ジェロニモス修道院(左が整列をした消防隊員)
昨夜のリスボンの冷たい海風と部屋のエアコンで夏カゼをひき、起きたら寒気がして頭がボ~としています。友達は「富山の薬売り」のように全ての常備薬を背負って歩く男なのでカゼ薬を貰って朝食の時に飲みました。あいにくこのホテルの朝食にはシャンパンはなくて、飲み物は水と豊富な種類のジュースでした。軽い夏風邪には朝からシャンパンを一杯ひっかけるとアスピリンの代わりになります。
今日は一日リスボン観光のつもりですが、頭が回転しません。まずはジェロニモス修道院(Mosteiro Dos Jeronimos)を見学しようと、メトロと近郊電車を乗り継いでベレン(Belem)へ行きました。ホテルの隣がメトロ駅なので便利ですが、メトロの自動販売機ではどこまで買うのかが分からなので切符売り場で聞きました。JRのスイカの代わりになるリスボン・カードがありますが、買うにはツーリスト・インフォメーションまで行かねばなりません。面倒くさいのでやめました。
礼拝堂
メトロはマドリードのメトロよりも清潔でしたが乗ったのはたった一駅で、終点でした。アホらしい、歩くほうが簡単でした。相互乗り入れではなかったのです。次は近郊電車の切符を買わなければなりませんが、行き先と人数を言ったのに、切符売り場の駅員が僕に何を聞いているのかが分かりません。でも前に並んでいたドイツ人カップルが英語で言っていた内容を聞いていたので、適当にスペイン語で答えると往復券が出てきました。
どうやら、往復券が割安になりますよ、リスボン・カードを持っていますか、他のツーリスト割引券は、年金カードは(これは想像です)、と爺さん(僕です)に親切をしてくれていたのです。僕としては、何でもいいから早くしてくれ! でした。改札口は上だ、と言うので上がったらそこには外国人でも簡単に買える自動販売機が並んでいるではありませんか!結局、下のメトロの出口にあった緑色の切符売り場は何だったのか? カゼで回らない僕の頭を混乱させられただけです(くそ~)。
中庭
電車の中では次の停車駅の音声案内や駅名がパネルに出ますが、スマホ片手のツーリストも結構乗っていました。彼らが降りる駅で降りて彼らがゾロゾロと歩いて行くほうについて行ったら修道院に着きました。でかい修道院はマドリードの北・エル・エスコリアルにあるサン・ロレンソ修道院がその馬鹿でかさ(だけで)で有名ですが、ジェロニモス修道院の大きさにも驚きました。今日は消防の日(防火の日ではなさそう)なのでしょうか、入口の横では整列した消防隊員の前で楽隊が演奏中でした。昨夜の寒さが嘘のような炎天下では制服は辛そうです。ツーリストはTシャツ一枚です。
発見のモニュメント
おっと、修道院の見学でした。礼拝堂は天井の高さから察するとゴシック様式ですが、柱と天井はヤシの木が開いたみたいです。あまり直線的ではないところがポルトガル風ゴシックなのでしょうか? 中庭を囲む回廊の装飾も丸みをおびて、何となく海洋民族好みです。中央ヨーロッパとは異なる趣です。クリスチャンには修道院や教会の各宗派の違いが理解できるのでガイドブックを読みながら熱心に見学をしていました。僕には教会も入れ物としての建物なので、観光客も多い(それも団体ツアー)ので細部の見学は省きました。
出ると外ではまだ消防隊が整列を続けていました。炎天下を“発見のモニュメント(Padrao Dos Descobrimentos)”まで歩きました。エンリケ王子の像がある巨大な航海記念塔を見て、このベレンの街には数回来ていたのを思い出しました。煩わしい切符の想い出がないのは、きっと車で来たのでしょう。たぶんここに泊まっていたかも知れません。歩いている途中にあったチョコレート屋に見覚えがありました。頭が回らないのですが数十年も昔のことです。
ケーブルカー
城みたいな灯台のベレンの塔(Torre de Belem)は離れているのでやめて、ベレンの名物お菓子エッグタルト(パステル・デ・ナタ/pastel de nata)を食べに行きました。この店・パスティス・デ・ベレン(Pasteis de Belem)は奥が広いので、アイスコーヒーを飲みながら座って食べました。入口には外国人ツーリストが並んでいましたが、立ち食いよりはコーヒーと一緒のほうが美味しいです。クリームよりもパリパリの皮(生地です)が気に入りました。
まだランチには早いので、アルファマ(Alfama)へ行くことにしました。チンチン電車に乗ってサン・ジョルジェ城(Castelo San Jorge)へ行くつもりです。近郊電車で終点まで戻り、メトロには乗らずに市電の停留場まで歩くことにしました。マップでは短距離ですが坂道で(地図では分からない)、おまけに上り坂でした。後で思い出したのは、その坂道の二本横の坂道にはケーブルカーがありました(くそ~)。おまけに僕らが降りた終点駅の隣は市場で、周りには美味しいレストランが沢山あることも思い出しました。やっとカゼが治ってきたようです。
黄色いチンチン電車
日陰を探してゼイゼイ言いながら停留場まで上りました。黄色いチンチン電車の座席は古い木製で、チンチンと警笛を鳴らして走ります。途中からワルガキたちが出口のステップに飛び乗ってきて、無賃乗車です。きつい上り坂の手前で路上のオマワリに見つかって、お前ら、降りろ!と怒鳴られました。その逃げ足の速いこと、アルファマの路地に消えていきました。そのきつい坂のカーブを登った処で降りました。そこからは近道を抜けてサン・ジョルジェ城まで登りました。
サン・ジョルジェ城の城壁
城は城壁が残っているだけですが、リスボンの街を一望できます。アルファマは昔のままの建物に挟まれた路地が残る異国情緒溢れるところです。夜にバルをはしごしながらの散歩は楽しいのですが、真昼間の短パン姿のツーリストでごった返すアルファマはゴメンです。坂道をブラブラと下ったらエレベーターがありました。隣はテラスバーなので大ジョッキでビールを飲みながらリスボン・タパスの盛り合わせを昼代わりに食べました。ハトもつまみに来るので、追い払いながら食べました。そのエレベーターで下がったところにスーパーがあったのでついビールやツマミを買ってしまいました。異国でスーパーや市場があるとつい覗いてしまうのが僕の癖です。ホテルへ戻り僕は昼寝をして、友達は乗り損なったケーブルカーに乗りに行きました。
ポルトガルの街
夜はファドを聞きに行きました。昨夜の“ハズレ~”があるので、ディナー付のファドをホテルで予約をしてもらいました。ホテルから歩いて10分たらずのファイア( Faia)でした。壁にはギターやファド・ギター(小型ギター)が飾られ、VIP客の写真と一緒に歴代の名ファド歌手の写真も並んでいます。“南欧の居酒屋”風で、ステージがあるわけではなく中央のアーチの下にそれらしきスペースがあります。
テージョ河とコメルシオ広場
まずは夕飯です。カゼはすっかりと治り、頭はフル回転します。友達にポルトガルの名物スープを味わって欲しいので、ショーのセットメニューはやめてアラカルトにしました。日本の味噌汁の味を思い出させるカルド・ベルデ(Cardo Verde)がそのスープです。キャベツを煮込んだスープですが、スペインのキャベツで作っても同じ味になりません。
その次はアロス・デ・マリシュコ(Arroz de Marisco)です。土鍋で煮込んだ魚介類のリゾットです。ところが、当店のは土鍋ではなくて、ポルコ(Porco/豚ロースの炭火焼き)との大皿盛り合わせです、とウェイターが言います。スペイン語の上手なウェイターが説明をしてくれたので、それでOKにしてワインはアルバリノにしました。それにしてもエビと豚の素材としての組み合わせに日本人は??ですが、ポルトガル郷土料理には豚とアサリのワイン味ソテーもあるので彼らには普通のようです。
ファイアの入口
スープは三人分ですがリゾットは二人分にしました。濃厚なエビミソの味がコメに染み込んだリゾットはあまりにも美味しかったので、皿に残ったのもパンですくって食べてしまいました。そのパンも美味しかったのでお代わりをしてしまったほどです。そのリゾットが出てきた頃に一番手の歌手がファドを歌い始めました。ポルトガル語は分からないのですが、いい声です。
スペイン人があまりファドは好きじゃない、聴きに行かないよ、と言うのはポルトガルのスペインに対する恨みの歌だからだそうです。本当だとすれば、韓国人が日本の植民地時代の恨みを歌うようなものでしょうか。そりゃ、誰だって金を払ってまでして昔の愚痴を聴きたくもないでしょう。フラメンコのカンテ(歌)の“絞り出し”と比べると穏やかな歌い方ですが腹の底から歌うのが似ています。
ファドの歌手
歌手は一人が持ち歌を2曲くらい披露して、歌い終わったら次の店へ行くようです。ギター弾き二人は店のお抱えのようです。数人が歌った後、食後のコーヒーを飲んでいると帰る客も出始めました。くだんのウェイターが、次に当店の真打が出ますのでまだ帰らないほうがいいですよ、と教えてくれました。最後の歌手は陽気で、しめくくりはポルトガル語と英語で客も一緒に大合唱でした。
外に出ると昨夜ほど寒くなくて、バルは若者で溢れかえっていました。“頭がボ~”で始まった日なので、カメラは部屋のベッドに忘れました。メイドがナイトテーブルに置いてくれました。なので、リスボンの写真は僕の友達が撮りました。
若者たちで溢れる夜のバイロ・アルト(ファドの店が並ぶ通り)