Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

ATTILA (Tues, Feb 23, 2010)

2010-02-23 | メトロポリタン・オペラ
『連隊の娘』の公演のコメント欄で紹介したとおり、石仏(演出のピエール・アウディ)の致命的な間違い発言に、
”そりゃ良かった。もし私に向かって言っていたら殺すところだ。”と、
マフィアもびっくりの応酬を見せたり、手で覆わずにくしゃみをしたスタッフを罵倒したりと、
順調(?)にムーティ帝王の独裁モードでリハーサルを重ねてきた『アッティラ』がいよいよ、今日、初日を迎えることになりました。



オペラの演奏に関しては、ムーティの方に非常にはっきりしたビジョンがあって、
基本的には長期的な関係を築けないオケ(劇場つきを含む)とは演奏しない、という考えだそうで、
そのため、いくらレヴァインがメトに客演しに来て欲しいと要請しても断り続けて来たんだそうです。
(これはムーティ本人がOpera Newsのインタビューの中で明かしています。)
”君が音楽監督で居座っている限りはね。”ということなのでしょう。
それが、今回ゲルブ氏の強い引き(ソニー時代からのコネか?)に根負けし、
『アッティラ』なら、ということで、ムーティのメト・デビューが実現しました。



『アッティラ』はヴェルディの初期の作品で、男性の低声が表題役であること、
女性の主役のソプラノに強靭かつ強烈なコロラトゥーラの技術が求められること、
表題役に”とりつかれ”シーンがあること、そして、純粋に音楽そのものの類似性ということで、
私は、比較的よく演奏される他のヴェルディの作品で言うと、一番『マクベス』に近いものを感じますが、
『マクベス』と違っているのは、『アッティラ』にはシェイクスピアによって書かれたような優れた原作が存在しない点で、
オペラ作品『アッティラ』の、あほくさいストーリーとリブレットのひどさには泣けてきます。
レクチャーの記事であわせてご紹介したムーティのシリウスでのインタビューからも判るとおり、
イタリア人にとっては、作品で描かれている歴史とこの作品が初演された時期のイタリアを巡る歴史の両方で、
ただのお話以上の思い入れが可能な背景があるわけですが、それを除いたら、、。
(多くのオペラ作品のあらすじはWikipediaをはじめとするサイトで入手可能なため、
これまで当ブログではオペラのあらすじを紹介することがほとんどありませんでした。
しかし、最近、メトのサイトに日本語ページが出来て、その中で私がもっとも素晴らしいフィーチャー!と思っているのが、
シーズン中に上演される作品のあらすじコーナーです。
シーズンが変わり、作品の上演がなくなると、閲覧が不可になってしまうかもしれないので、
メトのサイトにリンクをはるよりも、上演が稀で、あらすじも広く流布していない作品については、
”マイナー・オペラのあらすじ”のカテゴリーで紹介させていただくことにしました。
どの作品がマイナーか、というのは、このブログ本体と同じ”独断と偏見”ベースです。
というわけで、オペラ『アッティラ』のあらすじはこちらをご覧ください。)



この作品の表題役を歌ったことのある数少ない(上演が少ないだけに、、)バスの中にレイミーがいて、
彼が最も活躍していたオペラハウスの一つがメトであったことを考えると実に意外な感じがするのですが、
この『アッティラ』という作品自体も、今年がメト初演になります。
(ただし、レクチャーの記事のコメント欄でもふれた通り、ニュー・ヨーク・シティ・オペラでは
彼の主演での上演が過去に二シーズンありました。)
また、レイミーはスカラでムーティの指揮のもと表題役を歌ったことがあり、これはDVDにもなっているのですが、
その彼が、アッティラ役ではなく、今回、司教レオーネにキャスティングされているのには、時の流れを感じます。



おそらく声の衰えが著しくなって来ている今のレイミーには表題役は無理と判断されたのでしょう。
新しい世代のアッティラ王として、今回この重責に抜擢されたのは、イルダル・アブドラザコフです。
彼はロシア人バスにしては、発声にいわゆるロシア臭があまり感じられず、響きがクリーンで美しく、
(ロシア的響きが汚いと言っているわけではなく、イタリアものを聴いているという前提での”クリーンで美しく”です。)
イタリアものを歌っても、私にはほとんど違和感がありません。
今日の歌唱も非常に丁寧で、欠点らしい欠点は特にないのですけれども、、
なんというか、無味無臭というか、、野蛮さも獰猛さもなくて、
”神の鞭”とまで呼ばれたというフン族アッティラのキャラクターをあまり感じません。
スキンケアに血道をあげる最近の若い男の子のつるつるの肌を思わせるような歌です。
これだけきちんと歌って文句を言われるアブドラザコフには我ながら気の毒なんですが、
このアッティラ王という役は、きちんと綺麗に歌えるだけでは駄目なんじゃないかな、というのが私の考えで、
もっとパーソナリティを!!キャラを!!!この感想に尽きます。



リハーサルでは結構歌唱に苦労していた、と聞いていたオダベッラ役のウルマナ。
私は彼女も今までに他の演目で聴いた経験から、今ひとつ、パンチを感じないなあ、、という印象が多く、
音色に関しても、これが彼女のサウンド!と呼べるものが希薄なような気がして、それほど好きなソプラノではないのですが、
その期待(の低さ)に反して、今日の歌唱は全然悪くなかったです。
彼女がメゾからソプラノへの転向組だというのを私が知ったのはごく最近のことなんですが、
そう言われれば、、と感じたのは、特にプロローグの部分での彼女の歌唱の高音域です。
彼女の場合、もともと高音域に強い真性ソプラノとは違って、そこで伸びが出てくるのにかなり時間がかかるような感じがあって、
プロローグでの彼女の高音域はどれもやや無理に押し出している感じがしてあまり魅力的なサウンドではありません。
けれども意外だったのは、コロラトゥーラの技術が思ったよりも全然しっかりしていることで、
細かく早い音が続くフレーズでも、きちんと一つ一つの音の輪郭がはっきりしているし、
そうでなければムーティに殺されるからでしょうが、全ての音を丁寧に歌っているのは好印象です。
それからやや苦しい高音域に対し、低音域、これがものすごくしっかりしているのは彼女のこの役の最大の強みです。
さすがもとメゾ!
このオダベッラ役は、のっけのプロローグから合唱と絡む大きな聴かせどころがあるんですが、
ここの音域が上と下で本当に広くて、こんなの両方上手く歌えるソプラノいるわけないでしょうが!
とヴェルディに突っ込みたくなります。



実際、記述のスカラのDVDで同役を歌っているステューダーなんかは、高音でびっくりするような綺麗な音を出していますが、
低音域は、ほとんど何も聴こえない、という有様です。
私が予習で聴いた中では、シノーポリが指揮しているウィーン歌劇場での1980年のライブ盤
(アッティラ役がギャウロフ、エツィオ役がカプッチッリ!)でのザンピエリが割と両音域ともきちんと出ていて、
音色もイタリア的なんですが、これだけ必要な音域が広く、
しかも、それが一瞬ではなく、曲中にまたがって、しかもフル・フォースで出さなければならないとなると、
ほとんどの場合は、どちらかに強い方が寄ってしまうのが必然じゃないかなと思います。
ステューダーの全く出ていない低い音に比べたら、無理目でも何とか出ているウルマナの高音の方がよい!
という人も少なからずいることでしょう。
私もどうしても選ばなければならないとしたら、全く低音域がだめな歌手よりは、ウルマナのようなタイプをとると思います。
このアマゾネスのような強い女の役で、低音がきっちり出ないのは厳しいゆえ。

この初日に関しては、とにかく気合で全ての音をきちんと出していたようで、
二回目の公演以降で彼女の歌唱が少し崩れている、という噂も聞いているんですが、
全米のラジオ局、およびネットラジオでも放送のある3/6の公演では、どれくらい初日のような集中力が見せられるでしょう?
その日は私も劇場で再度、生鑑賞の予定ですので、楽しみです。



実は予習中、彼の声とこの役はあまり合っていないんではないのか、、?と心配だったのは、
ヴァルガスが歌うフォレスト役です。
直近のスカラ座日本公演でも『ドン・カルロ』の表題役を歌っていた通り、
着々とヴェルディのテノール・ロールに手を出しているみたいですが、
私は彼が非常に優れた音楽センスを持っているとは思うものの、
ヴェルディ作品だと、かなり限られた一部の作品(例えば『椿姫』のアルフレードなど)にしか、
本来向かない声なんでは?と思っているのです。
今回も、いつもの調子で、”こんな風にもこの役には歌えるのさ。”とばかりに、
彼流に(とはいえ、決して下品だったり一人よがりではなくて、
それなりにきちんと歌ってしまうのが彼のすごいところなんですが。)歌っていましたが、
本当は彼のような線の細い声ではなくて、もうちょっとスケールの大きい声を持った歌手の方が向いていると思うし、
それから、ヴァルガスはこの役には少し知的過ぎて感じるきらいもあって、
もうちょっと何も考えてなさそうな、熱血アーパータイプのテノールでいいと思います。
最近、ヴァルガスの歌には、好ましいのだけど、なんかわくわく度が足りない、、と感じることが多いんですが、
今回もそのパターンだったように思います。
これは、アブドラザコフについて書いたことにもつながるのですが、
ヴェルディの作品でわくわくするためには、クリーンで知的な歌だけでは足りないものがあるんですよね。



公演当日には、”病気のため”と説明された、エツィオ役のカルロス・アルヴァレスの降板なんですが、
結局ランの全部から降板することになったのを見ると、もしかして、ムーティに抹殺されたんではないか、、?との疑惑も起こります。
今日も含め、ムーティが指揮する公演はすべてジョヴァンニ・メオー二(下の写真)が代役をつとめ、
指揮がアルミリアートに交替する最後の三公演では、『セヴィリヤの理髪師』のフィガロ役を歌い終えたばかりの
フランコ・ヴァサロにお鉢がまわってくるようです。
メオー二は声量もあって、アンダースタディ(おそらくムーティ指定の、だったのだと思います)として、
きちんと舞台を観察して来たためか、役作りも急しのぎ的なところがなく、非常に落ち着いて歌っていて、
代役としては大健闘でしたが、ただ、彼は声そのものにあまり魅力がなくて、
時々、非常にコアース(粗い)な音が入るのが気になりました。
風邪か何かでもないのに、ああいう混じりけのある音が入るのは、ちょっと感心しません。



かつて、『アッティラ』表題役の最もすぐれた歌い手であったレイミーの司教レオーネ。
彼については、最近公演によっては耐え難いまでのワブリングが炸裂することがあるんですが、
今日の公演では、あの短い登場時間(しかも、そのうち、ソロで歌う時間はごくごくわずか!)が、
アブドラザコフとは同じバスでも、もっている声そのものの器があまりにも違いすぎることが、
強烈にわかってしまった一瞬でもあり、ちょっぴりアブドラザコフが気の毒になってしまった位です。
レイミーについては、今シーズン急激に、歌うための息の出し入れそのものが大儀になっている感じがあって、
今日の『アッティラ』でもややそれを感じましたが、
翌週に観た『セヴィリヤの理髪師』のドン・バジリオではそれがあまりに顕著でびっくりしました。
ロッシーニの作品のような、猛烈な速さで息を出し入れしなければいけない作品は、
もう歌うことが難しいレベルに達しているように思います。



ただし。彼の歌には今でもきちんと脈拍を感じるというか、フレーズの一つ一つに、きちんとリズムがあるのが素晴らしいし、
それから、純粋な音としての響き、深さ、オペラハウスに彼の声が鳴った後の残響。
これを聴くと、彼はやっぱり特別なレベルの歌手だったんだな、と感じます。
その点は、今日の『アッティラ』でも『セヴィリヤ』でも全く同じです。
声というのは千差万別でどれ一つとして同じものはありませんが、
しかし、特別な声だと観客に認識されるクオリティというものは、間違いなく存在していて、
レイミーはそれを持っていて、残念ながら、アブドラザコフの声にはそれがない、ということが、
一瞬にして観客にわかってしまうという、残酷な瞬間になっているのでした。
アブドラザコフがあんなに丁寧に歌っていて、レイミーはもう自分の思うようには歌えない、そんな状態でも、です。



かように、歌に関しては、本人の意志でなんともならない部分を除いては、
総じて全ての歌手がもてる力は全て出して健闘していたのですが、問題はアウディの演出です。
オペラの『アッティラ』では海が大切な要素になっていて、それはスカラ座の公演のDVDを観ても明らかなんですが、
今回の演出ではかろうじて、青いライティングが水を表現しているのかな?と思わせるシーンが一つあっただけで、
それ以外は、全く水の存在を感じないプロダクションでがっかりしました。
水がないなら、せめて、平原を、、と思うのですが、北緯45度のアクィレイアから、
なぜか石仏の力で舞台が南緯15度のアマゾンに吹っ飛び、舞台には植物園もびっくり、熱帯雨林が展開しているのです!
(本物の植物を7400も使用しているらしいのは、レクチャーの記事に書いた通り。)
このトロピカル・フォレストはシーズン前のイメージ写真で、ターザンのようなアブドラザコフの後ろにも
すでに垣間見えていたので、私は何か意味があるのか?と思っていたのですが、
それが、本当に怖いくらい、全く意味がないんです。
(後注:プレイビルをよく読むと、舞台として展開する場所の一つに原始林が入っていましたので、
それを踏まえたものかもしれません。
もちろん、イタリアの原始林がアマゾンの熱帯雨林みたいなわけはないと思いますが。)
その上、登場人物同士の舞台上のインタラクションもドラマも欠落していて、私の隣のおじさまは、
”フォレストにキスするオダベッラが、まるで甥にキスする叔母か何かに見えた。”と言っていました。
この演出はただ目に美しいバックドロップを置いただけの無意味なプロダクション、と書こうと思って、
目に美しくすらなかった場面もあったのを思い出しました。
アッティラに毒を盛る緊迫したシーン、、この後ろにある青いシートは何ですか?後ろは工事現場か何かなんでしょうか?
石仏、おそるべし。公演後にブーの集中砲火を受けてましたが、これはもう当たり前でしょう。二度とメトに帰って来なくてよろし。

それから衣装を担当したプラダは、本来合唱の女性に着せるはずの衣装デザインが、
”太い女には似合わないから、痩せたモデルに着せてほしい。(まあ、ここまではっきり言っちゃいませんが、
そういうことです。)”と駄々をこね、三枚目の写真にある枝みたいなエキストラに着せる無理を通したみたいです。
そんな彼女の衣装は私には所詮、ランウェイ用の衣服の延長に見えるというか、、
全然オペラの舞台上で客にインパクトを与えたり、物語を引き出す種類のものではないと思いました。
特にフォレストの衣装なんて、こんな格好、その辺の男の子が道で普通に着ていても違和感のないものです。



ムーティの指揮については、色々思うことがありました。
このブログにコメントされる方に、彼を好きな方が多いから言うのではありませんし、
多くの人が認めることだと思いますが、やはり、非常に優れた指揮者だとは思います。

ほんの数週間しかリハーサルがなかった状態で、メト・オケにこういういつもと雰囲気の違う演奏をさせられる、ということ自体、
”この作品はこういう風に演奏されるべき”という具体的で深いスタイルについての洞察と理解、
それを実際に形に出来る能力があるからだと思います。
ただ、オケが持っている音色というものは、そう簡単には変わらないので、思ったよりはいつものメトっぽい、
と感じる方もいるかもしれません。
しかし、演奏の仕方は、普段のメトのヴェルディとは全然違うと私は思いました。



一方で、私はメト・オケが萎縮しているとも感じて、彼らの最もいいところが出た演奏とも思いませんでした。
特にプロローグの前半はすごく重苦しかったと思います。
プロローグの後半くらいからはだいぶ良くなりましたが。
ムーティの方法は、オケに”失敗してはいけない、、。”と感じながら良い演奏をさせるタイプで、
この方法が有効なオケもあるでしょうが、残念ながらメトではあまり有効ではないというのが私の考えです。

オケよりも、むしろ、私がムーティの力を賞賛したいのは合唱の指導の方かもしれないです。
今回、彼はオケだけでなく、合唱にかなりの量の時間を割き、直々に指導していたらしい、という話は聞いていたのですが、
合唱は見事に彼の指導に答えて(もしかするとオケ以上に)、
私がいまだかつてメトの合唱から聴いたことがないような、美しい響き、言葉の揃い方、パワフルさを聴かせていました。
男性合唱の方はパルンボ氏がコーラス・マスターになってから、段々と地力がつきはじめているな、という印象はありましたが、
こんなにいい合唱を聴かせられるポテンシャルがあったとは本当に驚きです。
この後に観た『セヴィリヤの理髪師』でも、合唱が今シーズンの前半に聴いた公演とは雲泥の差で、
一つの演目で得た知識や経験が作品は違えど他でも生きた好例だと思います。



ムーティは公演中も帝王ぶり全開で、休憩なしで突入する一幕の前になかなか静まらない客席を、
肩越しに、”てめえら、殺されたいか?”という表情でガンを飛ばすなど、迫力満点。
最後の舞台挨拶では、二回メインのキャストに拍手しただけで、まだ収まらない観客の拍手の中を、
”そんな大げさに騒ぐものでもあるまい。”という風に手を振りながら、
客席、キャストがあっけにとられる中、一人ですたすたと歩いて舞台袖に行ってしまいました。
スカラ座の日本公演ではしつこい位の拍手にも付き合っていたと思うんですけどね。
というか、この行動はどうなんでしょう、、?
別に彼だけに拍手を送っているわけではなく、キャストの中にはもう少し長く客からの拍手を楽しみたい、という人もいたと思うんですけど。
相変わらず、俺様キャラが最後まで炸裂でした。


Ildar Abdrazakov (Attila)
Violeta Urmana (Odabella)
Ramón Vargas (Foresto)
Giovanni Meoni replacing Carlos Alvarez (Ezio)
Russell Thomas (Uldino)
Samuel Ramey (Leone)
Conductor: Riccardo Muti
Production: Pierre Audi
Set & Costume design: Miuccia Prada, Herzog & de Meuron
Lighting design: Jean Kalman
Associate costume design: Robby Duiveman
Gr Tier C Odd
ON

*** ヴェルディ アッティラ Verdi Attila ***

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9 コメント

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イタリアかジャングルか? (kametaro07)
2010-03-06 21:50:28
いつもながらの精彩な分析、なるほど!と思うことが多々あります。

アブドラザコフ
>”神の鞭”とまで呼ばれたというフン族アッティラのキャラクターをあまり感じません。
私がネコ化してしまった一因はそこにあったかもしれません。
確かに惹きつけられるほどの魅力とまではいきませんでした。
今さらながら、ヴェルディ作品は歌手の魅力が公演を大きく左右するというのを実感させられました。

ムーティ
>客席、キャストがあっけにとられる中、一人ですたすたと歩いて舞台袖に行ってしまいました。
これは一体?と思わせる行動でした。
私は何か気に入らないことがあったのかと思ったのですが、仰るように”そんな大げさに騒ぐものでもあるまい。”というだけのことかもしれませんね。
いずれにせよ帝王と呼ばれるくらい存在感がありすぎる人なので、行動ひとつひとつに何か意味があるのではないか?と勘ぐってしまいます^^;

演出
>舞台には植物園もびっくり、熱帯雨林が展開しているのです!
これはやはりムーティも出来上がった舞台を見て「こんなはずじゃなかった」というところではないでしょうか?
イタリアにとって重要な意味がある作品ということで相当な愛着を持っているようなのに・・・アッティラ・ターザンヴァージョンになってしまいましたからねー
返信する
制限字数いっぱい (Madokakip)
2010-03-07 00:37:46
 kametaro07さん、

またしても公演を反芻しながら書いていると、
気がつけば制限字数一杯になっていまして(笑)、
私達の公演後の楽しいひと時についてふれるスペースがなくなってしまいました。
この場を借りて、お礼を申し上げます。
来シーズン、またお会いできるのを楽しみにしております。

>行動ひとつひとつに何か意味があるのではないか

(笑)そうですね。
この時はおばちゃんみたいに、”あらやだ。”という感じで手を振って舞台から去っていったので、
私が見た感じでは、あまり大げさに騒ぐほどでもないよ、、という感じだったのかな、と思っています。
それから、しつこく何度もキャストに拍手するのは馬鹿馬鹿しいからやめてくれ、というところだったのかな、と思います。

演出に関してはもうリハーサルの時からかなりご機嫌斜めだったらしいんで、
ある程度あきらめて指揮台に立っているんじゃないかな、と思います。
Opera Newsのインタビューで、くすくす笑いしながら、
演出案の段階では素晴らしいものをぶちあげておきながら、
出来上がってみたら、全然案と違っていることがあるからね、、と
言ってましたが、それが現実のものになってしまったのでは、、?
(ちなみに、そのOpera Newsのインタビューはリハーサルのだいぶ前に行われています。)
返信する
ヴェルディの初期作品 (Boni)
2010-03-07 19:28:31
>オペラ作品『アッティラ』の、あほくさいストーリーとリブレットのひどさには泣けてきます。

いやいや、ストーリーのあほくささの点でしたら、「ロンバルディア人」や「エルナーニ」だって些かも退けは取りませんよ。
「シチリアの晩祷」にしても、音楽は良いけどストーリーは「へ?」って感じですし。

だいたいヴェルディの初期作品の大半が、魅力的ではあっても荒削りで力技炸裂の音楽に、かなり馬鹿げたストーリーが結びついたようなものですから。
だからこそ、これらの作品の上演が成功するか否かは、歌手の技量と演出に大きく左右されるのでしょうね。

アッティラ役のアブドラザコフについては、やはりヴェルディの初期作品のひとつ「オベルト」のタイトルロールを演じている映像を観たことがあるのですが、良い歌手なんだけれど、いまひとつ魅力に欠けるように感じた記憶があります。

現在入手できる「アッティラ」の映像はレイミーの演じたものだけですし、その本人が別の役で出演しているとなれば、どうしたって比較してしまうでしょうね。
歌手としての力量は別にしても、レイミーの何処となくエキゾチックな顔立ちと精悍な容姿はアッティラそのもので、余りにもはまっていますから、アブドラザコフはかなり分が悪いのでは。

しかし、このブルーシートはどうにかならないもんですかね。
ドサ周り一座がどこかの植物園で公演しているようです。
返信する
ヴァルガス (babyfairy)
2010-03-09 08:00:45
ご無沙汰しております。
ヴァルガス、今回もまたかなり重たい役を歌ったみたいですね。去年6月にコヴェントガーデンの「仮面舞踏会」でヴァルガスのリッカルドを聴きました。

立派な歌唱で、他は特筆すべき事の余り無いキャストの中では抜きん出ていましたが、おっしゃる通り、声質がヴェルディには向かないと思います。

そうそう、次いでに加えればそのキャストの中にはあのスカラ座の「ドン・カルロ」のポーザに大抜擢された歌手も入っていました。あのポーザも何だかなあでしたが(ポーザについてはつい最近、テジエのポーザを聴いて感激したばかりです~これから私、テジエの追っかけしますので)、実際に観ても舞台での存在感にレナートらしい「押し出し」が欠けていて、はっきり言ってつまらなかったです。。。

返信する
頂いた順です (Madokakip)
2010-03-09 13:29:42
頂いた順です。

 Boniさん、

そうですね、馬鹿げたストーリーの宝庫でした、ヴェルディの初期作品。

ただ、この『アッティラ』については、
もともと馬鹿馬鹿しいうえに、さらに、
1)馬鹿馬鹿しさが炸裂するテンポがまた最悪
2)どの登場人物にも感情移入しにくく
3)行動の動機が全く説明がつかない個所が多い

1)オダベッラのプロローグのあの超絶歌唱のところで、
”この女、ええ女やな~”とでれっとするアッティラ。
もうのっけから、怖い大王とこの格好悪さが同居!
2)かろうじてアッティラが一番魅力的かな?と思うのですが、
なんか苦悩の深みが、他の名作に比べると浅いですよね。
フォレストは、私、全然感情移入できません!!
3)オダベッラって、結局、少しはアッティラに魅かれていた部分もあった、と取った方が面白くなるんですが、
なんか、そうともはっきりしてなくて、
このオダベッラという人が良くわかりません、私には、、。

多分、この作品で私がのれないのは、
馬鹿馬鹿しくてもいいから、感情移入できる強い磁力を持った登場人物がいないからかな、と思うのですよね。
音楽は悪くないので、もったいないです。

>アブドラザコフ
>良い歌手なんだけれど、いまひとつ魅力に欠ける

私も全く同じ思いです。
上手いといえば、上手いんですよね。
3/6も、ほとんど歌唱に欠点がないくらいの感じだったんですけれども、
何かが足りないんですよね、、。

>レイミーの何処となくエキゾチックな顔立ちと精悍な容姿

”何処となくエキゾチックな”は限りなく”お猿さんのような”に近いですが、
確かに雰囲気があってるんですよ。
アブドラザコフは自分もエスニックだ!と思っているらしいですが、
(インタビューでそんなようなことを言ってました。)、
あなた、レイミーに比べたら、全然エキゾ度が足りなくってよ!って感じですよね。

>ドサ周り一座がどこかの植物園で公演しているようです

あはは!!本当に!!!

 babyfairyさん、

こんにちは!テジエのポーザ、ご覧になったのですね!!
あのマルチェッロのような格好、メトの時も全く同じでした、、。
あれはもしかすると出待ち用のコスチュームなのか、、?

>スカラ座の「ドン・カルロ」のポーザに大抜擢された歌手

イェニスのことですよね、きっと。
彼、スカラの来日公演ではそう評判は悪くなかったようですが、
私もスカラのHDで観た時は、全く魅力を感じませんでした。
そうですよ、無難で押し出しのないポーザやレナートなんて、魅力半減です!!
返信する
そうそう、イェニスです (babyfairy)
2010-03-09 18:52:14
名前忘れる程、歌は「ごく普通」でした。スカラ座にしろ、コヴェントガーデンにしろ、両方ともそれなりに有名な歌劇場なのだから、ポーザやレナートのようなヴェルディ・オペラの要の役どころに、「ごく普通」を持って来るのはどうかと思いました。

>あれはもしかすると出待ち用のコスチュームなのか、、?

受けてしまいました。そうなのかも・・・。
返信する
伏字かと思えば (Madokakip)
2010-03-10 12:52:53
 babyfairyさん、

>>スカラ座の「ドン・カルロ」のポーザに大抜擢された歌手

というのは、名前を出すのが気が引けるので、
という、”伏字”目的かしら?と思っていましたが、

>名前忘れる程、歌は「ごく普通」でした

そうじゃなかったのだ、と、笑ってしまいました(笑)

私はスカラのHDで聴いただけなので、もしかすると、
生なら何か魅力があるのかしら、、?と思っていたのですが、
babyfairyさんのレナートでの感想をお聴きして、
やっぱり駄目か、、、という感じです。
返信する
ご無沙汰です (rosynow)
2010-03-11 15:43:21
METのシーズンブックを読んでいたせいか、アッティラは結構楽しめました。
森はコッポラの地獄の黙示録のイメージと建築家がのたまわっていましたし、パリのファッションショーから抜け出てきたかのようなコスチュームはさすがにこれがプラダかと感心?しちゃいました。
レイミーが今は僧侶役で時代の流れを感じますが、胸毛をさらしていた彼のアッティラ王今再びと望む気分です。
返信する
!?!?!? (Madokakip)
2010-03-13 12:56:52
 rosynowさん、

こんにちは!

>森はコッポラの地獄の黙示録のイメージと建築家がのたまわっていましたし

そんなこと言ってたんですか?!
張り倒したくなってきました(笑)
しかも、どこが?!ですよね。

>レイミー

彼、自分の実名で、アメリカの地方紙のウェブ上の
アッティラ評に、このプロダクションと演出家を非難するコメントを書いて、
ちょっとした騒ぎになりました。
(あんなの実名で書く人はいないだろうから、
偽コメントだろう、とみんなが言っていたら、
私がいつも読んでいるブログの管理人で、
NYポストのオペラ評を担当しているチエカさんあてに、
彼から、”あれは本当に僕なんだけど、こんな騒ぎになるとは思わなかったなあ。”なんて、メッセージが来たそうです。
ただ、彼は、、、今回結構苦々しい気持ちもあるんじゃないかな、と思いますね。
アッティラ役は少なくともアメリカでは彼がフロンティアでしたし、、。
Opera Newsのインタビューでもそんな苦々しさを感じました。
なんだか、早く引退してくださいね、とお膳立てされているような気がしているんじゃないかと思います。
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