Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

FAUST (Tues, Nov 29, 2011)

2011-11-29 | メトロポリタン・オペラ
演出の内容にふれてふれてふれまくりますので、HDをご覧になる方はその点をご了承の上お読みください。

一週間前の『サティアグラハ』の公演のインターミッションで、二人のヘッズ友達とテーブルをご一緒しました。
以前『リゴレット』の記事でも紹介したことのある、マフィアな指揮者と彼のお友達のコンビですが、
後者の男性はNY在住のフランス人で、フランスもののオペラ、
わけてもグノーの『ファウスト』には、”スコアのどの部分からでも、誰のパートでも暗譜で歌えるよ。”と仰るほどの愛着をお持ちです。
その彼が、”今度の『ファウスト』は何語の上演だね?”と尋ねられました。
何語って、、、英語上演などを掲げている特殊な劇場を除いて、グノーの『ファウスト』は普通フランス語でしか上演されないでしょう、
少なくともメトではずっとそうだから、、と、マフィアな指揮者と私が声を揃えて”そりゃフランス語でしょう?”というと、
”ああ、良かった。全幕サンスクリット語だったらどうしようかと思って、、。”

『サティアグラハ』が字幕訳なしの、オール・サンスクリット語上演であることにひっかけての冗談だったわけですが、
この三人が揃うと、最近のメトの演出面・音楽面の方向性について憂うことが多く、
”確かにゲルブ支配人ならそういう『ファウスト』もやりかねん。”と頷いてしまいます。



メトでは、『ファウスト』も長らく良い演出に恵まれていない作品の一つで、
二つ前のハロルド・プリンスの演出は、多くの人が”あれはひどかった、、。”と言いますし、
アンドレイ・セルバンによる前演出も、”それに比べれば若干ましだけど、やっぱりいまいち。”という評価が多い。
今回新演出となるマカナフのプロダクションはENO(イングリッシュ・ナショナル・オペラ)との共同制作で、先にENOで上演されていますが、
マフィアな指揮者の”原爆も登場するらしいよ。”という言葉に、
一体『ファウスト』と原爆投下の間にどんな関係があるんだよ、、、とげんなりする私たちなのでした。

かような、間違ってもコンベンショナルとはいえない、一歩間違えたら地雷を踏む(=オーディエンスから大ブーイングを食らう)ことにになりかねない設定に加え、
かなり舞台上にいる歌手にとって歌いにくいセットであるらしいこと、
また、ネゼ・セギャンの指揮とソリストの息がなかなか合わない、などといったことが重なって、初日への不安とストレスがピークに達したのでしょうか?
ドレス・リハーサルの一つ前のリハーサル中に、演出上彼が手に持たなければならなかったグラス(おそらく毒薬を飲もうとする場面の)の中に
ほこりが入っていると言ってカウフマンが大激怒。
"きれいなグラス一つ渡せないのか?”と叫んで演出家に向かって両中指を立てたそうで(しかも、”きれいなグラス”という言葉の前にfワードをつける念の入れよう、、)で、
ずっと彼をプロフェッショナルで感じのよいアーティストだと思っていたメトのスタッフはみんな目玉が飛び出るほどびっくりして固まったそうです。
出待ちをした時に接した穏やかな彼の姿からはにわかに信じ難いエピソードなのですが、
この事件を直接目撃した私の友人は、キャスリーン・バトルの後継者がテノールから現れるとは、、とびっくりしてます。



演出家や指揮者に対してソリスト全員がフラストレーションを抱えていたのは事実で、彼らの気持ちを代弁した部分も多分にあったのだとは思いますし、
メトでは次々ひどい演出ばかりあてがわれて(ボンディの『トスカ』、ルパージュの『ワルキューレ』、、
後者については最近のオペラ・ニュースのインタビューの中で、ルパージュと意見が衝突した経緯や理由について語っています。)腹が立つのも良くわかりますが、
プロが仕事をする場では越えてはならない一線というものがあって、
英語に精通していなくて、場をわきまえずにfワードを使いたがる輩とは違い、
インタビューなどであれだけ流暢な英語を話すカウフマンなんですから、
その言葉がどういうインパクトを持つか十分理解した上で発したと思われるだけに、余計に驚きが大きいです。

一人アクティング・アウトするカウフマンに、
側に寄ってきてグラスをのぞきこみ、”もうウォッカにしてもらうしかないわね。(飲まなきゃやってられないわよね、の意か?)”と発言するポプラフスカヤ、
一番やる気無さげ&クールなパペは、場をなごませようとしてか、しきりにパペの歌唱を”素晴らしい!”と賛嘆するネゼ・セギャンに、
いちいち君に大騒ぎしてもらわなくてもそんなことわかってるんだけどな、という調子で、
"I know."と言い放ち、ネゼ・セギャンを呆然状態に陥れ、
その横で、各種の演出上の問題点について、ソリスト達に”その問題もこの問題も治しますから!”と詫びまくっているマカナフ、、。
初日が一週間後に迫っているのにこんな状態で大丈夫なのか、、?と話を聞いているだけでどきどきしてしまいます。



で、時は流れ、その『ファウスト』初日。
老いたファウストがいるのは原爆開発に携わったと思しきラボ(研究室。ただし具体性はなく、架空のラボと言ってもよい。)。
時は原爆が投下されて間もない頃なのでしょう。
この老ファウストにテノールがどのように化け・演じるかもこの作品を実演や映像で観る際の小さな楽しみの一つですが、
このプロダクションでは、ファウストが通常の哲学者ではなく科学者という設定のせいもあり、カウフマンが理系の堅物っぽい雰囲気で登場(二枚目の写真)。
恋もせず研究にいそしんで来て、それでも何もわからないままの自分の人生を嘆き(リブレットの文字通りに行くとそういう解釈になるのですが、
この演出のファウストにはその嘆きにもっと深い意味があることが、オーディエンスには追々判って来ます。)、
毒をあおって死のうとする瞬間、ファウストの前に現れたスタイリッシュな白スーツに身を包んだパペ扮するメフィストフェレス。
まるでファウストとは正反対の雰囲気の、もしかするとファウストが研究に身を捧げていなければ自分もこんな風でありたいと願ったかもしれない、そんな雰囲気の粋な悪魔。
今までのメトのメフィストフェレスが見るからに悪魔悪魔した雰囲気だったのとはまずそこが大きく違います。
(例えばセルバン演出のメフィストフェレスは黒いタキシードを身につけ、白のタキシードを着たファウストに対して、色でその邪悪さをシンボライズしていました。)
実際、契約に同意したカウフマン・ファウストが煙の向こうに消えて、若返った姿で姿を現す時、彼はメフィストフェレスと全く同じ白のスーツ姿で現れ、
メフィストフェレスに憧れ、門入りした弟子のようであり(トップの写真)、
その後もメフィストフェレスと常に衣装が同じであることから、ファウストがメフィストフェレスと対立・対比する別キャラクターなのではなくて、
この演出に於いては、ファウスト=メフィストフェレスでもあることがわかります。



メフィストフェレスがファウストに見せる幻影の中の女性は、ファウストがこれまでに見たことのない女性で、ニ幕でその女性に実際出会って、
ファウストがその女性マルグリートに恋を告白、、という流れの演出が多いと思いますが、
この演出ではその幻影の中の女性が、白衣を着たはこふぐ、、いえ、ポプラフスカヤである点が面白いと思いました。
つまり、マルグリートはファウストのラボの同僚で、彼は彼女にずっと片思いしていた、ということになるのだと思います。

第二次世界大戦直後から30年ほど若返ると、それは大体第一次世界大戦終結の頃になります。
つまり、この演出では、とても簡単に言うと、第一次世界大戦から第二次世界大戦の終結にかけて、
ファウストが原爆投下に加担し、国の繁栄という名分の下に被爆する人の苦しみに目を背けたプロセスを、
マルグリートを死においこむ経緯と結果、自分勝手な快楽のために、彼女の苦しみから目を背けた事へのファウストの後悔と自責の念に重ねて描いており、
自分が犯した罪の深さを知ったファウストは、作品の最後に、再びあの最初の、理系おやじ姿で毒が入っているグラスを手にしている場面に戻りますが、
今度は毒を一気にあおって自分の命を絶ってしまいます。
メフィストフェレスが見事にファウストを死に押しやったというわけです。

ということで、この演出では、作品の大部分をファウストが死に臨んで見た一瞬の幻影である、と解釈することも出来ますし、
オーディエンス側に色んな解釈を許す演出になっています。



ワルプルギスの夜の場面の意味が少しわかりにくいとか、
最後にマルグリートを救うのがラボの人間であるのはなぜなのか?(彼らはファウストと同様に原爆に加担した側の人間ではなかったのか?)といった疑問が残り、
少し収拾がつかなくなったのかな、と思わせる箇所がありますし、
このかなり大胆な読み替えのせいで、舞台がグノーの音楽と今一つマッチしていない箇所もあります。
例えば、ファウストが”この清らかな住まい”を歌う時、彼が歌っているのはもちろん彼女の家そのもののことではなく、
家というものを借りて彼女自身のことを歌っているのであって、よって舞台上の家は彼女の優しさと純真さ、温かさを感じるものでなければならない、と私は思いますが、
まるでラボの延長のような寒々しい雰囲気なのは違和感あり。
一方、トゥーレの王の歌の糸紡ぎは、足踏み式ミシンになってしまっていますが、読み替えにしてはまあまあ雰囲気を留めるのに成功している方かもしれません。
ただ、上に書いたような演出の狙い上、このオペラにおけるロマンス的要素、それから宗教的要素を重視する向きのオーディエンスには
あまり好意的には受け入れられない演出だと思います。
(教会のシーンもマルグリートが天国に上っていく場面も、感動的ではなく、どこか冷ややかな感じがあります。)
しかし、ファウストの苦悩に限ればこのような形で提示したオリジナリティ、これは評価したいと思いますし、
その中でのメフィストフェレスの役の使い方も上手いと思います。
舞台を見終わった時、この作品のこれまでの鑑賞後感とはちょっと違う感触が残るのは面白いと思いました。
舞台演出は必ずしも否定的ではない意味でブロードウェイ的。



ポプラフスカヤはもう少しトップ(高音域)を磨かなければならない、ここに尽きると思います。
大フィアスコだった『椿姫』とは違って、
この役は機敏な音の動きは必要とされないし、中音域くらいまでは、彼女の独特のぼやんとした声の響きがアンニュイな雰囲気を作り上げていて、
特にファウストが姿を見せなくなってからのマルグリートの表現に大変有効だと思うので、
この音色がトップでも保たれたなら、潜在的にはコーリング・カードとなる持ち役になるだろうに、、と思います。
トゥーレの王の歌なんか、途中まではとても良い感じなのですけれど、高音域に入った途端に、音程を追うので精一杯といった雰囲気の、
ブリージーな(息の音が入っているような)魅力的でない音になってしまうものですから、残念です。
ただ、彼女のこの役での演技や佇まいを含めた表現、これはすごく良くて、
私がメトで彼女を見た役は限られていますが(ナターシャ、リュー、エリザベッタ、ヴィオレッタ、そしてマルグリート)、
これまでの中で最も優れた役の掌握と表現だったように思います。



そういえば、この演出では各幕の合間に彼女の顔が幕の上にプロジェクトされ、それがゆっくりと表情を変えたりしてモーフィングしていくという手法がとられていて、
あの四角い顔がメトの大きな幕の上に大写しになって、しかもそれが刻々と変わっていったりするのですから、
彼女のことが苦手なオペラファンには虐待に近い仕打ちかもしれませんが、
これが意外にもなかなか効果的で、というのも、彼女はこうやって顔の表情だけ見ていても非常にエクスプレッシブで、
やっぱり非常に演技が達者な人なんだな、というのを感じます。
これだけ個性的な、しかも一般的に言って人にあまり好意をもたれにくい顔でありながら、
マルグリートの純真さとかある種、子供のような無垢さをきちんと表現できているのはすごいことだと思います。
少なくとも、美人が同じ結果を出すよりもすごいことをなしえているのは間違いありません。

また、ファウストとの間に子供が生まれて村人から陰口を叩かれて精神の均衡を失っていく表現も鬼気迫っていて素晴らしかったです。
この演出では第二次世界大戦というのが大きなバックボーンになっているわけですが、
短髪にされ、子供を抱きながら立っているポプラフスカヤの姿は、ロバート・キャパの作品の中でもとりわけ良く知られている、
ドイツ人兵士との間に子供を作った女性が剃髪され、ハンガリーの街の好奇の目の中を引き回しにされている写真を思い起こさせました。
もちろんこの演出では原爆が爆発する瞬間も取り上げられていて、舞台幕には緑のきのこ雲が浮き上がってそれが散り散りになって行く映像が映りますが、
『ドクター・アトミック』や『トスカ』を観た時のような不快な気分に不思議とならないのは、
この作品において、戦争の力を大きくも小さくもいずれの方向にも歪めることがなく(←『ドクター・アトミック』が失敗している点)、
もちろん話題作りのためだけのわけのわからない道具などでは決してなく(嗚呼、『トスカ』!!)、
ファウストの葛藤を描写するというきちんとした目的のもとに、適切な方法で扱われているからだと思います。



私がオペラの『ファウスト』の公演を成功させるのに絶対欠かせないと思うことの一つにユーモアがあります。
しかも単にユーモラスなだけでなく、作品にあったユーモラスさでなければいけません。
パペのメフィストフェレスは前回のセルバンの旧演出でも好評でしたが、
(そういえばセルバン演出の初日でも彼がメフィストフェレスでしたので、ということは、彼は今回メトで同作品ニ演出連続でオープニングを努めたことになるんですね。)
衣装から何からものすごくカラフルな悪魔で、私の思うユーモアとはちょっと違う感じ、、。
しかし、今回のパペのメフィストフェレス、これはもうすっばらしかったです!!!!
パペに関しては幸運なことにマルケ王やフィリッポなど、優れた歌唱を今までも聴かせてもらっていますが、
それらを押しのけて、今日の彼の歌唱を私ならこれまでに聴いた彼のベストに置くかも知れません。それ位素晴らしかった。
マルケ王やフィリッポよりメフィストフェレス!というのがなんともいえませんが、良いものは良いのですから仕方ない。
まずは彼の声と歌唱のなんと確固としていて丁寧なことよ!
『ボリス・ゴドゥノフ』をはじめ、最近、時に声の焦点が今一つ合っていないような、スカスカした感じを感じることもあった彼の声ですが、
今日の彼の声を聴いた瞬間、”私が以前から知っているパペはこれなのよー!今日のパペはこれは来るぞー!!!”とわくわくしてしまいました。



そして、黄金の子牛の歌!!!!これがもう大爆発!
僕に歌わせてくれたら失望させないけどね、、と何気なく普通の人を装いつつ、
村人から歌うのを許されて曲が始まった途端、みるみるうちに声に異様な光が宿り始めるのですが、
このコントラストと少しずつ悪魔の匂いが立ち込めていくような表現が実に上手い。
ずっしりと中身の詰まった重いサンドバッグのような今日のパペの声の中には、村人を催眠にかけるような甘い響きが若干混じりながら、
かと思うと、村人たちが我を忘れてメフィストフェレスを囲んで踊り始めると、それを決して止めさせないかのような権威溢れる強制的な響きもあり、
村人全員がアンデルセンの童話『赤い靴』の少女のように見えてきました。
超ド級の素晴らしい歌唱に負けず劣らずびっくりしたのは、パペのダンスです。
特に歌い終わった後、洗脳された村人をバックに自身、腕や足をかくかくと折り曲げて踊る姿はあまりに強烈過ぎて、
公演後から数日経った今も脳裏に焼きついて離れないくらい怖かったです、、、。
こんな危ない人、どう考えたって悪魔なんですから、どうして村人は十字架で追い詰めるだけでなく、徹底的にやっつけないのか?!と不思議に思います。
そういえば、その十字架に追い詰められるシーンも、床に這いつくばってのたうちまわって苦しがっているかと思うと、
力尽きてべたんと大の字で舞台の上に張り付いたりして、パペの体当たり演技が炸裂しています。



しかし、この第二幕で唯一壊れた姿を晒す以外は、至ってクールでスタイリッシュな悪魔で、かと思うと、
ウェンディ・ホワイトが年増のいけてない女的味付けで怪演しているマルト役との絡みでは、
悪魔のメフィストフェレスですら、このマルトにはほとほと手を焼いてたじたじ、、となってしまう様子を可愛くパペが歌い演じていて、
二人の息もすごく合っていて、とてもキュートな場面に仕上がっています(5つ目の写真)。
この演出が持っている重いテーマと冷たい雰囲気の中では、メフィストフェレスをあまり重厚に歌い演じすぎると、
全体が非常に重苦しい仕上がりになっていた可能性もありますが、パペはここにメフィストフェレスという役を通して
絶妙の加減で粋さ・お茶目さを加えており、公演が全体としてバランスよく仕上がったのはひとえにパペの力が大きかったと私は思っています。



全く意外なことに、三人のメインのソリストの中で一番精彩を欠いているように私に感じられたのはカウフマンです。
最近どこかの記事で書いた通り、カウフマンは今NYで異常な程人気があって、彼が九九を唱えただけでも”素晴らしい!”と言う人がいるのではないかと思えるほどで、
今回の『ファウスト』での彼のパフォーマンスにも高評価を与えている人がたくさんいるみたいですが、
今日みたいな演奏で彼に高評価を与える人たちというのは、彼の本当の実力をすごく低く見積もっているんだな、という風に思います。

まず、歌一つとっても全然本調子ではなかったと思います。
それは”この清らかな住まい”であちこちの音でピッチを狂わせていたことにも現れていて、
(ハイCはこのまま行くとやばいのではないか?と思いましたが、音が荒れ気味になりながらも、何とか切り抜けていました。)
ピッチが狂うということは、すなわち音のコントロールが完全には出来ていないということであって、そういう状況のもとで、
自分の思い通りに役、なかでもこの『ファウスト』のタイトル・ロールのような役を歌うことは至難です。

歌手にはコンディションというものがあって、いつも完璧な歌を歌える人なんていませんから、歌については、
まあ、運が悪かったな、ということで、仕方ないか、とも思えるのですが、
それよりも私が今回の公演で気になっているのは、カウフマンがこの演出の中でどのようにファウストという役を表現すべきか、
途方に暮れているように見えた点です。
ポプラフスカヤはクールな中に純真さと激しい情熱を秘めたマルグリートをストレートに好演(歌はもう一頑張りですが、、)し、
パペはベテランらしく、作品や演出全体のバランスを考えながら、実に巧みにユーモアと茶目っ気と粋さのあるメフィストフェレスを作りあげました。
で、カウフマンのファウストはどんな?と言われると、実に薄味で、こういうファウストだった!と形容できるような個性が全然ないのです。

歌の方では、マルグリートを思う気持ちを美しいピアニッシモにのせて歌ったり、
初めてマルグリートと実際に出会う場面では、非常に柔らかく歌いだしているのが、
彼女を驚かせたりおびえさせたりしないように、と内気な彼女を気遣うファウストの優しい気性を表現していたり、と、細かい工夫は見られるのですが、
細かい部分というのは、まず最初に大きな役柄の掌握、その人物はどんな人間なのか、という解釈があって、そのうえで初めて意味を持つもので、
そのベースがなかったら、どんな工夫も上滑りして、味気のないものになってしまいます。

カウフマンは他のテノールに比べて特別に声が綺麗なわけではないし(個性の強い声ゆえにいやがられるケースはあれど、、)、
クラウスのような抜群に洗練された美しい歌唱を誇る歌手でもありません。そんなことは本人もよくわかっているでしょう。
私が彼を優れた歌手であると思うのは、ひとえに、作品におけるドラマを自分の血肉と化し、
それを極めて高いレベルで歌と演技に乗せられるという、その能力ゆえです。
あのボンディの糞『トスカ』に新しい力を与え、
『カルメン』ではオーディエンスが息もつけない位の激しい愛と根本的な部分が違い過ぎる男女にそれが重なるとどのような悲劇を生むかを見事に表現し、
『ワルキューレ』ではほとんどの歌手がマシーンの存在に押し潰されて何のドラマも持ち込むことが出来ずにいた新リングに、強い息吹を与えた、
そのカウフマンですから、どんな質の悪い演出であっても”見せてしまえる”力を持っているのではないかと思っていたのですが、、、。

彼がアクト・アウトしたのは、もしかすると、なかなかこの演出の中で自分のファウストを摑めない苛立ちがあったからかもしれませんが、
時には一歩下がって冷静に、時にはパペのようにほとんどやる気が無いかのように振舞って見るのも必要かもしれません。
かっとなり過ぎて見えなくなってしまうということも時にはあるでしょう。
短期間でも演技をアジャストする高い能力を持っているカウフマンですので、HDの日までには自分のファウスト像はこうだ!というような
確固としたものが出来上がっているといいな、と思います。



ネゼ・セギャンは割りと本番に強いタイプなんでしょうか、
リハーサルでは心許なかったらしい部分も、なんとか無難に切り抜け、特に後半から終りにかけては熱のある演奏だったと思います。
彼はフランス系カナダ人ですので、この作品ではもしかすると、もうちょっと優雅で線の細い流麗な演奏をするかしら?と思っていたのですが、
どちらかというとストレート、がつがつと押すような、若気を感じる演奏でした。
彼はまだまだ若さと熱で押す傾向があって、そういう部分もいくらかはあっても良いと思いますが、
いつまでも若手ではないのですから、もうちょっと緻密な構築、それから歌手の呼吸というものを理解出来るようにならないといけないんじゃないかと思います。
カウフマンのアリアの中で、息が合っていない箇所があったし、そういう時のオケのまとめ方、乗り越えさせ方も若干未熟だという風に感じます。

ラッセル・ブローンのヴァランタンは声がひ弱で、表現もやや稚拙で期待外れ。
シーベル役を歌ったフランス系カナダ人のロジェは、メトには最近脇役でしっかりした力を持った若手を見かけることが多く、
嬉しく思っているのですが、まさにそんな若手の一人に数えられる出来でした。
(ただし、件の私の友人であるフランス出身のヘッドには、”彼女のフランス語にはカナダ訛りがある。”と言われてました。厳しい~!
ちなみに他の歌手は?と尋ねると、”全員、カタストロフィック!”と言っていて、さらにびっくり。
カウフマンはスカラでご一緒したフランス人の獣医さんによれば、少なくとも話し言葉はネイティブのようだそうですし、
フランス語のディクションは良い、と一般的に言われていますから、彼が格別に厳しいのだと思いますが。)


Jonas Kaufmann (Faust)
René Pape (Méphistophélès)
Marina Poplavskaya (Marguerite)
Russell Braun (Valentin)
Michèle Losier (Siébel)
Wendy White (Marthe)
Jonathan Beyer (Wagner)

Conductor: Yannick Nézet-Séguin
Production: Des McAnuff
Set design: Robert Brill
Costume design: Paul Tazewell
Lighting design: Peter Mumford
Choreography: Kelly Devine
Video design: Sean Nieuwenhuis

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*** グノー ファウスト Gounod Faust ***