空飛ぶ自由人・2

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世田谷線めぐり・松陰神社

2023年07月14日 23時00分00秒 | 旅行

先日のこと。
渋谷で映画を1本観た後、
田園都市線に乗って、三軒茶屋に行き、

世田谷線に乗り換えます。

渋谷から二子玉川駅へは、
玉川電車(玉川線)というのが道路の上を走っていました。
略して「たまでん」。


自動車の交通量が増え、
道路の渋滞が激しくなったことから、
(「じゃまでん(邪魔電)」などと悪口を言われていました。)
1969年に廃線となり、
変わって生まれたのが、今の田園都市線。

世田谷線は玉川線の支線で、
三軒茶屋から下高井戸まで10の駅をつなぎます。


全長5キロ

都電荒川線とともに東京都内に二つだけ残る軌道線。
1日平均乗車人員は、5万人台で推移。
2021年は4万8290人。

2両編成。

世田谷線に乗るのは、50年ぶりくらい。

ここで降ります。

無人駅。

バスと同じで、
前と後ろの2か所の読取機にSuicaをタッチして乗り込みます。
全線均一料金。

駅名は「松陰神社前」ですが、
「前」というほど近くはなく、
商店街を5分ほど歩きます。

見えて来ました。

松陰神社

幕末の思想家・教育者である吉田松陰、
および彼の門人である伊藤博文、山縣有朋はじめ、
松下村塾の生徒を祭神としており、
学問の神として崇敬を受けています。


山口県萩市にも同じ神社があります。

神楽殿。

手水舎。

吉田松陰像。

吉田松陰(よしだしょういん 1830~1859年)は、
江戸時代後期の長州藩士、思想家、教育者。
明治維新の精神的指導者・理論者。
「松下村塾」で明治維新で活躍した志士に大きな影響を与えました。

安政6年(1859年)、安政の大獄に連座し、
死刑を執行されました。
首を切った本人の話では、
「いよいよ首を切る刹那の松陰の態度は
真にあっぱれなものであった。
悠々として歩を運んで来て、
役人共に一揖し、『御苦労様』と言って端坐した。
その一糸乱れざる、堂々たる態度は、幕吏も深く感動した」

容姿については、
背は低く、小兵の人で、
容貌醜く、色黒く、鼻高にして、顔に天然痘の痕があったが、
炯々たる眼光は直に人の肺腑を貫くという印象だった、
などという周囲の人々の記述が残っています。
また、酒を飲まず、煙草も吸わず、至って謹直で、
常に大食することを自ら戒め、
生涯婦人と交わることはなかったといいます。
怒った事はなく、
人に親切で、誰にでもあっさりとして、
丁寧な言葉使いだったといいます。
風采はあがりませんでしたが、
一度、二度話し合う者は、長幼の別なく
松陰を慕ったといいます。

石灯籠。

 

萩市にある松下村塾を模したもの。

松下村塾は、江戸時代末期(幕末)に、
長州萩城下の松本村(現在の山口県萩市)に存在した私塾。
吉田松陰が同塾で指導した短い時期の塾生の中から、
幕末から明治期の日本を主導した人材を多く輩出したことで知られています。

長州藩の公立校である明倫館は
武士身分の者しか入れず、
足軽・中間など軽輩は除外されましたが、
対照的に松下村塾は身分の隔てなく塾生を受け入れました。
幕末と明治政府が
元下級武士たちの活躍で成し遂げられたたとはよく知られています。

安政4年(1857年)に叔父が主宰していた松下村塾を引き継ぎ、
この松下村塾において松陰は
久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、吉田稔麿、
入江九一、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義、
野村靖、渡辺蒿蔵、河北義次郎などの面々を教育していきました。
松陰の松下村塾は一方的に師匠が弟子に教えるものではなく、
松陰が弟子と一緒に意見を交わしたり、
文学だけでなく登山や水泳なども行うという
「生きた学問」だったといわれています。

社殿。

この奥に、墓所があります。

吉田松陰の名言として残るものをいくつか記します。

夢なき者に理想なし、
理想なき者に計画なし、
計画なき者に実行なし、
実行なき者に成功なし。
故に、夢なき者に成功なし。

一日一字を記さば
一年にして三百六十字を得、
一夜一時を怠らば、
百歳の間三万六千時を失う。

人間はみななにほどかの純金を持って生まれている。
聖人の純金もわれわれの純金も変わりはない。

どんな人間でも一つや二つは素晴らしい能力を持っているのである。
その素晴らしいところを大切に育てていけば、一人前の人間になる。
これこそが人を大切にするうえで最も大事なことだ。

小人が恥じるのは自分の外面である、
君子が恥じるのは自分の内面である。
人間たる者、自分への約束をやぶる者がもっともくだらぬ。
死生は度外に置くべし。
世人がどう是非を論じようと、迷う必要は無い。
武士の心懐は、いかに逆境に遭おうとも、爽快でなければならぬ。
心懐爽快ならば人間やつれることはない。

今日の読書こそ、真の学問である。

学問とは、人間はいかに生きていくべきかを学ぶものだ。

学問をする眼目は、自己を磨き自己を確立することにある。

みだりに人の師となるべからず。
みだりに人を師とすべからず。

一つ善いことをすれば、その善は自分のものとなる。
一つ有益なものを得れば、それは自分のものとなる。
一日努力すれば、一日の効果が得られる。
一年努力すれば、一年の効果がある。

過ちがないことではなく、過ちを改めることを重んじよ。

自分の価値観で人を責めない。
一つの失敗で全て否定しない。
長所を見て短所を見ない。
心を見て結果を見ない。
そうすれば人は必ず集まってくる。

君子は何事に臨んでも、
それが道理に合っているか否かと考えて、
その上で行動する。
小人は何事に臨んでも、
それが利益になるか否かと考えて、
その上で行動する。

世の中には体は生きているが、心が死んでいる者がいる。
反対に、体が滅んでも魂が残っている者もいる。
心が死んでしまえば生きていても、仕方がない。
魂が残っていれば、たとえ体が滅んでも意味がある。

辞世の句①

「親思うこころにまさる親ごころ けふの音づれ何ときくらん」
  (子が親の事を想う以上に、親が子を想う気持ちは深いものである。
   自分の死の知らせををどんな思いで聞くのだろう。

辞世の句②
「身はたとえ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留めおかまし大和魂」
  (私の体は江戸の地で朽ち果てても、
   私の大和魂という信念だけは
   この世に置いておきたいものだ。)