空飛ぶ自由人・2

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世田谷線めぐり・豪徳寺

2023年07月26日 23時00分00秒 | 旅行

宮の坂駅から5分ほど住宅街を歩くと、


豪徳寺に着きます。

山号は大谿山(だいけいざん)。

付近は、中世の武蔵吉良氏が居館とし、
世田谷城の主要部だったとされています。
文明12年(1480年)、
世田谷城主吉良政忠が伯母で頼高の娘である弘徳院のために
「弘徳院」と称する庵を結びました。
当初は臨済宗に属していたが、
天正12年(1584年)に曹洞宗に転じました。

山門

扁額には「碧雲関」という文字が書かれており、


「外の世界と境内を隔てるために建てられた門」
を意味すると言われています。

地蔵堂

令和2 年(2020年)9 月落慶。
地蔵菩薩半跏像↓が安置されています。

梵鐘

延宝7年(1679年)、
藤原正次(釜屋六右衛門)により鋳造されました

久昌殿

豪徳寺開基、井伊直考公の戒名「久昌院殿豪 天英大居士」に由来。
檀信徒会館として、写経の会をはじめ、法事法要など各種行事が行われます。

茶室「無二庵」・書院・種月園

法堂

昭和42年(1967年)に造営されました。
法堂には聖観世音菩薩立像↓、

文殊菩薩坐像↓、

普賢菩薩座像↓、

地蔵菩薩立像↓が安置され、

さらに寺宝の「井伊直弼肖像画(井伊直安作)」が飾られています。

開祖堂

平成11年(1999年)11月落慶。
宗関大和尚椅像↓、

秀道大和尚椅像↓、

承陽大師(道元)椅像↓、

常済大師(瑩山)椅像↓、

聖徳太子椅像↓、

そして歴代住職、藩主の位牌が安置されています。

納骨堂

赤門

井伊家の上屋敷にあった長屋門を、井伊家から寄進されました。
元々は東門にありましたが、現在の場所に移築しています。

仏殿

延宝5年(1677年)建立。
仏殿の正面に篆額「弐世佛」があり、
現在・過去・未来の三世を意味する諸佛などが安置されています。
阿弥陀如来坐像↓

釈迦如来坐像↓、

弥勒菩薩坐像↓。

三重塔

平成18年(2006年)5 月に落慶。
高さ22.5メートル。
釈迦如来像↓、

迦葉尊者像↓、

阿難尊者像↓、

招福猫児観音像が安置されています。

招福殿

この裏手に、外国人観光客が群がる場所があります。

ここが、それ。

願掛けの願いが叶った信者が、お礼にと、招き猫を奉納。

それがこんなに数が増え、

外国人観光客の写真スポットに。

豪徳寺は、招き猫発祥の地とされています。
ある日、この地を通りかかった鷹狩り帰りの殿様が、
お寺の門前にいた猫に手招きされ、立ち寄ることに。
すると、突然雷が鳴り雨が降りはじめました。
猫のおかげで、雷雨を避けられた上に、
和尚との話も楽しめた殿様は、
その幸運にいたく感動したそうです。
それが彦根藩主の井伊直孝でした。
そうしたことで、寛永10年(1633年)、
井伊直孝が井伊家の菩提寺として伽藍を創建し整備。
寺号は直孝の戒名である「久昌院殿豪徳天英居士」によります。

おや、こんなところにも。

サイズは、このサイズ。

奥には、墓所があります。

井伊家墓所

墓所には幕末の大老13代直弼の墓、
豪徳寺中興開基2代直孝の墓をはじめ、
歴代藩主や正室たちの墓が並んでいます。

桜田門外の変で暗殺された大老13代井伊直弼の墓所

というわけで、世田谷線の旅でした。