宮の坂駅から5分ほど住宅街を歩くと、
豪徳寺に着きます。
山号は大谿山(だいけいざん)。
付近は、中世の武蔵吉良氏が居館とし、
世田谷城の主要部だったとされています。
文明12年(1480年)、
世田谷城主吉良政忠が伯母で頼高の娘である弘徳院のために
「弘徳院」と称する庵を結びました。
当初は臨済宗に属していたが、
天正12年(1584年)に曹洞宗に転じました。
山門
扁額には「碧雲関」という文字が書かれており、
「外の世界と境内を隔てるために建てられた門」
を意味すると言われています。
地蔵堂
令和2 年(2020年)9 月落慶。
地蔵菩薩半跏像↓が安置されています。
梵鐘
延宝7年(1679年)、
藤原正次(釜屋六右衛門)により鋳造されました
久昌殿
豪徳寺開基、井伊直考公の戒名「久昌院殿豪 天英大居士」に由来。
檀信徒会館として、写経の会をはじめ、法事法要など各種行事が行われます。
茶室「無二庵」・書院・種月園
法堂
昭和42年(1967年)に造営されました。
法堂には聖観世音菩薩立像↓、
文殊菩薩坐像↓、
普賢菩薩座像↓、
地蔵菩薩立像↓が安置され、
さらに寺宝の「井伊直弼肖像画(井伊直安作)」が飾られています。
開祖堂
平成11年(1999年)11月落慶。
宗関大和尚椅像↓、
秀道大和尚椅像↓、
承陽大師(道元)椅像↓、
常済大師(瑩山)椅像↓、
聖徳太子椅像↓、
そして歴代住職、藩主の位牌が安置されています。
納骨堂
赤門
井伊家の上屋敷にあった長屋門を、井伊家から寄進されました。
元々は東門にありましたが、現在の場所に移築しています。
仏殿
延宝5年(1677年)建立。
仏殿の正面に篆額「弐世佛」があり、
現在・過去・未来の三世を意味する諸佛などが安置されています。
阿弥陀如来坐像↓、
釈迦如来坐像↓、
弥勒菩薩坐像↓。
三重塔
平成18年(2006年)5 月に落慶。
高さ22.5メートル。
釈迦如来像↓、
迦葉尊者像↓、
阿難尊者像↓、
招福猫児観音像が安置されています。
招福殿
この裏手に、外国人観光客が群がる場所があります。
ここが、それ。
願掛けの願いが叶った信者が、お礼にと、招き猫を奉納。
それがこんなに数が増え、
外国人観光客の写真スポットに。
豪徳寺は、招き猫発祥の地とされています。
ある日、この地を通りかかった鷹狩り帰りの殿様が、
お寺の門前にいた猫に手招きされ、立ち寄ることに。
すると、突然雷が鳴り雨が降りはじめました。
猫のおかげで、雷雨を避けられた上に、
和尚との話も楽しめた殿様は、
その幸運にいたく感動したそうです。
それが彦根藩主の井伊直孝でした。
そうしたことで、寛永10年(1633年)、
井伊直孝が井伊家の菩提寺として伽藍を創建し整備。
寺号は直孝の戒名である「久昌院殿豪徳天英居士」によります。
おや、こんなところにも。
サイズは、このサイズ。
奥には、墓所があります。
井伊家墓所
墓所には幕末の大老13代直弼の墓、
豪徳寺中興開基2代直孝の墓をはじめ、
歴代藩主や正室たちの墓が並んでいます。
桜田門外の変で暗殺された大老13代井伊直弼の墓所。
というわけで、世田谷線の旅でした。