Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

Sirius: NORMA (Mon, Nov 26, 2007)

2007-11-26 | メト on Sirius
怒涛の鑑賞スケジュールが一段落した途端、免疫力が低下し、
あっという間に軽くオペラのシーズン・オフと同様の症状、つまり生きる気力を失うという症状に陥り、
インフルエンザにかかってしまいました。
先週の木曜日は午前中養生したうえで、夕方の感謝祭の食事会に這うようにして出席したものの、そのまま事絶え、
その後週末を含むまる三日ほど頭を切り落としたいほどの頭痛と、せつない喉の痛みと、
自分がおっさんに生まれ変わったのではないかと思うほど下品な咳の連続に悩まされながら、
寝床にふせっていた次第です。

私の連れも、しっかりと感謝祭の食事の場で私から菌を分け与えられたとみえ、
軽症でありながらも、同様の症状を呈していたのですが、
見事に寝床から出れない私のために、昨日の日曜日には、
私の大好物であるお粥を中華街まで調達しに行ってくれました。大感謝。
私は、”また菌を追加献呈してはいけないので、そのお粥は、私のアパートのドアノブのところにかけたまま帰ってちょうだいね。”
とお願い。
”今、ドアのところにお粥置いたよ!”と、下の通りから電話をくれた連れに向かい、
”ありがとう!!”とアパートの窓から手を振る私。
ロミ・ジュリみたい(どこがどのように!?)、自由に会う事もできないなんてせつなすぎるわ!
と思っていたので、今日、お医者さんに行ったときに、
”せんせい、彼といつになったら自由に会えますか?辛いです。”
と、この出来事も含めてお話すると、この先生、
とっても優しいお医者さんなのだけど、突然、まるでおもしろいものでも見るような目をして私を見ながら、
”彼はその様子じゃすでに君から菌をもらっているようだね。だったら、会うのを避けても意味ないよ。
二人で最後まで苦しみぬくしかないね。とことんお会いなさい。”
え?
ってことは、あのロミ・ジュリごっこは意味なかったってこと?!
ばかップルだ、あたしたち。。

菌とは一回あげてしまうともうそれでおしまいで、追加献呈というのはないらしいです。
無知とはかくも恐ろしく、かくも滑稽な。。

さて、そのお粥の効果か、今日あたりからやっと少しづつ力が回復してきたものの、
それでもまだ辛いので、横になりながら、今日のシリウスの放送、
ノルマ役がグレギーナに代わった初日のパフォーマンスを目を閉じて聴いていたのですが、
一幕ですでに眉がぴくっ!となり、ニ幕が終わるころには、
もう横になってはおれん!と毛布を床に飛ばして、PCをたちあげてしまいました。
一言書いたら寝ます。

いつぞやの、ルネ・フレミングの『椿姫』の時にも言いましたが、
役に必要な条件を満たしていない人が歌うのを聴くほど辛いことはありません。

Aキャストのパピアンが予想していたよりも技術がしっかりしていたので、
これは、グレギーナ、比較されると苦戦しそうだな、と思ってはいたのですが。。

序曲。
なんだか、早いです。ものすごく早いです。
でも、早い=生き生きしてる、ということでないのがなんとも。
もっともっと一つ一つの音を大切にしてほしいなあ。
ベッリーニのオーケストレーションは単純と言われ、
それをただ単純に演奏すると本当に面白くなくなりますが、
しかし、その単純なメロディーが、突然演奏のされ方によって命を吹き込まれることがあるのですから。

ポリオーネ役、ファリーナ。
だめだ、これは。今日は本当にひどい。ひどすぎる。
ノルマが登場するまでのかなりの時間、彼がしっかりと支えなきゃいけないのに。
こうやってラジオなんかであらためて聴くと、彼の罪も結構大きいことに気付く。
もうちょっとちゃんとこの役を歌える人がいるんではないかと思うのですが。。
とにかく、声の力が伴わない強引な歌い方ほど、聴いていて辛いものはないです。

グレギーナ。”清き女神”。
出だしの声のトーンなんか、悪くないんですが、ああ、こんなにも小回りが利かないのはきつい。
特に、装飾音、同じ長さのはずの音の粒がばらばら。
音階の移行が滑らかでない。
たくさん出てくる下降音階、フレージングがあまりに大体すぎます。
確かに彼女は声のサイズがでかいので、こういった細かい技が苦手になるのはわかるにはわかるんですが、
限度ってものが。
それから、この曲はメロディーが二度繰り返されますが、
二回とも同じところで音がはずれてました。それもかなり大胆に。

このCasta Divaについては、聴くのがつらいくらいの出来といってしまいましょう。
なのに、なのに、歌い終わった後、大きな声でブラボー!と叫ぶ輩が。
私はここで、思わず
”勘弁してよね!”と寝床から起き上がってしまいました。
私はどんな歌唱であったとしても、ブー出しには大反対の人間ですが、
(拍手をしなければよいだけの話なのです。)
それ以上に大嫌いなのは、ブラボーの価値のない歌にブラボー出しすること。

まあ、サクラとまではいいませんが、彼女のコアなファンのようで、
グレギーナの公演によく登場するのです。『マクベス』の時にもいましたし。
特にラジオの放送があるときに頻繁に登場します。
だけど、ここまで歌がひどいときに、ブラボー出してもなあ、、と思うのですが。
そこまで聴衆の耳はごまかせないでしょう、あなた、、と。

ブーとはまた違う、”そのブラボーには賛同しない!”という意味の言葉が出来てくれないかな、
と思うときが時々あります。
ブーには、こてんぱんに歌手を打ちのめす力があって、そこまで言いたくはないのだけど、
だけど、ブラボーというほどの歌じゃないでしょ?という意思表示はしたい!という微妙なケース。

ザジックとの掛け合いの中で、ノルマが二回決めなきゃいけない高音は、なかなか良く出ているのですが、
各音の後の下降音階がまったく駄目。
あの高音は、その後の下降音階が決まってこそなのに、がっくり。
同じ幅の階段をころころころっと転がり落ちるように歌わなければいけないのに、
彼女の歌を聴いていると、階段の幅が一段一段違っているうえに、
一段抜かしもあり、くらいに聴こえます。

二幕。
この公演の長所といえば、ザジックとグレギーナの声の相性がわりとよいこと。
グレギーナが音を外さない限りは(そして、時に外れるのだが)、
二人で一緒に歌うシーンはなかなか聴かせてくれます。
しかし、たった今、独唱にもどったときに、グレギーナ、低音で、びっくりするような汚い音を出して、
また私のどぎもをぬきました。

このまま書き続けると病がぶり返しそうですので、このあたりで。
結論。パピアンを呼び戻しましょう。
パピアンの時と同じレベルの厳しさでこの公演のことを書いたならば、
グレギーナはもっとけちょんけちょん。比較にもなりません。

追記:たった今、公演が終了しました。グレギーナ、すごい拍手もらってます。
彼女はあのでかい歌声のおかげで、オペラハウス内では、細かいところは免除!となる傾向があるように思います。
でもラジオで聴いていると、そういう細かいところ、ごまかせません。

Maria Guleghina (Norma)
Franco Farina (Pollione)
Dolora Zajick (Adalgisa)
Vitalij Kowaljow (Oroveso)
Eduardo Valdes (Flavio)
Julianna Di Giacomo (Clotilde)
Conductor: Maurizio Benini
Production: John Copley

***ベッリーニ ノルマ Bellini Norma***