着予定でしたがマリのサヘル砂漠のゴシに墜落しました。乗務員と乗客合わせて116人が乗っていましたが全員死亡しました。乗客の半数近くの51人はフランス人だったので、フランス政府が墜落事故の調査を進めることになりました。ところが、乗務員6人はスペイン人でした。


スウィフト航空機の墜落現場

 運行はアルジェリア航空がしていましたが、機体はスペインのスウィフト航空会社(SwiftAir)のジェット機でした。スウィフト航空はアルジェリア航空に機体と乗務員と整備を提供していたわけで、まぁ、ハイヤーですね。僕は一度何の用だったのか覚えていませんがバラハス空港の倉庫エリアにあるこの会社へ行った記憶がありますが、てっきりカーゴ専門の航空会社だと思っていました。

 この事故で、北アフリカとヨーロッパ間を人間も運んでいる航空会社で、創業28年、従業員400人、所有機30機だと知りました。スペイン新聞El Mundo(エル・ムンド)によると、叩けば埃が出てくる会社のようで、スペインパイロット組合(Sepla)からパイロットや乗務員の待遇がひどい、と訴えられていたようです。待遇だけではなく、どうやら、副操縦士にはパイロット資格に必要なフライト時間を飛ばなければならないパイロットの卵(インターン生ですね)を使っていたそうです。

 幸いなことにその日は正式の副操縦士が乗っていて、墜落機・MD83(マクドナル・ダグラス社製)は事故の3日前にマルセイユ空港で定期整備済みなので機体不備はなかったようです。1年前の今頃はスペイン北西部のガリシア州で高速鉄道事故が起こり(スペインの高速鉄道事故)、サンティアゴ祭が中止になりました。今年は無事に祭りが催されたので、サンティアゴ守護神の写真を載せます。サンティアゴ巡礼道を走破したらこの像の脚にキスをして、サンティアゴの肩を後ろから抱きます。これで、神は貴方を守ってくださいます。もう、神に安全をお願いするのみですね。


サンティアゴの像
コメント
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