「すみません、あなたを置き去りにして・・・」
少年は暗い顔をして何度か同じ言葉を口にした。
カシミールでは何度か大きな余震が起こっているが、小さな余震は頻繁にある。僕が滞在していたときも二度ほど微震があった。とても小さな揺れで、ほとんど気にならない程度だった。
最初の余震は、街で知り合った17才の少年イズファン君とレストランで話しをしていたときだった。
一回だけ建物がグラッと揺れた。
その瞬間、7~8人の客が一斉に出口に消えた。
ものすごい素早さだった。
僕の前に座っていたイズファン君も、一呼吸遅れて出口に走った。
余震よりも、彼らの素早さにあっ気にとられた。
少年の背中が出口を出る頃、ようやく僕はあわてた。
店は崖っぷちに建っていた。
椅子を蹴って、店の奥から外に飛び出した。
大地震なら僕は店ごと崖の下だろう。
外でしばらく様子をうかがってから、イズファン君と店に戻った。
「すみません。あなたを置き去りにして・・・」
彼はひどく自分を恥じていた。
何度か同じ言葉を繰り返した。
僕が危機感のない暢気な外国人というだけだ。
「僕もカメラバックを置き去りにしたよ」
東ティモールで武装襲撃を受けたときも離さなかったカメラバックだが、椅子の上に残して逃げた。
飛ぶようにして出口に消えた男たちの背中は、一瞬の迷いが生死をわけることを教えていた。
ひとり店に残され、僕が椅子を蹴ったときは、すでに揺れは終わっていた。
しかし、とにかく体一つで逃げることにした。
そのくらい彼らの緊迫感はすさまじかった。
とても小さな余震だったが、カシミールの人々の体の中に潜む恐怖の深さを垣間見た出来事だった。
イズファン君の家を訪ねたとき、彼の家は大地震にも耐え、ちゃんと建っていた。
しかし、家族の中でイズファン君だけは、外の小さなテントで寝ていた。
「地震が来てもテントなら安全だからね」