言葉による音楽的な日々のスケッチ

作曲講座受講日記と、言葉による音楽的日々のスケッチを記録

この上なく素敵な乗り物

2006-08-23 01:13:31 | 映画美学校音楽美学講座:高等科
今日のこと

以前の通勤は銀座を拠点にしていたのだけど
最近は新橋経由になったから
本を買ったりお茶をしたり

定時に仕事を終えられたら
風を感じる乾いた夜に夕涼みをしに行ったり
軽~く夕食を食べたりと
汐留で用を足すことが多くなった






由緒ある老舗オヤジ街、新橋駅から
地下道を通して直結しているシオサイトでは
ガラス張りの近未来的な風景を
道行く人々は目にすることになるのだけど



工業都市で港町っ子の私にとって
心象的な原風景として刷り込まれているせいなのか
その風景を、潮の香を含んだ風と共に恋しくなる
盛夏のこの時期



山手線沿線で言うなら、浜松町から大崎辺りまでか
新木場辺りから台場にかけてもしくは

対岸の天王洲辺りの東京の湾岸地域には
記憶にある川風や海風と共に
初めて見る超人工的な風景にすら
奇妙な親しみを感じる。







こうして延々と歩いていられるのだけど
「歩く」ことが好き、というより
単純に「移動して動いている」という状態が好き、
ということに気がついた。


たとえば車とか電車、飛行機などの「乗り物」で
移動しながら音楽を聴くことが私はとても好きで
乗り物と音楽は相性がいい。


それはきっと音楽の概念とエネルギーが
快適に未知の旅先へ運んでくれる
乗り物のようだから、だと思う。



好きな音楽を聴くと
憂鬱な気分も瞬時に晴れるように

規則的に刻まれて否応なく進んでいく
現実のクロノス的な時間はなくなって

音楽という乗り物で向かう旅は
自由自在に次元を行き来して
心は時空を超えられる

























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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2006-09-20 11:50:37
突然にすみません、Sと申します(笑)。



「移動」と「音楽」についておっしゃっているので、何だか気になってしまい、お邪魔しました。

「移動している時間」というのは「止まっている」状態から見たものですか?

ながく歩いていると、自分はそのじょうたいのまま止まった気がします。

(信号待ちでも良いのですが)移動中に自分で意識的に

止まってみると、「動」だったのと共に

「静」に入ったのをはっきり感じます。

この移行の瞬間が動いている状態

なのかな~と思っています。



実行中の事を突然止めるのが好きなので、

状態を動かすのに快感を感じているのかも。



時間概念については勉強不足なので主観でしか言えませんが、捉え方が人によって

違うのは面白いですねー。



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時間と移動 (TOM)
2006-09-22 15:42:40
わーい、S君だ~(笑)ようこそ~♪

質問されて気がついたのですが

私が書いた「移動」することって身体の移動、というより「思考」の移動(動き、移り変わり)について書いていたんだなぁ~ということに気が付きました。

移動しながら考えたり音楽を聴いたりすると

普段と違う考え方や聴き方が出来るのですよ~。

>ながく歩いていると、自分はそのじょうたいのまま止まった気がします。

へえ~面白いね。それは身体的に?思考的に?確かに走ってるとき(自分の足でor乗り物で)と違って歩いているときというのはぼ~っと出来るし(笑)「止まったような状態」のまま移動することが可能なのかも~。

返信する
Unknown (Unknown)
2006-09-22 17:06:34
返信どうも。



フィジカルにもメンタルにも意識していないものは

止まってる気がしますよ。

注意していない感覚は全てとまってしまう。 普通の事だけど..



長距離走はまさに止まっている感じですよね。

似たような情報が流れ続けて、思考も風景もぼやけて来て、

折り返し地点でやっと走ってたことを思い出します。



たまに歩いていることを忘れないように、わざと立ち止まったり

歩くペースをあげてみたりしてます(笑)

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