今夜はあまりにすごい雷鳴の連続で、PCをしばらく使えず。
さっきやっとメールチェックしたら、案の定、来週からまた多忙な日々に突入―
まあうすうすそんな予感はあったので、少しゆるめだった今週のうちに美術館をハシゴ。
まずは乃木坂の新国立美術館へ。うねったガラス越しに臨める雨模様。ふと金魚鉢の金魚気分に↑
お目当ては、先週から始まった『アヴァンギャルド・チャイナ〈中国当代美術〉二十年』展。
‘80年代の改革開放以降の中国が突き進んできた激動の時代に、
中国のアートがいかに変化してきたかをリアルに伝える絶妙なキュレーションだった。
“ポリティカル・ポップ”とか“シニカル・リアリズム”とか…まあものは言いようだけど
●派、●ismなどと括れないほど多様で鮮烈。とかく欧米偏重になりがちなアート界で異様な存在感。
「不快に感じるかもしれない場面があることを予めご了承ください」
みたいな但書き付きの映像作品も。(確かに30秒で「ご免なさいっ」な作品も少々)
各国の衣装を着た老人たちのリアル蝋人形が車椅子でうごめくインスタレーションは、
その夥しい車椅子の群れに観客も“参加”できるようにしたら、さらに強烈だったかも。
ご近所だからいつでも行けるとあなどって見逃してしまった『青春のロシア・アヴァンギャルド』の
リベンジで行ったわけじゃないけど。“アヴァンギャルド・チャイナ”のカオスに少々中てられた…
北京五輪後の中国で、これがどう変わっていくのか 注視したい。
☆
水曜は、素敵なマダム千鶴子さんのお誘いで上野の都美術館へ。
日仏現代美術展に千鶴子さんのお兄さん(本業は写真家)が入選なさったというので伺ったのだが
公募展を観るのは実に久々。キュレーターが蒐集したものとはまた違う世界をたのしんだ。
美術館前に居た青いキリン。
実はこの日、折からの急激な気温変化のせいか胃腸の具合が芳しくなかったのだけど
向日葵のように明るい千鶴子さんと上野~谷中界隈を散歩しながらお喋りしたらすっかり回復。
ランチ後、お別れして恵比寿の写真美術館へ。ここで上映中の『いま ここにある風景』が
北京五輪の華やかな終幕を目撃した後、どうしても観たくなったのだ。
産業化により激変する風景を世界各国で撮っている
カナダの写真家エドワード・バーティンスキーを追ったドキュメンタリー作品。
グローバル化する中国のランドスケープは、限りなく凄まじく、果てしなくとんでもなかった。
へたなSF映画など消し飛ぶシュールさ。“世界の工場”たる中国のいまを痛烈に照射していた。が、
他山の石にあらず。これはアメリカであり、日本であり、すべてのグローバル世界の側面でもある。
ゆえに戦慄を覚えるのだ。アル・ゴアも支持するというこの映画、
「これは“地球の壊され方”か、それとも人類繁栄の足跡か。」というキャッチが云い得て妙。
ちなみに、この映画でも採り上げられていた世界最大の山峡ダム建設をテーマにした中国映画
『長江哀歌』も今春、やはり写美で観たが、従来の映画セオリーを超越した作品だった。
貯水テストだけで地球の揺れ(?!)が観測されたという超巨大ダム建設のために、
雇われた住民たちが住み慣れた町を延々黙々と粉砕し続ける光景もまた恐ろしくシュールでかなしい。
祖国の古都を自らの手で爆心地のような巨大廃墟にする―それは自らの身体の破壊行為に近い。
同じ監督のジャ・ジャンクーが作った映画『世界』(弟に借りたDVD)も今週観た。
エッフェル塔やタージ・マハールなど世界100カ所以上のモニュメントが10分の1に縮小再現された
北京郊外に実在する観光スポット「世界公園」が舞台。登場人物の多くもそこの労働者たち。
ピラミッドからカメラがパンするとサンピエトロ寺院が見えたり、
マンハッタンを案内していた男がツインタワーを指差し「ここのは爆破されていないぞ」と云ったり。
すべてがシュール極まりなく、フェイクだらけの世界を彩る模造の華やかさが空疎でせつない。
10年ほど前、北京留学中の弟を訪ねて中国旅行した際に感じた この国の無茶苦茶な膨大さや、
隣国なのに欧米よりも新鮮だった街や人のありようをまざまざと思い出した。
半年以上前に試写で観た中国映画『胡同の理髪師』は、北京五輪を控え、どんどん破壊されている
胡同の古い家並みの一角に実際に暮らす90代の理髪師が主人公。(原題は まんま『剃頭匠』!)
華麗なファッションショーや北京五輪のニュースを流すTVをバックに麻雀に興じる
界隈の老人たちがしだいに消えていく中、独りしゃんと胡同で生き続けるお爺さんの素敵なこと!
『いま ここにある風景』でも、高層ビル建築のために立ち退きを迫られつつ
かたくなに拒絶し続ける老婆が、陽だまりで独り淡々黙々と刺繍をする姿が鮮烈だった。
旧い中国を象徴する事物がたとえ粉砕されても、それを目の当りにした記憶は失せない。
大成功の幕を引いた北京五輪の熱狂後の中国社会のあり方は、
中国のアーティストたちに少なからぬ影響を与えるのだろう。
計り知れない映画やアートを生み出すこの国のアヴァンギャルドパワー、ますます気になる。
(あ、写美で『液晶絵画/STILL/MOTION』も観たんだけど、その感想も追って)
さっきやっとメールチェックしたら、案の定、来週からまた多忙な日々に突入―
まあうすうすそんな予感はあったので、少しゆるめだった今週のうちに美術館をハシゴ。
まずは乃木坂の新国立美術館へ。うねったガラス越しに臨める雨模様。ふと金魚鉢の金魚気分に↑
お目当ては、先週から始まった『アヴァンギャルド・チャイナ〈中国当代美術〉二十年』展。
‘80年代の改革開放以降の中国が突き進んできた激動の時代に、
中国のアートがいかに変化してきたかをリアルに伝える絶妙なキュレーションだった。
“ポリティカル・ポップ”とか“シニカル・リアリズム”とか…まあものは言いようだけど
●派、●ismなどと括れないほど多様で鮮烈。とかく欧米偏重になりがちなアート界で異様な存在感。
「不快に感じるかもしれない場面があることを予めご了承ください」
みたいな但書き付きの映像作品も。(確かに30秒で「ご免なさいっ」な作品も少々)
各国の衣装を着た老人たちのリアル蝋人形が車椅子でうごめくインスタレーションは、
その夥しい車椅子の群れに観客も“参加”できるようにしたら、さらに強烈だったかも。
ご近所だからいつでも行けるとあなどって見逃してしまった『青春のロシア・アヴァンギャルド』の
リベンジで行ったわけじゃないけど。“アヴァンギャルド・チャイナ”のカオスに少々中てられた…
北京五輪後の中国で、これがどう変わっていくのか 注視したい。
☆
水曜は、素敵なマダム千鶴子さんのお誘いで上野の都美術館へ。
日仏現代美術展に千鶴子さんのお兄さん(本業は写真家)が入選なさったというので伺ったのだが
公募展を観るのは実に久々。キュレーターが蒐集したものとはまた違う世界をたのしんだ。
美術館前に居た青いキリン。
実はこの日、折からの急激な気温変化のせいか胃腸の具合が芳しくなかったのだけど
向日葵のように明るい千鶴子さんと上野~谷中界隈を散歩しながらお喋りしたらすっかり回復。
ランチ後、お別れして恵比寿の写真美術館へ。ここで上映中の『いま ここにある風景』が
北京五輪の華やかな終幕を目撃した後、どうしても観たくなったのだ。
産業化により激変する風景を世界各国で撮っている
カナダの写真家エドワード・バーティンスキーを追ったドキュメンタリー作品。
グローバル化する中国のランドスケープは、限りなく凄まじく、果てしなくとんでもなかった。
へたなSF映画など消し飛ぶシュールさ。“世界の工場”たる中国のいまを痛烈に照射していた。が、
他山の石にあらず。これはアメリカであり、日本であり、すべてのグローバル世界の側面でもある。
ゆえに戦慄を覚えるのだ。アル・ゴアも支持するというこの映画、
「これは“地球の壊され方”か、それとも人類繁栄の足跡か。」というキャッチが云い得て妙。
ちなみに、この映画でも採り上げられていた世界最大の山峡ダム建設をテーマにした中国映画
『長江哀歌』も今春、やはり写美で観たが、従来の映画セオリーを超越した作品だった。
貯水テストだけで地球の揺れ(?!)が観測されたという超巨大ダム建設のために、
雇われた住民たちが住み慣れた町を延々黙々と粉砕し続ける光景もまた恐ろしくシュールでかなしい。
祖国の古都を自らの手で爆心地のような巨大廃墟にする―それは自らの身体の破壊行為に近い。
同じ監督のジャ・ジャンクーが作った映画『世界』(弟に借りたDVD)も今週観た。
エッフェル塔やタージ・マハールなど世界100カ所以上のモニュメントが10分の1に縮小再現された
北京郊外に実在する観光スポット「世界公園」が舞台。登場人物の多くもそこの労働者たち。
ピラミッドからカメラがパンするとサンピエトロ寺院が見えたり、
マンハッタンを案内していた男がツインタワーを指差し「ここのは爆破されていないぞ」と云ったり。
すべてがシュール極まりなく、フェイクだらけの世界を彩る模造の華やかさが空疎でせつない。
10年ほど前、北京留学中の弟を訪ねて中国旅行した際に感じた この国の無茶苦茶な膨大さや、
隣国なのに欧米よりも新鮮だった街や人のありようをまざまざと思い出した。
半年以上前に試写で観た中国映画『胡同の理髪師』は、北京五輪を控え、どんどん破壊されている
胡同の古い家並みの一角に実際に暮らす90代の理髪師が主人公。(原題は まんま『剃頭匠』!)
華麗なファッションショーや北京五輪のニュースを流すTVをバックに麻雀に興じる
界隈の老人たちがしだいに消えていく中、独りしゃんと胡同で生き続けるお爺さんの素敵なこと!
『いま ここにある風景』でも、高層ビル建築のために立ち退きを迫られつつ
かたくなに拒絶し続ける老婆が、陽だまりで独り淡々黙々と刺繍をする姿が鮮烈だった。
旧い中国を象徴する事物がたとえ粉砕されても、それを目の当りにした記憶は失せない。
大成功の幕を引いた北京五輪の熱狂後の中国社会のあり方は、
中国のアーティストたちに少なからぬ影響を与えるのだろう。
計り知れない映画やアートを生み出すこの国のアヴァンギャルドパワー、ますます気になる。
(あ、写美で『液晶絵画/STILL/MOTION』も観たんだけど、その感想も追って)