今週のザ・テレビジョンの表紙が女子シングルの二人って所にフジの気合の入れ具合が分かります。特集記事も当然この二人がバーン!と前面に出ていて、オマケのように男子やその他も載ってました。しかしそんな扱いはともかくとして、記事の中身自体は意外と冷静だなーと思ったらライターがいつもの人でした。「モロゾフをして『氷上のアーティスト』と言わしめた」という、この発言の出所はWSDですね。ていうかライター同じ人ですね。普段からフィギュアの記事を書きまくってる人の所へ原稿を発注する辺り、この雑誌は結構良心的なのかもと思いました。
ところでこの、『氷上のアーティスト』ってどういう意味なんでしょう。
WFSのモロゾフさんと、COLORSのJ.ウィアー選手と、二人とも大ちゃんのことを『彼「こそ」がアーティストだ』って言ってるのが個人的に気になります。
二人とも「こそ」って言ってるんだけど、ここは英語ではどういったニュアンスだったんだろう。日本語の意味から言えば、「アーティストと呼ばれている選手は何人かいるけど、中でも彼はホンモノなんだ」という風に受け取れるんですが。
なんでそこに固執するのかというと、私自身、彼に本格的にハマった時の感覚がこの『彼「こそ」がアーティストだ』っていう感覚に近かったからです。
厳密に言うと「天性の芸術家っていうのは、こういうヤツのことを言うんだな」だったんですけどね。
その辺、以前にもごちゃごちゃ書いたんだけど手短にまとめます。
【1】「表現」とは「情報の伝達」であると定義します。
【2】そして情報の伝達に特化したツールとして、人類は「言語」ってものを持ってます。
【3】フィギュアスケートに於ける表現では、原則として言語による情報伝達(=歌詞の入ったヴォーカル曲の使用)は禁止されてます。
【4】それでも普通は間接的な形で言語による表現が取り入れられてるみたいです(言語による曲の解釈→身体表現への翻訳→受け手の言語への再翻訳という感じで)。
なぜなら言語には「伝達」の他に、思考や感情の明確化・固定化という役割もあるからです。
…………なんてことばっかり考えてる訳じゃないんですよ私だって普段は。
でも大ちゃんの「ノクターン」見て「うわすげぇ」と思い、その感覚が何なのかを私なりに考えると、結論としては彼が多分「言語による曲の解釈」その他の過程をすっとばして、まんま感覚だけで表現してる……ように感じたという、その部分なんですよね。
(以前にも書きましたけど、このことに気づいた時、これでも私かなり凹んだんですよ。『自分はなんて「言葉」に捉われてるんだろう』とかそんなこと色々思っちゃって)
モロゾフさんが言う「頭ではなくハートで滑っている」って多分こういうことじゃないかと思うんですが、どうだろう。違うのかな。
大ちゃん自作の、まんま感覚だけで滑ってるような「ノクターン」と違い、モロゾフさんの振付けには当然モロゾフさんの解釈が入ってます。
それでも大ちゃんが踊ると、不思議とその感情がリアルになるよな気がするんですね。彼はあくまでも自分自身の感情を表現していて、なのにそれがそのまま音楽の表現でもあるという不思議な状態になってることがままあるような。
もしかすると、それはフィギュアにおける「表現」として間違ってるのかも知れないですが。本来は、自分の感情ではなく「音楽」をきっちりと演じなければいけないのかも知れませんが。
でも見る方に取っては、きっちり演じられた架空の感情よりも、リアルな感情の方に気持ちを揺さぶられるんではないかなと思いました。少なくとも私はそうなので。
***
改めてMOIを見たんですが、この時の「ロクサーヌ」はまた一段と凄いですね。一回跪いた後とか、体力的にはキツいはずなのになんかものすごく気持ち良さそうに見える。個人的にこのプログラムは堕ちていく男のエロティシズムが魅力だと思っているんですが、この時は純粋に身体の躍動感だけでも楽しめる感じ。本人も、自在に動く体の感覚を楽しんでるように見えます。血が騒ぐ。
ところでこの、『氷上のアーティスト』ってどういう意味なんでしょう。
WFSのモロゾフさんと、COLORSのJ.ウィアー選手と、二人とも大ちゃんのことを『彼「こそ」がアーティストだ』って言ってるのが個人的に気になります。
二人とも「こそ」って言ってるんだけど、ここは英語ではどういったニュアンスだったんだろう。日本語の意味から言えば、「アーティストと呼ばれている選手は何人かいるけど、中でも彼はホンモノなんだ」という風に受け取れるんですが。
なんでそこに固執するのかというと、私自身、彼に本格的にハマった時の感覚がこの『彼「こそ」がアーティストだ』っていう感覚に近かったからです。
厳密に言うと「天性の芸術家っていうのは、こういうヤツのことを言うんだな」だったんですけどね。
その辺、以前にもごちゃごちゃ書いたんだけど手短にまとめます。
【1】「表現」とは「情報の伝達」であると定義します。
【2】そして情報の伝達に特化したツールとして、人類は「言語」ってものを持ってます。
【3】フィギュアスケートに於ける表現では、原則として言語による情報伝達(=歌詞の入ったヴォーカル曲の使用)は禁止されてます。
【4】それでも普通は間接的な形で言語による表現が取り入れられてるみたいです(言語による曲の解釈→身体表現への翻訳→受け手の言語への再翻訳という感じで)。
なぜなら言語には「伝達」の他に、思考や感情の明確化・固定化という役割もあるからです。
…………なんてことばっかり考えてる訳じゃないんですよ私だって普段は。
でも大ちゃんの「ノクターン」見て「うわすげぇ」と思い、その感覚が何なのかを私なりに考えると、結論としては彼が多分「言語による曲の解釈」その他の過程をすっとばして、まんま感覚だけで表現してる……ように感じたという、その部分なんですよね。
(以前にも書きましたけど、このことに気づいた時、これでも私かなり凹んだんですよ。『自分はなんて「言葉」に捉われてるんだろう』とかそんなこと色々思っちゃって)
モロゾフさんが言う「頭ではなくハートで滑っている」って多分こういうことじゃないかと思うんですが、どうだろう。違うのかな。
大ちゃん自作の、まんま感覚だけで滑ってるような「ノクターン」と違い、モロゾフさんの振付けには当然モロゾフさんの解釈が入ってます。
それでも大ちゃんが踊ると、不思議とその感情がリアルになるよな気がするんですね。彼はあくまでも自分自身の感情を表現していて、なのにそれがそのまま音楽の表現でもあるという不思議な状態になってることがままあるような。
もしかすると、それはフィギュアにおける「表現」として間違ってるのかも知れないですが。本来は、自分の感情ではなく「音楽」をきっちりと演じなければいけないのかも知れませんが。
でも見る方に取っては、きっちり演じられた架空の感情よりも、リアルな感情の方に気持ちを揺さぶられるんではないかなと思いました。少なくとも私はそうなので。
***
改めてMOIを見たんですが、この時の「ロクサーヌ」はまた一段と凄いですね。一回跪いた後とか、体力的にはキツいはずなのになんかものすごく気持ち良さそうに見える。個人的にこのプログラムは堕ちていく男のエロティシズムが魅力だと思っているんですが、この時は純粋に身体の躍動感だけでも楽しめる感じ。本人も、自在に動く体の感覚を楽しんでるように見えます。血が騒ぐ。
「頭でなくハートですべってる」か。私には、大ちゃんは自分が踊りたいように踊ってるように見えるんですよね。もちろんちゃんとモロゾフさんが「ここで顔なでて~、ターン手はこう~」と振付けてるわけですが、ロクサもチャイコンもオペラ座も、大ちゃんが思うままに動いているように見える。だからつい何回もリピっちゃうんです。「血が騒ぐ」ホントです。
こんばんは。緊張して来ましたね~!
「一緒に戦って下さい」なんて言われたら臨戦態勢に入るしかないじゃないですか(笑)。
今回は無理に背伸びしなくても「いつもどおりにやりさえすれば黙ってても結果は付いて来る」試合だと思うので、自然体で滑ってくれたらいいですね。
>自分が踊りたいように踊ってる
そうですね。踊りの中に彼自身の意志が感じられるのが、彼の最大の魅力かも知れないですね。
MOIロクサはホントに血沸き肉踊る一品ですよ~。
今度のなみはやで、是非もう一度あの開放感に満ちたロクサーヌが見たいです。
ほんとに血が騒ぎますね~。大輔君のワールドにも、そして虹川さんの文章にも。
大輔君が感覚だけで表現できるのは天才だからこそ。努力して得られる才能ではありません。もちろん自由な表現を可能にするスキルがあってこそですもんね?
でですよ、
>『自分はなんて「言葉」に捉われてるんだろう』とかそんなこと色々思っちゃって。
なんて言わないでくださいよ~。虹川さんの文章は、「言葉」に捉われている、いえ
「言葉」を紡ぐ才能に溢れてますよ。きっとご本人にはわからないのかもしれませんよね~。それもまた努力して得られるわけではない才能です。
こうしてお邪魔して、記事を読ませてもらい、“あ~ これツボ!”っていうフレーズに出くわすあの快感(笑)
ロクサーヌを
>本人も、自在に動く体の感覚を楽しんでるように見えます。血が騒ぐ。
とか
>あの開放感に満ちたロクサーヌ
とか。
私の血が騒ぎます。(笑)
さあさあ、迫り来るワールドも
>「いつもどおりにやりさえすれば黙ってても結果は付いて来る」
試合であるのなら、私達は蝶に羽化する瞬間を目にすることができるんですかね~。
ワクワクします。
そして、少しだけ寂しい気もします。変ですかね(汗)
MOIのロクサーヌは本当に凄かったですよね。私も何回もリピートしています。体力的には絶対にしんどいはずなんだけど、それすらもう気持ちいいみたいな・・・ランナーズハイのような状態なのかなぁと。本人に聞いてみないとわかりませんが(汗)。
高橋くんのコメント読みました。「一緒に戦ってください」とは、さすが心得てますよね(笑)。そんなこと言われちゃったら、そりゃあもう!!みたいな。
でも、このコメントすごく嬉しかったです。どんなに応援していても、いざ試合になれば戦うのは彼一人で、結局ファンなんて見守ることしか出来ない。やれメダルだ何だとプレッシャーをかけておきながら、なんて無責任で無力な存在なんだろう、って・・・。アスリートを好きになると、こんなふうに考えてしまうことがままあるんですよ。でも、そうじゃないんだな、って、彼のコメントを読んで勇気が湧きましたね、なんか。「そうか、一緒に戦うんだ!」と思ったら、なんだか不思議と度胸が据わってきましたよ。とかなんとか言ってもその時になったら心臓バクバクなんでしょうけど(笑)。
なんか「アーティストな彼」というテーマとは激しくズレたコメントになってしまってごめんなさい(汗)。
こんばんは。凹んでいたのは過去のことで、今はもう開き直って立ち直ってますのでご心配なく。
マジ凹みするくらいに、自分のそれまで持っていた価値観を根底から揺さぶられたからこそ、彼の才能にここまで心酔しているのです。
私の言葉になんらかの価値があるとすれば、それは単に経験値の問題です。
>蝶に羽化する瞬間
彼が本当に蝶であるならば、その段階はもう既に終えているのではないかと思います。最後の殻を破ったのは、やはりあのトリノでしょう。
次に何かがあるとすれば、それはNHK杯や全日本で広げて見せた羽が本物であることを証明すること。
今後も色んなことがあるでしょうが、でももう幼虫に戻る事はないと思います。
>kinomiさん
こんばんは。今日は色んな所で、彼のための「おめでとう」が飛び交っているでしょうね(そして私もご多分にもれず/笑)。
MOIのロクサーヌには、ある種のトランス状態みたいなものさえ感じられますね。大ちゃんは、でも同時に冷静な部分も残してそうですが、見てるこっちは気持ちよく巻き込まれて行くという(笑)。
「一緒に戦って下さい」と言って貰えるのは、ファンにとっては嬉しいものですね。何げない一言でこっちの気持ちをくすぐって、そして「もっと応援してあげよう」という気持ちにさせてしまう。こちらも覚悟が決まりますしね。何気なくこんな言葉が選べるのも、やはり彼の感受性の強さの為せる業かも知れません。
それでもやっぱりドキドキしますよね。ファンだからこそあれこれ色んなことが不安になって心配してしまうし。もうアレですよ、開き直ってその不安も楽しむしかないと思いますよ(笑)。
世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
桜なんかなければ気楽でいいけど、やきもきするのはやっぱり桜が好きだから、花が咲くのを見たいから。どうか東京にきれいな桜が咲きますように。