Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

NORMA (Mon, Nov 12, 2007)

2007-11-12 | メトロポリタン・オペラ
もう。困りましたね。
こういうレポートを書くのが一番しんどい。

私が大のマリア・カラスびいきであり、それゆえということもあるのですが、
ベル・カントのレパートリーが好きなことは、以前の記事で書いたとおりです。

マリア・カラスとベル・カントといえば、真っ先にあがる作品の一つにこの『ノルマ』があります。
特に私はRAI(イタリア放送協会)の放送用に1955年に録音されたものが好きで、
これは確か、映画『マディソン郡の橋』の中で、フランチェスカがロバートを待ちながらキッチンに立つシーンで、
そのキッチンのラジオから流れる”カスタ・ディーバ”の音源に使われていたように記憶しています。
(再度確認したわけではないので1955年のものでなければごめんなさい。
ただし、カラスのカスタ・ディーバの録音のどれかであることは間違いありません。)

その他にもカバリエのため息のでるような高音のピアニッシモが美しい優しげなノルマもあれば、
スリオティスが歌う激しさともろさが混在したノルマもあり、この三人はいずれ甲乙つけがたい出来。
というわけで、我が家ではこの3人のノルマがローテーションを組んで、家のBGMとして登場するわけですが、
今日の『ノルマ』が、こんなにも面白くない作品に思えたのはなぜ??

歌がひどかった?いえいえ、そんなことはなく、むしろ歌手は、ファリーナを除いては健闘していたと思う。
では演出がひどかった?いや、注文をつけようと思えばつけられないわけではないが、
上品だし、歌を邪魔するようなオペラ刑務所行き確定のそれなわけでもなく。。

何がいけなかったんだろう?
帰る道々、考えてしまいました。
家に帰ってもまだ答えが出なかったので、今日までずっと、3人のノルマにまたローテーションを組んでもらって、
この疑問を念頭に置いてCDを聴きなおしてみました。
それで、このレポのアップが遅れた次第です。すみません。

そして、出た結論。
私、素晴らしいと誉れの高い3人のノルマを今までなんの疑問ももたず聴いていたために、
深く考えたことがなかったのですが、
この役、歌える人が限られています。とっても。
いや、オペラはどの役も歌える人が限られているのだけれど、この『ノルマ』はそれが極端なまでに限られているのです。
いや、それを言ったら、ノルマだけではなく、ポリオーネ役も。
このオペラ、もともと素晴らしい上演になる率が非常に低い作品なのだ、と思い至ったのであります。

まず、ノルマですが、この役はまず性格からして一筋縄ではいかない。
ドルイド教の神の巫女長である彼女、
仇であるローマ人のポリオーネの言葉を額面どおりとるわけにはいかないとしても、
しばしば詞の中で、そのドルイド教の神は、”血なまぐさい神”
(まあ、その血なまぐささはドルイド教徒であるところのケルト人の、
ローマに反攻したいという気持ちの投影でもあるわけですが。)と形容されており、
しかも、日本の卑弥呼と同様、彼女が伝える神の意図は、政治的な決定権すら兼ね備えているわけで、
間違っても現代の平安神宮や伊勢神宮にいる巫女さんみたいなのではない。
卑弥呼のイメージです。

そんな一国、一民族の繁栄を守らなければいけないわけですから、ノルマには強さがなくてはいけない。
ですから、登場してすぐの言葉、
Sediziose voci, voci di guerra avvi chi alzarsi attenta presso all'ara del dio?
ここに、その強さが一瞬にして現れなければいけないのです。

私はそれでいうと、カバリエはここが少し優しすぎるか?という気がしているくらいで、
カラスとスリオティスのような、一瞬でノルマの激しさが立ち上ってくるような歌が理想です。
よく考えてみれば、カバリエのような重い役も歌うけれど、本来はどちらかという優しい声である歌手と、
カラスやスリオティスのような強めの声(とはいえ、ただ強いだけではないことは後でふれようと思いますが)
の両方のタイプの歌手が、この役の理想的な歌唱と言われるのも不思議な話で、
このことこそ、この役の特殊性を物語っていると思います。

しかし、そのノルマ、そんな地位でありながら、仇であるローマ帝国のポリオーネと恋におち、
子供を二人も生んでいたりしている。
なので色気もないといけません。
そして、民衆には、ほとんど冷たさすら感じさせる威厳を持ちながら、
その素顔はというと、後輩の巫女であるアダルジーザに優しい思いやりを見せたり、
しかし、そのアダルジーザが自分の愛するポリオーネの心変わりの相手と知るや、
嫉妬に狂ったり、
その憎きポリオーネと自分の間に出来た子供を殺してしまいたい、と思ったかと思うと、
やはり子への愛情が先にたって、殺すことが出来ない。
そして最後は誰を犠牲にすることも出来ずに、自分をいけにえとして儀式に差し出すことを選んで死んでいく。
気が強いだけなら、アダルジーザを、あるいはポリオーネを死においやることも簡単にできたであろうに、
そこが、このノルマという女性のもろさであり、愛すべき性質でもあるわけです。

なので、当然、この女らしさ、もろさ、優しさを表現できる、というのもこのノルマ役に必要な要素なのですが、
それを表現する一つの手段として、高音のピアニッシモを美しい音で出せるというのも絶対条件としたい。

それから、”清き女神 Casta Diva"で多く聴かれるような、同一母音内での複数の音符の移動(Castaの最初のaや、Divaのi)も
もちろんスムーズに歌ってほしい。
ここがぎくしゃくすると、がっかりしてしまいます。しかし、言うは易し、するは難し。
一流と言われる歌手でも結構ギクシャクしている人がいます。
スリオティスなんかも、カラスなんかと比べると結構ギクシャクしていて、
許容ライン、ぎりぎりのところでふみとどまってる感じがします。

今まで勝手に書き散らしましたが、私、すごいこと言ってますよ。

1)声に強さがないといけないが、
2)高音に清らかさがあって、ピアニッシモの扱いにもすぐれていて、
3)かつ、細かい音符をなめらかに歌える技量が必要

まず、1と2が同居すること自体が、非常に稀有です。
多くのソプラノがどちらかにふれるはずで、カラスやスリオティスは1、
カバリエなんかは2といえるでしょう。

で、やっと本題に入ると、今日の公演でノルマを歌ったパピアンなのですが、
1と2の満たし方が少し物足りないのかな、と思います。
念を押しておくと、上のポイント3を含む技術についてはかなりがんばっているし
音程とリズムもこれ以上ないほど正確で(それだけでもすごいこと!)、高音もきちんと出ている。
おそらく今のオペラ界でも、この役をここまで”きちんと”歌える人はそうたくさんはいないでしょう。
それなのに、何か役として光るものが足りない。
で、それは私は究極的に彼女の声そのものに原因があるのではないかと思います。
いや、彼女のせいにするのは気の毒で、作品のせい、と言ったほうがいいかもしれない。

この作品に必要な、上でのべた二点、
まず1については、彼女の声は、第一声で迫力を感じさせるほど凄みがないのです。
どちらかというと硬質だけど優しい声といえるくらい。
だから、登場のシーンで、こちらは、”ああ、ではどちらかというとカバリエ的アプローチで行くのかな?”と期待するのですが、
残念なことに2で私が求めているような繊細なピアニッシモは一度も聴かせてくれない。
いや、どちらかというと、全部のフレーズがアイーダかなんかを歌っているかのような、
しっかりした声なのです。
(アイーダだって、結構繊細なフレーズはたくさんありますが。。)
高音もただひたすら中から大のレンジで、ごりごりと押してくる。
ああ、ノルマの性格が見えない。。

上であげた私の好きなノルマ歌いのソプラノも、強いていえば1か2にわかれるといいましたが、
カバリエの場合は、その息を呑むようなピアニッシモ(特にオランジュ音楽祭での映像。
しかし、この映像、録画技術が悪すぎて、私は観ていると、頭痛がしてくる。)で2の究極をいっていて、
ある程度1が不足しても、ま、いいか、と思わせる。

カラスは1の迫力は凄いし、歌唱の技術も確か。
強いていえば、弱音のコントロールは素晴らしいのだけど、もともと彼女はいわゆる美声ではないという意味で、若干2が弱いか。
今日の公演で私のうしろに座っていたオペラヘッドのおじさんは、連れの女性に、
”この役は歌うのがとっても難しくて、カラスの当たり役と言われているけれど、
カラスすら、完璧にこの役を抑えていたとはいえないんだよ。”
お、おじさん、厳しい。。。と思いましたが、確かに注目する観点によっては、
カラスでも完璧とはいえないのかも知れません。

そういった意味では、技術にカラスほどの完成度はないけれど、
もしかすると一番声でこの役にマッチしているのは、スリオティスなのかな、と思います。


(1967年、フィレンツェ歌劇場の『ノルマ』の舞台写真からのスリオティス)

彼女は、あっという間に声を潰してしまって、活躍の時期が短いために録音は多くありませんが、
残っているものを聴くに、私はかなり好きです。
彼女のノルマを聴くと、低音にものすごい迫力があるのに、高音ではむちゃくちゃ澄み切った音を出していて、
それがえも言われぬ魅力になっている。
ピアニッシモも独特の魅力があって、彼女の歌を聴くと、
ああ、ノルマってこういう人だったのかな、という人物像みたいなものが見えるし、
このノルマという人物を借りて表現される女性の嫌な部分も愛すべき部分も、彼女の声から伝わってくるのです。

しかし、こんなソプラノ、そうはいない。。。
(だいたい、上の3人をならべてみても、誕生のサイクルは、平均して10~20年くらいに一人、といったペースです。
カラスとスリオティスが時代が近いのですが、
カバリエ以降すごい人が出ていないことを思えば、30年説もありうる。)
そう、そうはいないから、この『ノルマ』は上演するのが難しい。





アダルジーザ。図らずもノルマの恋敵となってしまう巫女仲間。
彼女は結構不思議な人で、私が常日頃から説いている、
”ベル・カント=はちゃめちゃストーリー”説(ベル・カントには、んな馬鹿な!という設定、人物設定が多い。
歌を聴かせることに主眼が置かれているので、結構筋書きがテキトーなのです。)を地でいく不思議ちゃんぶり。
大体が、ポリオーネとローマに移住することまで決心してたくせに、
巫女長というノルマのポジションに恐れをなしたか、本当にノルマのことを不憫に感じてか、
最後にはノルマがあなたはポリオーネと一緒になりなさい、と説得しても、
”あんな男、願い下げよ!”くらいな勢いで、てこでも同意しない。
っていうか、あなた、本当にポリオーネのこと愛してたの?と聞きたくなるほど。
しかも、私がポリオーネにノルマと戻るよう説得に行くわ!と出て行ったはずなのに、説得失敗。
もしや、わざと失敗したのでは?なんてことはないと思うが、
そんな不思議な人で、一貫したキャラクターがないので、私はこの役には多くを求めない。
ただし。絶対にクリアしてほしいことは、ノルマとの声の相性がよく、正確にかつアンサンブルを大事にしてメロディーを歌えること。
特に、第二幕、”お願い、子供たちを一緒に連れていってDeh con te li prendi”から始まる長い二重唱、
ここは二人の声がぴたっと合うと、本当に美しく聴こえる。

このアダルジーザ役は、1831年の初演時はなんとソプラノが歌ったそうで、
確かに役のキャラクター面からいっても、また、この二重唱のつくりから言っても
実はソプラノ版アダルジーザの方があっているのかも、という気もします。
で、今回幸運だったのはザジックがアダルジーザを歌ったこと。
彼女の高音での響きはソプラノとしても充分通る透明さがあるので、ベッリーニがはじめに意図したことがある程度感じられました。
ただ、パピアンの声が硬質なので、相性という意味では微妙なものがあったかも。
面白かったのは、むしろザジックの方が高音でのピアニッシモが繊細で美しく、
またそこからだんだんクレシェンドしていくときもすごい迫力で、
これがパピアンにもあればなあ、と思わされた。
ただし、もう繰り返しになりますが、ザジックもプライムの時期を越えているので、
以前は本当にクリスタルのようなという形容詞がぴったりだった高音に、
少しざらつき感があったのは否めませんでした。
また、アムネリスなんかではあれほど役に入り込んで歌う彼女が、
この役のキャラクターを今ひとつつかみきれていないのか、(っていうか、こんな役、つかめる人がいるのか?とも思いますが)
どこか居心地の悪さのようなものを感じました。
断片的に素晴らしい歌唱もあったし、重唱で自分の歌唱を微妙に調整しながら相手に合わせようとするところはさすが、と思わされましたが、
(むしろパピアンにはその余裕はなかったように見えました。)
彼女の持ち味が出きっていたか?と言われると少し躊躇します。



さて、ノルマとアダルジーザに関して力説しすぎて、話す気力が尽きてきたうえに、
あまり話すこともないのが、ファリーナ演じたポリオーネ。
一言、ポリオーネの役は彼には荷が重すぎた。
もうスクーピング(正しい音程にすぐにアタックせず、わ~~~~ん、という感じでずりあげる。やめて、もうっ!本当に聴き苦しい!)の嵐。
カラスやスリオティスの相手役をつとめる稀代のテノール、デル・モナコも、
あらためて聴くと、かなり強引な歌い方をしているのですが、
彼には誰にも負けない、有無をも言わさぬ強さが声にあります。
ファリーナよ、あなたの声にはそれがないのだから、無理にデル・モナコのような歌い方をせず、
むしろ自分の声にあったポリオーネ役を作っていった方がよかったのでは?
いや、待てよ。それじゃポリオーネがポリオーネでなくなってしまうか?
そう、このポリオーネ役も、ノルマとはるほどに特殊な声質、
つまり有無をも言わさぬ存在感がないと厳しいわけで
(CDの録音でカバリエと組んだドミンゴなんかは存在感だけでなく、叙情性も感じさせて素晴らしい。)、
ものすごいスター歌手、いえ、実力のともなったスター歌手でないと、役に消されます。
ということで、ポリオーネ役も今オペラ界で歌って、役に負けない人がいるか?
。。。いないかも。

ということで、よく考えるとこんな特殊な歌手が必要な作品が、そうそう良い出来になりうるわけがない。

ということで、今日の公演の結果はむしろ妥当。
この役にぴったりのソプラノとテノールが私の命が尽きる前に現れることをひたすら祈るのみです。

最後になりましたが、ベニーニの指揮は、この作品に漂っている丘に建つ神殿に漂う風のような、そんな雰囲気ができっていない。
いくつかの和音なんか、楽器のバランスが悪くて、本来たちのぼってくるものも立ち上ってこず、
同じ和音と思えないほど(物理的には同じ和音ですが、立ち込める空気が違う)。
なんでよ、あなた、イタリア人なのに。

Hasmik Papian (Norma)
Franco Farina (Pollione)
Dolora Zajick (Adalgisa)
Vitalij Kowaljow (Oroveso)
Eduardo Valdes (Flavio)
Julianna Di Giacomo (Clotilde)
Conductor: Maurizio Benini
Production: John Copley
Grand Tier D Odd
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