第百五十段などの紹介記事
この記事を読んだら、久々に日本の古典にもあたりたくなった。で、「すらすら読める徒然草」中野孝次著の現代語訳付かつ解説付きで、カテゴリー毎にまとめられているものを購入した。
序で書かれているが、中野氏が勝手に一括りにした文章群ごとに章が作られ、似たテイストのものが集められているスタイルで、しかも全部を掲載していない。選抜式である。
読んでみると分かるが、徒然草って吉田兼好のブログなんじゃんと思わされる。(という部分もある)で、時には指南書というかご高説という分野や死生観のようなもの、生き方、論語のような教訓のようなものが織り交ざっている。
で、中野氏が寸評を加えていくのであるが、これが面白く、で、もう一度その章を読み返す。推敲という分野なのかそれとも文才なのか、中野氏は兼好の文章の秀逸さに目を向けて解説を加えている。
ただ原文を読んでも意味がほとんど伝わってこない。かなり現代人にも読めるようにかなりの文字をかな表記にしてあるなどの工夫を凝らしているようだから読める部分が多いのである、なので辛うじて汲める個所もあるのだが、文章としての真意を図り損ねているのでは?と不安になる。
数百年前の文章がもうすっとは入ってこないことにやはり驚く。
そして現代語訳を読む。その時は一切原文と照らし合わさない。読めるようになろうと思って目を移すと現代語訳でさえ頭に入ってこなくなるので、現代語訳だけ読む時は徹底してそれを読む。
ページの構成は上に原文で下に現代語訳。解説は章の区切りについている。
すらすら読める方丈記もあるようなので、こちらが終わったらそちらに行こうと思っている。
高校以来?古典を愉しんでいる。
この記事を読んだら、久々に日本の古典にもあたりたくなった。で、「すらすら読める徒然草」中野孝次著の現代語訳付かつ解説付きで、カテゴリー毎にまとめられているものを購入した。
序で書かれているが、中野氏が勝手に一括りにした文章群ごとに章が作られ、似たテイストのものが集められているスタイルで、しかも全部を掲載していない。選抜式である。
読んでみると分かるが、徒然草って吉田兼好のブログなんじゃんと思わされる。(という部分もある)で、時には指南書というかご高説という分野や死生観のようなもの、生き方、論語のような教訓のようなものが織り交ざっている。
で、中野氏が寸評を加えていくのであるが、これが面白く、で、もう一度その章を読み返す。推敲という分野なのかそれとも文才なのか、中野氏は兼好の文章の秀逸さに目を向けて解説を加えている。
ただ原文を読んでも意味がほとんど伝わってこない。かなり現代人にも読めるようにかなりの文字をかな表記にしてあるなどの工夫を凝らしているようだから読める部分が多いのである、なので辛うじて汲める個所もあるのだが、文章としての真意を図り損ねているのでは?と不安になる。
数百年前の文章がもうすっとは入ってこないことにやはり驚く。
そして現代語訳を読む。その時は一切原文と照らし合わさない。読めるようになろうと思って目を移すと現代語訳でさえ頭に入ってこなくなるので、現代語訳だけ読む時は徹底してそれを読む。
ページの構成は上に原文で下に現代語訳。解説は章の区切りについている。
すらすら読める方丈記もあるようなので、こちらが終わったらそちらに行こうと思っている。
高校以来?古典を愉しんでいる。
と言う人が居ますが、
絶対にすらすら読めるのがベスト。
老い先短い身としては尚更の事。^^
そうですね。思い出しましたよ。昔は読み方とかばかりで内容がおいてけぼりだったんですよね。
だからかな、古典とか漢文とかが妙に気になるようになりだしました。
大袈裟な話じゃなくて、そんなに人間が変わっていないのも面白いんだと思います。
コメント、ありがとうございました!