goo blog サービス終了のお知らせ 
変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー




毎週日曜日に、宇宙戦艦ヤマト2199なる作品が
放送されている。

録画しておいた2週分を観てみました。
きっとその筋のサイトでは当たり前の
感想しか書けないだろうが、自分なりに
記録しておこうと思う。

期待値が高くなかったてのもあるが

おもろい!

初代を見ていた世代へのアビール満載(笑)

つか、ヤマトの場合は初代のデキの良さに
感心する格好のネタになっていると思った。

ヤマト建造のリードタイム短過ぎといった
矛盾を巧みに見直している点も心憎い。

更に、ガンダムとエバンゲリオン、または
ナウシカといったその後の作品のエッセンス
がちりばめられている。
特にエバかな。

偽装をとく前に発射した主砲と、
巨大ミサイルを迎撃したショックカノン
との整合性が疑問ではあるが、

全てにおいて効果音がいい!
BGMがいい!

来週も見よう♪

因みに、大マゼラン銀河て、
148000光年から168000光年に遠のいたの?


反射衛生クリック
    ↓
にほんブログ村 小説ブログへ


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





こんなはずじゃなかった。

もっとムリがきいたし、踏ん張れたもんだ。

それがどうよ。

身体が着いて来ない。

思考が本当に停まってしまう。
堂々巡りに陥ることさえなく。

なんてこった!

何かある度に衰えを実感する。

寂しいもんだね。

これ即ち、
蓄積した経験を、
高められた人間性を、
活かせてないということ。

まだまだですな。


 老眼クリック
    ↓
にほんブログ村 小説ブログへ


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





前にも記載したかもしれないが、
言葉によるコミュニケーションの限界として、
人それぞれの認識の幅は伝わらないものだ。

それぞれが勝手に認識しているだけでは、
コミュニケーションは成立しないし、
集団生活を前提とした人間という生き物は
存在自体が否定されてしまうだろう。

だから基準が必要になり、この基準を軸にして
人はコミュニケーションを成立させる。
この基準のことを常識と呼び、個人の価値観
として受け入れるかどうかの別の次元で、
誰もが共有しておかなければならない。

事実として、常識の認識にも幅がある。
それは個性と表現されるもので、数値化した
定義は無いものの、一定の範囲に収まる差異を
個性と呼び、それを越えると単なる異常となる。
或いは変わり者か。
この範囲の捉え方も常識だからややこしい。

そういったややこしさをと曖昧さ、それらを
包含した人と人のコミュニケーション。
所詮、と言うとおこがましいが、一定の枠内
の情報伝達であり、共有の範囲に留まらざるを
得ない。

何が言いたいかというと、、、
特に無いのだが、厳密に内容を定義すべき
ビジネスに代表されるオフィシャルな関係に
おいても、結局は相互に理解できる、或いは
している積もりの情報は、一定の枠内という
範囲を超えない。

逆に、個人の持つ認識は、その人だけの固有の
ものであり、決して他人に伝わることはない。
相手によって、経験の類似性によって伝わる
範囲は左右されるだろうが、全く同一の価値観
というのは有り得まい。

だからさ。

信じたことをやろう。

コミュニケーションを諦めてはならないが、
差異がある前提で大らかに受け入れよう。

競争とは、決して戦いと同じではない。

プライベートの方はと言うと。

例えば芸術的カワイさを醸し出すジヨンちゃんも、
超可愛いお店の指名嬢も、
一般的視点として見ているに過ぎず、或いは単に
好みへの近さ故の視覚的認識に過ぎない。

人生をともにしたパートナーとなると、
数多の思い出と幾多の経験、
それらに立脚した価値観を通して見るおいらと、
客観的に見る一般の方々と、見え方は全く異なる
に違いない。
決して伝えることはできないだろうが、逆に
その可愛さと美しさは、おいらだけの特権。

思わずほくそ笑んでしまうのだが、こういった
価値観もまた、共有の難しさでは同じ。

やはり人とは、物理的には単独では有り得ない
にも関わらず、精神性において本質的には孤独
なのだろうか。


・・・深みにハマる前に仕事しよ(笑)


暇なんかい?クリック
    ↓
にほんブログ村 小説ブログへ


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





毎年恒例のぶどう狩り@山梨。

行って来ました。写真は瀬戸ジャイアンツ(桃太郎)。
皮ごと食えて種無しという、夢のような品種。
この季節は、他にもカッタクルガンも同様に食える。

旨し!

他にも藤稔とピオーネと巨峰と・・・
毎度のようにいっぱい買ってきました。

なんとも楽しい。

自然に、同僚に、農家に、家族に、

皆に感謝。


贅沢なクリック
    ↓
にほんブログ村 小説ブログへ


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





領土っていったい何だろう?
国際的に定義されたものはあって、その強硬な解釈
が軋轢を呼んでいるのが現状か。
現在の定義って、19世紀か20世紀初頭くらいの版図
をベースにしているのだと思っている。
もっと言うと、欧米列強の価値観で。

誤解しているのかもしれないが、かのローマ帝国は、
少なくとも5賢帝時代と呼ばれる前半くらいまで、要は
最盛期の頃は、国境の概念が現在とは違っていたらしい。
「ローマ人の物語」で塩野先生がそのようなことを書いて
おられたと記憶している。

隣接する文化圏や国家の在りようが異なる当時と現在を
直接的に比較するつもりはないが、国境の概念が悠久の
歴史の中で、変化しているという事実に着目したい。

国境と領土というのは、視線が違うのだろうけども、
細かい話はここでは置く。

現在の制度や用意された価値観では、国境を守ること
は国力そのものを現すのだろう。しかし、辺境の孤島
を領土に組み入れて、いったい何がしたいのかしら?

地球的規模の課題が山積の現在、課題そのものも地域
によって様々であろう現実と実態に照らし、我々は
新しい国際的な枠組みと取組に向かっていかなければ
ならないのではないか。

古新聞と化した従来の制度と価値観を見直し、その先
にある領土の在りようを考える時期ではないか。
単なる領有権や実効支配の有無の主張など、そんなに
価値のあるものだろうか?

さて。
ではどうするのか、ということだけども。
良案がある訳ではありません、あしからず。

だが、例えば弱い連邦制のような枠組みは考えられない
だろうか。その象徴として、連邦直轄地域があっても
いいと思う。竹島を連邦の直轄統治とし、領有権の争い
を過去の遺物にしてしまうのだ。
法律を始めとした、国家運営に必要な要素を関係国で
整理していくのだ。直轄統治領で運用し、改善し、良い
ところから両本国に反映していけば、両国の敷居は低く
なっていくに違いない。こういう距離感の短縮は、双方
の国家に内在する課題や問題に対しての当事者意識をも
醸成し、戦後課題についても、繰り返して来た単なる
外交カードという下らない位置づけから、現実的に解決
すべき課題になっていくのではないか。

いや、単なる妄想です。


打開策のクリック
    ↓
にほんブログ村 小説ブログへ


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





人は一生懸命生きている。
殆どの人がそうだろう。

それぞれの立場がある。
価値観がある。
背景がある。
拘りもある。

当たり前だ。

互いに尊重しあってこそ、対等と言える。

これも当たり前。

ただ、尊重しあうということは、
互いを認めるということだけに留まらない。

相手を追い詰めるようなことはしない。
そういったマナーを守ることも含まれる。

さて。
某国の5人組女性アイドル、我が国のマーケットへの
依存度は低くはないのだろう。

その国とは領土の話でゴタゴタしている。
自国で庶民の望む本音の公開を求められているようだ。

領土に関する彼女達の本音は分からないが、
そんなこと求められたって、困るわな。

相手を慮る思慮や謙虚さ、それはひいては自らの信念
の強さから醸し出されるもののはずだが、そういった
ものは、若いアイドルに対して影響力の大きさだけで
無茶ブリする行為からは、片鱗さえも感じられない。
稚拙である。

その国は。
現在の音楽の分野で、表裏はあるんだろうけども、
素晴らしさを見せつけた文化を持つ。
立派な歴史を誇る民族でもある。
技術力も経済力も持っている国家だし。

しかし、本当にこれらに自信と誇りがあれば、他人を、
増してや同族の人間を、更には若者を、
追い詰めるようなことはしないはずだ。

如何に優れたものを持っていようとも、人として
先進国とは言えないな。

果たして、我が国、自分自身はどうだろうか。

他人のふり見て云々である。


発展途上クリック
    ↓
にほんブログ村 小説ブログへ


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





今回、T-araネタはミニマムで。

体脂肪率の上昇を機に始めたジム通い。
マシントレーニングの後はランニングで有酸素運動。
週1回では低下はしないけども、更なる上昇は食い止められている。
自分ではそう思っている。

一つ課題があった。
膝が痛い。
明らかにランニングの弊害と思われる。
最初に履いていたランニングシューズは、靴屋さんの店頭に
並んでいるようなリーズナブルなミズノ製だった。
形から入るおいらとしては、半年位でアディダスの靴に買い替え。
この靴、1年くらい使ったかな。
この時は、足の指が痛くなって、よく調べてみたらサイズが
合ってなかった。
そんな折、近所の靴屋が閉店セールやってて、アシックスの
いい感じのがあったので、買い替え。
それを使うこと1年。段々と膝が痛くなってきた。
そろそろ限界、という頃、近所のスポーツショップで
プロネーションを調べてもらった。
ランニング素人のおいらは、プロネーションという言葉も
知らなかったのだけども、足裏が地面に接地している影を
調べてもらったところ、ありがちなオーバープロネーション
ということだった。かがとの外側で着地し、つま先の親指側
で蹴り出すんだと。

そうですか。

で終わろうとしていた時、店員さんが金言。

「この状態だと、適切な靴を履いていないと、膝の内側が
痛くなってきて、足首の外側も腫れたりしますね。」

驚くほど、おいらの症状にマッチしていた。

ということで、お勧めの靴を選んでもらったら、なんと、
その時点で使ってたアシックス、新型にモデルチェンジ
してはいたが、基本的には同じもの。

う~む。。。

一旦帰って再考。
そう言えば、アディダス履いてた頃は、膝は痛くならなかった。
フォーモーションという踵のショック吸収機構を備えたもの。

ということで、再度スポーツショップに行って、
 ・フォーモーション搭載
 ・オーバープロネーション用
という条件で選んでもらった。
今度は、サイズもちゃんと吟味。
デザインも良いのがあって即買い。

先週末、ニューシューズで走ってみた。

正直、こんなに靴の相性がいいと感じたのは初めて。
膝は平気だし、何と言うのかな、兎に角具合がいい。

ということで、ウォーキングでもジョギングでも
ランニングでも何でも、靴は大事ですね、という話でした。

尚、韓国ではスイスのスポーツブランド「WILD ROSES」の
CMにT-araが起用されている。
今回の騒動で、契約更新は微妙とのニュースもあったが、
このCMもCMのメイキング画像も、本当に可愛いのだ。

マジ可愛いですよ。

女性用ブランドということだが、おいらのジムウェアは
自作WILD ROSES。
背中にT-ara、前面にジヨンを貼って走ってます。

おいらのオリジナルTシャツも、だいぶクオリティが
上がってきました。


痛視線のクリック
    ↓
にほんブログ村 小説ブログへ


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





FACEBOOKにいたりする。
ワイルドなんだかバカなんだか、
無制限で公開中。

そしたら、
高校時代にお付き合いしていた方から
メッセージが届きました。

30年前の話ですが
元カノと言ってもいいですか?笑

何か不思議な感じです。

想い出は美しいままにしておきましょう。


八神純子クリック
    ↓
にほんブログ村 小説ブログへ


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





まったく、おいらという人間は、
ひと様にとやかく言えるような
男ではないのだが。

それにしても、AUはお粗末と言わざるを得まい。

先日のこと、買って2ヶ月のスマホが壊れた。
電源が入らない。

困ります。

ということで、AUショップに駆け込んでから、
解決するまでにどれだけの労力を費やしたことか。

勘弁してください。


責任

という言葉をどのように理解しているのだろう?
恐ろしく不適切なルールを勝手に作り上げ、
不都合は徹底的にユーザに押し付ける。

ボクもそんな会社で働きたいわ(笑)

論点をここに明らかにしてやりたいところだが、
多くは語るまい。一つだけにしよう。

ハードウエアというものは、一定の割合で壊れる
ものだし、不具合が出るものだ。
それは自明の理というにも当たり前すぎる。

対応スキームが一切考えられていない事実。
リスクを一方的にユーザに押し付ける制度というか、
そういう制度を作った思考回路というか、
恐るべき怠惰と傲慢さに驚きました。

論理的思考を完全に放棄し、
それでも全く譲らない精神、
なのに”申し訳ありません”
と言い続ける慇懃無礼。
そんな組織で働く皆さんが気の毒になりました。

AUで意思決定に携わる人たちに幸アレ。


傍若無人クリック
    ↓
にほんブログ村 小説ブログへ


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





世の中、ルールに溢れている。

法律のように明文化されたもの、
道徳のような不文律ではあっても厳然と存在するもの、

形態は様々なのだろうが、
単独では現状の生活レベルが維持できない生き物、
人間である以上、それは止むを得ずもあり、
存在価値そのものでもあったりするのだろう。

人は他人に対して、
ルールを知っているかどうかで、その人の常識を図り、
ルールの守り具合で、その人の個性を見る。

ルールというものは、
不特定多数の人と社会生活を営む必要がある上で、
生活や活動を円滑ならしめる手段としてのみならず、
パートナーとしての適合性を見極める道具でもある訳だ。

しかして、相手が子供の場合はどうだろうか。

ルールの目的、アウトロー化した時に降りかかる事態、
そういったことを教える為にも、校則等の一般から独立
したルールが存在することは認める。

ただ、ルールそのものがレッテルを作り出すということ
を忘れてはならない。

違反者に不良のレッテルを貼り、
その社会から締め出したり、
個性を奪い去って将来性を閉ざさせたり、

そういう側面があるから、ルールというのは、
行き過ぎたり細かすぎたりしてはならず、
状況や実態に応じた運用が求められるべきものなのだ。

ルールの運用、これが子供社会において、最も優先
すべき教育ポイントなのだと思う。

細かく不要なルールによって、どれだけの青少年少女が
疎外されていったのか、統計情報を持ち合わせている訳
ではないが、直感的には少なくない犠牲者がいるように
思う。

さて、ここでは校則等に代表されるルールに関する現状
の問題点を記録しようというのではない。

あしからず。

ネット等の、現代生活では切っても切れないインフラに
ついて、子供達に如何に提供していくか、という話題を
記録しておきたい。

パソコン、iPOD、ネットゲーム機器、スマホ、携帯、
他にも多種多様なツールが存在する。
それら全てについて、教育的に、経済的に、倫理的に、等
の理由で不都合な目的で使用されることを抑止することは
可能だろうか。
できるかもしれないが、いたちごっこをする程に価値が
あるとは思えない。
与えなければいい、という極論はあるかもしれない。
しかし、将来的には、自らを律して使用を制限しなければ
ならないのだ。ここが最も教育すべきところで、与えない、
という選択肢は、可能性の生き物である人間そのものを
否定していると考える。

では、与えた上で、何を制限し、どこまでを自制に委ねれ
ばいいのだろう?

我が家では、恐らく標準よりも多くの機器を与えている。
同時に多くの危機も与えている訳だが、一般的なサイト制限
と、使用時間制限くらいしかかけていない。勿論、携帯の
上限は設定したりはしているが。

それでいいと思っている。
知らないところで買い物や有料ダウンロードされ、請求額に
腰を抜かすようなことも起こっているが、その都度、根気
強く会話していくことが、将来に繋がると確認している。

仕事が忙しく、家族の会話もままならない状態で何を言って
いるのか、と怒られそうだが、考えを変えるつもりはない。

その昔、「3無い運動」という活動があった。子供のバイク
事故を防ぐために、乗らない、乗らせない、乗せない、
だったかな? ちょっと違うかもしれないが、要は機会を
与えないことで、利点ともども弊害を取り除こうという手段
だ。

おそまつ!

教育者の怠惰も甚だしいと憤慨したものだったが、自らの
プライドを掛けて、同じ轍を踏まないようにしたい。

ま、子供の命という、ナニモノよりも大切なものを守るに
あたっての手段と、同列に語ってはいけないのだろうけども。

収集が付かなくなってきたのでこの辺でやめるが、
親ばかと言われようとも、我が子の可能性を摘むことだけは
したくない、そんなことを考えているバカ親父です。


結局何?クリック
    ↓
にほんブログ村 小説ブログへ


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





ヘッドフォンというかイヤフォンというか。
インカナル式ヘッドフォンの話。

普段使っているのはSHURE製。
何年か前に知人に薦められて購入。
最高のフィット感と、音の良し悪しが分かるとは思えない
おいらでさえ澄んで聞こえる音質。
誇張するでもなく置き忘れた音もない感じで、
惚れ込んで使い続けていて、今も2代目SHURE。

それなりの値段がするので、汗で壊れちゃ勿体無いと思い、
ジムでは使わないようにしていた。

代わりに、Audio Technica製のノイズキャンセリング機能
搭載ヘッドフォンをジムでは使用していた。
ジムってば五月蝿いからね。
スペック上は85%ノイズカットを謳っている代物。
確かに、劇的に雑音が減る。
ボリュームレベルを 12 で聞いているのだけども、
ノイズキャンセリングスイッチをオフにすると、
殆ど聞き取れない音楽が、普通に聞けるようになる。
音質は比べるべくもないが、ノイズキャンセリングフォン
に音を求めてもしょうがないでしょう、ということで。

ところが。
SHURE製のが調子が悪くなって、片方が聞こえたり
聞こえなくなったりし始めた。

もう買い替えですか!?

と嘆きつつ、どうせ壊れかけているなら、と
ジムに持ち込んでみた。

確かに、SHUREの耳パッドは低反発製の超フィットタイプ
で、20dbは雑音が防げるとどこかで見た気がするが、
驚いたことに、SHUREではボリュームレベルを 10 に
しても、Audio Technica同等には聞こえました。
音は抜群にいいです。

耳は消耗品ですからね。
聞けば聞く程、悪くなっていきますからね。
ちょっとでもボリュームを下げて聞きたいものです。

ということで、
 ・音質
 ・遮音性
 ・コードの絡みにくさ
全てにおいて、SHUREの圧勝でした。

さて、買い替えとなると、やはり次もSHUREかな。
フィリップス製がちょっと気になる昨今ではありますが。


消耗品的クリック
    ↓
にほんブログ村 小説ブログへ


コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )





分かっちゃいても、
信じたくないことって
あるじゃないですか。

絶望したくないから。


僅かな可能性というか、
拡大解釈や希望的観測の集合体、
それを妄想と言うのかもしれないけど、
そんなものを信じたい気持ちってのも
あるじゃないですか。

そこに夢があるから。


どうして、
現実はこうなんだろう?
いっそのこと、
事実を理解する力なんて
なければいいのに。


どんどん露骨になっていく。
反比例的に、すがりつきたい気持ちが強くなる。


もっと知りたい。
ずっと考えていたい。
溺れてしまってもいいから。


どうする?
この堂々巡り。


泣けて来るぜ。


いっそのこと、泣いちゃおうかな。


迷走的クリック
    ↓
にほんブログ村 小説ブログへ


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





そういうことぢゃ無いんだよね。


と言いたいことって、少なからずある。

言ったって仕方ないさ。

諦めの境地と、

言えない苦しさと、

ホント、辛いなぁぁぁぁぁ。

色んなことが起こるなぁぁぁぁぁ。

人が生きてりゃ当たり前か。


要救援のクリック
    ↓
にほんブログ村 小説ブログへ


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





自分の居場所はどれくらいあるか。

普通に生きていれば、
幾つかの居場所があるもんだ。

社会的生物である人間にとって、

居場所がある

ということは、至極重要な意味を持つ。

多分ね。

だから、しがみつこうとする。

その場所にいられなくなることが
恐ろしくてたまらないから。

表面上は、いられなくなることの影響が恐ろしい。
しかし、実のところ、居ること自体が目的化している。

そんなこともあるんじゃないかな。

それって本末転倒。

だから、

君にとっての居場所が僕でありますように。
それが大切な場所でありますように。
何なら固執してくれたっていい。
なぜなら、僕の居場所は君なのだから。

というような気持ちは、
間違っているのかもしれない。

なぜ君でなければならないのか、
どうして君を選んだのか、

見失っていないだろうか。

逆に、見失ってはいけないのだろうか。


キリがねーや。

facebookの世界を垣間見ての感慨。
これはこれで居場所なんだろうね。


実名でクリック
    ↓
にほんブログ村 小説ブログへ


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





久しぶりに超楽しい週末だった。

溜まっている仕事には目もくれず、土曜日は出勤しなかった(笑)

いつもは日曜日に行くジム、今回は土曜日に行き、

適度な身体の疲れを風呂に浸かってほぐしつつ、

明日も休みと充実感を味わっていた時、

一通のメールを受信。

何やら楽しげなお話というかお誘いだったので、

Facebookでだいたいの状況感を抑えつつ、

出掛けることにした。

around midnight.

それから解散した7時頃まで、楽しかったす。

いつもの深酒とは違い、車で行ったのでおいらは一滴も

飲まなかったのだけれども、酒の力不要的な充実感。

いい想い出になりました。


そんなことがあっただけに。

その他の時間とのこのギャップ!

しんどいわ。

オンとオフのメリハリと表現したとしても、

状況は変わらんわな。

めんどくせーなー。


などと辛気臭いこと言ってても始まらんので、

これくらいにしときます。


永遠にクリック
    ↓
にほんブログ村 小説ブログへ


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ 次ページ »