地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

陰府の定め【ローマ法王:性的虐待被害者に 「あなた方に許しを請う」】

2014-07-31 14:55:42 | 今日の御言葉



次のことを心に留めよ。

死は必ずやって来る。


しかし、

陰府の定めはお前に示されていない。


「シラ書」〔集会の書〕/ 14章 12節
旧約聖書続編 新共同訳


すべての宗教は、永遠なるもの、つまり
もうひとつの命を信じています。

この地上の人生は終わりでは
ありません。

終わりだと信じている人たちは、
死を恐れます。

もしも、死は神の家に帰ることだと、

正しく説明されれば、


死を恐れることなどなくなるのです。


マザーテレサ
(マザーテレサ『日々のことば』より)



★ローマ法王:性的虐待被害者に
「あなた方に許しを請う」

◆毎日新聞2014年7月8日



▲フランシスコ・ローマ法王=ロイター
 

【ローマ福島良典】

世界約12億人のキリスト教カトリック信徒の頂点に立つフランシスコ・ローマ法王が7日、カトリックの聖職者から青少年時に性的虐待を受けた欧州の被害者とバチカンで面会し、「聖職者の罪と犯罪」を謝罪した。面会は昨年3月の法王就任以来、初めて。カトリック教会を揺るがした児童性的虐待の撲滅と被害者の救済に取り組む姿勢をアピールした。

 面会したのはアイルランド、英国、ドイツの虐待被害者2人ずつ計6人(男女各3人)。法王はミサに6人を招き、「聖職者の性的虐待という罪と重大な犯罪に悔恨の念を表明し、あなた方に許しを請う」と述べ、対処を約束。その後、個別に話を聞いた。

 バチカンは被害者の氏名や会話内容を発表していないが、アイリッシュ・タイムズ紙(電子版)によると、アイルランド人被害者の一人は10代後半の時に虐待を受けた女性のマリー・ケインさん(43)。ケインさんは法王に「虐待の隠蔽(いんぺい)はまだ起きている。あなたにはそれを変える力がある」と述べ、1975年に被害少年の口封じをしたとされる大司教の解任を求めた。

 性的虐待は近年、主に欧米諸国で明るみに出て、カトリック教会を揺るがすスキャンダルに発展した。国連・子どもの権利委員会は今年2月、児童保護よりも教会の体面を重んじるバチカンの体質を批判し、虐待に関与した聖職者が司法当局の裁きを受けるよう求める報告書を発表した。

 フランシスコ法王は昨年3月の就任以来、バチカンの機構改革を進めているが、虐待問題への取り組みが足らないと被害者らから指摘されてきた。このため、虐待の再発を防止し、被害者を支援するための特別委員会を設立し、具体的な対応を検討している。法王は5月の中東歴訪の帰路、被害者と面会する意向を表明していた。

 前任のベネディクト16世は在位中、出身国ドイツや米国などの虐待被害者と面会した。ロイター通信によると、フランシスコ法王の出身国アルゼンチンの被害者は7日の面会に招かれなかったことに不満を表明している。

 バチカンによると、過去10年間に3420件の虐待の申し立てがあり、848人の聖職者が資格を剥奪された。最近、バチカンの前駐ドミニカ大使が虐待を理由に解任された。

2014年07月08日 11時36分




▲オーストリアの
ローマ・カトリック教会のシンボル、
シュテファン大聖堂
http://vpoint.jp/world/eu/22523.html

★聖職者による未成年虐待は冒涜行為、
教皇ミサ説教

◆バチカン放送局 2014年7月23日18:43:40

http://ja.radiovaticana.va/m_articolo.asp?c=814764

教皇フランシスコは、7月7日、バチカンのサンタ・マルタ宿舎における朝のミサに、司祭による未成年虐待の被害者を招かれた。このミサの説教で、教皇は聖職者による未成年虐待を厳しく非難し、被害者らに謝罪の言葉を述べられた。教皇の説教は以下のとおり。

********

今日、こうして皆さんと、多くの男性・女性、少年・少女の皆さんと眼差しを交わしながら、わたしの心には、過酷な裁判を終えたイエスと会い、眼差しを交わし、泣いた、あのペトロの姿が浮かんできます。そして、今、わたしははイエスの眼差しを見るように感じ、その祈りを心から懇願するのです。教会が自分の使命を裏切り、罪のない人々を虐待したことを泣き、償いますように。わたしは今日、皆さんがここにおいでくださったことを心から感謝しています。

以前から、わたしは耐え難いほどの痛み、悲しみを心に感じていました。イエスはすべてをご覧になっていたと誰かが気づき、勇気をもって訴え出るまで、長い間隠蔽され、共犯的に誤魔化され続けたこの事実を悲しみます。涙を流し始めたあの少数の人々が、この犯罪、この大罪に対するわたしのたちの良心を揺り起こしました。

ある司教や司祭が未成年に対する性的虐待によって、子どもたちの純真さを冒し、自らの司祭職の召命を汚したことに、わたしは苦悩します。これはまさしく冒涜行為です。なぜなら、これらの子どもたちは神に導かれるべく司祭たちに委ねられているにも関わらず、彼らの欲望のために偶像の生贄とされてしまったからです。彼らは神の似姿そのものを冒涜したのです。わたしたちは皆、神の似姿として創造されたのですから。

幼児期が貴重であるのは周知のことです。これほどにも開かれ信頼に満ち、神の愛の神秘を観想する若い心は、信仰において特別な方法で養われるべきです。今日、教会の心は、これらの子どもたちにイエスの眼差しを見、泣くことを望んでいます。そして幼い子らに対して犯された、この忌まわしい犯罪を前に泣くという恵みを願うのです。これは生涯にわたり傷を残すおぞましい罪です。

皆さんの受けた傷は、精神的・霊的に癒しがたい苦しみ、絶望のもととなっていることを、わたしはよく知っています。この種の体験を被った人の多くは、何とか心の埋め合わせをしたいと努力します。ある人々は両親や、配偶者、子供たちとの人間関係に大きな支障をきたします。生活そのものを害するこのような犯罪の被害者の家族は、非常に大きな苦しみを体験します。

ある人々は愛する人の自殺という恐ろしい悲劇の苦しみを体験しました。これらの愛すべき神の子らの死は、わたしの心、わたしの良心、そして全教会の良心の上に重くのしかかっています。これらの家族にわたしの心からの愛と痛みを捧げます。憎悪によって裁かれ拷問されたイエスは、他の場所に引き立てられて行きながら、自分を裏切った弟子の一人を見つめ、そして涙にくれさせます。わたしたちも一緒に償いの恵みを願いましょう。

聖職者たちによる未成年者への性的虐待の罪は、信仰と神への信頼を完全に打ち壊します。ある人たちは信仰に支えを求め、一方で神への信仰そのものを捨て去る人もいます。皆さんが今ここにおられるということは、闇に打ち勝つ希望の奇跡を物語っています。これは疑いもなく、神の憐れみのしるしです。主を礼拝し、和解の恵みを求めましょう。

聖職者によって犯された皆さんに対する性的虐待の犯罪に、神とその民の前でわたしは深い苦しみを味わい、心から赦しを請います。また、この件に関して、虐待を受けた本人やその家族たちからの訴えに対し、必要な手段を講じなかった教会の指導者たちの怠慢の罪についても許しを願います。この怠慢は犠牲者たちにさらなる苦痛を加え、のみならず、同じような状態に置かれた他の子どもたちをも危険に陥れたのです。

皆さんとその協力者たちが示した真理の解明への勇気は、実に愛の奉仕でした。なぜなら、それによって教会の生命を蝕む、恐るべき闇を明らかにしたからです。性的虐待を犯す人々のために、教会の役職にはいかなる場もありません。その聖職位階が何であれ、この種の害をもたらした者には、わたしは容赦なく対処するよう努力します。すべての司教は子どもたちの保護に最高の配慮を払うべきであり、これについての責任を自覚すべきです。

つまずきを与える者たちは大きな石臼を首につけられ海に投げ込まれる方がましだと言うイエスの警告は(マタイ18,6)、わたしたち皆にとって有効な警告です。

司祭職の準備をしている人々への注意も続行しましょう。わたしは教皇庁未成年保護委員会のメンバーたちに大いに期待しています。すべての子どもたちはいかなる宗教に属していても、主が愛をもって見守っている子どもたちです。この委員会があらゆる面でわたしの助けとなってくることを期待し、願います。わたしたちは、教会の中でこのような犯罪がもう二度と繰り返されることのないよう、可能な限りの手段を講じなければなりません。

兄弟姉妹の皆さん、わたしたちは皆、神の家族の一員ですから、神の憐れみの精神をも持たなければなりません。わたしたちの主、救い主イエスは、その最高の模範です。イエスは何の罪もないのに、わたしたちの罪を十字架上まで負ってくださいました。和解し合うことは、キリストに従う者たちの共通の特徴です。キリストに向かい、聖母マリアと共に十字架の下に行き、神の民全員との和解の恵みを願いましょう。憐れみの聖母の取次ぎは、わたしたちの癒しのための汲みつくせない源泉です。

聖職者たちから性的虐待を受けた皆さん、またすべての被害者は、神から愛されています。あなた方を傷つけ、心の中に深く残った暗い傷が、幼子イエスの抱擁によって癒され、受けた害の代わりに、信仰と新たにされた喜びが入り込むよう私は祈ります。

この出会いに心から感謝します。わたしの心の目が、いつも憐れみの愛の道をはっきりと見つめることができますように、そして、子どもたちの善のために、神がわたしにこの道を進む勇気を与えてくださいますように。

不正な裁き、残酷な尋問からイエスは出てきます。イエスはペトロの目を見つめます。そして、ペトロは泣きます。わたしたちも願いましょう。イエスがわたしたちを見つめ、わたしたちも彼を見つめ、そして泣くことができるようにと。そして、恥じるという恵みもくださいますように。聖ペトロのように、40日後、イエスに答えることができますように。「あなたはわたしたちがあなたを愛していることを知っています」と。主の声をも聴くことができますように。「あなたの道に戻りなさい、そしてわたしの羊を牧しなさい。いかなる狼もわたしの羊の群れに入らせてはなりません」と。

(2014-07-23 18:43:40 )