地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

【部分が苦しめば...】山谷えり子氏と土井たか子氏死去

2014-10-03 20:18:14 | 今日の御言葉
「前科者」と一緒に写る有田芳生参議院議員




一つの部分が苦しめば、
すべての部分が共に苦しみ、
一つの部分が尊ばれれば、
すべての部分が共に喜ぶのです。


「コリントの信徒への手紙一」/ 12章 26節
新約聖書 新共同訳



働く喜び

長女がまだ小学生だった頃、私が体調を崩して休んでいたお昼に「ママ、お食事作ったの」と、声をかけてきたことがありました。食卓についてみると、故郷の福井の友人が送ってくれたおソバがゆでてありました。

 「まあ、ママの大好物。ありがとう、おいしそう」と、ひとくちいただいた途端、私はカーッとしてしまいました。ゆですぎてグチャグチャ、水ですすぎすぎてボロボロとなったおソバは、私にとって世界一おいしいシコシコ、ツルツルの故郷のおソバとはまるで違っていたからです。

 「どうして、こんなゆで方をしたの?せっかくのおソバなのに、あーあ、悲しい」

 タメ息をついたあと、私と娘の間に沈黙が流れました。しばらくして、目に涙を浮かべた娘が「病気のママに喜んでもらおうとゆでたの。消化がいいようにと思って、いっぱいゆでたの。さっぱりするようにと思って、いっぱい洗ったの」と言いました。

 今度は、私のほうが涙が出そうになりました。母親への愛情の表現を精一杯懸命にした娘の働きに、配慮のない乱暴な言葉を投げつけてしまったことを後悔しました。

 聖書の中のヤコブの手紙「わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。人の怒りは神の義を実現しないからです」(1・19~20)を思い出して、シュンとしてしまいました。

 そんな私に、娘は許そうとするかのように笑いかけました。

 働くことは、愛の表現ということを、みずみずしい形で教えてくれた娘の悲しそうな表情と、そのあとのほほ笑みは、あのグチャグチャのおソバと共に、私の中で一生忘れられない素晴らしい記憶となっています。


(山谷 えり子 「心のともしび」2014年03月27日の心の糧 )
http://tomoshibi.or.jp/radio/2014/03/27.html





北朝鮮拉致問題への協力訴える 
山谷えり子拉致担当相 国連で
(2014年09月10日)



◆【永田町群像 特別インタビュー】

山谷えり子・自民党拉致問題対策本部長 

「北に騙されないようチェック」
「野党とも連携し態勢強固に」

★産経新聞 2014年8月25日 05:00




インタビューに答える自民党の山谷えり子氏
=参院議員会館(酒巻俊介撮影)
 


日本人拉致被害者らの安否を再調査する北朝鮮の特別調査委員会が立ち上がった直後に開いた自民党の拉致問題対策本部で、「皆さん、ブルーリボンバッジがお手元にあるでしょう。それを着けてください」と話しました。

 このバッジは、国民みんなが怒っていること、解決を求めていることを表現しています。解決まで党をあげて取り組んでいく決意を持ち、みんなに朝、バッジを着けながら「今日一日頑張ろう」という気持ちになってほしいと願っています。

 私が国会議員に立候補した理由の一つは、拉致問題をめぐるかつての政府の対応に疑問を持ったことです。昭和63年の参院予算委員会で、当時の梶山静六国家公安委員長が拉致事件の存在に初めて言及しましたが、私には政府が何も取り組んでいるようには見えなかった。その国家のあり方に疑問を感じたのです。「主権を侵害されて、見て見ぬふり、聞いて聞かぬふりをして、こんなに長い間このままにしておいていいのだろうか。それで国家といえるのだろうか」と。

 当選してからは一生懸命資料をつくって国会議員たちに説明をして回って、みんなと解決に向けての輪を強くしていこうと思ったんですが、揶揄(やゆ)するような言い方をなさる人も多かったし、大きく報道されないうちはなかなか真剣に取り組んでもらえなかったですね。「問題だと思った人間が何倍もの熱意を持って取り組み続けなければいけないんだ」と、より強く認識するようになりました。

 安倍晋三首相とは拉致問題の解決に向けて長く一緒に取り組んできました。特に印象に残っているのは、私が拉致問題担当の内閣府政務官だった平成18年に、(拉致被害者の横田めぐみさんの母の)早紀江さんたちが米議会の公聴会で証言する機会がめぐってきた時のことです。

 その際、当時のブッシュ米大統領との面会も実現できないかと思い、外務省を通していろいろと動いたんですけども、なかなかうまくいかなかったんですね。最後は官房長官だった安倍さんがホワイトハウスに電話をしてくださって。

 渡米の前日だったか、安倍さんが「多分これで大丈夫だ。ホワイトハウスに電話しておいたから」とおっしゃったので、「あぁ、これは実現するんじゃないかな」と思いました。

 米国の大統領って、家族をとても大事になさるでしょう。特にブッシュ大統領は性格的にそういう傾向が強かった。だから、早紀江さんに会って感じたことをご自身の言葉で発信していただくことの意義は大きかったですね。実際、ブッシュ氏は「大統領になってから最も感動的な会合」とおっしゃいましたよね。

 安倍さんも家族に対する思いがすごく強い。家族が和やかに、平和に過ごせる。それを守るのが政治の最初の務めでしょう、という思いがものすごく強いですよね。だから優しい。

 そんな経緯があり、安倍さんには当時から戦略性と必要なタイミングは絶対に逃さないという資質をものすごく感じました。

 実はこの時、私は早紀江さんの随行をできないはずだったんです。「海の外に渡るのは外務省の政務官であって、内閣府の政務官ではない」ということで。

 でも安倍さんが「(山谷氏は)早紀江さんとのお付き合いが長く信頼関係もある。もし現地で何か起きた時は、全ての経緯を把握していて的確に対応できる人間がそばにいた方がいい」と言って、私も行けるようにしてくださいました。

 米国の拉致問題に関する認識は、最近では日本と同じところまできていますけれど、韓国には韓国の事情があるように、他国とは温度差があります。北朝鮮には、国際社会の一員として各国とともに行動できる、尊敬される国に早くなってほしいと思います。


▲横田めぐみさん(写真)

 小泉純一郎内閣の時に拉致被害者が5人帰国されましたね。多くの国民が「ああ、拉致事件があったんだ」と認識したのは、あの時だったと思うんです。みんなが拉致事件を認識することができたのは、本当に大きな出来事だったと思います。

 ただ、何だかもうこれで終わったような感じになってしまったような気がします。拉致事件の深刻さや被害者数などに関する認識はまだ足りないのではないでしょうか。

 国家主権とは何か。なぜ北朝鮮による主権侵害をこれほど長きにわたって放置してしまったのか。そういった本質に触れるような報道が不十分だったことも要因の一つでしょう。

 私たちも米国や韓国などに赴き、他国の拉致被害者の家族と連携したり、国連に訴えたり、街頭で訴えたりと、やれることは精いっぱいやっていますが、もっと訴えていかなければならないと感じています。

 安倍首相は今回、北朝鮮に対する独自制裁の一部を解除する方針を表明しました。自民党の拉致問題対策本部でも「また北朝鮮にだまされるんじゃないか」といった懸念の意見が挙がっています。

 しかし、北朝鮮の体質は首相が一番よくご存じだと思うのです。その首相がリスクも承知の上で扉を開いて、とにかく解決に向けて前進しようと決意された。私たちはそれを支えなければいけません。もちろん、だまされないようみんなでチェックし、申すべきことはきちんと申していかねばなりませんが。

 自民党内だけでなく野党とも連帯して、拉致問題の解決に向けた態勢をより強固なものにしていきたい。そして、国民に理解していただけるような説明をしていくことが、私の仕事だと思っています。(豊田真由美)



 やまたに・えりこ 昭和25年9月、東京都生まれ。63歳。聖心女子大文学部卒。内閣府政務官、首相補佐官などを歴任。現在、参院自民党政審会長。衆院当選1回、参院当選2回。山谷氏の公式ホームページのURLはhttp://www.yamatani-eriko.com/


(2014.8.25 05:00)
※現 拉致問題担当大臣(兼国家公安委員長)

http://www.sankei.com/smp/politics/news/140825/plt1408250026-s.html


▲『日本よ、永遠なれ』山谷えり子
(写真 - 止めよう、民主党の独裁と暴走)





▲犯罪独裁北朝鮮の金日成主席と土井たか子氏

※有本恵子さん(拉致被害者) の北朝鮮から届いた
救出を求める手紙を持って、
土井たか子事務所を訪れた有本さんご両親を黙殺しただけでなく、そのことを北朝鮮 (朝鮮総連)に通報した、ただの売国奴です。

その後も拉致は捏造と言い続けました。


★「おたかさん」の死を悼む声相次ぐ 
土井たか子氏死去

◆日本経済新聞 2014年9月28日 20:33

http://mw.nikkei.com/sp/#!/article/DGXLASDG28H05_Y4A920C1000000/

「やるっきゃない」「駄目なものは駄目」――。歯切れ良い数々の言葉を残し、女性として初の衆院議長も務めた元社民党党首の土井たか子氏が亡くなった。「闘い続けた人」「勇気と希望をもらった」。旧知の人々は「おたかさん」の死を悼んだ。


https://twitter.com/hyakutanaoki

 社民党の元衆院議員で「土井チルドレン」と呼ばれた宝塚市の中川智子市長(67)。5年前の市長選に出馬するか悩んだ際、土井氏に背中を押されたという。「男性社会の政治の世界に土井さんが登場し、勇気と希望をもらった」といい、「頑張っている姿をこれからも見てほしかった」と目に涙を浮かべた。

 土井氏は1949年に同志社大に進学し、憲法学者・田畑忍氏の下で憲法を専攻。一緒に学んだ大谷実・学校法人同志社総長は「同志社大の大学院時代に席を並べて研究し、時には酒場で杯を交わした仲なのでお別れするのは寂しい限り」とのコメントを出した。

 「にぎやかで飾り気がなく、仕事一筋の人だった」。作家の戸川昌子さん(83)は振り返る。


▲『クイズダービー』(1976-1992 TBS)
※右側は、仙谷由人元官房長官 (落選)

http://brief-comment.com/blog/abduction/22257/

 経営した東京都渋谷区のバーに議員活動で忙しいさなかによく一人で訪れ、近況を肴(さかな)に酒を酌み交わした。最後に会ったのは15年ほど前。「闘い続けてきた人。お互い歳を重ねた今だからこそ、改めて語り合いたかった」と惜しんだ。

 女性初の真打ちとして知られる落語家の古今亭菊千代さん(58)は「寄りかかることができる『ついたて』のような存在を失ってしまった」。

 約25年前、女性芸人を育てる会の発足式のゲストに呼んだのが親交のきっかけ。以来、数少ない女性落語家を応援し続け、楽屋に「花より団子でしょ」とおどけて差し入れを持ってくることも。「最後に直接『お疲れさまでした』と声を掛けたかった」と話した。


(日本経済新聞 9/28 20:33)



▲国際指名手配中の工作員キムミョンスク容疑者
(警察庁のHPより)
https://www.npa.go.jp/keibi/gaiji1/wanted/wanted_j.html