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ウロコのつぶやき

昭和生まれの深海魚が海の底からお送りします。

今週のゾイドジェネシス

2005-07-10 18:04:23 | アニメ
……地味だ。
話全体を通してみれば、こういう占領下の厳しい現実と、その現実を思い知らされ、ディガルドへの反感を募らせて行く主人公の描写は必要なんでしょうけど、しかし単体30分だけみると如何にも地味な話です。
ゾイドバトルを期待している身にはちょっと辛い。作画もなんか辛そうな感じだし。

見所は壁を飛び越えるランスタッグくらいですかね……色も白いし、槍も中世の騎士の槍みたいだし、白馬みたいで(鹿だけど)中々優雅でエレガントですランスタッグ。
乗ってるのは野生児なお姫さまですが。
あの大きなカエルのようなものの丸焼きは美味しいんだろうか。

それにしても潜入班。強制労働組・徴兵組共に、付いて行けない者は情け容赦なく切り捨てられて行く描写が妙にリアルで恐いですね。
特にルージ、みんなを励ましたつもりが、逆に負担を増やすことになった……という結末がシビアというかなんと言うか。町長さんの「若いのう」には色んな意味が入り交じってましたね。先週の見境のない人と同じ人とは思えない。
こういう、甘くない現実を丁寧に描く話は個人的には好きなんですが、しかし私が一番期待しているのはゾイドバトルーーーーーーー……。

職人探しも結局はダメになってしまいましたが、番組の流れとして最終的に向かっているのは、やっぱりジェネレーター修理じゃなくて対ディガルドですしね。そういう意味では、話が確実に動いてるなあとは感じてます。
ともあれ、来週は派手なバトルを見せて貰えることを期待。

それにしてもセイジュウロウ師匠の声優さんは、あれでホントにいいんでしょうか。
出番の少なさに何か疑問を感じたりはしていないんでしょうか。

今週のゾイドジェネシス

2005-07-04 07:01:57 | アニメ
マジレン復活記念で独立させて見ました。
先日、この番組の主題歌「夜鷹の夢」について調べてみました。
番組に使われている所だけだと何とも思わせぶりな感じですが、歌詞全部を見るとかなりはっきりした反戦メッセージになっています。
タイトルの「夜鷹」の意味からしてステルス爆撃機のことを歌っているようだし。
戦争という現実、その情景の切り取り方というか切り口が中々鋭い歌詞です。

そういえば無印の主題歌を聞いたとき、「一応戦争物なのに、いいのか? こんな明るく爽やかな歌で」と思ったもんです(あれはあれで、フルコーラス聞くと中々意味深ですけどね)。
そして/0は、思いきって「戦争」というテーマを外しているため、そういう重いものを背負っていないような、そんな主題歌でした。
思えば/0は、「戦争」というドラマティックな背景を持たない分、純粋にゾイドバトルだけで見せなければならないこともあって、あれだけバトルが魅力的だったのかも知れません。スポーツとしての面白さの見せ方を分かってる感じでしたしね。

話をジェネシスに戻しましょう。
こんな主題歌をわざわざ使ってるジェネシス、/0とは逆に、「戦争」をきっちり描いて行きますよということなのかなと思った訳です。

今回は特に、占領下の街の厳しい現実をじっくり丁寧に描かれてましたね。
「涙の一滴もディガルドだと思え」
「お前たちは知らなければならん」
インパクト大なセリフでした。
まだまだその辺分かっていないルージは青い。そんな弟子を助けるためだからって師匠……情け容赦なさ過ぎ。最初の殴打はともかく、追い討ちの本気蹴りは一体……。
そしてルージはゾイド乗り判定機に反応出ませんでした。ムラサメにしか乗れないルージ。ルージにしか乗れないムラサメ。特殊な関係なんだという伏線かと思われます。

あと、ゼルフトの街の人は、立場も顧みず見境なく殴り掛かる町長さんといい、バイオトリケラに真正面から挑んであっさりやられるイモムシゾイドの人たちといい、ちょっと考えなさ過ぎなんじゃないかと思いました。
あと、小さい女の子がやけに理路整然と嘆いたり。
変な所もあったけど、面白かったのでまあいいです。
村を救う、それだけのために旅立った少年が徐々に戦争に巻き込まれて行く感じが分かります。

……ザイリンさん、早くまた出て来ないかなあ……。

009〜世界中の愚か者たちへ、愛を込めて

2005-04-02 16:30:24 | アニメ

こんにちは、虹川です。日々あんまり世の中の役には立たない事を考え続け、自分の思いつきに一人合点して生きる、そんな毎日です。

今回は、小林靖子さんが脚本を手掛けたアニメ版「サイボーグ009」のミュートス編について考えてました(そこに至る過程には一応色々あったんですが例によって省略)。
「原作と解釈が違う!」ってんで原作ファンには評判の悪いこの話ですが、だからこそ原作とアニメの違いを探ることで小林脚本の本質というものが見えて来るのではないかと思った次第。
……といいつつ原作読んでませんので(断片的な情報はある程度仕入れてますが)、あからさまな事実誤認等ありましたら御一報下さい。

さて。長々語る場でもないので本題から行きましょう。
「あとは……勇気だけだ!」
この台詞ですね。
原作では、非常にかっこいいキメの台詞として使われ、多くの読者の感銘を呼びました。しかしアニメ版では比較的あっさりと流されてしまったため、原作ファンの怒りを買ったという訳です(※1)。
ここで一つ疑問が浮かびます。原作におけるキメ台詞はキメ台詞として機能していなかった。ならばアニメにはアニメの、別のキメの台詞があるはずです。それは何か。
私はアルテミスの、
「人は愚かで、こんなにも愛しい」
だと思います。

結論から言うと、原作もアニメも根底に流れているのは同じ、『人間讃歌』というテーマだと思います。違うのは、『人間讃歌』の『人間』の主軸がどこに置かれているのかということ、矢印がどちらへ向いているのかということではないかと。
構図としてはこんな感じ。

原作……009たちを主軸にして描かれている。『無力な人間』の代表である009側に対して、ミュートス側は『強大な神々』として対立的に描かれる。(※2)
『人間』が『人間を否定する者』を打ち倒すことで『人間』を讃美している。

アニメ……ミュートスたちを主軸にして描かれている。自らを神と信じ、人間たちを蔑んでいたが、最終的に自分たちも又人間だったと気付く。
『人間を否定する者』が『人間』を受け容れる(人間であることを受け容れるとも言える)ことで『人間』を讃美している。

原作では、力で勝る神々に勇気を持って立ち向かう人間=009の姿を描くことで
「人間はこんなにも勇敢で素晴らしい」
という結論を導き出しています。(※3)
ここでは矢印は「自分=人間=009」→「他者=神々=アポロン」という風に、外側へ向かっています。

一方アニメの方では、人間を見下していた神々が、自分たちもその人間と同じ存在であると気付くことが重要なファクターとなっています。
こうなると、矢印は自分の内側へ向かいます。
今まで『他人=人間』に向けていた『愚か者め』という矢印が向きを変え、『自分=人間』の方にも向かって来る訳です。

こうして整理してみると、原作の方がはるかに明快です。
人間が「勇敢で素晴らしい」から肯定することに抵抗はありません。
また、主役である009に主軸が置かれ、彼らが自分の力で状況を打破することにはヒーローものらしいカタルシスがあります。

しかしアニメの方は、なにげに主人公は蚊帳の外ですね(笑)。
ここで重要なのは、主人公よりも寧ろ「愚かである」人間に対して、「愛しい」と告げるアルテミスです。
「愚かさ」というマイナスのファクターを受け入れるのは簡単な事ではない。
しかし彼女は自分自身の愚かさを許して受け容れることが出来た。その時、弟で同じ神であるアポロンの愚かさ、そして敵であったはずの009たち、当初彼らを「愚かな人間たち」と見下していた、その愚かさもすべて許して受け容れることが出来たのではないでしょうか。

矢印を外側へ向け、相手を攻めるのは簡単です。けれど勇気だけでいつでも相手を打ち倒せるかというと、現実では決してそうではない。倒せない相手に対して不満が募りますよね。
その時、矢印を内側に向けて見るとどうでしょう。相手ばかり責めていたけど、自分にだって否はあるんじゃないか? その否の部分は本当に否定するべき部分なのか? 寧ろ、人間臭くていいんじゃない? ……そう思って周囲を見渡して見れば、相手も又自分と同じなのだと思えて来る。最早責める必要はなくなる。(※4)
……なんて風に世の中そうそう上手く行くわけではありませんが。でも、他人ばかり責めてもどうしようもないとき、視線を切り替えてみることで状況は変わるかも知れません。
相手を無理に変えようとしても、そう簡単には変わらない。自分を変えることは、自分にしか出来ない。
自分たちの未来くらい、自分の力で変えようぜ!

……という訳で、小林さんの根底に流れるものはずっと変わっていないのかも知れない、と思いました。
考えてみれば小林脚本の特撮は、いつでも愚か者たちへの愛に満ちていたような気がする。「龍騎」の真司はまさに「愛すべきバカ」でしたしね。
 それから「セーラームーン」での、ヘタレなジェダイトに対するベリル様の台詞、
「愚かさも、愛おしいというもの」
などもその典型かも知れません。(※5)しかもこの台詞が最終回の、
「お前は、愚か者だな」
「……はい!」
というやりとりに繋がる。

「愚か者」という言葉に込められたこの最大限の愛情。愚かでも愛しい。いや、愚かだからこそ愛しい。あなたはこの愛を受け取ってくれますか? ……ってなんだこのオチは。



※1 原作では、逆説的に、「まだ勇気が残っているんだ!」という心意気を表す台詞でしたが、アニメでは、「本当に心意気くらいしか残っていない。もう打つ手がない」という絶望の台詞として描かれています。
※2 原作でも設定の上ではミュートス=偽の神々だったと思いますが、ストーリー上のポジションという点では人間に対立する神という位置付けだったと結論付けてこう書きました。
※3 考えて見れば、自分より弱い相手と戦うには勇気は必要ないわけで、そうすると勇気というものは、強者ではなく寧ろ弱者にこそ宿るものなのかも知れません。
※4 でも心理学の本によると、自分が相手を受け容れることで、相手の態度も変わってくるそうですよ。
※5 この台詞をあの杉本彩が喋るのは、最高にエロくてステキでした。