前記事で触れた詩集「鹿門」に収められた作品に、丁度今の時期に重なるタイトルの上記の作品を見て、ここに。世間での正月や元旦のことばと言えば、年賀状に見られるような、お定まりの形。そこでさて、詩人は如何なるようにその思いを表現するものか。ということでは、西脇順三郎世界ならではの表現に触れて、その行方を探るたのしみ。「ふるさとへの永遠の回帰か」「たださがすだけだ」という、それぞれの作の最後の一行。そこに至る特有な世界交感。そして時の中の心の運動、move。
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順三郎さんの詩の中にしばしば現われる「永遠」。永遠という時間。誰しもが、おそらくは限りなく遠い時間としてそれをイメージする。そういうことはあるのだが、「物質のないところには時間はない」、ということを最近思ったりすることが多い。つまりは、時間のある場所は限定されるということ。時間のない場所には、永遠もないということではない? ということなど思ったりして、彼の発する永遠はそうした絶対無は見ないものなんだろうな、等々。
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