地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

天の声【バチカンの至宝、ミケランジェロの嘆き サン・ピエトロ大聖堂、そしてシスティーナ礼拝堂を巡る】

2014-09-07 09:56:18 | Weblog


水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように
御自分に降って来るのを、御覧になった。


すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」
という声が、天から聞こえた。

「マルコによる福音書」/ 01章 10、11節
新約聖書 新共同訳



わたしは罪深い人間です、と自分では言うけれど、
だれか他の人にそう言われると、憤慨するでしょう。
もし、いわれのないことで非難されたら、
苦しむかもしれませんが、

どんな小さなことでも、
事実に基づいて罰されると、それが当然である場合、
わたしはもっと傷つくでしょう。
自分の欠点が人々に知られることを、
喜んで受け入れなくてはなりません。


マザーテレサ
(マザーテレサ『日々のことば』より)






★世界遺産の旅
バチカンの至宝、ミケランジェロの嘆き
サン・ピエトロ大聖堂、そしてシスティーナ礼拝堂を巡る
小野 正惠

◆日経ビジネスオンライン 2014年9月1日

http://business.nikkeibp.co.jp/article/jagzy/20140707/268258/?ST=smart

 今回訪ねる世界遺産は、面積わずか0.44平方kmしかない世界最小の国、バチカン市国。東京ディズニーシーとほぼ同じ広さの国が、まるごと世界遺産に登録されている。現在、1007カ所ある世界遺産の中でも、国そのものが登録されているのは、バチカン市国のみ。1世紀のある出来事に端を発し、聖堂として姿を現したのが4世紀。そして、ルネサンス期からバロック期にかけて壮大な建造物として再生したサン・ピエトロ大聖堂。かつて教皇の宮殿だった建物はバチカン美術館となり、かつて教皇の私的礼拝堂だったシスティーナ礼拝堂は、美の殿堂としてよみがえった。それらに残るのは、パトロンでもあった教皇たちの欲望に促され、しのぎを削った芸術家たちの作品であり、教皇の気まぐれに翻弄された芸術家たちの嘆きと意地の結晶でもあった。

▼システィーナ礼拝堂で体感するミケランジェロの泣きごと

 日本人の感覚から見ると、世界遺産の建物はどれも巨大だが、とりわけ、サン・ピエトロ大聖堂の大きさには圧倒される。前に立てば、山のように立ちはだかる高さに飲み込まれそうになり、両側を見れば、楕円を描く柱廊に吸い込まれるような感覚に陥る。そして、中に入れば、自分が米粒のように感じてしまうのである。


▲サン・ピエトロ広場から見たサン・ピエトロ大聖堂とオベリスク


▲284本の円柱がサン・ピエトロ広場を囲む。広場は10万人を収容できる


 大聖堂のクーポラ(丸屋根)の高さは132.5m、大聖堂の奥行きは216m。収容人員は東京ドームをしのぐ約6万人。大聖堂の脇に続く、バチカン美術館の廊下の長さは延べ7km。内包する美術館数24。


▲バチカン美術館内にある地図のギャラリー。黄金の廊下とも呼ばれ、16世紀半ば、グレゴリウス13世の命で建築家オッタヴィアーノが建造した


 いったい、なぜこれほど巨大な建物が必要だったのだろう。誰がこの巨大建造物を望んだのだろう。たとえこのカトリックの総本山がゆくゆく世界10億人の信徒を持つ運命にあったとしても。

 その答えを握っていたのは、16世紀の教皇ユリウス2世だった。

 さらに時計を逆戻ししてみる。西暦64年、暴君ネロに迫害され、十二使徒の筆頭聖ペテロが逆さ十字の刑に処せられた。324年、古代ローマ帝国でキリスト教を公認した最初の皇帝コンスタンティヌス帝は、ペテロが殉教したこの地に、最初の聖堂を建立する。

 時はたって1506年。バチカンの歴史を大きく塗り替える教皇ユリウス2世が現れた。そして彼は、突然言い放った。「ミケランジェロを呼べ」。後世に自分の名を残したい一心で、自身の廟墓の設計をミケランジェロに命じたのである。

 「ダヴィデ」像で一躍時の人となっていた彫刻家ミケランジェロは、胸を躍らせ、何枚もの素描を書き、それに見合う大理石を探し歩き、1年近くも山に籠もって自ら大理石を切り出した。そして、いざ制作に取りかかろうとしたとき、青天のへきれきが……。教皇の気が変わったのだ。生きているのに縁起が悪いからと廟墓は取りやめ。その代り、自身の礼拝堂であるシスティーナ礼拝堂をもっと見栄え良くするために、天井画を描いてほしいというのである。

 彫刻家ミケランジェロにとって、それは苦痛の命令だった。自分は彫刻家であって画家ではない。そう拒否するも、教皇の意に反することはできない。ミケランジェロの苦痛の日々が始まった。

 何度、故郷の父親に泣きの手紙をしたためたことだろう。「首が痛い。腕もしびれる。うなじは肩に食い込む。腰は腹にめり込む」。体がつらいだけではない。天を仰いで絵筆を握り続けるその顔には、とめどなく絵の具がこぼれ落ちてくる。「自分の顔は床模様のようだ」。さらに言う。「つらいのは、専門でもない画家としての仕事をさせられているからだ」と。



▲「創世記」の「天地創造」から「ノアの物語」までの9シーンをはじめ、旧約聖書に登場する人物が描かれている。1000平方mに描かれた人物はおよそ300人


 一説では、教皇の心変わりの原因は、ミケランジェロのライバル、建築家ブラマンテの陰謀ともいわれている。そもそも絵画が苦手なミケランジェロに天井画など描けるわけがない。そうにらみ、ミケランジェロの名声をつぶそうとしたブラマンテの口添えが、教皇の心を動かしたというのだ。しかし、ミケランジェロの職人魂が、疲労を、苦痛を、陰謀への恨みをもはねのけた。4年後、おびただしい数の人体像が描かれた天井画が完成する。ミケランジェロ37歳のことだった。

 システィーナ礼拝堂の中央に立って天井を見上げてみる。数分間、見上げているだけで、確かにうなじが肩に食い込んでくるのが分かる。首が痛い。この姿勢を4年間、毎日、何時間も保ち続けたとは。ミケランジェロの執念と熱意と意地に感服させられる。


▼神業的彫刻に刻まれた作家の無邪気

 場所を戻してサン・ピエトロ大聖堂。その入り口をくぐり、身廊に立つ。216m先の後陣がかすんで見えるほど広い。直進せずに右手に歩を進めると、人だかりができている。近づけば、白い大理石の像。聖堂の大きさや他の彫刻に比べると、すこぶる小さい。大理石とは思えない柔らかい曲線、憂いと優しさに満ちた聖母の表情、その腕に横たわるキリストの生々しい姿に、息を飲まずにいられない。見とれる間、しばし目線も体も硬直してしまう。

 ミケランジェロの「ピエタ」像である。バックの色大理石とわずかに差し込む日の光を背に、500年以上前に作られたピエタは、まるで生きているかのように、そこにある。


▲高さ174cm。現在ある聖堂右側の礼拝堂に置かれたのは、1749年とされている

 システィーナ礼拝堂の天井画が完成する15年前のこと。フランス人の枢機卿にミケランジェロは呼ばれた。そして命じられた。「ローマで最も美しい大理石像を1年で作ってほしい」。この時、ミケランジェロ23歳。

 若き彫刻家ミケランジェロは歓喜に満ち、指令通り1年で完成させたのが、このピエタ像だった。小さなろう細工でイメージをつくり、一気に大理石を彫り始めた。「石の中の人が早く解放してくれと話しかけるからだ」とミケランジェロは言い、無心で彫り続けた。

 実はこの作品には、秘密がある。完成後、作品の評判を確かめにミケランジェロは聖堂に出向いた。すると耳に入ってきたのは、作者は誰だと言い合う観光客のひそひそ話。胸高らかにその回答を待っていると、何と自分の名ではなく、ミラノ出身の著名な彫刻家の名前。居ても立ってもいられず、ミケランジェロはある晩、聖堂に忍び込んだ。そして、こっそり、作品に自分の名を刻みこんだのだという。ミケランジェロ作品の中で唯一、署名が入っているのがこのピエタ像。観光客の会話を意識してか、聖母の胸に巻きつく帯に刻まれた文字はこう記されていた。「フィレンツェ人ミケランジェロ・ブオナローティが作る」。

 神業かと思うほど完成度の高い作品を作り続けたミケランジェロだが、父親に泣きの手紙を送る弱気な一面や、作者は自分だと主張する無邪気な一面を持つ普通の男でもあったのだ。いや、そんな人間的な一面を持ち合わせていたからこそ、見る人の心に直球で訴えてくる作品を作れたのだろう。


▲ピエタが入り口にあるのに対して、最奥の後陣に置かれた聖ペテロの司教座。中央の鳩の周囲を金の天使が舞う壮麗な作品はベルニーニが手掛けた

▼壮大な構図に隠されたお茶目な本音

 ユリウス2世が火付け役となると、続く教皇たちもこぞって自身の存在の証や主張を芸術家たちに託していった。時はルネサンス最盛期である。ラファエロ、ボッティチェリ、ブラマンテ……。発注先には事欠かなかった。

 天井画完成から24年後。今度は、教皇パウルス3世がミケランジェロを呼びだした。クレメンス7世が発注し、パウルス3世が完成を命じた“仕事”は、システィーナ礼拝堂の壁画制作の依頼だった。すでに礼拝堂の両側は、ボッティチェリや、ミケランジェロの師ギルランダイオ、ぺルジーノらの絵画で埋め尽くされている。

 依頼された題材は、「最後の審判」。天空を示す鮮やかな青の上部中央にたくましい裸体のキリストが舞い、キリストを中心に渦を巻くように描かれた壮観な壁画は、横約13m、縦約14m。描かれた人体の数約400体。制作に費やした年月約6年。ミケランジェロの、ルネサンスの、美術史上の、あらゆる頂点に立つといってもいい感動の作品である。


▲中央がキリスト。その向かって左に聖母、周囲を十二使徒が取り囲む

 キリストの横には聖母、周囲にはそれぞれ聖遺物を持つ十二使徒たち。そして画面の左側には、最後の審判を受けて天国に向かう人々、右側には地獄に転落していく人々が描かれ、時計回りの渦が見て取れる。全容が見渡せるだけの距離を保った位置から見たいが、常に人混みが邪魔をする。が、システィーナ礼拝堂ではその位置を確保するための努力を惜しんではいけない。


▲正面が「最後の審判」、天井画が完成した24年後に制作が開始された

 そして、全容と対話した後、次は近づいてミケランジェロの苦悩と復讐(ふくしゅう)の一場面に焦点を絞って見てみよう。向かってキリストの右下、ナイフを持つ聖バルトロメオの左手にぶら下がっているもの。異様に歪んだ顔とたるんだ皮膚。抜け殻のような裸体。何とこれはミケランジェロの自画像だという。

 もう1つは、向かって右下の隅にいる地獄の番人ミノスだ。ミケランジェロの死後、礼拝堂に裸体は不謹慎だとされ、一部の裸体には腰布が加筆された。が、1994年の修復の際にいくつかの腰布が取り払われた。その際に現れたのが、ミノスの下半身だった。何と、ミノスの体に巻きついた蛇が性器にかみついているではないか。ミノスに投影したのは、制作中に壁画の裸体像を見て「ここは風呂屋でも宿屋でもない」と激高した儀典長だといわれている。

 「裸体が不謹慎? 冗談じゃない。裸体こそ最も美しいのだ」。そんなミケランジェロの声が聞こえそうなワンシーンだ。完成の時、ミケランジェロは60歳。還暦にして、儀典長に向けた茶目っけたっぷりの復讐に、思わず頬が緩む。


▼一心不乱の17年間。最後の力を振り絞ったものは

 システィーナ礼拝堂は、古い礼拝堂を1477~1480年に再建することで、完成を見ていた。が、中枢を成すサン・ピエトロ大聖堂は、苦難の道を歩んでいた。

 1506年にユリウス2世によって着工されたものの、教皇は1512年に、主任建築家に任命されたブラマンテも1514年に他界。後を受け継いだラファエロも、教皇レオ10世も死去し、次々に教皇や建築家が変わっては志半ばで死去。さらにルターの宗教改革やレパントの海戦など、歴史の荒波にも翻弄され、建築はたびたび中断を余儀なくされていたのだ。

 そして、ようやく続行となったとき、再び教皇パウルス3世が呼び出したのが、ミケランジェロだった。その時すでに71歳。未完成ながらさまざまな建築家の思いが込められていた大聖堂を、ミケランジェロは当初のブラマンテの計画を採用しつつ、独自の構想も加えて、再構築を図った。ブラマンテといえば、天井画を描かされるいじめを受けたライバル。だが、芸術に私情をはさまないところがミケランジェロの潔さでもある。やっとフル回転で続行された大聖堂建設だったが、その完成を見るには、巨匠の死後、さらに62年を待たねばならなかった。

 完成した大聖堂は、11の礼拝堂と45の祭壇を持つ、左右対称の堂々としたルネサンス様式。だが、内部を飾ったのは、16世紀末から17世紀初頭にかけて流行した豪華絢爛(けんらん)なバロック様式だった。


▲大聖堂の中核を成すクーポラと大天蓋。
柱上部の円形のモザイク画に描かれた
預言者の持つペンでさえ2mもある。
この建物がいかに巨大かを知る数字だ


 ミケランジェロ設計の高さ132.5m、直径42mのクーポラの下にある、高さ29mの大天蓋は、バロックの巨匠ベルニーニによるものだ。ブロンズ製の柱には、月桂樹の葉やオリーブの枝、教皇の家紋や裸の子供たち、大天蓋には冠や聖書……。クーポラの下に行くと、建物の壮大さとともに、装飾のきらびやかさに目まいを覚えるほどだ。

 71歳で仕事を受け、亡くなるまでの17年間、ミケランジェロは無給で大聖堂の建築に没頭したという。聖堂入り口付近にあるピエタを造ったのが23歳。37歳でシスティーナ礼拝堂の天井画を作成し、60歳の時に礼拝堂の壁画を完成させ、大聖堂の完成を見ずに88歳で世を去ったミケランジェロ。


▲大天蓋の下では、さまざまな儀式が執り行われる

 あまたの芸術家や教皇の足跡が残るバチカン市国の建造物だが、人間味あふれる心で、神のような業を成し遂げたミケランジェロに思いをはせずに、この扉はくぐれない。


▲クーポラの上に上がると、ローマ市内が一望できる。かのゲーテもこの眺望のとりこになった1人だ


◼️バチカン市国に旅するなら

 世界遺産のバチカンを旅する時に役立つのが、スマートフォンアプリ「たびNavi バチカン市国」。見たい場所を検索してクリックすると、音声で説明が流れる仕組み。日本でダウンロードすれば、現地では海外ローミングは不要。詳しくは、こちらへ。

http://www.tabi-navigation.com/vol05_vatican/index.html
http://tabi-navigation.com/


(日経ビジネスオンライン 2014.09.01)

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