Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

2011 RICHARD TUCKER GALA (Sun, Nov 6, 2011)

2011-11-06 | 演奏会・リサイタル
今年もタッカー・ガラの日がやって来ました。
いつも思うのは、このガラのオーディエンスって、私も含めて、本当にこの日を楽しみにしているんだなあ、、ということ。
オペラハウスの公演ではどんな歌か、どんな演出か、聴いて&観てやろうじゃないの、という雰囲気の人が混じっていたり(あれ?あたしのこと?)、
この役はこんな人が歌っちゃいけない、とか言い出す人がいて(あれ?これもあたし、、?)、面倒くさい。
一転、タッカー・ガラのオーディンスの大部分は基本的にメトの客と共通したお客さんのはずなんですが、
今日はお祭りだから、とにかく歌を楽しもう!という雰囲気がホールに溢れていて、
NYで行われるオペラ関連の公演・イベントの中でも、”その場にいるだけでハッピーになれる度”はこのガラが最高なんじゃないかと思います。

羊飼いに追われる羊のように、アッシャーに誘導される遅刻客たちを横目にエマニュエル・ヴィヨームが指揮するメト・オケが繰り出すのは、
『サムソンとデリラ』のバッカナール。
実は私、土曜日(11/5)の『ジークフリート』のオケの演奏にとても失望したんですが、今日の方がいつもの彼ららしい音が戻っていて、ほっとしました。
(ただ、ヴィヨームの指揮はとても一級と呼べるものではなく、プログラム後半の『カヴァレリア・ルスティカーナ』からの抜粋では、
軽く崩壊しそうになっている箇所もありました。だからカヴは難しいよ、と常日頃からこのブログでワーニングしているのに、、。)

ガラの開始にバッカナール?と思いましたが、なにやら怪しげ&エキゾチック&エッチな曲想が意外とガラのオープニングに合っていて、
ふーん、なら来年はまっぱの女性でも呼んで『サロメ』の7つのヴェールの踊りからキック・オフする手もあるな、、と思いました。

バッカナールの演奏が終わると例によってバリーさん(リチャード・タッカーのご子息)のスピーチあり。
”タッカー・ガラが始まって以来、いくつかの素晴らしい慣習も生まれました。私のこのスピーチもその一つですけれども、、”
相変わらず口角滑らかに飛ばしまくるバリーさん、
”もう一つは毎年恒例のキャスト・チェンジですね。”という言葉があって、
今回キャンセルになった歌手と元々は予定されていなかったにも関わらず、数日前に飛び入りを決めてくれた歌手の紹介がありました。
キャンセルになった歌手はマリーナ・ポプラフスカヤとマルチェッロ・ジョルダーニ。つい”イェイ!”と小声で言ってしまいそうになりましたが、
ジョルダーニはお母様の具合が思わしくなく、シチリアに里帰り中なのはお気の毒です。
ジョルダーニといえば、実は今日から数えて直前の月曜(10/31)に、彼が率いるマルチェッロ・ジョルダーニ・ファンデーションのガラもあって、
その時はご本人が姿を見せていくつかの曲で歌唱を披露していたのですが、
さすがに自分の名前を冠したイベントを抜けるわけにはいかない、、ということだったのかもしれません。

そうそう、このジョルダーニ・ファンデーション・ガラの開始をロビーで待っている時、ソファに見覚えのある白髪の女性を発見!番長です!!
実はジョルダーニ・ガラの三日前の金曜日(10/28)、アンジェラ・ミードが出演した『アンナ・ボレーナ』で出待ちをしたのですが、
翌日の雪(そう、NYはなんと10月から大量の雪が降ったのです!)を予感させる激寒度と終演時間の遅さのせいもあって、
ステージドアに集まったのは出待ちの常連メンバーを中心としたたった6人ほどの小さなグループでした。
当然その中に番長もいて、お互いに随分たくさん言葉も交わしたので、
ジョルダーニ・ガラの会場であるカウフマン・センターのロビーのソファの、番長の横に腰掛けて”またお会いしましたね。”とご挨拶をすると、
”え?どこで?”と言われたのにはずっこけました。
”金曜の『アンナ・ボレーナ』のステージドアで、、。”と言うと、”おお!”と言ってましたが、絶対覚えてないと見ました。
でも、ミードの話をし始めると、なんとなーく記憶が蘇って来たのか、エンジンがかかり始めて、
私が彼女聴きたさにピッツバーグタングルウッドまで足を延ばした話をすると、
”ヴェルレクはどんなだった?””一緒に歌ったソリストは誰?””タングルウッドまではどうやって行った?”と質問の嵐。
しかも、”いいわね、タングルウッド、、。私は車を運転できないし、最近は歳のせいでとんと視力が悪くなって、
キャラモアですら暗闇が億劫で(インターミッションでトイレに駆け込むルートは確かに真っ暗だったな、、。)足が遠のいて、、。”なんて悲しそうにおっしゃるものですから、
つい、”じゃ鑑賞されたい時は事前に連絡下さい。私が連れて行って差し上げますから。(運転するのは連れだけど。)”と口走ってしまいました。
ついでに言うと、番長は視力だけでなく聴力にもかなり衰えが来ているようで、私が言葉を発するたびに必ず、
”あ?”と言いながら、白い頭を私の口元にマイクのように差し出していらっしゃるのがキュートです。

ミードの情報を色々交換した後、私がカウフマンも好きで、”昨日(10/27)はメトで催された彼のリサイタルにも行きました、というお話をすると、
”じゃあね、いいこと教えてあげる。昨日、あたし、バリーと話したのよ。そしたら、彼が、まだ秘密の話なんだけど、
今年のタッカー・ガラのスペシャル・ゲストとしてカウフマンが参加してくれることになった、と言って喜んでたわよ。”
この時点ではまだカウフマンが飛び入り参加するという情報は公にはもちろん噂にすらも出ていなかったので、
”きゃーっ!!本当??”と番長の手を摑んで大喜びしていると、
番長が頷きながら、”まだ誰にも言っちゃだめよ。まあ、(こんなニュースを誰にも漏らさずに)あなたが口を閉じていることが出来ればの話だけど。”
、、、、ん? 
私は秘密を守れる人間ですけど(なのでこの件に関してはお知らせとしてもコメント欄の中でもふれるのを控えていたのです。)、
早速にそれをあちこちで吹聴してまわっているのは一体どこの誰なんだか。
ほんとこんなおしゃべりな人に大切な秘密を漏らすバリーさんもバリーさんですよ、まったく。

いよいよジョルダーニ・ガラのための演奏場所が開場され、”またお話しましょうね。”と約束し合いながら立ち上がると、番長は、
”さてと。終演後はどうやってレセプション(歌手を交えた立食パーティー。そこに番長が招待されていないことは言うまでもない。)に
紛れ込もうかしらね。”と言って立ち去って行きました。
、、、さすがだわ、番長、、、。

というわけで、今日のタッカー・ガラ、飛び入り組の一人はヨナス・カウフマンです。大喝采のオーディエンス。
さらに”そしてもう一人は、、アニタ・ラク、、ラク、、”といきなり名前をかんでしまうバリーさん。
その気持ち、わかります、、私も何度書いても憶えられないですから
しまいには、”まあ、とにかく、すごい子(girl)です。”とまとめに入るバリーさん、苗字をgirlで誤魔化すな、って感じですけれども、
そのアニタ・ラクヴェリシヴィリとカウフマンが『カルメン』のラスト・シーンを披露してくれます、という言葉に、またしても喜びの雄たけびをあげるオーディエンス!!
だって、この二人はスカラの2009/10年シーズンのオープニングで共演し、その演目が他ならない『カルメン』だったわけですから、
うおーっ!!あれを生で聴けるのー!?と興奮の坩堝になるのも無理からん。

そして、いよいよこのガラの最大の趣旨ともいえる今年のタッカー賞受賞者の紹介がありました。
今年の受賞者はアンジェラ・ミードです。
だめだ、カウフマンにミード、、、至福のあまり、死んでしまいそう、、。

GIUSEPPE VERDI "Santo di patria" from Attila (Angela Meade, Soprano / New York Choral Society)

毎年タッカー・ガラの歌唱プログラムの先陣はその受賞者が切ることになっています。
ここで受賞者としての名にふさわしい内容の歌唱を披露しなければならず、自分の個性と今の声質にあった曲選びが重要です。
なので、彼女がそこに『アッティラ』の”神聖で限りのない祖国愛です”を持ってきたというのは、私にはちょっと驚きでした。
『アッティラ』は2009/10年シーズンにメトでムーティが指揮をして話題になりましたが、石仏アウディの手による演出はそれはひどいものでしたし、
ムーティはムーティで”メトの観客はbunch of peasants(田舎者の集まり)”と思っているそうですので、
あの作品が戻って来ることは二度とないかもな、と思っていたのですが、
もしかすると、いくらひどい演出といえども、もうちょっと新演出からは元をとらにゃあ、ということで、
オダベッラ役にミードを据えた再演をメトは画策しているのではないか、、と深読みしてしまいます。
なぜなら、そうでもなければ、彼女がこの曲をこの大事な場に持ってくる理由の説明がつかないのですよね、、。
私のようなミード・マニア、つまり、彼女の現在の力だけでなく、今まで&これからのキャリア・パスにも興味がある人間には、
今日の歌唱も大いに興味深く、彼女の今のいる場所、今現在の強みとその逆、といったことを知るのに示唆の多いものなんですが、
そうでないオーディエンスは、やはり今の彼女がオファーできる最高のものを聴きたいはずなのであって、それでいうとこの選曲には若干疑問を感じずにはいられませんでした。
件の石仏&ムーティの『アッティラ』でオダベッラ役を歌ったのはウルマナでした。
ウルマナの起用で成功していたな、と思う点は彼女の声の成熟度と低音域の強さなんですが、この二点はミードがまだこれから身につけていくであろう部分で、
ミードの声は以前よりは少し重たくなったとはいえ、やはりまだ年齢が若いせいもあって、スケールがありながらも軽さのある声です。
また、私は彼女の高音域から低音域まで比較的音色が統一されている彼女の歌声が大好きですが、
元メゾであったというウルマナとは低音域だけを取り出して比較すると、迫力負けするのは否めません。
この曲に必要な難技巧は相変わらず巧みにこなしていましたが、それらの技巧だけでは越えられない声質の部分が少し足を引っ張ったと思います。
もちろんタッカー・ガラの受賞者としてふさわしい歌唱のラインは楽々クリアしていましたが、
今の彼女のベスト・オブ・ベストを引き出せる選曲は他にあったのではないかな、、というのが私の考えです。

この後にジョルダーニが『ラ・ジョコンダ』から”空と海”を歌う予定でしたが上に書いた理由によりプログラム自体がスキップされました。
引き続いては、、、

 GIUSEPPE VERDI "Eri tu" from Un Ballo in Maschera (Željko Lučić, Baritone)

なぜかタッカー・ガラには頻度高く現れ(2009年2008年)、しかもいつも良い内容の歌唱を聴かせてくれるので(時にはメトでの全幕公演よりも印象が強いことも、、。)
何気に私にお祭り好き疑惑をもたれていたルチーチ。
しかも今年の選曲が『仮面舞踏会』の”お前こそ心を汚す者”と知れば否が応でも期待が高まるというものです。
なのに、ここであっさりと期待を裏切るところがルチーチなんだなあ、、。
彼のこの歌唱の好・不調の波の大きさ(メトの全幕の舞台でも良い時と悪い時の波が結構あります。)は、
私ははっきり言って煙草のせいなんではないかと思っています。
Opera Newsのインタビューで明かしていました通り、彼はスモーカーで、その記事では食後に一本たしなむ程度、なんて言ってましたが、
大体そんなことはありえないんであって、実際、メトでもよく煙草休憩に出ている姿が目撃されています。
煙草が声に影響がないなどという主張は幻想以外の何者でもないことくらい、ヘビースモーカーをやったことがある人なら誰でもわかることです。
声の美しさ、フレージングの美しさという点においては素晴らしいものを持っている彼が、
苦しそうなブレス、荒れた声のせいでその長所を発揮できずに、この曲の美しさを繊細に伝えられていなかったのを非常に残念に思います。
今度メトで彼が煙草を吸っているところを見かけたら、頭からバケツ一杯の水をかぶせてしまうと思うので注意して頂きたいです。

GAETANO DONIZETTI "Udite, udite, o rustici" from L'Elisir d'Amore (Bryn Terfel, Bass-baritone / New York Choral Society)

素敵なベルベットのジャケットを着崩し、シャツをズボンからはみ出させ、
ヘロヘロの千鳥足でビール瓶を持って舞台袖から現れた歌手の姿に、隣のおばあ様も思わず”あれ誰?”と思わず私に耳打ちされたのはブリン・ターフェル。
一体こんな格好で何を歌うのかと思えば、ドニゼッティの『愛の妙薬』から”お聞きあれ、村の衆”。なるほど(笑)
本来のストーリーからするとドゥルカマーラ自身が酔っ払っている必要はないとは思いますが、飲んだくれのドゥルカマーラ、これも一つの表現方法ではあります。
まあ、それにしても彼はこういうコメディックな演技をさせると上手いです、本当に。
歌いながらビール瓶を指揮者に渡したかと思うと、すぐに二本目の瓶がするりと手の裏から現れたり、ブリンってばマジシャンみたい!
しまいには歌の合い間に瓶に口をつけるわ、指揮者にも飲むことを強制するわ、大変なことになって来ました、、。
歌い終わった後には、オケが後奏を演奏している間にビールまる一本をごくごくとあおり始め、
飲み切る最後の瞬間(すごい勢いで本当に全部飲んでました。)に最後の音が来るよう、
その前の音を延々と延ばさせるというエンターテイナーぶりにオーディエンスも大湧きに湧きました。
私はメトの新リングが登場して以来、残念ながら彼はヴォータンを歌いこなせる声もキャラも持っていない、と思っているんですが、
今日のこの曲、それからラストの『ファルスタッフ』の歌唱などを聴くと、ますますその思いを強くします。
彼にベル・カントは軽すぎる、と思う向きもあるかもしれませんが、私は全然そう思わなくて、彼の良いところが集約されていると思いました。
一瞬、酔いが醒めた演技を入れながら、真面目に歌った一フレーズでの声の美しさは際立っていて、
無理なレパートリーでなければまだまだこういう音色を出せる歌手なんだというのを再認識します。
演技ももちろんすごくおかしかったですが、何よりもベースにある歌が良かったために一層楽しめた、そのように思います。

 PIETRO MASCAGNI "Mamma, quel vino é generoso" from Cavalleria Rusticana (Jonas Kaufmann, Tenor)

ブリンが笑いの大ストームを観客に巻き起こしたこの後に歌う歌手は可哀想だな、、と思ってプログラムを見ると、次はカウフマンでした
しかも曲がマスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ』から”母さん、あの酒は強いね”、、って、これほどドゥルカマーラのアリアから程遠いところにある曲もないわな、、。
カウフマンもこれにはさすがに舞台に登場して、”ちょっと困りました。”というジェスチャーをしてみせたものの、
歌い始めた途端、ついさっきブリンが作り上げた陽気なムードを、一瞬にして陰鬱なムードに変えてみせます。
カウフマンとヴェリズモと言えば、アリア集のCDも出しているし、最近のコンサートでもいくつかプログラムに取り上げているようですが、
NYでは、つい先日のリサイタル(10/30。記事はまだこれからです。)も全てリートだったので、ヴェリズモ初披露ということになります。
(そのヴェリズモ集のプロモ・ビデオの中で、彼はプッチーニの作品は少し違った特性を持っているので意識的にヴェリズモ集に入れなかった、というコメントをしていましたので、
それに従い、彼がメトで歌った『トスカ』はここでは除外します。)
そのリサイタルではアンコールを4曲披露するという大サービスだったのですが、少しサービスし過ぎたか、
プログラムそのものは好調に歌い終えたのですが、一番最後のアンコールあたりでちょっと疲れが出た感じがあり、
今日のガラと8日のOONY(オペラ・オーケストラ・オブ・ニューヨーク)の『アドリアーナ・ルクヴルール』は大丈夫かしら、、?と心配してました。
今日の歌唱を聴くと、コンディションは必ずしも最高とは言えなくて、声にややざらっとしたテクスチャーがあり、
音を自分の思うところに入れるのに少し苦労をしているような印象を持つところもありました。
彼が好調な時に感じられる声のスピード、声の飛ぶ速さ、またそれに応じて起こる、音をすぱっと止めた時にしばらく生まれる残響といった面では、
いつもの片鱗を感じさせる程度に留まったと思います。
しかし、常日頃このブログで言っているように、毎日が絶好調な歌手なんていないのです。
不調な時にどれだけ声をコントロール出来るか、これが良い歌手とそうでない歌手の分かれ目で、
彼が大きくブレークしたのはこれを出来る歌手になったところが大きいと私は思っているのですが、その確信をさらに強める内容の歌唱だったと思います。
ここらへんの作品を歌うには彼の声の暗い音色はよく合っていると思いますが、
一般的にヴェリズモと言った時に思い浮かぶ”テノールばか”的熱血要素は希薄で、
むしろ、半歩下がって自分を冷ややかに見つめているような、そういう種類の怖さがある表現で、
このあたりの雰囲気をどう感じるかが、彼のヴェリズモ作品での評価をわけるかな、という風に思います。
カヴ・パグをばりばりメインのレパートリーに据えられるほど彼の声がロブストだとは私は思わないので、
もし全幕に登場することがあるとしても、限られた回数になるのではないかな、と思います。ぜひその限られた回数をメトに割り振って頂きたい!

AMBROISE THOMAS "Connais-tu le pays" from Mignon (Stephanie Blythe, Mezzo-soprano)

リングのフリッカ、それに今シーズンはアムネリス、と、メトの全幕公演では重量級の役が多いステファニー・ブライスなので、
トマの『ミニョン』から”君よ知るや南の国”というのはちょっと意外な選曲でした。
最初は声のスケールが曲を凌駕し過ぎているような印象も持ちましたが、彼女のすごいところはそれでもいつも最後にはねじ伏せてしまうところで、
このどんなレパートリーでも自分のものにしてしまう力というのはすごいです。
テッシトゥーラとの関係から、彼女の泣きが入るような独特の音色とこの曲で多用されている音域がちょうど重なるところにあって、
それがこのアリアが歌われる場面のノスタルジーと哀愁を上手く伝えていたと思います。

 PYOTR ILYICH TCHAIKOVSKY "Tsar vishnikh sil" from The Maid of Orleans (Dolora Zajick, Mezzo-soprano / New York Choral Society)

ブライスの直後にザジックを据えるとは、タッカー・ガラ・ファンデーションも本当に心憎いことをすると思いました。
この二人をこんなに直に比べられる機会ってまずないですから、、。
最初は声の面では一番良い年齢にあるブライスのすぐ後に超ベテランのザジックを置くなんて、
すごいチャレンジをザジックに突きつけたもんだ、と思いましたが、この彼女の歌を聴くと、そうではなくて信頼の現れなのかもな、と思えて来ます。
チャイコフスキーの『オルレアンの少女』は、ジャンヌのアリア”さようなら、ふるさとの丘よ畑よ”が2009年のタッカー・ガラでグレギーナによって取り上げられましたが、
今回はそのアリアではなく、第一幕の合唱を伴ったシーンである”天上の王よ”。
今年もまた私が忌み嫌っているニューヨーク・コーラル・ソサエティが合唱に参加していて、
彼らの肉のついていないふくらはぎのような、情けない腑抜けサウンドを聴くといつもげんなりするのですが、
今年も教会の合唱団のようなぽわーんとした場違いな音に、冒頭の『アッティラ』なんかでは”ここは教会じゃのよ、きーっ!!”とさせられましたが、
この『オルレアンの少女』に限っては、場面が場面だけに彼らの賛美歌的サウンドがかろうじて功を奏していたといえます。
オケが加わるとかなり分厚いサウンドになる場面なんですが、ザジックのぴん!とした透明度の高い硬質な音は、
最近音が若干痩せ始めたと感じる彼女ですが、それでもすごい破壊力を持っていて、
なぜ彼女がずっとメトでヴェルディのメゾ・ロールを第一線で歌って来れたか、ということを思い出させてくれます。
ブライスのような何でも歌える柔軟性はザジックにはないかもしれませんが、
彼女の個性にマッチしたレパートリーを歌った時の彼女の歌声はまだまだ素晴らしく、
あらためて実力の割りにアメリカ国外で過小評価されてきたメゾだと思わずにいられません。

 JULES MASSNET "O souverain, ô juge, ô père" from Le Cid (Yonghoon Lee, Tenor)

ずっと聴く機会を逃し続けて、遅ればせながら、やっと初めて生で聴く事が出来ました。
マスネの『ル・シッド』から”おお、父なる主よ、我を裁きたもう”を歌ったオペラ界のヨン様(=ヨンフン・リー)。
いやー、この人は面白い個性をしてますね。面白く感じたという点では今回のガラ参加メンバー中一番だったかもしれません。
私はこれまでシリウスやYouTubeで聴いた感じなどから彼のことをものすごいデカ声なのかな、と思っていたのですが、
単なる物理的デカ声ではないんだな、と感じました。彼の声を大きく聴こえさせているのは響きではないかと思います。
特に高音に入る独特のぴんとした音、これはかなり特徴的で、彼の声に鋭さを与え、実際よりもさらに大きく聴こえる原因になっていると思います。
彼の場合、面白いのは高音の方が音が自然で綺麗な点で、むしろ中音域から少し上にかけたあたりに若干作ったようなあまり耳障りの良くない音色がある点で、
そこで無理な負担が喉にかかっていないといいなと思います。
彼の発声はかなり文字通りの体当たり方式で、全身を使って音を出す!という感じで、ガラの場合はそれでも良いと思いますが、
演技をしながらこんな体一杯使った発声が可能なんだろうか、、?と全幕の舞台について一抹の不安を感じないでもありません。
歌唱はまだ洗練しきれているとは言いがたく、荒削りな部分もありますが、人一倍のパッション、これはあって、
最後の音の鋭さ、大きさ、長さは火を吹いてました。こういう観客に熱狂を生み出す力というのも侮れないものです。

VINCENZO BELLINI Finale of Act I of Norma (Angela Meade, Soprano / Dolora Zajick, Mezzo-soprano / Frank Porreta, Tenor / New York Choral Society)



ミードと言えば、”清き女神よ Casta Diva"で何度もコンクールやナショナル・カウンシルで優勝・ファイナリストの座を勝ち取り、
キャラモアで歌った全幕の公演でNYのファンに”彼女は本物”という評価を決定づけさせた経緯があるので、『ノルマ』は彼女にとっても一番大事なレパートリーであるはずです。
もしかすると、今日のガラでも一曲目に歌うのはCasta Divaかな?とも予想していたのですが、
Casta Divaはこれまで多くの場で歌っているだけに、却って違う面も見せたい、と考えた結果がアッティラからの選曲になったのかもしれません。
しかし、当然のことながら、彼女にとって『ノルマ』が特別な作品であることはなんら変わりなく、
この作品の一幕のフィナーレを、アダルジーザ役にザジックを迎えて披露してくれました。
ポッリオーネ役にはジョルダーニが入る予定でしたが、キャンセルに伴い強制連行されて来たのはフランク・ポッレッタというテノール。
このポッレッタの歌唱はあまりにふがいなく、声がほとんど聴こえないわ、聴こえたら聴こえたで、がさがさのわにの鱗のような音だわ、
はっきり言ってこんな歌唱を聴かされる位なら、もうそのパートは空白で、オケの演奏だけにしておいてくれても良かったのに、、と思います。
私の好きなミードとザジックの一騎打ちという、この貴重な機会に水をさしやがって、、と怒りが渦巻いてしまいました。
大体フランク・ポッレッタという間抜けた名前もいけないんじゃないかと思います。もうちょっと締まった名前に改名して、締まった歌を聴かせてほしい。
さて、女性二人についてですが、ミードは大先輩ザジックの胸を借りて歌った、という感じでしたが、今は全然それで良いと思います。
それにしてもザジックの余裕、これはすごいです。一緒に歌っている歌手とオケ、それを感じながら歌っているのが本当に良く伝わって来る。
ミードも才能溢れる素晴らしい歌手ですけれど、この余裕だけはキャリアを経てのみ身について行くものなんじゃないかな、と思います。
ミードはメトで近い将来『ノルマ』を歌う予定があるみたいですが、アダルジーザは誰が歌うのでしょう?

この後にはポプラフスカヤがマイアベーアの『悪魔ロベール』から”ロベール、ロベール、私が愛するあなた”を歌う予定でしたが、これもスキップで次は

GIUSEPPE VERDI "Dio, che nell'alma infondere" from Don Carlo (Jonas Kaufmann, Tenor / Bryn Terfel, Bass-baritone / New York Choral Society)

カウフマンとターフェルのコンビでヴェルディ『ドン・カルロ』からカルロとロドリーゴの二重唱(”われらの胸に友情を”)を含む場面。
ターフェルは『愛の妙薬』はあんなに良かったのに、『ドン・カルロ』になるともういつものがなり調が復活でがっかりです。
YouTubeにいつの年のものだかわかりませんが、ターフェルがセルゲイ・ラリンとこの曲を歌った映像があるんですけれど、
当時の歌声、それからそれが可能にしていた丁寧な歌いまわしが今のターフェルには全く出来なくなっているように思います。
カウフマンとオケに押されまいとがなればがなるほど、ブレスの使い方がいきあたりばったりになってリズムを無視して言葉がフライング気味になるなど、
アンサンブルの面で相当な問題があり、そのあまりなことは、私、これはターフェルからカウフマンへの嫌がらせ、、?と思ってしまったほどです。
カウフマンはそれに挫けず、マイペースで自分のパートを歌っていましたが、これは二重唱ですからね、、二人ともが良くないと、、。
カウフマンは今NYのオーディエンスに異常なほどに人気があるので、そのあたりに”けっ!”と思っている部分があるのか(男の嫉妬は怖い怖い。)、
カウフマンのようにオーディエンスに対していつも礼儀正しいのは良い子ぶりっ子に見えてその辺りが自分のキャラとそりが合わないと思っているのか、
歌い終わった時にカウフマンが二人でがっちりとハグし合う演技を入れようとするのを明らかに
”そんな女々しい、ざーとらしいことやってられるか。”と嫌がる仕草があって、
代わりに曲が終わった後に代わりに自分から握手のために手を差し出したりしてましたが、なんだか妙な空気が流れた瞬間でした。
ただ、カウフマンのリサイタルではパーテールのご招待席にふんぞり返って拍手もろくにしてなかったパペとは違い、
グランド・ティアー(なんでまたそんな普通の席に、、。)に座って、
終演後には他の客に負けない位長く一生懸命に拍手をしていたターフェルの姿を私は目撃しておりますから、
彼がハグを嫌がったのは多分女々しいのが嫌だ、くらいのことなのではないかと思います。
でもカルロとロドリーゴの男の友情にはそんな、ターフェルが女々しいと感じるような側面も確かにありますからね。照れてちゃいけません。

GIACOMO PUCCINI "Vissi d'arte" from Tosca (Maria Guleghina, Soprano)

私がオペラの実演鑑賞、なかでもメトのそれにはまったのはグレギーナのカヴ(『カヴァレリア・ルスティカーナ』)がきっかけであったのは以前お話した通り。
だからこそ、以前彼女がとても得意にしていたはずのドラマティックな役柄で、高音は聴くに絶えないような絶叫になっているわ、
細かい声のコントロールは出来ていないわ、といったことがコンスタントに全幕公演で観察されるようになってしまった昨今、
彼女にはもうあまりメトの舞台に立ってくれるな、とまで思うようになってしまいました。
というのも、彼女のそんな歌を聴くのも、またそのような出来をあげつらってこてんぱんなことを言ったり書いたりするヘッズの声を耳にするのも嫌だからです。
実際、今シーズンの『ナブッコ』はAキャストのアビガイッレにキャスティングされている彼女を避けて、エリザベーテ・マトスが歌う公演を聴きに行こうと思っています。
というわけで、今日、プログラムに表記されたガラの出演者の中に彼女の名前を見つけた時は、なんでガラでまでグレギーナを聴かなきゃならんのだ、、、と正直がっくり来ました。
ましてや『トスカ』は彼女の絶頂期だったと言ってもいい時期に、やはりメトの日本公演で聴いているわけで、
どうしてその頃と比べて、ついこちらの気持ちも寂しくへこむような歌を今聴かなければいけないのだろう、、と。
しかし、これが開けてびっくり。今日のプログラムの中、最も心がこもっているのを感じた歌唱の一つだったのですから。
今日登場した歌手陣の中で最も声の衰えが著しいのが彼女であることは間違いなく
(ジョルダーニが参加していたらそのタイトルを二人で分け合うことになったかもしれないけれども、、)、
もはや声を存分に張れなくなっている点など、現役感に欠ける歌唱だったと言っても良いです。
けれども、以前はその張りに依存していた点を、今はそれが出来ない分、各フレーズでの強弱の変化など、表現の工夫に向けられていて、
感情をどばーっと吐露するよりも、訥々と訴えかけるような内容の歌唱になっていて、この場面は確かにそういう風に歌うことも出来るな、、と気づかされます。
Signorのところなども、以前の彼女ならフルブラストで歌っていたと思いますが、私は今日のように逆に抑制を効かせてそのまま音が下がってくる方が好きだな、と思いました。
最後のcosiを思いっきりひっぱるなど、相変わらずベタなところが残っているのはご愛嬌です。
でも、間違いなく、彼女が今このアリアで実現できるであろう最も優れた表現を聴かせてくれた。
おそらく、私がコントロールできる範囲内で彼女の歌唱を聴くのはこれが最後になるのではないかな、、という気がしました。
というのも、これが私が最後に聴いた彼女の良い歌唱、良い記憶として留めておきたく、彼女が登場する全幕公演のチケットはもう買わないだろうと思うからです。
(とはいえ、私の好きな歌手にまぎれてガラに登場された時には私の力の及ぶところではないのですが。)

PIETRO MASCAGNI "Tu qui, Santuzza?' from Cavalleria Rusticana (Dolora Zajick, Mezzo-Soprano / Younghoon Lee, Tenor replacing Marcello Giordani)

うーむ、面白い。一つのガラの中で、違う歌手が同演目からの抜粋(箇所はもちろん違いますが)を歌いますか、、。
先に”母さん、あの酒は強いね”を披露したカウフマンに続き、ストーリーの時系列的には逆にはなってしまいますが、
同じ『カヴァレリア・ルスティカーナ』から”サントゥッツァ、お前がここに?”をヨン様とザジックの凸凹コンビで。
いやー、これは!!!!!
ヨン様の投入はジョルダーニが降板した故のバンドエイド的対処なんですけれども、計らずもめちゃくちゃ面白い組み合わせになってしまっているではないですか!
タッカー・ファンデーション、ナイス・ジョブ!!!
まずこの絵面がすごすぎます。蚊トンボのようなヨン様と、その横にヨン様なんて簡単に片手でねじ上げてしまえそうな迫力満点の体躯のザジック。
このヨン様扮する気弱そうなトリッドゥが別の女と浮気しようものなら、その場でサントゥッツァにぶちのめされそうな雰囲気なんですけど。
しかし、なぜかザジックはヨン様をぼこぼこにする代わりに健気に彼の愛にすがりついているのです。
って、あ、そっか、オペラ自体がそういうストーリーなんでした。このあまりのビジュアルに本筋を忘れてしまいそうになりましたよ。
それにしても、先ほどカウフマンの歌はヴェリズモ作品に於いても、良い意味でも悪い意味でもいわゆるテノール馬鹿的な歌唱にならずに、
どこか冷静な感じがするところがあって、それが逆に怖い、と書きましたが、
まあ、ヨン様の方は、これまた良い意味でも悪い意味でも思いっきりテノール馬鹿的な歌唱で、ここまで馬鹿、いえ、テノール馬鹿だと逆に爽快感がありますね。
ヴェリズモ作品の歌唱としては、彼のような歌唱の方が好き、という方の方が多いかもしれないな、という風に思います。
しかし、びっくりしたのはこの二重唱が始まってしばらくして、段々痴話喧嘩がヒートアップしそうになった時、
いきなりヨン様が片手でザジックの顎に手をかけて、親指と残りの指で彼女の両頬を挟むようにして顎を上げさせ喧嘩を売り始めたことです。
ちょちょちょ、、ヨン様ってば、彼よりキャリアの全然長い大御所メゾのザジックになんてことを!!!ザジックの顔がヨン様の手で潰れて、たこチューのようになってるわーっ!!
いやー、しかし、ヨン様、すごい!私は尊敬します。
なぜなら、私は皆様もご存知の通り、ザジックのことが大好きですけれど、彼女をすごい美人だと思ったことも痩身だと思ったことも一度もありません。
彼女のキャリアの長さに遠慮するのももちろんですが、普通のテノールは、あまり美人でなく痩せてもいない女性歌手相手にこんな芝居はしないのが普通です。
なぜなら、ネトレプコのような女性を相手にこういう演技をしたなら、それはさまになりますが、
ザジックみたいな歌手に同じことをしても、結局それはコメディー/お笑いに終わってしまうのではないか、という不安が先に立つのが普通だからです。
それを、キャリアの違いも、ザジックのルックスに恵まれていない点も、全く意に介していないかのようにこういう演技が出来る。これは一種の才能です。
非常に興味深かったのは、私がこれまで舞台で観た限り、どんなテノールにもまるで象か何かを扱うようにしか扱ってもらったことのないザジックが、
かようにヨン様にきちんと女性として扱われたことで、彼女の中に何か火がついたとみえて、この二重唱は素晴らしい出来になった点です。
ザジックはこの役で何度かメトの全幕の舞台に立っていて、私も複数回鑑賞していますが、彼女がこの役でこんなに燃えたのを聴いたことがないです。
彼女のA te la mala Pasqua (最悪の復活祭になるがいいわ!)という捨て台詞に籠められた迫力がものすごくて、
続けてspergiuro(呪ってやる!)と歌い始める前の短い間に、私もふくめてオーディエンスのあちこちから"すげえ!(Wow!)"という声が漏れ、
もうspergiuroという言葉を歌う頃には(これがまた彼女の突き刺すような音色もあって素晴らしいのです!)轟音の拍手です。
いやー、カウフマンの冷ややかな表現もいいけど、ヴェリズモのこういう興奮はたまりませんな。
ヨン様は全幕でこの演目を歌うのはまだしばらくは避けた方が絶対良いと思いますが(まだ声がこれらの役をこなせるほど成熟していないと思います。)、
ヴェリズモのスピリットみたいなものは良く判っている人なのかもしれないな、、と思いました。またしても侮れじ、ヨン様!
ザジックもこの抜粋については全体を通して充実した響きを聴かせていて、
いつの日かヨン様のように躊躇なく彼女の顔をたこチューしてくれるテノールとメトの舞台で共演できる日までこの役がレパートリーに残っているといいなと思います。

GEORGES BIZET "C'est toi? C'est moi!" from Carmen (Anita Rachvelishvili, Mezzo-soprano / Jonas Kaufmann, Tenor / New York Choral Society)

いよいよスカラの2009/10年シーズン初日組(カウフマン&アニタ・ラクヴェリシヴィリ、以下アニタ嬢)でビゼー『カルメン』からのラスト・シーン、”あんたね、俺だ”。
アニタ嬢は高音域がまだ少し開拓され切っていない感じがあるのと、まだ強い個性というものが出来上がっていない部分がありますが、それはこれから精進して行くのだと思います。
一方で中音域の音色は独特の温かさがあって私は彼女の声は基本的に割りと好きです。
さすがにスカラの公演に備えて一緒に準備しただけあり、二人の息がものすごく合っていて、聴いていて全く危なげない。
ただ今回はガラで、全幕公演のような演技がないだけに、その分予定調和的な要素が強くなってしまって、若干決められた線路を綺麗に走ったに似た感がなくはなく、
メトでカウフマンによるR&X指定の全幕『カルメン』を鑑賞して強い感銘を受けた私としては、演技付きで聴きたかった、、という思いが強くなります。
後、カルメンを刺し殺してから歌うAh! Carmen! Ma Carmen adoréeのところで音が上がりきれずにピッチがかなり甘くなってしまったところにも
今日のカウフマンのコンディションがあまり良くなかったことが伺われます。
中一日しかないので若干心配ですが、十分休養して11/8のOONYとの『アドリアーナ・ルクヴルール』に備えて欲しいな、と思いました。

GIUSEPPE VERDI Finale from Falstaff (Bryn Terfel, Bass-baritone / Stephanie Blythe, Mezzo-soprano / Angela Meade, Soprano /
Deanna Breiwick, Soprano / Renée Tatum, Mezzo-soprano / Theo Lebow, Tenor / Ta'u Pupu'a, Tenor / Edward Parks, Baritone / Keith Miller, Bass)



最後はヴェルディの『ファルスタッフ』からフィナーレ。ターフェル、ブライスという、
実際にメトの全幕で表題役とクイックリー夫人を歌った二人がアンサンブルを牽引し、楽しく締めてくれました。
ターフェルはやはりこういう作品の方がすごく居心地よさそうに楽しそうに歌っていて、声の質的にも合っているし、
どうしてヴォータン役なんか歌うんだろうなあ、、とますます考えてしまう私です。
このアンサンブルでも余裕で声が届いてくるブライス。それに比べるとミードの方はやはり意外と線の細い音なんだなあ、、というのを感じます。
彼女はアリス・フォード役はあまり歌ったことがないようで、スコアを手にしての参加でした。


Richard Tucker Music Foundation Gala 2011

Avery Fisher Hall
Orch AA Even
OFF

*** リチャード・タッカー・ミュージック・ファンデーション ガラ 2011 
Richard Tucker Music Foundation Gala 2011 (Tucker Gala) ***