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変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー




遠心力を活用した人口重力というのは、全く1Gには及ばない。そんな環境下
のエクササイズに、重量上げ系のメニューを入れたのは何処の馬鹿野郎だ?
鉄アレーよりも体が回転してしまう。それを防ぐために、マジックシートで靴底
を固定する。でも不自然。いや、慣れまいと体が、心が拒否反応を示している
のだろう。母なる地球の大地、それと異なる環境に馴染むということは、即ち
「地球人」というアイデンティティを一つ失う、ということになりはしまいか。
そんな恐怖感が、怒りの感情を作り出す。
人間は、帰属意識が無いと生きていられない生物なのだろう。広大な宇宙の
空間と生存域である機体の中とは、僅か数センチの壁が隔てるに過ぎない、
という心もとなさが、強力に「繋がり」を求める。自分は「地球人」なのだと。
そして人は、どんな状況においてすら喜怒哀楽を感じなければならない。一つ
でも欠けることは許さず、何かに対して常に怒り、悲しみ、そして喜び、楽しむ。
置かれた状況が違えば、同じ事象が怒りにも喜びにもなる。

勝手な生き物である。
これもエゴなのだろう。

エクササイズの途中で、インターコムのスピーカーが唐突に唸り出した。土星
から木星に立ち寄る客人が到着した合図だ。

メタンを主体とした生態系。極寒の星系において、生命は発生し得ないと誰も
が考えた。それは地球上の常識であり、異なる環境にはそれに適応した別の
常識がある。
数億年のギャップがありながら、木星系と土星系で繁栄を極めた種族は、全く
異なる存在であったにも関わらず、同じ結末を迎えてしまった。

自滅。

彼等に終末が訪れた理由は何だったのか。
何故、自らの力を自らの幕引きに揮ったのか。
その答えを求めて、イオ、エウロパ、ガニメデ、カリストの各衛星に探査機を
打ち込み、更にこれらの衛星を軌道上から観察する機体を分離した。
同様の作業が土星系で先行されており、今もタイタンの地上や起動上から
大量の探査データが送られて来ている。

破滅へのトリガーは自然の驚異か。地球の比では無い過酷な自然環境に
おいて、彼らは何を思い、どういうプロセスを経て自滅という結論に至った
のか。
あるいは神の御心が望んだことだったのか。だとすれば、それは本当に神
なのか。

地球という揺籠に育まれた人類は、今こそ能力を発揮しなければならない。
エゴとは、人間性を示すものなのか、それとも克服すべき命題なのだろうか。

 ・・・続く


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完成の域に達したと思っていたMy小説。
イマイチとのご批判に応えるべく、面白くする方策を考え続けて一ヶ月が過ぎた。
やっとだいたいの構想が纏まり、いよいよ昨晩から改定に取り掛かった。
珍しくはないが新しい分野、の構築を目指していた。良く言えばそれでは高尚に
過ぎる、ということで、ありがちだが冒険小説の要素を取り入れることにしたのだ。
それにはファンタジー的ネタが必要になるが、もとよりその要素はある。
インディージョーンズにしようってわけじゃないんだけども、オープニングから加筆
し始めたわけさ。

次回作の草案がある。現在創作中のものとは色合いを変えていて、そちらはSF
にする予定だ。それを幾らか具体化させるために、心を太陽系宇宙に飛ばして
みていた時のこと。木星付近を浮遊しながらハリウッド的な冒険活劇の重要性
に気付かされた。偉大さに圧倒された、と言った方がいいかもしれない。
おいらのやろうとしていることは、フィクションでありながら実は大河ドラマであった
現状の物語を娯楽作品に化けさせる、という試みだったことに気付く。
ターンAガンダムのアニメは見ていないのだが、「ローレライ」の後に書かれた
「月に繭地には果実」で言う『ナノスキン』とは違った、ありきたりのネタを膨らま
せることにした。手触りが良すぎるかもしれない。どこかで見たことあるね、という
ことになりはしまいか。そんな危惧とも戦いながら執筆中。

フィクションの世界であっても、鬼畜を表現するに鬼畜を登場させてはならない。
それがおいら流。というかポリシー。むしろ意地?
それだけの価値があるというか、必要性があれば登場させるかもしれない。
しかし、今のところご登場願わなくて済んでいる。
世を震撼させたテロ事件から11年目のこの日、難しいんだけども、出来るところ
まで続けようと気持ちを新たにする。

今の取り組みが完了した時点で、真価を世に問うてみようと思う。
素人アイデアがどこまで通用するか。
楽しみでもある。


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スピードだけで木星の絶対的な重力に抗うというのは、とても心もとないものだ。
この星の恐るべき引力に対して、この機体の推進力は余りに無力だ。
一旦捉えられでもしたら、脱出は不可能。水素原子が核融合を起こしてしまう
直前の強大な圧力に押し潰されるまでに要する時間は、瞬き何回分か。
しかしそういう意味では、直系数千キロメートルの巨大な質量を有する衛星達
とて、大差は無い。公転という移動エネルギーが彼等を存続足らしめているに
過ぎないのだ。
機体を構成する機器から発生する僅かな音だけが充満する部屋の窓から、
そんな木星系の在りよう目の当たりにする。あらためて、音が聞こえて来そうな
木星の縞模様に圧倒される。それでもこの機体は、木星系の一員に加入した
のだ。離脱の工夫を発動しない限り、半永久的に木星を周回するはずである。
自らを言い聞かせる。ガリレオ探査機の終末を繰り返すつもりは無いと。

もう暫くすると、来客が予定されている。
土星から帰還する機体が木星に立ち寄るのだ。木星よりも遥かに遠い土星系
の異様さは、更に突出している。タイタンだけが衛星として優等生ぶっているが、
他の衛星達は、かつてこの星域が経験した激変が木星のそれと比較しても
引けを取らないものだったろうことを静かに物語っている。

生命とは何だろう。
生命は自然が生み出したものではないのか。
神が作りたもう特別な何かなのか。
そんな生命が作り出した力は、自然の力か、神の力か。
いずれにせよ、木星と土星という太陽系を構成する惑星の主役を舞台として、
かつて繰り広げられたドラマを、思いを、怒りを、悲しみを、それらの心を受け
止めねばならない。
我々人類が、余り遠くはない将来に保持するだろう力、それを発揮した結果が
どういう結末を作り出したのか。

人は試されているのだ。
学べる生き物なのか。
その先にあるものは何なのか。

けたたましいベルの音で思考が途切れた。
人口重力に慣れた体を苛め抜き、体力を維持する時間が来たのだ。
面倒に思えたルーチンワークも、この機体の中では地球の時間サイクルを匂わ
す最後の砦となった。
・・・続く。


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おいらの家の裏には、長さ4000メートル、高さ350メートルに及ぶスキー
のジャンプ台のように傾斜の付いたトンネル状の滑走路がある。
自然エネルギーを変換した電力によってリニアモーターが起動され、
ほぼ無音で動き出した機体は、トンネルの出口付近で音速の直前に
まで加速される。
マッハに極めて近い移動エネルギーを伴って高度350メートルでトンネル
から放り出された機体は、僅かな液体酸素と燃料に点火して一気に加速
され、その後にスクラムジェットエンジンが怒号の目覚めを向かえる。
究極のジェットは機体を更に6倍の速度に至らしめ、高度が3万メートルを
超えたところで吸い込む空気の欠乏とともに息をつきはじめる。
この段階で、機体を載せて加速させて来た汎用土台は切り離され、次の
任務に向けて帰還する。
本体の方は、ロケットエンジンが薄くなった空気を震わせながら噴射を
始め、そのまま機体を衛星軌道まで到達させる。
ここまで僅か数分の出来事。
ここで機体は地球の公転速度を保持しながら、次の準備に入る。
静止衛星から、惑星間エンジンと燃料の補給を受け、おもむろに加速
を始める。ここからは科学燃料エンジンの出番は主に姿勢制御になる。
イオン噴射と太陽風による帆行を駆使し、太陽に向けての旅立。
金星の公転エネルギーを得るためである。そして、更にもう一度地球の
公転エネルギーをチャージし、機体は太陽と逆の方向に航海を始める。
スイングバイ以降も太陽風によって加速し続けるのだが、それでも億の
距離を踏破するのには数年の時間を要する。
地球が肉眼で確認できなくなった現しようのない不安と戦い続ける無限
とも思われる時間を経て、念願の木星に至るのである。
そこは異質な世界。
漆黒の闇と強大な存在力を示す木星。周辺には4つのガリレオ衛星が
有り得ない表情を浮かべている。
木星を取り巻く薄く細い輪が彩りを添えるが、無機質な風景には風情の
かけらも無い。
太古にここで繰り広げられた悲劇を語る者はいないが、衛星達の異様な
表情が惨状の片鱗を伝えている。
・・・続く。


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現在執筆中の小説が、仕上げの工程に入っている。
いよいよ佳境ということで、メールや膝を突き合わせての打ち合わせだけでは
不便なので、情報交換用のHPを立ち上げようと思った。

関係者だけの世界であり、目的も絞られているので、凝ったものは要らない。
というわけで、無料&簡単なものを選んで登録開始。
ユーザ登録してから、雛形を指定するところでネットワークが切れやがった。
ま、それはよくある話。その先が頂けない。
何やら、中途半端な所で切れたらしく、アカウントは登録されているのに有効
にならない、という状態になっている。
新規登録からやり直そうとすると、「既に登録済」と怒られる。
それではと雛形を設定しようとしてみると、「アカウント無効」とのたまわれる。
袋小路。
こらー!
初歩的なバグが流通する世の中、変わらんねぇ。
おいらもエンジニアの端くれ、分からんでは無いし他人事では無い気もするが、
ちょっと酷いね。

ま、いいか。

HP作成を思い立ったのは、共同作者との意思疎通を密にしたかったため。
先日、おいらのバイブルであるスタインベックの「二十日鼠と人間」という
短編小説を彼に貸したんだが、おいらとは感想が全く違った。
こりゃ、よ~く話し合える環境が必要だ、と思い立ったわけさ。

スタインベックの本とは、大学に入ってすぐに出会った。一般教養の授業の
課題だったと思う。生協で買って、いやいや読んだものさ。
何せ、アメリカ文学なんて読んだことがなかったし、遊びたい盛りの頃だし。
これが運命の出会いと言うのだろう。
以来、この作品はおいらのバイブルになった。
このブログのタイトルにしたジョージとレニーは、この物語の主人公である。
それはさておき、大感動した挙句、何時もこの本を持ち歩いていたもんだ。
そして、何かある度に読み返して自分を取り戻した。
久しぶりに、今年も1回読んだんだけども、効果はあった。

はてさて、
そんな感性が異なる二人が創る物語は、広い感性に対して磐石になるのか。
それとも、
意見の不一致から創出される課題が山積しているのか。

HP立ち上げの失敗が暗示する何某かの正体や如何に。
因みにおいらの物語は、文学とは程遠いミステリー。



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初めての長編小説を書き始めて、ちょうど1年半になる。
この作品は、おいらのオリジナルではない。
主人公の設定に、とある男の意見が入っている。
本文も、1%程度彼が書いた箇所がある(原文レベルで)。
また、挿絵も彼にお願いしている。
未だ出来て来ていないが、ヤツの絵の表現力には期待しているところだ。
物語と舞台設定はおいらのオリジナル。
以上の分担で進めて来た共作だ。

ネタは既に出し切ったと思う。
誤字脱字ももう無いはずだ。
後は、話の繋がりをスムーズにしたり、表現の分かりにくいところを
見直せば、晴れて完成する。
5月までの目標だったので、やや前倒しということか。
仕事もこうありたいもんだ。

ところが、大きな問題と言うか、根本的な課題が出て来た。
面白く無い、と言う人達がいるのだ。
直接的に言われたわけではないのだが、
やれ、表現が回りくどいとか、
やれ、前提知識が無いと分かりずらいとか、
具体的な指摘箇所や事項が無いところをみると、これ即ち、
全体的に面白く無い、楽しめない、
と言っているのだ。

奴らとは感性が違うのは確かだ。
万人が楽しめるモノを求めてはいけないと思う。
ムリだろうし。
でも、ムカつくではないか!
自分ではかなり面白いと思っていただけに。

5月までは未だ時間がある。
根本的に見直すか。
どこを?
徹底的に磨きをかけるか。
面白くなるのか?

これはこれで、じっくり考えてみることにしよう。
昼休みにぶつくさ言ってるのもいかがとは思うが。


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