思い出話を聞いて下さい。
私がミカ・ハッキネンの存在を知ったのは、彼がデビューした91年。シーズンが始まる前の特番で、写真と名前と出身が紹介された時のことでした。薄い色素&すっきりした顔立ち(と髪型)&歯切れの良い名前に、北欧フィンランドのイメージが合わさった「清涼感」が妙に印象的でした。
そして同時に心配にもなりました。F1は海千山千の曲者が集まる修羅の巷。この線が細くて人の良さそうな二枚目のお兄ちゃん、大丈夫なのか?…と。
しかしそんな私の心配を他所に、デビュー3戦目にして5位入賞。ヨーロッパにはすごい人がいるもんだと驚きました(F3での戦績は知りませんでした)。
そして同時にこの人なら。……と思ったのです。「いつかはチャンピオンに」という夢を、私に見せてくれるかも知れないと。
当時のロータスには往時の面影は見る影もなく、潰れかけたチームに手を差し伸べたのが日本の企業だったということで、下位チームの割に、ミカを日本で見かける機会は多かったように思います。ジョニー・ハーバートが加入してからは成績も徐々に上向き始め、陽気なジョニーとミカは名コンビに。
ジョニー・ミカコンビが(当時のロータスにしては)活躍した92年、ミカは「AS+F」誌の人気投票で1位を取る隠れた人気ドライバーとなっていました(結局その後、10年連続人気ナンバー1でした。ある意味、快挙)。
「AS+F」は他のF1雑誌に比べると読者層がライトで、女性読者も多かった。当時のミカは私たちにとってちょっとしたアイドルだったのです。
あの頃は気楽で良かった。でも、そんな時代は長くは続きませんでした。
***
ミカを応援していて、辛かったことが3回あります。
1回目が93年。この年、ミカは彼自身には全く関係のない契約上の問題でレースに出られない日々が続きました。当時、若くて才能あるドライバーがレースに出られないなんて一種の非常事態です。それに何より「ミカのいないレース」が私にはつまらない。
結局この年、アンドレッティの途中離脱により、残り3戦を残してミカはレースに復帰。久々のレースで、予選でセナ様より好タイムを出したミカに、私が惚れ直したのは言うまでもありません。
2回目は95年。最終戦オーストラリアGPの予選中にクラッシュし、瀕死の重傷を負った時のことです。あの時のことを考えると、今でもあのなんとも言えない重苦しい空気を思い出します。
頭部に重大なダメージを負ったことから、このまま引退するのではないかという声もありました。思い出すのは93年の悪夢。ミカのいないF1なんて…。
でもこの時、心のどこかで、「ミカは絶対帰って来る」という奇妙な確信もありました。F3時代のライバルであるシューマッハはすでに2度のチャンピオンに輝き、確固たる地位を築いている。なのにミカは未だ一度の勝利さえない。『未来のチャンピオン候補』と呼ばれながら、結局そこそこの成績で終わってしまうドライバーは沢山います。ミカにはそうなって欲しくない。「このまま終わってたまるか!」と、ミカだってきっと思ってるはず。じりじりするような気持ちで、私はオフシーズンを過ごしました。
そして96年開幕。ミカ・ハッキネン復活。
しかし、3回目。96~97年がまた辛かった。デビューから6年目。マクラーレンというトップチームに所属して4年目。ミカはもう新人ではありません。トップドライバーとしての『結果』が求められています。なのに、勝てない。1勝も出来ない。
ウィリアムズが相変わらず速いとは言え、マクラーレンも徐々にかつての力を取り戻しつつあります。PPを獲得したり、トップを走る姿も見られるようになりました。
なのに、肝心な所でエンジンが止まる!!…夜中にレース中継を見てて、私は何度ふて寝したかわからない。
「結局勝てないドライバー」「速さはあるが強さはない」そんな声も囁かれます。何で?と首をかしげるしかない。一体、何が足りないの?
この頃には既に、読み漁ったインタビュー記事や何かのお陰でミカのキャラクターや人間性にもすっかり惚れ込んでいたから、ファンをやめようとは思いませんでした。でも、「いつかはチャンピオンに」というかつての夢は、正直あきらめかけてました。
だけど97年最終戦、その時は突然やって来る。ファイナルラップでペースダウンしたヴィルヌーヴを追い抜き、ミカ・ハッキネン96戦目にして初勝利。嘘みたい。
…そして98年。見違えるように速くなったマクラーレン。すぐさま追い上げて来るフェラーリ。98~2000年までの3年間は、夢のような時間でした。あの頃のミカは、間違いなくグランプリシーンの主役の一人でした。
手放しで喜んだことも、悔しさに拳を握ったことも、見てるこっちがプレッシャーで死にそうになったことも何度もありました。楽しかった。
98年の鈴鹿を包んでいた、あの何とも言えないピリピリした空気をよく覚えています。
一度はあきらめかけていた夢が現実のものになった日でした。
シューマッハがリタイアした後もなんだか何もかもが信じられなくて、ファイナルラップで隣のお姉さんが「おめでとー!」と叫ぶのを聞いて初めて、「ミカがチャンピオンになったんだ」と実感。あの時の気持ちは、多分一生忘れないと思います。
***
そして2001年。ハッキネン引退の声が囁かれます。そしてそれは「休養」という形で現実のものに。多分このまま辞めちゃうんだろうな、と、その時なんとなく思いました。
95年の事故の時には、ミカは何も持ってなかった。だからこそ、歯を食いしばって戻って来てくれた。でも今の彼にはワールドチャンピオンというタイトルがある。それも、2つ。
気持ちで走ってきた人だから、気持ちが途切れればお終いなんだと、何故か納得してました。
何よりあの事故で、ミカはF1からいなくなっていたかも知れない、と思うと、あの事故の後で復帰して走り続けてくれたこと、それだけでありがたいという気持ちが私にはあるのです。その上ワールドチャンピオンというタイトルまでプレゼントしてくれた。
ありがとう、さよなら、忘れないよ。そんな気持ちで私はミカを見送りました。
それから5年。
何やってんのミカ。
ドイツで放映されたシュー兄引退記念特番にスペシャルゲストとしてミカ登場!ということらしいです。それも一輪車に乗って(一輪車はミカの特技)。かっこいいんだか悪いんだかよくわからん。流石ミカ。
でもうれしいです。F1辞めた直後は、きっと色々あって精神的に疲れてて、F1からもレースからも遠ざかっていた。少しずつ元気になって、レースへの気持ちを取り戻して、DTMでレース復帰。そしてライバルの最後のレースを見届けようと駆けつけたブラジルGPで火が付いて、もう一度F1に係わりたい、できることなら走ってみたい、という気持ちを取り戻したってことなんでしょう。
で、ミカこれからどうするの?
ウィットマーシュ(マクラーレン)談「ミカの行き先については知らない。現時点では彼自身も知らないと思う」
そんな行き当たりばったりでいいんですか?
でも多分彼がどこへ行って何しても、私は一生ファンやってると思います。
***
Web拍手コメントへの返信。
こんにちは。はじめまして。お返事が遅くなってすみません。
こちらこそ、似た考えだと仰って頂けて嬉しいです。
F1で最もプレッシャーのかかる場面のひとつがスタートですが、ミカのスタートは鮮やかでしたね。
特に98年のニュルブルリンクと99年の鈴鹿は、気迫の籠った最高にエキサイティングなスタートダッシュだったと思います。
私がミカ・ハッキネンの存在を知ったのは、彼がデビューした91年。シーズンが始まる前の特番で、写真と名前と出身が紹介された時のことでした。薄い色素&すっきりした顔立ち(と髪型)&歯切れの良い名前に、北欧フィンランドのイメージが合わさった「清涼感」が妙に印象的でした。
そして同時に心配にもなりました。F1は海千山千の曲者が集まる修羅の巷。この線が細くて人の良さそうな二枚目のお兄ちゃん、大丈夫なのか?…と。
しかしそんな私の心配を他所に、デビュー3戦目にして5位入賞。ヨーロッパにはすごい人がいるもんだと驚きました(F3での戦績は知りませんでした)。
そして同時にこの人なら。……と思ったのです。「いつかはチャンピオンに」という夢を、私に見せてくれるかも知れないと。
当時のロータスには往時の面影は見る影もなく、潰れかけたチームに手を差し伸べたのが日本の企業だったということで、下位チームの割に、ミカを日本で見かける機会は多かったように思います。ジョニー・ハーバートが加入してからは成績も徐々に上向き始め、陽気なジョニーとミカは名コンビに。
ジョニー・ミカコンビが(当時のロータスにしては)活躍した92年、ミカは「AS+F」誌の人気投票で1位を取る隠れた人気ドライバーとなっていました(結局その後、10年連続人気ナンバー1でした。ある意味、快挙)。
「AS+F」は他のF1雑誌に比べると読者層がライトで、女性読者も多かった。当時のミカは私たちにとってちょっとしたアイドルだったのです。
あの頃は気楽で良かった。でも、そんな時代は長くは続きませんでした。
***
ミカを応援していて、辛かったことが3回あります。
1回目が93年。この年、ミカは彼自身には全く関係のない契約上の問題でレースに出られない日々が続きました。当時、若くて才能あるドライバーがレースに出られないなんて一種の非常事態です。それに何より「ミカのいないレース」が私にはつまらない。
結局この年、アンドレッティの途中離脱により、残り3戦を残してミカはレースに復帰。久々のレースで、予選でセナ様より好タイムを出したミカに、私が惚れ直したのは言うまでもありません。
2回目は95年。最終戦オーストラリアGPの予選中にクラッシュし、瀕死の重傷を負った時のことです。あの時のことを考えると、今でもあのなんとも言えない重苦しい空気を思い出します。
頭部に重大なダメージを負ったことから、このまま引退するのではないかという声もありました。思い出すのは93年の悪夢。ミカのいないF1なんて…。
でもこの時、心のどこかで、「ミカは絶対帰って来る」という奇妙な確信もありました。F3時代のライバルであるシューマッハはすでに2度のチャンピオンに輝き、確固たる地位を築いている。なのにミカは未だ一度の勝利さえない。『未来のチャンピオン候補』と呼ばれながら、結局そこそこの成績で終わってしまうドライバーは沢山います。ミカにはそうなって欲しくない。「このまま終わってたまるか!」と、ミカだってきっと思ってるはず。じりじりするような気持ちで、私はオフシーズンを過ごしました。
そして96年開幕。ミカ・ハッキネン復活。
しかし、3回目。96~97年がまた辛かった。デビューから6年目。マクラーレンというトップチームに所属して4年目。ミカはもう新人ではありません。トップドライバーとしての『結果』が求められています。なのに、勝てない。1勝も出来ない。
ウィリアムズが相変わらず速いとは言え、マクラーレンも徐々にかつての力を取り戻しつつあります。PPを獲得したり、トップを走る姿も見られるようになりました。
なのに、肝心な所でエンジンが止まる!!…夜中にレース中継を見てて、私は何度ふて寝したかわからない。
「結局勝てないドライバー」「速さはあるが強さはない」そんな声も囁かれます。何で?と首をかしげるしかない。一体、何が足りないの?
この頃には既に、読み漁ったインタビュー記事や何かのお陰でミカのキャラクターや人間性にもすっかり惚れ込んでいたから、ファンをやめようとは思いませんでした。でも、「いつかはチャンピオンに」というかつての夢は、正直あきらめかけてました。
だけど97年最終戦、その時は突然やって来る。ファイナルラップでペースダウンしたヴィルヌーヴを追い抜き、ミカ・ハッキネン96戦目にして初勝利。嘘みたい。
…そして98年。見違えるように速くなったマクラーレン。すぐさま追い上げて来るフェラーリ。98~2000年までの3年間は、夢のような時間でした。あの頃のミカは、間違いなくグランプリシーンの主役の一人でした。
手放しで喜んだことも、悔しさに拳を握ったことも、見てるこっちがプレッシャーで死にそうになったことも何度もありました。楽しかった。
98年の鈴鹿を包んでいた、あの何とも言えないピリピリした空気をよく覚えています。
一度はあきらめかけていた夢が現実のものになった日でした。
シューマッハがリタイアした後もなんだか何もかもが信じられなくて、ファイナルラップで隣のお姉さんが「おめでとー!」と叫ぶのを聞いて初めて、「ミカがチャンピオンになったんだ」と実感。あの時の気持ちは、多分一生忘れないと思います。
***
そして2001年。ハッキネン引退の声が囁かれます。そしてそれは「休養」という形で現実のものに。多分このまま辞めちゃうんだろうな、と、その時なんとなく思いました。
95年の事故の時には、ミカは何も持ってなかった。だからこそ、歯を食いしばって戻って来てくれた。でも今の彼にはワールドチャンピオンというタイトルがある。それも、2つ。
気持ちで走ってきた人だから、気持ちが途切れればお終いなんだと、何故か納得してました。
何よりあの事故で、ミカはF1からいなくなっていたかも知れない、と思うと、あの事故の後で復帰して走り続けてくれたこと、それだけでありがたいという気持ちが私にはあるのです。その上ワールドチャンピオンというタイトルまでプレゼントしてくれた。
ありがとう、さよなら、忘れないよ。そんな気持ちで私はミカを見送りました。
それから5年。
何やってんのミカ。
ドイツで放映されたシュー兄引退記念特番にスペシャルゲストとしてミカ登場!ということらしいです。それも一輪車に乗って(一輪車はミカの特技)。かっこいいんだか悪いんだかよくわからん。流石ミカ。
でもうれしいです。F1辞めた直後は、きっと色々あって精神的に疲れてて、F1からもレースからも遠ざかっていた。少しずつ元気になって、レースへの気持ちを取り戻して、DTMでレース復帰。そしてライバルの最後のレースを見届けようと駆けつけたブラジルGPで火が付いて、もう一度F1に係わりたい、できることなら走ってみたい、という気持ちを取り戻したってことなんでしょう。
で、ミカこれからどうするの?
ウィットマーシュ(マクラーレン)談「ミカの行き先については知らない。現時点では彼自身も知らないと思う」
そんな行き当たりばったりでいいんですか?
でも多分彼がどこへ行って何しても、私は一生ファンやってると思います。
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Web拍手コメントへの返信。
こんにちは。はじめまして。お返事が遅くなってすみません。
こちらこそ、似た考えだと仰って頂けて嬉しいです。
F1で最もプレッシャーのかかる場面のひとつがスタートですが、ミカのスタートは鮮やかでしたね。
特に98年のニュルブルリンクと99年の鈴鹿は、気迫の籠った最高にエキサイティングなスタートダッシュだったと思います。
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