菊地成孔さんによる
音楽美学講座は、教え方からして音楽的だ。
私の思考も拡張する。
それはボキャブラリーを増やしたり
知らなかった概念を思考に組み込む事が出来たり
耳が傾かなかった音楽を好きになったり
交遊を広げたり
沢山の知らない人たちの中で
安堵を感じたり
初対面の人と突然に
親密なコミュニケーションが生まれる事だったり、
といったダイナミズムのようだ。
少しのズレ…
不確定さから生まれる情動、律動。
先日のピアノのレッスン時に
苦手なモーツァルトを弾いていた時の
教師の言葉が不意に思い浮かんだ。
「フレーズを均一に弾いてはいけない。
それは、聴き手に感動を与えないし
音楽的感動は伝わりにくい」
これは、講義の初回時に菊地さんが
言っていた内容とほぼ同じだという事に気がついた。
「不均等なものからこそ、情動的な感動が生まれやすい」
まさに音楽的。
この講義自体も、私の心情も、
菊地さんの在り方、言葉や身振り手振り、
無常に浮き沈みし、運動する日常も、
予測不能な明日の憂鬱と官能のよに。
今日、菊地さんは言った。
このメソッドを習得したからといって
作曲が出来るようになるかは全く別もので
それは「作曲根拠の有無」に関わる事だと。
僕には沢山あります、イヤな事とか
山ほどあるので(笑)
そして、そんなものが無くて
作曲なんか出来ないほうが幸せなんじゃないかと
思う事もある、と。
たぶん、今の私にも作曲根拠だけはあるだろう。
不確実さの中にもこれまで知らなかった
輝きを感じる事が出来る。
喪失と獲得
憂鬱と官能
例えば、憂鬱な出来事と感じられる事も
「変化」とか「拡張」とか
「官能」とかいう新たな意味に変換可能なのだと。
決して「学校では教えない事」を
教わっている事を改めて実感。
私が長い間求めていたのは
こういった、複眼的な視点を持った、
自分自身の考えを硬直させることなく
常に拡張へ向かうような教えだ。
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音楽美学講座は、教え方からして音楽的だ。
私の思考も拡張する。
それはボキャブラリーを増やしたり
知らなかった概念を思考に組み込む事が出来たり
耳が傾かなかった音楽を好きになったり
交遊を広げたり
沢山の知らない人たちの中で
安堵を感じたり
初対面の人と突然に
親密なコミュニケーションが生まれる事だったり、
といったダイナミズムのようだ。
少しのズレ…
不確定さから生まれる情動、律動。
先日のピアノのレッスン時に
苦手なモーツァルトを弾いていた時の
教師の言葉が不意に思い浮かんだ。
「フレーズを均一に弾いてはいけない。
それは、聴き手に感動を与えないし
音楽的感動は伝わりにくい」
これは、講義の初回時に菊地さんが
言っていた内容とほぼ同じだという事に気がついた。
「不均等なものからこそ、情動的な感動が生まれやすい」
まさに音楽的。
この講義自体も、私の心情も、
菊地さんの在り方、言葉や身振り手振り、
無常に浮き沈みし、運動する日常も、
予測不能な明日の憂鬱と官能のよに。
今日、菊地さんは言った。
このメソッドを習得したからといって
作曲が出来るようになるかは全く別もので
それは「作曲根拠の有無」に関わる事だと。
僕には沢山あります、イヤな事とか
山ほどあるので(笑)
そして、そんなものが無くて
作曲なんか出来ないほうが幸せなんじゃないかと
思う事もある、と。
たぶん、今の私にも作曲根拠だけはあるだろう。
不確実さの中にもこれまで知らなかった
輝きを感じる事が出来る。
喪失と獲得
憂鬱と官能
例えば、憂鬱な出来事と感じられる事も
「変化」とか「拡張」とか
「官能」とかいう新たな意味に変換可能なのだと。
決して「学校では教えない事」を
教わっている事を改めて実感。
私が長い間求めていたのは
こういった、複眼的な視点を持った、
自分自身の考えを硬直させることなく
常に拡張へ向かうような教えだ。
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