変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー




領土っていったい何だろう?
国際的に定義されたものはあって、その強硬な解釈
が軋轢を呼んでいるのが現状か。
現在の定義って、19世紀か20世紀初頭くらいの版図
をベースにしているのだと思っている。
もっと言うと、欧米列強の価値観で。

誤解しているのかもしれないが、かのローマ帝国は、
少なくとも5賢帝時代と呼ばれる前半くらいまで、要は
最盛期の頃は、国境の概念が現在とは違っていたらしい。
「ローマ人の物語」で塩野先生がそのようなことを書いて
おられたと記憶している。

隣接する文化圏や国家の在りようが異なる当時と現在を
直接的に比較するつもりはないが、国境の概念が悠久の
歴史の中で、変化しているという事実に着目したい。

国境と領土というのは、視線が違うのだろうけども、
細かい話はここでは置く。

現在の制度や用意された価値観では、国境を守ること
は国力そのものを現すのだろう。しかし、辺境の孤島
を領土に組み入れて、いったい何がしたいのかしら?

地球的規模の課題が山積の現在、課題そのものも地域
によって様々であろう現実と実態に照らし、我々は
新しい国際的な枠組みと取組に向かっていかなければ
ならないのではないか。

古新聞と化した従来の制度と価値観を見直し、その先
にある領土の在りようを考える時期ではないか。
単なる領有権や実効支配の有無の主張など、そんなに
価値のあるものだろうか?

さて。
ではどうするのか、ということだけども。
良案がある訳ではありません、あしからず。

だが、例えば弱い連邦制のような枠組みは考えられない
だろうか。その象徴として、連邦直轄地域があっても
いいと思う。竹島を連邦の直轄統治とし、領有権の争い
を過去の遺物にしてしまうのだ。
法律を始めとした、国家運営に必要な要素を関係国で
整理していくのだ。直轄統治領で運用し、改善し、良い
ところから両本国に反映していけば、両国の敷居は低く
なっていくに違いない。こういう距離感の短縮は、双方
の国家に内在する課題や問題に対しての当事者意識をも
醸成し、戦後課題についても、繰り返して来た単なる
外交カードという下らない位置づけから、現実的に解決
すべき課題になっていくのではないか。

いや、単なる妄想です。


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