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変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー




世の中には、尊敬する人がいっぱいいる。
おいらかりゃ見りゃ殆どの人が尊敬の対象ですよ、と言うと大袈裟だし
気持ち的にちょっとウソになるけど、そんなことはどーでも良くて、凄い
人っている。
一芸に秀でている凄さもあれば、バランスの絶妙さや次元の高さという
凄さもある。
何事も『バランス』と『タイミング』で概ねは決まってしまう、ということが
ちょっぴり分かって来た昨今、バランスの取れた人は尊敬しちゃいます。

さて。
そんな理屈すらも寄せ付けない人がいる。
心から尊敬するんだけど、その一人が「ガンジー」。マハトマと呼ばれた
偉人です。

非暴力。

こんなに勇気に満ちて、強い心を持って、威厳を伴う運動があるだろうか。
この精神、今の日本に思い出して欲しい。倣え、ということではないけど。

ま、おいらも分かっている訳じゃないんだろうけどね。

難しいのは、相手を選ぶということかな。
『敵』にさえも次元の高さを求める思想。ガンジーさんの相手は大英帝国
だったけども、当時の英国、相当な高次元に至っていたのだろう。
そうでなければ、ガンジーさんの抵抗は意味を成さなかったかもしれない。
今の我々が、「非暴力」で「不服従」な抵抗を受けた場合、果たしてどんな
振る舞いをするんだろう?

我々は、人の『尊厳』というものを理解しているだろうか。
忘れ去ってはいまいか。
その前に知らないかもしれない。

知らないものは伝えられない。
知識の伝承がなければ、その民族に未来は無い。

考えれば考える程、つらいぜ、おいら世代。
滅んじゃうかな、日本。

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先日のこと。
友人から、かなり古い小説を借りた。
普段は読書しない彼が、面白いから呼んでミソと言う。
有名な作者だったのもあって、即読してみて。

マジ面白ぇー!!

ミステリーなのかな。途中からサスペンスっぽくなるけど。
設定とか複線とか、そんなところは普通なんだけど、構成が
冴えに冴えている。
そして、何よりも文章力が凄まじい。
物凄く分かり易い。

ヤバイよ。
いい歳してはまっちゃったよ。
なんか悔しいから、作者も作品名もここには記録しねー。

・・・この出会いにも意味があるはず。
しかし、出会いの意味を探求するのは本末転倒だ。
閃きを信じよう。

ビジネス文書の世界では、分からない人は悪くない。
分からせられない文章に問題がある。
少なくとも、そういう姿勢でいなければならない。

しかし娯楽の世界では、読者が
「自分だけにしか分からないんじゃないの?」
と誤解する、という面白さがある。
あると思う。
そこを狙っていたのだが、そもそもが間違っていたようだ。
分かり易いに越したことは無い。

出直すことにしよう。

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缶詰の最終日の話。
ちょっとした懇親会があり~の、飲み過ぎ~の。
気付いたら部屋のベッドで寝ていた。着替えもせず、布団も全く乱れること
もなく。午前2:00。気持ち悪さを訴える胃、痛さを主張する頭、重くして動く
ことを拒む体。それらに鞭打って、着替えを済まして歯を磨く。そして再び
眠りについた。未だ酒も残っていたので、うっかり胸の上に腕を置いて寝て
しまうという失態に気付いたのは、悪夢に魘され目覚めた後だった。

迂闊。

最初はどうってことのない展開だった。何処かの知った街で、友人が旨い
ものを食おうと行き着けの店に案内してくれる所からはじまった。
小汚く狭い居酒屋のようなお店。綺麗めなお姉さんと何故か子供達、他に
は常連っぽい男性が数名。
注文する前の段階で、新興宗教の拠点だと気付く。そこは、すったもんだ
しながらも切り抜けることに成功した。
それだけなら大したことはないのだが、夢の中は後日談に進んでいく。
自宅に帰り着いたおいらがそこで見たものは! 先程の新興宗教に染まり
きった我がパートナー。
あんなことやこんなことをされ、自ら率先してやりもしたという告白。その上
それらの記録を見せつけられ、おいらのそれよりもずっといいんだと言う。
幾ら説き伏せようにも、マインドコントロールされた相手に理屈や論理性は
通用せず、懸命に働きかけてもそれは並行線を辿る。言葉も体も感じて
もらえない。
そして、決定的な価値観の相違から、彼女は出て行った。

家族の崩壊。愛情の喪失。

崩壊した家族の構成員。どちらに取り込むかの争い。
最終的においらは究極の決断を求められた。
彼女を亡きものとするか、おいらが消え失せるか。
そんな選択肢に至った経緯は分からないが、夢のことなので文句を言っても
しょうがない。
あまりに重い判断を突きつけられ、苦渋の叫び声、悲鳴と言った方がいいか。

そこで目が覚めた。

きっと唸り声を上げたんだろうなぁ。
同室の皆様、ご迷惑をおかけしました。

しかし、目覚めが悪いったらありゃしねぇ。

愛情への飢餓。

おいらの心に存在するんだ。きっと。


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ジョディ・フォスターは凄い女優だと思う。
フライト・プランと言う映画を観て、改めてそう思った。

どっちともつかない結論、結論の無い終焉、そういったものが流行っている昨今、
分かり易いんだけど、複線を残す終わり方ってのもあったと思う。
充分に面白かったし見応えもあったのだけど、彼女の演技の素晴らしさが物語
を上回っていた印象が残った。

おいらもいつかはそんな物語が描けるようになるのだろうか。

不安一杯、夢一杯。


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「ユナイテッド93」という映画を観た。
テーマがテーマだけに、軽い気持ちで観に行った訳ではない。それなりの
覚悟を持って観に行きましたよ。
近日中には「ワールド・トレード・センター」も観るつもり。避けてはいけない
と思うから。

さて「ユナイテッド93」。
この映画は、あくまでも淡々と場面を描き続ける。ドキュメンタリーなんじゃ
ないか、と勘違いしてしまう位に終始一貫徹底している。
生存者はいない訳だから、公式の記録と関係者の記憶から組み立てられ
た物語なのかな。

ネタバレはしないです。

ただ、確かにメッセージを受け取りました、この映画からは。
強烈な何か。

言うなれば、これ以上無い位に分かり易い『手紙』がポストに入れられて、
開けてみたら白紙の便箋が出て来たような感じ。

「何が書いてあるのかは、あなた次第。」とでも言うような不敵で強烈な
メッセージ力。

打ちのめされました。
「ミロのヴィーナス」の腕、こんなと処にもありました。

この映画を観たこと、おいらは決して忘れることは無いだろう。
そして、メッセージに力を込める方法、考えねばなるまい。

おいらのメッセージは軽い、
薄っぺらい、
分かりずらい、

ような気がするよ。


在る/無いは観念の問題なのか?
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箸にも棒にもひっかからんってさ、おいらの作品(小説)。
才能が無いのか?
努力が足りないのか?
両方です! という声が耳元で鳴り響く。

凡人として生きること。
それが上手くできないから、一発打って出てみたりして。
その結果がこれだ。

『問題外』というレッテル。

おいらが始めて自分の実力を測ったのは、高校受験だったと思う。
その結果は悪くなかった。
ま、子供のことなんで、何とかなる範囲で受験した訳だけども。
次は大学の受験。
1年目は須らく失敗し、何の疑問も持たずに浪人生活に突入した。
そして翌年、本命→相応→滑り止め、と3ランク受けて、合格した
のはおいら的には滑り止めと分類していた所だけ。これは自分の
実力を過大評価していたってことを意味する。
その性癖は今も引きずっている。
反省のできないヤツだ、おいらってヤツは!

就職戦線は、バブル経済の超売り手市場の恩恵に授かり、苦労
知らず。お陰で、入社した後は相応の苦労を強いられたけども、
何とか人並みにはやって来てたりして。

資格は殆ど持っていないけど、普通の同業界の人なら難なくパス
する資格さえ、合格するのに数倍の期間を要した。

ここで気付くべきだったんだ。
もしもおいらに特別な才能があったとしても、開花させるにも努力
が必要だってことに。

確かにアテにはしていなかった。
そんなに甘くないだろうと思ってもいた。

でもさ。
現実として突きつけられると、凹むわさ。何歳になっても。
発表前に、暫くぶりに読み直してみたんだけど、おいら的には大変
面白かったんだけどなぁ。

ま、仕事ではない訳だし、暫く凹んでいることにしよう。



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昔から。
他人に色々言いたくってしょうがないタイプです、おいらという人間は。
最もその傾向が強かったのは、高校生の頃でしょうか。
それから20年余りの月日が流れ、年齢的には大人になった現在。
所構わず相手構わずがむしゃらに吼えることは無くなったけど、本質
は余り変わらない。

聞いて欲しい事がいっぱいあるんだ。
いやいや。
同じことでもよくて、何度でも聴いて欲しいんだ。
それは。
単に寂しいだけなんじゃないの?
勿論そうだよ。
でもね、それだけじゃないよ。
「そうだね。」って言って欲しいんだよ。優しくね。
背中を押して欲しいってのもあるし。

とんでもない甘えん坊ですね、これじゃ。

本質がこうだと、最低限でも人並みにしっかりして見せるってのは
それだけで結構しんどい。

ま、しょうがないから頑張るけど。

語るといえば。
自分だけが悪者にならない人達、多くないですか?
いつでも誰かが悪くて、自分が悪くなければ何でも良くて。
自分でもできることをやろうとはしないし。
ひたすら他人の悪いところ、汚点をあげつらう。
得てして次へのToDoもアクティビティも無い。
仕事上なら最も迷惑な人種。

いわゆる『評論家』という人達。専門の評論家なら未だいいんだけど。
先日の亀田興毅の世界戦では、そんな輩がネット上に大量発生。

そういう人にだけはなりたくない。

いや、既になってたりして。

気をつけよう。


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おいらの創作小説。前作が完成してから既に2ヶ月が経とうとしている。
その間、何も新作の為の創作活動はしておらず。
細切れのプロットはアタマの中に幾つかあるものの、物語の形態には
程遠い状態。時間的に余裕がある今こそ、やらねばならんのだろうけど
も、構想が立ち上がらない。
そもそも、どんな分野の物語を書こうというのだろう?
以前、次回作はSFにしようと思っていた。大枠の舞台構成は既に出来
上がっている。

でも。

そこから先が進まない。どうしたものか。

ジャンルを変えるか。
恋愛小説を書くには経験が足りないだろうし。
ドキュメンタリータッチなモノを書きたくなるような強い興味を覚える社会
問題も無い。そもそも知識が足りないだろうし。
難解で優雅なミステリーやサスペンス、そんな物語や筋道を考え出せる
程のアタマがあればいいのだけども。
今の仕事に絡めた舞台を設定し、その上で非日常的な事象を発生させ、
人間関係の推移や変遷を語るか。
・・・面白いのか、それ?

日々書き溜めるビジネス文書。そんな形態と表現に埋没しないようにと
日記代わりに始めたブログ。
これも最近は惰性で続けているっぽい感じになって来ちゃったし。

という訳で、ネガティブ思考満載な昨今。果たして次回作を書き始める
動機はあるのだろうか。やりはじめると、楽しいのだけど、それはそれで
大変だったりもする。

お恥ずかしながら、今にして初挑戦中の谷崎潤一郎。おいらとは違った
表現力や、不足している構成力を見出さんと読み始めたその作品。今の
ところ閃くものは何も無く。
ユリウス・カエサルの「ガリア戦記」に触れた時、ドキュメントならではの
感動めいた衝撃があった。
筒井康孝に心酔していた少年時代、その面白さに爆笑しきりだった。
アメリカ文学に心惹かれていた大学時代、その素朴さと地に足が着いた
血の通った文体に心惹かれた。
ラドラムやフォーサイスからミステリーやサスペンスの面白さを学び、他の
巨匠の作品とともに読み続けた。
諸知識を得るため、歴史に宗教、天文に地学、様々な『入門書』を読み続
けてもいる。

結局。
伝えたいことがある作者の作品は面白い。充分条件では全く無いのだが、
最低限の必要条件なのかな。
マーケティング一辺倒で、創作技術をフル投入したとしても、訴えるものを
表現するのは、最後は作者の『心』に違いない。そう思いたい。

さて。
おいらは何が伝えたいのか。
言いたいことはあるはず。

だよね。

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とうとう観ました、ダ・ヴィンチ・コード。小説に引き続き。
兎に角、面白いのだ!
評判は「いまいち」というのが多いようだけど、何でだろう? あんなに面白い
のに。終わった時に拍手したくなる、という奇妙な衝動が込み上げてしまう程
の傑作だと思った。
原作もそうだが、ミステリーとしての完成度が抜きん出ている、という訳では
無いだろう。勿論、そういう意味でも充分に秀作だとは思うが。
マーケティングによって創り出された前評判だけでは、あそこまでの動員は
実現できるはずもない。優れたエンターテイメント性を備えているんだ。

人間キリストの末裔。
二千年に及ぶ宗教歴史、それには膨大な数の人々が関わり、その人の多さ
をも凌駕するだろう無尽蔵とも言って良い程の物語があるに違いない。
福音書とて、そんな物語の一つに過ぎないのではないか。信者には到底受け
入れられないかもしれないが、一つ一つの物語の貴重さ、それを知らしめる
手段として、そんな意味合いで聖書を感じることがある。
そういう意味では、イエスその人も然り。神性を否定する訳ではないが、人の
価値に上下重軽はなく、貴重な一人としてのイエスは、裏返せば全ての人の
尊さを体現していたのではないか。
マグダラのマリアへのイエスの思い、彼女自身の感情、そして彼等と子孫を
取り巻く人々の信仰。キリスト教徒ではないおいらをして、神聖で純粋な感情
に包まれた。異論異端論争はあれども、長きに亘って信じ暖められて来たと
いう事実からも、この宗教の凄みを感じずにはいられない。

そんなキリスト教社会というか、社会観念というか、それを覆すような真実と
秘密の物語。面白くないはずがない。

しかし、だ。
物語が寄って立つ基盤と、作者が訴えるメッセージに込める思い。受け手に
よって千差万別になること請け合いの映画において、『面白み』はどこから
生まれるのだろう? 誰もが知るレオナルドという一人の男を題材にした、と
いうだけでは説明がつかないと思う。
これが分からねば、多数に受け入れられる物語を書くことは適わないのかな。

先月に完成したMy小説は、社会が覆った後の物語なのだが、ダ・ヴィンチ・
コードとの差は、事件の前後というだけでは無い。

それが何なのか、よく考えてみよう。
面白さの差、その原因がそこにはあるまいか。
そもそも比べるなってことなんだけども。。

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日本代表の試合が終わった。
勝敗の結果は、数限り無いサイトがおいらの気持ちをも代弁してくれている
ので、改めてここに記録することもなかろう。
ここでは、違った視点で思い付いた何某かを記録することにしよう。

初戦の相手は豪州。
かつての大英帝国の流刑地(ホント? ウソ?)。
旧日帝が大迷惑を掛けた地。戦後処理で、豪州の復讐欲からGHQが日本を
守ったとか何とか(これもウソ?)。
今でも英連邦の国(のはず)。
そして近年では環太平洋地域の国家として、アジア諸国と親交を深める政策
を取り、「文明の衝突」という本で『それはムリ』と一刀両断された国。
石炭と鉄鉱石、牛肉とラム肉、他にも日本に恵みを与えてくれる有難い国。
面積は日本の20倍で、人口は1/6。
首都キャンベラは政治の小都市で、商業都市であるメルボルンとシドニーが、
自らに国家行政を誘致しうようとした結果造られた街だという。また、政府
直轄の土地が大量にあるという未開の国でもある。
前の夏オリンピックで、北島幸助選手が気持ちよくなったりもした国。ワリと
最近まで人種差別政策も採っていたとも聞いた。アパルトヘイトってか?

以上がおいらのオーストラリアに関する知識のほぼ全て。
宗教はキリスト教信者が多いのだろうし、先住民よりも白人のが多いだろうと
想像する。

さて。
日本との共通点は?

無い。

文化的歴史的共通点なんて、サッカーには必要ないのかもしれないが、互い
が分かり合うためには必要というか、便利なツールに成り得る。
ま、似た物同士ほど、些細な差異が許せないという事例もあるので、何とも
言えないがね。

何を言っているかというと、左様に共通項の見出せない国同士が、サッカーと
いう競技を通じて衝突する時、何故にこんなに盛り上がるのか。
恨みがある訳でもないし。
相手が豪州でなくても、どこでも同じ? 
そうでしょう。

兎に角、要は愛国心というか、自国への帰属意識というか、そんなものが現れ
た結果がこれ。
欧米的な宗教観というか、連帯感も日本人には稀有だし、民族的にも孤立して
いて、そもそも民族意識自体が少ない。恐らく、同類を探しても見当たるまい。
つまり、日本人のW杯やオリンピックでの盛り上がりは、同じように騒いでは
いても、他国のそれとは根本的に違うのだ。

だから、本質まで踏み込んだ場合、日本人のこの興奮について、世界的に本当
の心の声を伝えることはできないのではないか、と思った訳さ。

音楽は、世界的に受け入れられるものがある。それは、個別事象を的確に表現
したものではなく、要素だけを振りまいて、後は聞き手側の感性や経験で組み
立てさせる、という手法を確立したから。
活字にそれは可能か。
底の浅い、追求の少ない、ひいてはツマラナイ情報になりはしまいか。

ハリーポッターのような、世界的に受け入れられる物語があるが、ドキュメントで
は無い。ドキュメンタリー特有の臨場感は、文化別にしか成り立たないのか。
『活字』という文明文化の基礎要素をして、この程度とは思いたくない。

どうやればいいんだろう?

おいらにゃ思い付かねぇから、誰かのアイデアがあったら見てみたいな。

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今日は、何気なしに倉木麻衣ちゃんのBESTアルバムを鳴らしていた。
前から好きではあったのだが、ここんとこあんまり聴いていなかった。
改めてちゃんと聴いてみたところ、いいわ、これ。
かわいー!ーー!!
だけだったのだが、思ったより曲も練られていて、感心してしまった。

おいら的天使とは曲も声もかなり違うのだが、これはこれでいい。
詩もメロディもいいんだろうけど、最もいいのはアレンジなのかな。
ま、素人のおいらにはよく分かんないけども、要は心地がいいのだよ。
本当にイラついた一日だったのだが、お陰で助かりましたよ。

次の創作小説のネタ探し。
とりあえず、我が家にある本の幾つかを読み直してみている。
色んなものがあるのだが、面白いのさ、どれも。
おいらの書いたものとは違って。
才能の無さに、努力不足に、結局は自分に、イラついていた訳さ。

そこにきて麻衣ちゃん。
BGMとして癒してくれるから助かる。
天使さんの音楽の場合、聴き入っちゃうんでBGMにはならないからね。

塩野七生さんの古い作品から、「コンスタンチノープルの陥落」と
「レパントの海戦」及び「ロードス島攻防記」を読んでみる。
正直、塩野さんの文体は鼻につくところがあって、あまり好きでは無い
のだけど、この3作における戦闘シーンの盛り上がりは凄い。学ばねば
ならない。改めて、娯楽ではなく『学習』するために読んでみる。
あ、「ローマ人の物語」は全部あるけどボリュームが凄くて再読は老後
においておきます。。

そして白洲次郎の伝記を再び読み始める。こちらは娯楽として。
偉人の空気に触れられはしまいか、触れれば何かが観えて来ないか、
今の自分とは違う視点の何かが。
期待するところも大きい。

さて、同時並行的な読書はしない、と以前ここに記録した。今もその
ポリシーは変わらない。ただ、それは娯楽の分野のハナシ。勉強で
あれば、一つの参考書だけを進めるってことは有り得ない。

いーや。
ポリシーなんてどうでもいいのだよ。
次は面白いハナシを書こう。
その為なら手段は選ぶまい。
拘るまい。
それらは、面白いモノが書けるようになってから考えよう。

歳なんて関係無いさ。

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できた。
プリントアウトしてみた。
1600文字フォーマットで110ページ。
結構なボリュームですよ。

読み返す度に手を入れ、関係してくださった方々のご意見をおいらなりに咀嚼
して反映し。繰り返す事幾多。書き始めてから2年近くを要して、やっと完成した
My小説。
いや、いつまで経っても完成なんかしない。何時でも何回でも改定する箇所は
ある。キリが無いんだよ。もう手を入れる処は一つも無い! ということは有り
得るのだろうか。少なくとも書き手側がそのレベルまでいかないと、お話にも
ならないのだろうか。

ま、いいや。

とりあえず自らに果たした納期。5月末日。
期日までにできているものがアウトプットの全て。ビジネスの上では当たり前
のことだが、基本的にぐ~たら人間のおいら、趣味の世界と割り切っちゃうと
いつまでたっても完成しないに違いない。だから納期を設定してみた。
運悪く、納期前にしてちょっと忙しくなって来た。
ま、それも運命。

今年になってから、創作活動のHowTo本を読んでみた。多くの勉強になること
が書いてあった。中でも下記の趣旨には感動した。

書いて書いて書きまくれ。
読んで読んで読みまくれ。
対象を選ぶな。目指すもの以外は書かない、というスタンスで、収入はバイト
とかで確保していると、結局は忙しくて書けなくなる、読めなきなる。
何でもいいから、書いて、読め。
そして、少なくてもいいからそこから収入を得よ。

何とも納得の行く話だ。

しかし、まぁ。
そうは行かない理由をここで挙げてもしょうがないだろう。
そんな風にできたらなぁ、とぼやいてみても始まらない。
勇気が無いよ、そんな・・。

何が始まらないの?
おいら、どうしたいの?

やりたいこと、なりたい理想、あるさ。

何はともあれ、折角完成したのだから世に問うてみようか、そのレベルを。

ドキドキするなぁ。。
どれ位だろう? というより、何か子供の頃に初めて人前で歌った時のような
緊張感。面白い心理作用だね。

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おいらのモバイル用のノートパソコンは、かれこれ4年以上も使っている。
サブノートで13.3インチ液晶が付いていたので、FMVに飛び付いたわけさ。
当時としては、他のスペックも悪くなかったんだ。
しかし、だ。
何だろう、この苛立は!
人間工学的にノートPCがよろしくないのは分かるが、各社各製品とも大差は
無い。キーボードのピッチやUSB等のポート位置、ポインティングデバイスに
工夫が見られるが、決定的な差って程のものは少ない。
むしろ精神衛生上の問題が大きい。
クリックしてからアプリが稼動するまで、時間がかかるのは止むを得ない。
とは言っても、その間の振る舞いって大事だと思う。これは一つの例でしか
無いが、ことごとく苛つくのだ、このパソコン。
職場のノートはThinkPadで、自宅の大きなノートはOmniBook(旧HP)なのだ
が、どちらもこのFMVよりスペックは劣っているのに、遥かに、天地の差で
使いやすいし、苛つくことも少ない。
自宅のデスクトップをVaioに変えて2年。DELLとIBMのマシンを破棄して購入
したものだが、こちらは、おいらの周囲での評判の悪さが信じられないくらい
に快適だ。
FMVの評判の悪さは聞いていたが、Vaioの例から言うと、おいらは一般的な
評価よりも甘い基準と言っていいのではないか。

ということで、もう我慢の限界と、買い換えることにした。
重いのは嫌なので、PanasonicかNECに絞り、高いのがNGでNECにしようか
と考えている。FMVとLaVieでそんなに変わるかね、富士通とNECだよ、大差
無いんじゃないの? 的な不安もありつつ。

ま、いいや、そんなことは。
今日は、おいら的小説のレビューをお願いした方から、結果を頂いた。
ま、思わしくないわけさ。
しかし、とても明快なご指摘を頂いている。

さて、真摯に受け止め、出直すとするか。

・・・マジで?

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稚拙な語呂合わせ。
こんなことをして遊んでいても、おいらの小説は完成しない。
しょうがないという訳でもないが、ここ最近はちょっと頑張って書いていた。
来月納期(自己設定なので別に何時でもいいのだが)に向け、一旦は完成した
物語に手を入れていたのだ。

面白くするために。

おいらなりに面白みの要素は注ぎ込んでいたつもりなので、別の「糧」を探して
いたわけさ。映画やドキュメンタリを観たり、小説やマンガを読んだりして。
どんな「過程」を経ようが、結果が得られればそれでいいだろう。作家や音楽家、
あるいは役者なんかもそれが許される世界なんじゃないかな。
脱線するが、エンジニアリングの世界では、過程と結果はセットでなければ認め
られない。プロセス不明では再生産性が担保できないし、リスクも量れない。
そんなヤツは干されるだろうし、おいらも一緒に仕事したくない。

と、まぁ、この側面だけでも根本的に異なる作家と会社員、そんな二足の草鞋は
ムリなんでないかい? と思い始めた昨今。

あいや待たれい、と心の声が響く。
物書きを趣味でやってる程度で、勝手に作家の世界を「仮定」することなかれ。
既に作家気取りとは、片腹痛いわ。

仰せの通りです。
おいらの姿勢に、謙虚さが不足してきているようだ。
とりあえずにしろ、改訂版が完成したので、姿勢を正して読んでみることにしよう。
間も無く完読する「ダ・ヴィンチ・コード」との比較。
 滅相もない! 畏れ多いっす! 分野が違うし。。
おいら的バイブル「二十日鼠と人間」との比較。
 ひかえおろう! 無礼にも程があるわ! そもそも文学じゃないし。。
司馬遼太郎作品との比較。
 表現力が違い過ぎる! 100年早いっての! そりゃそうだ。。

相対性評価が生むのは、果たして自己満足なのか、絶対的レベル感なのか。

・・・ゴタクはいいか。。

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昨年に封切られた映画だったと思う。EpisordⅢの頃だったかな。
「アイランド」。
ビデオで見てみました。最近は暇なので。
重大なテーマと言うか、恐ろしい設定の映画だ。
ストーリー自体は、ま、こんなもんでしょう。見るべき新しさも驚くような
珍しさも無いが、さりとてツマラナイ訳でもない。むしろ面白かった。

かようにおいら的には及第点+α的な映画だったのだが、ちょっと興味
深い関心が芽生えた。
自称作家なおいらは、物語を書いている。
文字の羅列。
物語は千差万別、波乱万丈、次々に展開を見せている。
しかし、例えば2メートル離れて眺めた時、それはスタティックな様相を
呈す。文字は、それが何という文字なのかを認識できないと意味を成さ
ない。紙上の模様としては面白みが無い。日本語を解さない人が眺め
た時も同じ結果になる。
対して映画やテレビ等の映像は、ちょっと違った趣きを持つ。人種や言
語を超えた強烈なメッセージ力を有している。
当たり前のことだが、強く再認識させる力がこの映画にはあった。
映画館の大画面で見たら酔ってしまうんじゃないか、と思える程の非常
にダイナミックなカメラワーク。Star Wars EpisordⅢのオープニングとは
手法が違うが、CG無しでも迫力なら匹敵し得ると思った。脱出して砂漠
を駆け抜ける所なんか特に。
これは映像という『視覚』に訴えるツールの持つ力だ。物語を映像で表
現する。音楽に例えるなら、メロディと歌詞にあたるだろうか。

文字で表現される物語は、『感性』だけに訴える。よって、読む者の知見
に多くを依存する。逆に言えば、読む者によってベストな映像が創造され、
作り手側の押し付けは存在しない。
「ミロのヴィーナス」の腕。
しかし、文字列の物語から「アイランド」のカメラワークのような映像を頭の
中で創造する、そんなダイナミックな描写が可能だろうか。

表現力の問題。
と言ってしまえばそれまでだが、難しい気がする。
少なくとも今のおいらには。
訓練が必要だ。
あるいは、目指す処を間違えているか。

いずれにせよ、てごわい。
木星辺りに飛ばした心をそろそろ呼び戻して、じっくり考えることにしよう。


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