月のmailbox

詩或いは雑記等/小林貞秋発信。

いつまでも護れないさみしさ

2009-12-10 21:48:18 | Weblog
今朝、通りがかりに、この6月まで住んでいた家近くの電気店の家族の、いつもの朝の光景を目にする。外階段で2階が住まいになっているのだけれども、母親が車椅子の娘を、脇の道に停車した迎えのその関係の施設のワゴンまで、送るのが朝の日課。母親は50代も半ばあたりになったのか。どこか心にかかることを抱え、気持の晴れない生活を送っている人を感じさせる。それが年より以上に老けた感じに見せている印象を与える。そんな姿を見ると、今の年から21年を引いた年の頃の彼女を想像せずにはいられなくなる。私が、東京からこちらに越してきたのが、21年前。車椅子の娘さんはまだ20才になるかならないくらいだから、そのちょっと後あたりに彼女は出産をしたことになる。電気店の前あたりで、私は赤ちゃんの頃を見ているし、その後も、成長する間の彼女を、その時々、眼にしてきたことになる。とくに養護学校に通うようになった少し大きくなってからの彼女は、今朝見た様子のままに母親が送迎バスまで車椅子を押して送る。見慣れたものとしてのその様子の中に、印象づけられている。月日の流れと共に彼女は成長し、ただ幼い頃からと変わらずに車椅子なしには動くことができず、母親は、このように表現せざるをえないように、老いを感じさせるようになった。その時間のながれが、かなしい。若い娘として、どのような夢を抱き、思い、感じているのか私には分からないけれども、成長してすでにその年。そして、母親の思いは、どのようであるのか。これから先のことを、思わせる。5年、10年の先。更に、その先。娘は今のところまだ、どこか幼さを感じさせる。いずれ自立の心を持たなければならなくなるんだろう。
記憶に残っている場面がある。まだ娘さんが1、2才位の頃ではないだろうか。まだベビーカーの上。店の前に両親や他の何人もの人たちが集まっていて、たのしげな様子だった。そばに子犬もいて。ところが一瞬の隙に、その子犬がそばの道路上に走りだしてしまったのだ。そこに走りこんできた車があって、通りがかりの私も、胸の中で声を上げてしまっていたと思う。絶体絶命の状況。彼らも駄目かと思ったのにちがいない。声を上げ、誰もが見守った、その緊迫の僅かな時間。子犬は、奇跡のように走る車の下をすり抜けて、戻ってきたのだ。その動きが、今でも眼に残っている・・・・。
そんな時の記憶。赤ちゃんのいる、たのしげな雰囲気。その子犬は成長して、ずっと車椅子のそばにもいたものだった。
また明日の朝も、母親は車椅子の娘を送り出す。
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追い立てたりはできません

2009-12-09 22:57:32 | Weblog
昨日の東京メトロの車内でのこと。混んでいると言っても、次の駅で降りる客が多ければ、すぐに空いた状態になる。そういう具合であるわけなのですが、その時にはちょっと混んでいて、乗ってきてそばに来たのが若い男女二人連れ。途端に鼻をついてきた香水の匂い。いやいや、匂いではなく、臭い。どういうものだろう、その耐えがたい何とも言い難い挑戦的とも感じられる安っぽい臭い。実に、参りました。それは、香水ですからね。場合によっては、良い匂いと感じるものであるにはちがいない。多分、そこに一緒にいた相手の男は、そのように感じていたのだろうけれども、いやいや、参りました。次の駅あたりで、こちら場所を変えましたけれどもね。
まあ、一事が万事、と言っても宜しいのかな。人さまざまで、相手からすれば、余計なお世話となるわけですからね。例えば、このようなこともあります。われわれ年配の人間からすると、ズボン、あるいはジーンズの膝辺りを、わざわざ切り取って中の足の部分がじかに見えるようなはき方をされると、とくに男のそうした格好など、見るに堪えない、ということになる。あるいは、ズボンの尻の部分をだらしなく下に引き下げた、そうした仕立てのもの。眼をそむけたくなるところ。こちらの眼にとっては、迷惑千万な、眺めであるわけです。見苦しいとしか映りません。その辺りの感覚、センス、そのような形を見せる理由。背景。色々とあるんでしょうけれどもね。
ううむ。ともかく、こちらにとって不快なもの、気に入らないもの。多々ある、というと今度は、それはこちらに問題があるからではないか? あの人のちょっとした素振りが気に入らない、笑う時の声が、不快極まりない。どうしていつもあのように不機嫌そうな顔をしているのか。おかしいのではないか。などなど。あちらこちらでいくらでもでてくる。というようなことになるのも、どうも人間界にいる限りはね、困ったもののようでもあります。
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詩-Space ムーヴメント

2009-12-08 22:32:43 | 



      何故かは分からないが
      泥棒の入り易い家にいる
      壁に赤ら顔の
      ベートーヴェン
      睨んでいるのに効きめがない
      さわやかなひぴきと共に
      侵入なさいます
      ニラメッコなどしない
      見て見ぬふりして
      口笛
      なつかしのメロディ
      大根割り
      泥棒の影をスケッチする
      ひどく長い尾で紙に
      収まらず
      猫に噛み切ってもらう
      画面の上に見えるのだ
      それら


                       December 1990     
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がいもんだねえ

2009-12-07 22:14:20 | Weblog
昨夜も、住まいから走って6分くらいの処にある、運動公園そばの畑の間の道で1時間程のジョギング。一往復3分位の道を10回、20回と繰り返しているんですね。畑のずうっと向こうの道路そばにコンビニ店があるんですが、その白い店の明りが際立って見えるほどに、周辺には明りが少ない。街中とは全く異なる辺りの模様が、別の世界にいる感覚にさせてくれる。夜のそこでのジョギング。気に入っていますねえ。広い夜空の感じも、晴れた日などは星も良く見え、ずうっと見上げていたい思いにもさせる深みを感じさせて。
ジョギングを終えた後、三市(船橋、八千代、習志野)合同の斎場脇の坂道を下りました。下りた先には、運動公園のジョギング、あるいはウォーキングのためのコース。その辺りで、低い仕切りパイプ枠を使って、腕立てでもやって帰ろうかと思ったわけです。辺りは薄暗い、といっても良いほどの明りしかない。始めかけたところで聞こえてきたのが、近くの木の茂る斜面の方からのネコの鳴き声。いつも来たついでに食べものをあげるので、気配で分かるのか、いつもいずこともなく現われるんですね。何匹かには、名前をつけています。
というようなことで、食べものをあげたり、腕立てをやったりして帰ろうかな、と思った時に、ふいとその言葉が浮かんできたのです。
「がいもんだねえ」
何故なのか、それは分からない。故郷を離れてからの長い長い年月、一度として浮かんだことなどのない言葉ですねえ。それがなぜに浮かんできたのか。
新潟の方言。他の地方の人には、おそらくは分からないだろうな、「がいもん」なんて。などと思いつつ、また走って住まいまで帰ってから、ネットで検索をしてみる。その意味につながる何らかの情報でもあるだろうかと。当然かな。全くありませんでしたねえ。
「がいもんだねえ」
これは新潟弁で、概ね小さな子供を褒める時に使う言葉なんですね。えらいね、しっかりしてるね、がんばったね、よくやったね、そうしたニュアンスの意味になりますか。褒め言葉の、えらいね、というのが一番、ピタリであるのかな。
中学校を卒業するまで住んだ故郷ですが、新潟弁は、もう話せません。年に一度は帰っていますが、従姉たちはむろん新潟弁のまま。全く変わらないんですけれどもね。
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詩-Space  不能エリア

2009-12-05 22:39:52 | 



      猫でなければ
      大型の亀のような
      なにかがそばにいて
      たしかにこちらを見るのだ
      刺すような光を見せたり
      遠いのどかな奥地の
      水のきらめきを思わせたりする
      邪魔ならば追いたてる
      見えないところに
      サラバ
      食べるもの
      あとで差し上げるから
      などと良心胸底に見せてから
      首の向きを変え
      出掛ける
      あまりに明るすぎて
      盲目状態になる
      不能
      と名づけられた
      マーケットエリア
      ならば
      倍の明るさで
      呑み込んでしまえとばかりに
      できるものなら
      画策したいものだが
      見ればあちらで
      天空へと向かう
      太い樹木のような
      水晶柱が
      ガツン
      ガツン
      砕かれ打ち倒されそうな気配
      立ち止まる
      見上げる


                      from Six Poems No.8 2004
      
      
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本からのことちょっと

2009-12-05 08:29:25 | Weblog
昨日、近辺の古書店の店先にあったものから買った二冊。
一冊は立花隆(1940~)の2001年刊「東大生はバカになったかー知的亡国論+現代教養論」。それと宮崎学の1996年刊(1945~)の「突破者ー戦後史の陰を駆け抜けた五十年」。
いずれも、ハードカバーのまだ新しい、と言って良い形のままのもの。
先のものは、東大出身の彼が書いたものならではの、ということになるでしょう? より興味深さも出るというものだけれども、「バカ」の言葉をタイトルに入れるところがね、なんというのか。なにかしらより鮮明にさせるところがあると言えば良いのか。
後者の方、前に読んだことがあるものなのだけれども、昨日ちょっと開いてみて、面白いなと思ったのは、こんな部分。
昭和40年代の初めのことなんですが、法学部に入った学生が、法社会学の初めての授業で教授に、
「君たち、勘違いしてはいけないぞ。早稲田の法学部の学生は将来労働者になり、
労働者で終わる人間だ。東大の法学部の連中とは違うんだ。だから、自らの問題として労働法をしっかり学べ」
言われて、落ち込んでいたということなんですね。
今は、どうなんだろうな。時代も、変わって。
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詩-Space  鉄塔

2009-12-04 22:40:45 | 




                         そう
                 そう
            そう
      そう
      とあのひとたちの言うがままに
      並べているうちに
      「そ」の前に
      「う」がきて
                          うそ
                   うそ
             うそ
      うそ
      などに変化する
      その「うそ」を乾かし
      甘味を加え
      白い料理に仕立てて
      海の見える窓辺でゆるやかに
      スプーンを口に
      はこびながら
                           そうなの
                    そうなの
              そうなの
      そうなの
      そこに見える
      あの鉄塔は
      まぼろしなどではない
      現にそこに見えているもの
      見えているもの
      エメラルド色に塗られて
      あざやかに
      屹り立っているもの
      などとあのひとたちに言われても
      あやしい
               あやしい
                        あやしい
      最後に見えるもの
      最後に見たいものが
      現われないもの
      現われないものと
      食い下がり
                      無を見るように
              見下ろす
      足元


                        from Six Poems No.6 2003   



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メサイアコンプレックスだとか

2009-12-03 23:22:56 | Weblog
今日も、ニッポン放送のテレフォン人生相談というのを聞いたのだけれども、パーソナリティ。加藤諦三先生。その先生の早稲田大学の方の心理学のネット授業を、目下のところ受けているところなんですね。全10回。最後が12月27日。
何回目かに、先生の話されたことの中にでてきたメサイアコンプレックスのこと。先生特有の話される調子というものなどもあって、いつもそうした面も含めて興味深く拝聴し、ノートをとったりしているんですが、その時に先生の言われた「死ぬほどの劣等感」、という抑揚たっぷりに先生らしく表現された「死ぬほどの」の感じ。それに動かされたものがありましたね。死ぬほどの劣等感・・・・。それほどに強く深い劣等感のある人間が、一方では世界の人々を救いたいなどと言い出すという、メサイアコンプレックス。
たまたま今日読んでいた岩波新書の、河合隼雄著「コンプレックス」の中に、このような部分があったんですね。
「自分は何も価値がないと自殺を図った人が、少し元気になってくると、自分と同じように悩んでいる世界中の人を救いたいなどということがある。死ぬより仕方がないというほどの劣等感と・・・・・」
本の中でメサイアコンプレックスという言葉は使われていないものの、それ以外のことではないわけですが、「死ぬほどの劣等感」。そこにも出てきたそれ。
私は、心理学の方の知識。全く心許ないほうなので、そうした重なり合う言葉の向こうに、あれこれ思い巡らせてみる程度の処なんですが、それにしても、「死ぬほどの劣等感」。
誰しも劣等感はあるのだろうけれども、「死ぬほどの」というのは、どのような劣等感なのか。分からない、というのが正直なところ。むろんそれが、不幸にも重く心を病んで陥る状況、であることは思う。心的に追いこまれた処での・・・・・。
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年と共に変わるとしてもね

2009-12-03 12:10:40 | Weblog
YouTubeで、音楽を聴くことが多い。気に入ると同じ歌手、あるいはグループのものを繰り返し聴く傾向があって、その間は他への関心がちょっと薄れる、という状況になる。目下のところは、あるイギリスの既にメンバーもかなり年齢が上になっているへヴィメタルバンドのもの。好んで聴いているところなのですが、それも80年代頃のものが、気に入っているようですね。そろそろ、別の音楽の方に関心が向きそうなところに差しかかっている気配ではありますけれどもね。
ところでこのサイトでは、映像でベテランアーティストたちであれば、その若い時代、そして現在。その姿を、容易に見ることができることになってしまうわけですね。中には、信じられないような、全く別人と言うしかない変わりようを見せてしまう者もいるわけです。例えば、Dead or AliveのPete Burnsのような。女性へと性を変えたという外見になっただけではない、整形で全く別の顔。
というようなのもいれば、LoverboyのMike Renoのように、あんなにシャープな若々しさを見せていたのに、肥満体に変貌してしまった現在には、もう面影が全くない。
というのを目の当たりにさせられるのは、ちょっとね。哀しいことです。程度の問題で、程々に太目になったのなら、まあ宜しいかと思うけれども、別人としか思えない変わりようを見せるとなると、どうなのかな、と彼らのために考える。多少の、自己管理があっても良いのではない? とそのようにね。人の視線を受ける仕事なのだから・・・。眼を疑ったのは、ショッキングブルーのマリスカ・フェレス。癌のためにもう亡くなったけれども、Venusを歌っていた頃の記憶しかなかったワタシには、あのこれ以上にないほどに肉のついた彼女の変容ぶりには、おどろきましたね。健康面の理由などあったのだとすれば、こちらも勝手なことは言えないのだけれども、でも予想イメージとのあまりの違い。
ということなどからすると、アーティストたち。肉体的に変わり過ぎてしまうと顔まで、別人のようになる。というような、イメージの連続性が断たれてしまう形には、年を取ってほしくないな、というのがこちらの実感ということになりますか。
年と共に皺位はいくら増えても良いけれども、雰囲気、イメージは変わらない、そういう彼、彼女であって欲しいものです。それぞれの味は深まるものであるはずだしね・・・・。
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詩-Space  絶滅

2009-12-01 22:46:23 | 



        浅いゆめのなか
        ほんのり
        ほんのりと
        地の上で
        ゆめのように
        なんじゅうまんねんも
        生きつづけ
        途絶えた
        生きものの
                     浮き立つ
              すがたを
        とろとろ
        とろとろと
        追い
        とろとろと
        なんじゅうまんねんも
        生き長らえ
        死滅していった
        生きもの
        生きものの  
                        形なく
               浮かび立つ
        すがたに
        そのさだめの
        重なる
        あなたのことを
        とろとろ
        とろとろと
        重ね
        追い
                        宇宙的
                ゆめ時間の
        なかの
        あなたのことを
        とろとろ
        とろとろと
                        とろとろ
                とろとろ
        慰撫する


                       from Sixs Poems No.2 2000   
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