地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

世の終わり【【花子とアン】小机の平吉に光を 横浜の峯岸さん 来月25日講演会:神奈川】

2014-04-21 08:38:17 | 今日のみことば



次いで、世の終わりが来ます。
そのとき、キリストはすべての支配、
すべての権威や勢力を滅ぼし、

父である神に国を引き渡されます。


「コリントの信徒への手紙一」/ 15章 24節
新約聖書 新共同訳





「こんな日に生きていられて、よかったと思わない?

まだ生まれていなくて、
今日という日を知らない人って、気の毒ね。

そりゃあ、ほかにもすばらしい日はあるでしょうけど、

今日という日は、ほんと、今日だけですもの。」


(『赤毛のアン』モンゴメリ)
http://www.yjts7.net/kotoba.html




▲平吉の功績について説明する
峯岸英雄さん=横浜市港北区で


★小机の平吉に光を 横浜の峯岸さん

来月25日講演会:神奈川

◆東京新聞2014年4月20年
(TOKYO Web)



NHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」のモデルになっている翻訳家村岡花子の義父、村岡平吉(1852~1922年)が生まれた横浜市港北区小机町を応援しようと、近代文学研究家の峯岸英雄さん(56)=港北区篠原東=が研究成果を地元に伝えている。「平吉が広く知られる機会にしたい」と意気込み、5月には区内で講演会を開く。 (杉原麻央)

「平吉は印刷技術で聖書の普及に貢献し、『バイブルの村岡』と呼ばれていた」と、峯岸さんは説明する。

平吉は、横浜・山手の外国人居留地内にあったフランス新聞社や、中国・上海の印刷工場で働き、外国語活字を組み立てる技術を磨いた。洗礼を受け、一八九八年、横浜市中区山下町でキリスト教書籍専門の印刷製本会社「福音印刷」を創業。多くの言語の活字を扱い、アジアや米国向けの聖書も手掛けた。

信者の増加に伴って聖書の需要が高まり、福音印刷は東京と神戸に支社をおく。東京支社の経営を任されたのが、後に花子の夫となる平吉の三男、儆三(けいぞう)。小机町にはかつて花子夫妻が何度か訪れた別宅があり、平吉と夫妻の三人は横浜市西区の久保山墓地に眠る。

「ドラマに合わせて小机を盛り上げよう」。明治時代のキリスト教史の研究から平吉に関心のあった峯岸さんは、地域研究者の知人と昨年十一月、「『花子とアン』と小机を応援する会」を発足させた。平吉や花子のエピソードを通信文に書き、地元の商店街や図書館などに配っている。

花子は随筆に、平吉が「マイディアー(愛する人)」と優しく接してくれたことを書き残している。関東大震災で福音印刷が倒産後、花子は儆三と出版社を設立しており、「印刷に熱意を注いだ平吉から、花子が受け継いだものもあるのでは」と峯岸さん。平吉が今後、ドラマに登場するのを期待している。

講演会「『花子とアン』のふるさと~小机が生んだ印刷王・村岡平吉」は五月二十五日午後二時から港北図書館(港北区菊名)で。十五日から申し込みを受け付け、定員は五十人。問い合わせは、同館=電045(421)1211=へ。

(東京新聞2014年4月20年)




▲吉高由里子(写真中央)

★不倫、略奪婚…『花子とアン』の今後が気になる!?

◆ダ・ヴィンチニュース2014年4月17日

http://ddnavi.com/news/191429/

 4月からスタートした、吉高由里子が主人公・花子を演じるNHK連続テレビ小説『花子とアン』。高視聴率を誇った『ごちそうさん』の後のせいか数字のほうも順調な滑り出しで、今週からは本格的に吉高が出演し、話題を呼んでいる。

 しかし、話題になっているのは吉高の演技だけではない。ネット上でひそかに注目を集めているのは、“今後、花子の恋愛模様がどのように描かれるのか”ということ。というのも、実際の花子は不倫の末に略奪婚を経験しているのだ。『花子とアン』の原案となっている『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』(村岡恵理/新潮社)から、その内容を紹介しよう。

 まず、『花子とアン』というタイトルにもあるように、主人公の花子は『赤毛のアン』を日本で最初に翻訳した人物。山梨の貧しい家庭に生まれた花子が父親の後押しで東京の女学校に編入し、英語で書かれた本に夢中になる…というのが第3週までのドラマのストーリーだ。この第3週では帝大生・北澤(加藤慶祐)との出会いと初恋が描かれ、ここまでは朝ドラらしい展開といえる。

 だが、問題は花子が女学校を卒業し、英語教師を経て、キリスト教の出版社で編集者として働き始めるあたりに起こる。『アンのゆりかご』によると、当時、花子は26歳。“22歳を過ぎた独身の女性は、世間では「行き遅れ」呼ばわりされる”時代だが、花子は夢に向かって新しい職場で翻訳の仕事に勤しんでいた。

そんなときに出会ったのが、印刷会社の経営者・村岡儆三だった。花子が翻訳を手がけた本の出版をきっかけに知り合い、恋に落ちた2人だが、儆三は病気を患った妻と別居中だったとはいえ、子ももつ立派な妻帯者。しかし、2人の恋の炎は燃えさかるばかりだったのか、出会いから2カ月あまりで「儆三の胸に抱かれて、初めて口づけを交わした」とある。──恋の進展に早い・遅いの基準などないものではあるが、現代から見ても“急接近”だったことはよくわかる。

 「病める妻と別れて花子といっしょになりたい」と切望する儆三に対し、「道ならぬ恋に落ちてしまった」ことを悩む花子。2人がやりとりした手紙は半年で実に70通におよぶのだが、その中身もまたすごい。たとえば、花子が儆三に送った手紙の一節はこうだ。

 「(きれいな百合の花をもらったが)あなたがお花を持ってお帰りになったら、周りの方々が妙にお思いになりはしないかと考えて、御遠慮して仕舞ひます。」

 まるでテレサ・テンの歌詞かと見紛うほどに“ザ・不倫”の心情がよくあらわれているが、儆三の手紙も負けてはいない。

 「底冷のする夜、火鉢でも欲しいと思ふ日、秋の夜は何となく寂しい。こんな時あなたと二人であったらと恋しく……Kissします。」

 中2か! とツッコミそうになるが、人を中2にしてしまうのが恋の恐ろしさ。こうして2人は愛を貫き、「初めて出会ってから満6ケ月と16日」でゴールインするのだ。いわゆる“略奪婚”である。

 『花子とアン』の脚本を担当している中園ミホは、この激烈なラブレターを読んで「朝ドラを書くなら、ぜひ花子をモデルにしよう」と決めたというが、果たして既婚女性の視聴者も多い朝のお茶の間は、この恋愛模様をどのように受け止めるのだろうか…?

 ちなみに、花子の親友となる仲間由紀恵演じる蓮子のモデルは、大正時代に“白蓮事件”で世間の話題を集めた柳原白蓮。「昼ドラの金字塔」と誉れ高い伝説のドラマ『真珠夫人』の原作者・菊池寛が物語のモデルにしたとも言われる人物で、その波瀾万丈ぶりは花子の比にもならないほど。史上初の“ドロドロ朝ドラ”となるのか否か、こちらの展開も大いに楽しみにしたい。

(ダ・ヴィンチニュース2014年4月17日)




村岡花子 (資料写真)


★本日スタート。
朝ドラ「花子とアン」の主人公・村岡花子は
元祖「池上彰」だった?

◆日刊アメーバニュース 3月31日07時00分
http://news.ameba.jp/20140331-52/


2014年春のNHK朝ドラは、『花子とアン』だ。
モンゴメリの『赤毛のアン』を日本に紹介した翻訳家・村岡花子(1893-1968)を、吉高由里子が演じる。


▲池上彰氏(資料写真)

出演は他に黒木華、伊原剛志、高梨臨、室井滋、ともさかりえ、石橋蓮司、松本明子、竹山隆範(カンニング)、浅田美代子など。ナレーションは美輪明宏だ。

ヒロインの結婚後の名前こそ「村岡花子」だけど、結婚前の名前は「安東はな」。現実の村岡花子の旧名は「安中はな」だから、伝記ドラマというよりは、現実の人物をモデルにした同名の主人公が出てくる、純然たるフィクションだ。まあドラマはすべてフィクションだけど。

リアル村岡花子の夫・村岡けい三(「けい」は人べんに敬う。社会運動家である賀川豊彦・フサ夫妻の、妻のほうの従兄)の名前も、ドラマでは村岡英治となっている。演じるのは鈴木亮平。
パラレルワールドというか、歴史の二次創作みたいな設定のドラマなのだなー。

さて、このドラマの原案となったのが、村岡恵理『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』(新潮文庫)。親本はモンゴメリ『赤毛のアン』原著刊行のちょうど100年後、2008年にマガジンハウスから出たものだ。原案は「評伝」なので、もちろん、実在の人物は現実の名前のまま。

著者は村岡花子の孫にあたる。〈祖母が亡くなったとき、私は11ヶ月の赤ん坊だった〉という。著者の姉は翻訳家の村岡美枝。ふたりで大田区にある「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」を主宰している。

花子の東洋英和女学校(ドラマでは修和女学校)でのうんと年上の同窓生で、バツイチで編入してきた大正天皇の従妹・柳原あき子(「あき」は火へんに華、以下同。のちの歌人・柳原白蓮[1885-1967])は、ドラマでは仲間由紀恵演じる「葉山蓮子」に変更されている。

柳原白蓮は、のちに、二度目の結婚生活を棄てて駆け落ちした「白蓮事件」で知られた。駆け落ちの相手は、これも社会運動家である弁護士・宮崎龍介。辛亥革命を支援した浪曲師・宮崎滔天の息子である。

これは長谷川時雨の評伝「柳原あき子」(杉本苑子編『新編 近代美人伝 下』岩波文庫所収、青空文庫はこちら)や森まゆみの『明治快女伝 わたしはわたしよ』(文春文庫)などに詳しく、また林真理子が柴田錬三郎賞受賞作『白蓮れんれん』(中公文庫、集英社文庫)で小説化しているほどのスキャンダルだった。


http://cyberweapon.xsrv.jp

『アンのゆりかご』を読むと、白蓮が駆け落ちのさいちゅうに村岡花子に手紙を出したりしている。ふたりの交遊は深かったようだ。この事件はドラマでも大きく取りあげられることだろう。

原案を読むかぎり、『ごちそうさん』に続いて『花子とアン』でも、関東大震災と、太平洋戦争での空襲が描かれるに違いない。

ところで、先立つNHK朝ドラ『ごちそうさん』では、ヒロインの夫の妹・ 西門希子(高畑充希)が昭和初期の大阪ラヂオ放送(モデルはNHK大阪の前身JOBK)のアナウンサーになるという展開があった。

じつは村岡花子も昭和初期に、NHKラジオでレギュラー枠を持っていた。

『アンのゆりかご』によると、キリスト教出版物を刊行する出版社・教文館で少女文学・児童文学の編集者・翻訳家として活躍していた村岡花子は、1932(昭和7)年6月1日から、9年半後の日米開戦までのあいだ、NHKの前身JOAKで、初の子ども番組『子供の時間』(18:00-18:30、帯番組らしい)のラスト5分間「子供の新聞」のコーナーを担当していたのだという。

〈全国のお小さい方々、ごきげんよう! これから皆さまがたの新聞のお時間です〉
で始まる「子供の新聞」コーナーはたとえば、初回放送ではつぎのような内容だったという。


〈帝国議会は大日本帝国憲法という、国の掟によって、今から42年前の明治23年から毎年開かれています。
今日から開かれる帝国議会はその62回目に当るのです。
議院は貴族院と衆議院のふたつに分かれ、国の大切な事柄を決めるのです。
今日はその開院式が貴族院で行われます〔…〕。

帝国議会はいつもならば年の暮れから翌年の3月までの3ヶ月間でありますが、今度の議会は臨時の必要で開かれましたので、今月の14日までの2週間で終わることになっています〉
(250頁。引用者の責任で改行を加えた)


これって、のちのNHKの人気TV番組『週刊こどもニュース』でNHK時代の池上彰さんがやってたことじゃないか。
村岡花子はこの番組で、〈ラジオのおばさん〉として人気ものになったという。番組を締めくくる「子供の新聞」の、そのさらに〆の挨拶フレーズは

〈それではごきげんよう! さようなら〉
というもので、〈この独特の口調が流行し、物真似が現れた〉(252頁)。


いま30歳以上の世代なら、テレビ朝日『日曜洋画劇場』で解説の映画評論家・淀川長治が〆る〈それでは次週をご期待ください。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ〉を小松政夫がモノマネしていたのを思い出すだろう。



▲淀川長治(資料写真)

戦前のNHKラジオは、TVもウェブもない時代のメディアとしてたいへんな影響力があった。そこに、専門のアナウンサーでも芸能人でもないのに起用された村岡花子は、児童文化への貢献が注目されていたのだろう。

だけどこのとき、彼女は『赤毛のアン』とはまだ出会っていない。
1939年にモンゴメリのAnne of Green Gablesの原書を、教文館の同僚であるカナダ人宣教師ミス・ロレッタ・レナード・ショーに手渡された村岡花子は、戦時下にこれを翻訳し、戦後、三笠書房から刊行するにさいし、訳題をいくつか考えていたという。

『夢みる少女』
『窓辺の少女』
『窓辺に倚〔よ〕る少女』

……なんかぜんぜん違う。



編集部と合議のうえ『窓辺に倚る少女』になりそうになったが、そこで担当編集者・小池喜孝が『赤毛のアン』をいう案を出し、社長で売れっ子翻訳家の竹内道之助(ミッチェル『風と共に去りぬ』新潮文庫版はこの人と大久保康雄の共訳)もこれに賛同したという。

村岡花子は〈『赤毛のアン』なんて絶対嫌です〉と突っぱねたが、当時20歳の姪で養女の村岡みどり(著者の母)に


〈ダンゼン『赤毛のアン』になさいよ、お母様! 〔…〕
『窓辺に倚る少女』なんておかしくって!〉



と一気に覆され、

〈この物語を読むのは若い人たちなのだ。
若い人のほうが正しいのかもしれない〉

と翻意したという(326-327頁)。


とはいえ、三笠書房から出た最初の版のカヴァーには、


〈どうひいき目に見てもアンとは似つかない、金髪の、
しかもとても深刻な顔をしている少女が描かれて〉


いたという(328-329頁)。



http://www.toyoeiwa.ac.jp/topics/20130910141545_f.html


これは村岡花子自身が、モンゴメリ作品と出会う前からかかわっていた少女雑誌《少女の友》のバックナンバーに載ったラルフ・ピーコックの「エセル」という絵を流用したものらしい。

〈花子は少女たちのために希望をかけて取り組み、時代を共に歩んだこの雑誌から、そっと「エセル」を連れ出し、『赤毛のアン』の表紙に飾った。おそらく『少女の友』の愛読者世代がこの物語を手にすることだろう。苦難の時代を共にくぐり抜けたかつての少女たちへ愛をこめて〉。

 それでは、1897年に制作された、赤毛でもなくアンでもない、たぶんカナダ人でもない、ブロンドのエセルの絵を、ロンドンのテイト・ブリテン公式サイトで見てみましょう。こちらです。


http://www5c.biglobe.ne.jp/~rosebud/anne-cover.htm

…………オリジナルキャラですか? 

『赤毛のアン』ってゴシックホラー?

そっと連れ出し、というよりはむりやり拉致してきたようにも思えます。

村岡花子にとっては赤毛はホントにどうでもよかったんだ……。


編集部も翻訳者の訳題案を覆して『赤毛のアン』に変えさせた割には、この表紙はOKなんですね。当時の子どもは混乱したんじゃないかな、赤毛ってこういうのをいうのかって。

日本語訳『赤毛のアン』刊行は『花子とアン』後半か終盤の山場だろうから、どう処理してくるのか楽しみです。ここを原案(史実)に忠実にやったら、脚本家もプロデューサーも尊敬します!
……ないよね……。

(千野帽子)


(日刊アメーバニュース 3月31日)


※本文中の写真と改行は、当方が加えたものです。
ご了承ください。



▲『アンのゆりかご―村岡花子の生涯』新潮文庫/村岡恵理


【今日の御言葉/今日の聖句】

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。