川中島学園が再燃しちゃった記念に上杉さんの中の人繋がりで見つけて来ました。
上杉さんに関しては、私には珍しくキャラだけでなく中の人も気になって来たもので。
思えば初期の「戦国鍋」に於いて、七本槍ふくくん(福島正則)のアイドルっぽさと、上杉さんのマンガキャラっぽさって、演技だけでは出せない役者の素材のパワーが光ってたって意味で双璧だった気がする。
「川中島学園」自体が基本マンガで、登場人物すべてデフォルメされたマンガキャラっぽい人たちだったんだけど、その中にあって上杉さんはデフォルメされた「美形キャラ」だった訳で。私も日曜朝に、イケメンヒーローくんたちが毎年わらわら出て来るのを見てる訳ですが、それでもここまで絵に描いたような美形顔は珍しいと思うのです。
…ていうか上杉謙信の美形設定っていつ頃から出て来たんだろう。
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で、ブリザードの方ね。
youtubeで3話まで見れるけど、本来はdocomoユーザー向けのWebドラマらしいのでauユーザーの私には4話以降が見れませんて事でノベライズ版を購入。
おおまかなあらすじはここ参照。
http://pre.beetv.jp/pg/10000296/
今時珍しい雪の密室系殺人事件ですよ~(何故この季節に?)。
まだ配信の途中なので、感想はなるべくネタバレしない範囲で。
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本の感想ですが、ドラマのノベライズ版なためか、話がややこしい割にさらっと読めました。
後、脚本家がノベライズを手がけた時にありがちなト書きのような文章ではなく、ちゃんと小説の文体になってました。ていうか、映像作品と文字の媒体だと表現のやり方がかなり違うので、一から小説向けに物語を再構築するのは結構大変だったんじゃないでしょうか。
ドラマでは登場人物のモノローグが全く出て来ないため、彼らが本音の部分では何を考えてるのかは分からないようになってるんですが、小説は逆にキャラクターたちのモノローグだけで構成されているという。
本格的なミステリーを読み慣れてる人がどう思うかは分からないけど、私的には謎解きも結構楽しめました。3話まで映像で見た段階で、「これは伏線かな~♪」とアタリを付けてた部分が色々とありまして、その答え合わせが楽しかったっていうのもあるかもですが。
それと何よりキャラの描写が好みでした。著者(脚本家)の基本的なスタンスとして「この世に100%の悪人もいなければ100%の善人もいない」って考え方があるのかなと思って、そこはすごく共感できる部分でした。故に、0か100かの勧善懲悪を求めている人にはオススメしません(笑)。
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ちょこっとドラマの方の感想も書くと、上杉さんの中の人が上杉さんと全然違ってて、こっちを先に見てたら「リアルにグレてた?」とか絶対思わんかっただろうなーと思いました。
上杉さんの時は切れ長ツリ目でシャープにガン飛ばしてたのに、泰ちゃんはどんぐりまなこでキョトキョトしてるし。
あと、この山岳サークルには他にメビウスとディケイドが在籍してます。もやしのキャラがちょっともやしっぽくて、「だいたいわかった」とか言い出しても違和感ない感じ。
配信終わったらネタバレ感想も書きたいけど、いつ終わるんだろう。
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ドラマ見れる人は、見終わってから読んだ方が良いと思われます。
夢をかなえるゾウ
かーなーり売れてますね。
こう、あんまりにも売れてると却って手が出しにくくて、でもちょっと気になるなあ、と思ってたら、たまたま読む機会があったので読んでみました。
ぱっと見分厚く見えますが、紙も厚いし字も大きめなので2、3日でさらっと読めます。文章も読み易いですしね。
以下、多少のネタバレも含みますのでご注意下さい。
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小説の形式を借りたサラリーマン向け自己啓発書…とどこかで聞いたんですが、実際そんな感じでした。
ガネーシャというのは、ヒンズー教ではシヴァ神の息子という事になってる神様です。ゾウの頭と4本の腕を持つぽっちゃり体型の神様で、日本では聖天とか歓喜天とか呼ばれています。
障害を取除いてくれる他、学問の神様とも商売の神様とも言われ、現世利益のある神様としてインドではとても人気があるんだとか。
そんなガネーシャが夢をかなえてくれる訳ですが、神様のミラクルパワーで助けてくれる訳では決してなく、本人が自力で自分の夢に辿り着けるよう、助言を与えてくれる神様として登場します。
要するにこの本では、「仕事の上で成功するためのノウハウ」をガネーシャの言葉を通して語らせるという事ですね。現世利益の神様であり、見た目も個性的でインパクトのあるガネーシャ神をキャラとして使うという目の付けどころは上手いなあと思いました。
この本に書いてある成功の法則、その内容自体はごくシンプルで既によく知られている、当たり前の事が多いです。正しいけれど、正しさ故に当たり前過ぎて顧みられなくなっているものを、ガネーシャというユニークなキャラに語らせることで目先を新しく見せることに成功したって言う事かなあ…と思いながら読んで行ったら、最後の方でガネーシャが自分で「こんなことはずっと昔から言われ続けて来てる」とか言ってました。
個人的にびっくりしたのは、終盤の展開。
主人公の「ぼく」がガネーシャとドタバタコメディを繰り広げる日々も終わりに近づいた頃、ガネーシャは主人公に行動せよ、と促します。
ここからの主人公の行動、ちょっとだけ数年前の自分と被ってデジャヴを感じてしまいました。
今の自分の仕事は本当に自分がやりたい事なのか、と考え、「ずっとやってみたかったけど、どうせ無理だろうと思って心の片隅に追いやっていた」仕事への挑戦を考える。嫌々仕事をやっていて、いい仕事なんかできる訳がありません。
今からではもう遅いかも知れない。でも、今やらなければどんどん遅くなって行くだけ。
もちろん、ただ闇雲に夢に向かって突撃しても玉砕あるのみな訳で、それなりの準備や勉強はして行かなくてはならない(その為の方法は、その前の段階でさんざん語られている訳です)。
「そう言えば、本当は建築の仕事がやってみたかった」そう思い出した主人公は、アマチュアを対象としたコンペティションへの応募を目指して勉強を始めます。
自分の作品を専門家に評価して貰う。これ、大事なんですね。特に経験のない異業種への転職を目指す場合は。
その道の専門家からある程度のお墨付きを貰えれば、就職活動の際に売りに出来るし、自分に取っての自信にも繋がる。逆にいえば、余りにも評価されないのなら、それは自分に適性が無かったということ(ガネーシャの教えの中には、「自分の得意なことをやりなさい」、というものもある)。
私自身、岡山の田舎から関西へ出て来る時には、二十代も終わりの頃で正直もう遅いかも、と思ったりもしました。でもこのまま本当にやりたい事に挑戦せずに三十超えたら絶対後悔する、と思って出て来たんですよね。
その後は必ずしも思い通りにことが運んだ訳ではありませんが(正直、何度田舎へ帰ろうと思ったかわからない)、でも取りあえずあの時行動を起こして良かったと今は思っています。
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そこでガネーシャの、最初の台詞に戻ります。
「覚悟でけてる?」
この本を読んで、ガネーシャに振り回される「ぼく」を笑って終わるなら、この本はちょっとしたヒマ潰しにしかならないかも知れません。
でも、「ぼく」の姿に自分を重ねて行動を起こす人がいたら、その人に取っては「自分の人生を変えた本」になるかも知れないですね。
私に取っては…既に一度通った道だったみたいです(笑)。
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でも実際、友達見てても一回就職してから「私、ホントはコレがやりたいの!」とばかりに転職する人多い気がする。専門学校に入り直したりして。
一度就職して「仕事」というものがどういうものか分かってやっと、自分がやりたいことをきちんと考えられるというのもあるし、中々最初の一発目でいい仕事に辿り着くのは難しいですね。
「敵は海賊」10年ぶりの新刊!…と言われても、正直そんなに待たされたような実感はないです。「A級の敵」ってそんなに前の話でしたっけ。
ともかく、例によってこの記事は激しくネタバレしています。ご注意下さい。
質・量ともにずっしりヘビーな「膚の下」を読んだ後では、いかにも軽い読み応え。思えば「膚の下」って(あれだけの長編なのにも関わらず)ほとんど遊びの部分がなかったですもんねー。
これが敵海だと、アプロとラテルのアホ会話で息抜き出来ます。「A級の敵」に引き続き、セレスタンとラクエシュも登場。アホな会話、更に増量。
でも正直、敵海もそろそろ潮時なのかな、と思わないでもなかったです。今回、ラテルとアプロとラジェンドラがあんまり動いていない。セレスタンとラクエシュで間を持たせているような感じがする上、捜査の場面の大部分はメカルーク市警のネルバルとサティが担当している。
この二人がまた、叩き上げのベテランとエリートな新人っていう刑事モノの王道コンビなんですよね。なので、ラテルたちが出て来ない場面は、まるで普通の刑事モノを読んでるような感じでした。
そしてやっぱり今回も、話のカギを握るのはヨウメイ…ともう一人。物語の核となる『現象』の中心にいるゲラン・モーチャイのポジションは、「不敵な休暇」の“スフィンクス”アセルテジオ・モンタークを思い出させます。
ただ、その生まれ持った特殊能力で自分からヨウメイに立ち向かい、ヨウメイを騒ぎの中に巻き込んで結構いい所まで追い詰めたアセルテジオに比べると、結局はヨウメイの手の中で踊らされていただけのモーチャイは小物っぽく感じます。
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それでも面白かった、と思うのは、この話が個人的にすごく興味深いテーマを扱ってたからかも知れません。
「正義」って、質の悪いものだと思います。
何故ならば、正義というものは、「悪」を攻撃することによってしか証明できないものだから。
本来、他者を攻撃することはそれ自体「悪」のはずなんですが、攻撃する対象を「悪」だと決めつけてしまえば、その攻撃は(例えどんなにえげつなくても)本人の中では「正義」に変換され、美化される。当然罪悪感も感じない。
余談ですが、ワイドショー的なバッシングとかブログの炎上とかってのも、こういう、何か落ち度のある対象を「悪」として叩くことで、相対的に自分が「正義」であることを確認したいっていう心理が働いているような気がします。やってる方は気持ちが良いんだろうな。しかし同時に、そんな形でしか自己を正当化できないのは人間としてみじめな気がする。まともなプライドがある人間は、そこに気づいた時点でそこから離れるんでしょうけど。
自分の行動を正当化し、社会に対して「正義である」と認めさせることが出来るという、類い稀なカリスマ性の持ち主であるゲラン・モーチャイが、他方で極めて幼児性の強い、未成熟な人間として描かれているのも、決して偶然ではないと思います。
一方でヨウメイが(あのヨウメイをもってしてさえ)、そんなモーチャイの性根を叩き直すのは「無理」って言ってるんだから、ある意味それが最も恐ろしい事実かも、と思ってしまいました。
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でも一番驚いたのは、最後のオチでヨウメイがリジー・レジナ(デイジー・リジー)にラブレターを送ったこと。
…流石にこれは予想だにしなかった…ヨウメイの女性遍歴もどんどんハイパー化しているような気がしますが、彼の現在の理想の女性って、自分と同じレベルで思考して、自分と同じステージでゲームの相手になってくれる(戦ってくれる)相手だったのか…。
そりゃまあ、ラテルはゲームの前にゲーム盤をぶっ壊すようなタイプだし、アプロは…アプロって、ある意味唯一ヨウメイを上から見下ろす視点を持ってるのかも知れませんね。捕食者が被食者を見る視点ですけど。
面白かったです。ラヴ。
敵は海賊・正義の眼
「敵海」シリーズはそれぞれ独立した話なので、単品でも十分お楽しみ頂けるのですが、今回は結構過去のネタがちょこちょこ出て来ましたねー…。
狐と踊れ
神林さんのデビュー作を含む短編集。「敵は海賊」の第一作目も収録されてます。「正義の眼」にも登場するアモルマトレイ市が、ここで既に登場しているのにオドロキ。
敵は海賊・海賊版 (ハヤカワ文庫 JA 178)
長編としての第1作。ヨウメイの最初の女(?)シャルファフィン・シャルファフィア登場。
敵は海賊・猫たちの饗宴 (ハヤカワ文庫JA)
マーシャ・M・マクレガー登場。マクミラン社のベスタ・シカゴも頑張ってます。天野喜孝氏が挿絵を手がけているのもポイント高し。唯一、アニメ化もされてます。
敵は海賊・海賊たちの憂鬱 (ハヤカワ文庫JA)
火星の暗黒街・サベイジを舞台にした話。「猫たちの響宴」に出て来たペトロア軍曹がチョイ役で登場。
敵は海賊・不敵な休暇
これが件の、アセルテジオの出る話。ドク・サンディも多分初登場。「正義の眼」ではマクミラン社が襲撃を受けてますが、あの会社の呑気なカタギOLだったメイヤン嬢は無事だったんだろうか。
敵は海賊・海賊課の一日 (ハヤカワ文庫JA)
ラテルの過去が明らかになった話。パメラ・ツェルニーとのお付き合いもここから始まったけど、あんまり進展してなさそうだ。「海賊版」に登場した異星系の魔女バスライが再登場。セレスタンも何気にチョイ役で出て来る。エクサスとラクエシュも、名前だけはここで既に出てるんだな。
敵は海賊・A級の敵
セレスタンとラクエシュがここから本格参戦。ヨウメイの第二の女(?)マーゴ・ジュティ登場。
こうして過去を見返して気づいたこと。今回、ラック・ジュビリーが出て来てない。影も形も。あとヨウメイがサベイジに行かないので、バー「軍神」もオールド・カルマも出て来ないんですね。ちょっと寂しい。
※この記事は激しくネタバレです。まだお読みになっていない方は読まないで下さい。
久しぶりに神林さんの長編新作を読みました。
今は作家買いする人がどんどん減っているので、真剣に本を読んだ事自体久々なような。
内容・分量共にずっしりと読み応えのある作品に満腹しております(といいつつ『敵海』新作にももうかかってますが)。
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火星三部作完結編にして、時間軸的には最初の作品。
思い出すのは、『あなたの魂に安らぎあれ』のラストシーン。主人公たちが火星だと思っていた場所は実は地球。火星に避難していた同胞たちが帰って来るのと同時に、地表を闊歩していたアンドロイドたちが一斉に動物へと姿を変える印象的なあの場面。
あの場面へと繋がる『世界』を作り上げた創造の神エンズビルの、これは物語。
人間の手によって人工的に創り出された生命体である人工兵士(アートルーパー)が、やがて創造主となるまでの物語。
主人公は繰り返し自問する。
人工的に作られたものであっても、生命は同じもののはず。膚の下を流れる血は同じものなのに、何故自分は人間と同じに扱って貰えないのかと。
様々な事件と出会いを経て、彼が見出そうとしたもの、それは『生命』というものの本質だったかと思います。
生命は決して静止しない。「人の形のごときのものは 万化してきわまりなし」という荘子の一節で表現されているように、姿形は変化を続けても、生命そのものの本質は変わらない。人間も、人工兵士も、犬もカラスも。
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とまあごくごく大雑把に言えばそんな感じですが、実際はそんな簡単な言葉で語れるような単純なものではありません。
マ・シャンエ・ウーの怖さとか萬羽の嫌らしさとか、サンクの可愛さとか(もうね、「ワフ」っていうあの鳴き方がたまりません。大きい犬が、吼えるんじゃなくて犬なりに小声で主人に返事してるあの感じが読んでて可愛くて仕方ない)その他色々。
でも改めて読んでみるとつくづく、神林さんは「言葉」の人だなあと思います。この人はまるで、世界の全てを言葉によって緻密に解体し、分析し、再構築して具現化しているように思えます。
実加の台詞、「私があなたの日記を読んでやる。だからあなたは寂しくないよ」という言葉はその典型ですね。主人公と実加は、250年の後に日記を通して再会する。言葉は時間を超える。例え生身で会うことは二度となくても、残された言葉を読むことで出会えることを、彼ら二人は信じていた。
(この二人の関係は、純粋で切ない。実加が別の男性と結婚しても決して揺るがない関係なんだよね)
***
で、性懲りもなく大ちゃんの話になるんですが、神林さんが徹底的に言葉を用いてやろうとしていることを、大ちゃんは逆に言葉を使わないで(寧ろ言葉を排除することで)表現しているのかなとも思ってしまいました。
言葉では決して理解できない領域にまで感覚を広げ、分析する代わりに生身の感覚でもって掴みとり、それをそのままダイレクトに感覚として出力する。
彼を見ていると時間の感覚が変わるのは、「生命は静止しない」ことをまさに彼が表現しているからだという気になってしまう訳です。私が過去の映像を見てる間に、現実の彼はどんどん変化を遂げて行く。本当の彼を見るには正にライブな演技を目の前で見るしかなくて、しかもそれさえも、「見た!良かったー」とか言ってるうちにもう過去になってしまっているような、そんな感覚。
同じプログラムでも常に変化し続けていて、その全てが未完成であり、同時に全てが正解でもあるというような。
私は多分普通の人以上に「言葉」に頼って生きているので、そんな頼みの綱である「言葉」を排除した大ちゃんの表現は怖いです。そして怖いからこそ余計に怖いもの見たさでハマってしまう。
ていうかこんな全然関係ない、SF小説の感想にまで引っぱり出して来るあたり、我ながら重症だと思います。
***
膚の下 (上) (ハヤカワ文庫 JA (881))
膚の下 (下)
「膚の下」を読む前に、押さえておきたい火星三部作♪
帝王の殻
あなたの魂に安らぎあれ (ハヤカワ文庫JA)
「あな魂」読んだのはもう何年も前なんですが、あのラストシーンは印象的で、かなりはっきり覚えてました。
有名人の訃報を聞く度に「ええっ?あの人が?」といちいち反応してしまう今日この頃です。
中でもちょっとこれは反応しておかねば、と思ったのがアメリカの作家カート・ヴォネガット氏の訃報記事でした。
カート・ボネガット氏死去 米小説家
http://www.cnn.co.jp/showbiz/CNN200704120019.html
ここ最近、作家買いする作家も2、3人くらいしかいなくて、その数少ない作家の一人がこの方でした。
最初は余りのシュールさに衝撃を受けたのですが、何冊か読んでいる内に、物語に登場するどうしようもなく愚かな登場人物たちと、そんな人々に注がれる暖かい眼差しに惹かれるようになりました。ご冥福をお祈りすると共に、ヴォネガット作品の内、特にお気に入りな作品を語りたいと思います。
猫のゆりかご
一番のお気に入りです。この小説に登場する架空の宗教「ボコノン教」に激しくツボを突かれました。「嘘の上にも有益な宗教は築ける」という前提の元に作られた宗教。「フォーマ(=無害な非真実)を生きるよるべとしなさい」と説く奇妙な教祖ジョン・ボコノン。カラース(神の御心を行うチーム)の奇妙な導きにより、貧しい島国の君主となる主人公。そして…。
スローターハウス5
初めて読んだヴォネガット作品。「宇宙人の詩の形式を借りて書いた反戦小説」というシュールさにのけぞった記憶が。主人公ビリー・ピルグリムはピルグリム=巡礼者の名の通り時間の中・自分の人生を彷徨います。戦場の悲惨な現実が淡々と描写される、その淡々とした語り口調に却って生々しいリアルさを感じてしまう、そんな作品。作者の実際の戦争体験に基づいているそうです。
タイタンの妖女
これもまた、余りにもぶっとんだSF話で驚いたような。世界がひとつになるために運命の道化となった一人の男の物語。全てを操っているように見える者さえ、結局は運命に操られる者に過ぎないという哀しさ。個人的には、トラルファマドール星人(スローターハウス5に出て来るのとは別物)のサロとスキップとの友情が悲しい。しみじみとした余韻が残る作品です。
チャンピオンたちの朝食
ブルース・ウィリス主演で映画化されたのに日本では上映されたなかったという…。WOWWOWで見たけど、思ったよりも原作に忠実でした。町一番の成功者でありながら、様々な心労を抱えて内心鬱々としている主人公に、ブルース・ウィリスが中々ハマってたと思います。そんな主人公とヴォネガット作品にはおなじみのSF小説家キルゴア・トラウトとの出会いに様々な人生が交錯します。ヴォネガットの作品は、最初から話のオチをバラしてしまうのに、何故か最後まで読ませてしまうのがスゴいですね。
青ひげ
「チャンピオンたちの朝食」にも登場する抽象画家ラボー・カラベキアンの自伝の形を借りた小説。ヴォネガット特有の洒脱な語り口で物語は進みますが、その背景にはアルメニアン人の虐殺という重い歴史的事件が横たわっている。これは全然SFしてないです。ある方向から切り取った歴史物に近いかも知れません。
個人的には、ポスターカラーをべた塗りした背景に蛍光色のカラーテープを貼っただけというカラベキアンの作品に妙ーに惹かれるものがあるのです。何故か。
***
いざ説明しようとするとどうも上手く説明できない。突拍子もない話のようでいて、人間という生き物の悲しさを暖かい目で包んでいるような、突き放しているようで実は愛を感じさせる語り口が魅力かなと思います。
ヴォネガットさん、ステキな話をありがとう。