goo blog サービス終了のお知らせ 

Left to Write

司法書士 岡住貞宏の雑記帳

「鬼滅の刃」の疑問に答える

2021-01-12 11:40:17 | 考えたこと

 大人気ですね、「鬼滅の刃」。私もNetflixでテレビアニメの終わりのところまでは観ました。映画はまだ観ていないのですが、そのうちNetflixに落ちて来るだろからそれを観ようと思っています(セコい)。

 ところで今や世界的に人気の日本アニメ、海外でも「鬼滅」は話題沸騰のことと思います。

 そうなると気になるのは、背景的にかなり日本色の濃い「鬼滅」ですから、「これ何?」と疑問を抱く外国人が後を絶たないのではないかということ。心配ですので、ちょっと先回りして、外国人からの仮想の質問に答えようと思います。大きなお世話ではありますが。

 

1質問「禰豆子のくわえているアレ、何?」

 回答「うーん・・・よく分かんね」

 

 まぁ一応ね、「猿轡(さるぐつわ)」なんでしょう。竹筒を口に咬ませて、後ろで縛る。何のためにそんなことをするかと言えば、発声を禁じたり、噛みつきを防止したり。舌を噛む事故や自害を防止する用途もあるでしょう。

 それは分かるんだけど、日本人にとってそれほどポピュラーなものかと言えば、そんなことはないですよね。もっと正確に言うと、猿轡に使うものとして、アレが日本では普通の形状なのかと言えば、そんなこたぁないです。普通は手ぬぐいなどを噛ませるのではないでしょうか。半裸の「くのいち」が縛り上げられ、禰豆子のアレを噛まされて切ない呻き声を上げる、そういうエロチックな映画だか時代劇だかを観たことがある気はします(笑)SMの道具・・・?いや知らんがな、誘導尋問はやめてください(爆笑)

 という訳で、あんまり断定的に「コレ」と言えません。よって回答は「よく分かんね」です。すいません、外国の方。

 

2質問「SLが走っている時代にカタナ?日本では最近までカタナを使ってたの?」

 回答「それはあくまでもアニメの中の話。あの時代に刀を差していた人はいません」

 

 「鬼滅の刃」の時代設定は、大正だそうです。廃刀令は明治9年、さらにそれ以前から廃刀は進んでいたと言いますから、大正時代に一般人(軍人や警官ではない人)が刀を差して往来を歩いていたら、大騒ぎとなったでしょう。確か劇中でも、刀を差している姿を見咎められるシーンがあったと思います。大正では、むしろそれ(刀を見咎められる)が普通のことでした。

 と、ここまで書いて、ちょと不安。いまの日本人の若い人たちは、ちゃんと分かってるのかなぁ?若い人と話してて、戦争以前の時代認識が暗黒に過ぎて驚いたことがあります。大正デモクラシーは、わが国の近代化が大いに進んだ時代です。

 

3質問「鬼殺隊はニンジャなの?」

 回答「えー・・・まずは忍者の定義を聞こうか?」

 

 戦国時代などに、諜報活動を行ったり、破壊工作、暗殺、後方攪乱などを担当する技能集団がいたかどうかと言えば、そりゃいたんでしょう。徳川幕府で大身旗本となった服部半蔵家なんてそういう集団の首領だったのですから。そしてそのような集団を「忍者」と呼ぶかどうかと言えば、それはそう呼んでもいいでしょう。

 でもさぁ、外国の人たちよ。あなたたちが想定しているニンジャって、黒装束で手裏剣投げて忍法・影分身使って大きなカエルを口寄せする・・・そういうヤツでしょ?でも、それ自体が架空の存在ですから。したがって、アニメの中の登場人物が架空の存在であるニンジャか?と聞かれても、それは「人物の設定次第」としか答えようがありませんわなぁ。夢のないお話で恐縮ですが。

 ただ、日本で(服部半蔵のような実在の)忍者が活躍したのは上記のとおり主に戦国時代。年代がまったく合わない(400年以上離れている)ので、「忍者ではないよ」というのが一応の答えかも知れません。しかしそれは、鬼殺隊が影分身を使わないからでもカエルを出さないからでもありません。悪しからず。

 

【補足】一応ググってみたら、鬼殺隊の宇髄天元という人は元忍者(忍者のお家に生まれた)という設定なんですってね。テレビアニメがそこまで行ってないので知らんかったです。ということで、そのような「人物設定」はあり得るというのが答えです(笑)

 しかし「鬼殺」と書くと「鬼ころし」が飲みたくなりますね。全然関係ありませんが。

 

 


年賀状

2021-01-05 15:35:22 | 考えたこと

 私は年賀状を廃し、1枚も出していません。今年でもう3年目となります。

 いくつか理由はありますが、最大の理由はやはり「煩わしい」から。一年で最も忙しい年末に、年賀状に多くの時間と労力を取られるのはかないません。

 こちらが送らないせいでしょうか、頂く年賀状もかなり減りました。

 それでも送って下さる方、特に私が年賀状を廃したことを知りながらなお送って下さる方もいます。そういう方々は年賀状という制度・風習を大切にしていらっしゃるんだろうなと思います。それはそれで結構なことですし、ありがたく頂戴致したく存じます。

 しかし一方で、減った年賀状についてのことが気になります。

 いや、「オレは送らないけどお前らは送って来いよな」と、理不尽な威張り方をしているのではありませんよ(笑)多くの方々は、「相手から来ないのだから自分から送るのもやめる」そう判断して、私への送付を取り止めたのでしょう。いやいや、言い訳を重ねるようですが、それが「悪い」と言っているのではありません。かつて年賀状を出していたときの私は、まさにそう考えていました。「相手が送って来るから自分も送る」。逆に言えば、「そちらから送らないで頂ければ、こちらも送らないで済むのに」とも考えていました。

 けれども、これって不毛ですよね。「相手が送るから自分も送る」と、両サイドで考えている。いっそ両方で止めればいい、そうならないものでしょうか。

 いやいやいや、本稿言い訳ばかりですが、上記のとおり年賀状を大切に考えていらっしゃる方は、それでいいんですよ。どうぞお送りください。私から返書はありませんが、お送り下さって感謝しています。けれども、相互義務的に、「相手が送るから自分も送る」というだけの理由で年賀状を出している方々は、そろそろ考え直すべきときなのでは?年賀状、もうやめてもいいのではないでしょうか。自分から止めれば相手も止めます。その「自分から」の勇気を持つべきなのではないでしょうか。

 私は届く年賀状が3分の1くらいになりました。私の周囲の方々について言えば、3分の2は「相手が送るから自分も送る」という相互義務年賀状だったということです。日本全国でこの相互義務を止めたら、やはり私において減ったのと同じくらいの割合で、年賀状が減るのではないでしょうか。

 減った年賀状が気になる――とは、そういう意味においてです。日本郵便の職員は大変そうです。年末年始、郵便局はとても混雑しています。不毛な相互義務ならもう少し減らしてもいいよね。そう思います。

 


「岡住」という名字

2020-10-29 17:05:20 | 考えたこと

 先日、NHKのテレビ番組「日本人のおなまえっ!」に「岡柳」さんという名字(苗字・姓)の方が出ていらっしゃいました。一見、普通の名字に思える「岡柳」さん、実は大変希少な名字で、TVに出ていらした方のご家族くらいしか全国にいないそうです。

 「岡」も「柳」も名字に普通に使われる文字なのに、「岡柳」はほとんどいない。現に「柳岡」は結構いるのに、「岡柳」はいない。そのような内容でした。

 さて、私の苗字「岡住」も同じような状況にあります。

 名字の珍しさをチェックするのに、よいサイトがあります。

 名字由来net https://myoji-yurai.net/prefectureRanking.htm

 このサイトで「岡住」を調べると、全国順位15,216位・全国人数およそ370人。かなり珍名の部類です。

 先日、妻が「これは珍しい名字だ」と言っていたのが「纐纈(こうけつ)」さん。これを上記サイトで調べると、全国順位2,627位・全国人数およそ5,300人。正直なところ、それほどの珍名さんではない模様。地域によってはよくいらっしゃる名字なのかな?コロナウイルスの関係で今年有名になった医師の「忽那 賢志(くつな さとし)」さん。「忽那」は全国順位6,301位・全国人数およそ1,500人。うーん・・・「岡住」に比べると珍名とは言えないようです。

 ポイントは「岡柳」と同じで、「岡」も「住」も名字にはありふれた文字なのに「岡住」はいないという点。試しに「住岡」を調べてみたら、全国順位5,773位・全国人数およそ1,700人。「岡住」よりは多くいるようです。ちなみに、「岡柳」は上記サイトでなんと「登録なし」。本当に希少姓なんですね。一方の「柳岡」は全国順位6,010位・全国人数およそ1,600人。「住岡」並みの順位です。

 私の場合、名の「貞宏」も同様の傾向にあり、「貞」も「宏」もありふれた人名漢字なのに「貞宏」はいない。いままで「貞宏」という名(漢字まで同じ)の人に出会ったことがありません。

 そこから推測するに、たぶん「岡住貞宏」という名は全国に1人だけなんでしょうね。誇らしいような寂しいような。少なくとも悪いことをしたらすぐバレますね。


濃厚接触者でも感染しない人

2020-08-25 14:21:10 | 考えたこと

 ある知人夫婦の話です。

 夫は職場の同僚が新型コロナ感染者となり、残念ながら自らも感染してしまいました。当然、濃厚接触者のPCR検査が実施されましたが、もっとも接触度の高い妻は感染していませんでした。いま思い出せば、夫が発症したと思われる日から3日間は普通に(感染対策をすることもなく)顔を突き合わせて生活していたそうですが、感染していないと。

 さらに思い出すと、ここ数年、夫は何度か風邪やインフルエンザにかかり、そのたびに妻は看病に当たったそうですが、一度も感染したことがないとのこと。

 この「妻」のような人に、何か重要なコロナ感染予防の秘密があるのではないでしょうか?こういう人を集めて研究したら、他の感染症対策を含め決定的な事実が解明できるかも。

 ひとくちに濃厚接触者と言っても、接触度に濃淡があります。感染者と同居する家族と、一度だけ会食した友人とでは、接触度は大きく違うのが当然です。また、単に同居の家族と言っても、始終一緒にいるような夫婦・親子と、「すれ違い」の多い家族とでは、やはり接触度は異なるはず。研究対象とすべきは、「新型コロナ感染者の濃厚接触者のうちで、始終一緒にいた夫婦など接触度が相当高いにも関わらず、感染しなかった人」でしょうね。

 誰か専門家の方、研究をお願いします(笑)私にはその能力がありませんので。上記「妻」には研究に協力するよう言いますよ。

 


名言?迷言?

2020-08-07 15:32:06 | 考えたこと

 近ごろ、「心に刺さる名言」というような、歴史上の偉人の名言を集めた書籍とかWebサイトとかを目にする機会があります。

 「なるほど、深い!」と思う名言もある一方、「それって本当に○○の言葉?」と疑問の残るものもあります。目についたものを3つばかりご紹介。

 

1 吉田松陰

「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。」

 うーん・・・松陰先生がこんな自己啓発セミナーみたいなこと言うとは到底思えないんだけどなぁ・・・。改めてネットで調べてみましたが、その限りでは出典が確認できませんでした。

 

「僕は忠義をするつもり、諸友は功業をなすつもり。」

 これは出典の確かな松陰の言葉です。「友達(ここでは高杉晋作や久坂玄瑞)は功業を目指しているので、彼らとは袂を分かった。僕は功業など考えず、ただ純粋に忠義の行いをするつもりだ」という趣旨です。功業、すなわち「てがら」や「成功」なんてものは、松陰にとってどうでも良いことだったはず。「成否を問わず、やるべきことをやる」のが松陰の主義信条です。

 ましてや「計画なし」って(苦笑)。

 東北旅行をするための通行手形の手配を忘れたので脱藩し、成算もないまま小舟で黒船に乗り付けアメリカに行きたいと懇願し断られ、老中を吹っ飛ばすから大砲を貸せと藩に迫り投獄され、「幕吏も人の子、真心こめて説けばきっと分かってくれるはず」と余計なことまで喋り、本来微罪で済むはずだった安政の大獄で死罪となり・・・計画性という言葉の対極にあるような人ですよ、松陰吉田寅次郎。

 この「夢なき者」の名言、まず間違いなく後世の創作だと思います。

 

2 二宮尊徳

「道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である。」

 二宮尊徳は江戸後期に活躍した人。亡くなったのが安政3年(1856年)ですから明治維新の12年前のことです。

 経済という言葉を英語のEconomyの訳語として使用するようになったのは明治になってからのことのようですから、どうも時代が合わないのではないかと思います。また、この名言が表している発想自体、近代的に過ぎるような。渋沢栄一の名言と言われたら信じてしまうかも知れません。けれども二宮金次郎さんじゃあねぇ・・・。

 もともと経済という言葉は、「経世済民」を略したものだそうです。「世を経(お)さめ、民を済(すく)う」。仮にEconomyの訳語以前、金次郎さんの時代にすでに経済という言葉があったとしても、それは本来の意味で使っていたのではないでしょうか?「世をおさめ、民をすくう」という観点からした場合、「道徳」はその不可欠の要素なのであり、「(本来の意味の)経済」に対置してその当否を問われる概念とはなり得ないのでは?

「道徳なき経済は罪悪」

 この言い方は、道徳と経済を一定の対立概念と見ているように感じます。「道徳は心の問題、経済は金の問題」というような印象。今の時代には面白い発想かも知れませんが、くどいようですが、二宮金ちゃんと時代が合わない。後段の「経済(お金?)なき道徳は寝言」に至っては、かなり現代人の発想じゃないかなぁ?

 この名言もネットで出典を調べましたが、ニノのものとは確認できませんでした。

 https://mediajuku.com/article/243

 2022.1.10追記

3 福沢諭吉

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず。」

 さて、名言界のスーパースターが出てきました(笑)これは間違いなく福沢諭吉の言葉、著書「学問のすすめ」の冒頭の一節であります。

 んじゃあ、お前は何にケチをつけるつもりなのかと。

 この名言は一般的に、福沢先生の平等思想を表したものと言われています。←ココです!異議を述べたいのは。

 この名言、もともと「造らず。(マル)」で終わりではありません。「『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』と言えり。」が正確な引用です。「~と、言われている。」です。そして続きがあります。

 

「されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。」

 冒頭からざっくり意訳すれば、「人と人との間に差別はないと言われているが、現実には賢愚・貧富・貴賤、大きな違いがある。その違いは『学ぶか学ばないか』によって生じる。」ということ。だから「皆さん一生懸命学びましょう!」というのが福沢先生の言いたいことです。書名からして「学問のすすめ」ですからね。そこを間違ってはいけません。

 

 無論、福沢諭吉は、この時代の人として先進的な平等主義者でした。男女同権に関する考えなど、現代でもなお先進的と思えるほど、目を見張るものがあります。さらに身分制度、門閥制度に対しては厳しい批判を向けており、「門閥制度は親の敵(かたき)でござる。」という、これまた名言も残しています。

 しかしそうではあっても、「学問のすすめ」冒頭の一節を彼の平等主義・博愛主義を説いたものと解するのは、いただけません。そのような解釈は、同書の趣旨を歪めるものとさえ感じます。

「人間は生来平等なはずである。けれども刻苦勉励の差によって様々な違いが生じる。生来の平等の権利を自ら損なうことのないよう、心して学問に励みなさい。」

 平等は、権利は、座して当然に保障されるものではない、それらを守るためには努力が必要である。このように解してはじめて、この言葉は名言であると思います。

 

 今後は、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言われている。が、しかし・・・」と、わざわざ付け加えるようにしたらどうでしょうか?

 ウゼーか(^^;;

 


ネット環境

2020-06-27 14:12:46 | 考えたこと

 これもコロナの影響でしょうか、近頃わが国のネット環境整備の「遅れ」を批判する意見が多く見られます。特に中国や韓国との比較において批判する声が強いですね。確かに韓国旅行では、本当にどこでもWiFiが使えると感じます。もっとも、それは仁川~ソウル近郊についてのみの実感ですが、羽田~東京近郊と比較してもやはり整備が進んでいると思います。中国は行ったことがないので分かりませんが、少なくとも大都市圏ではネット環境が良いと聞いています。

 そこで、「日本でももっと無料WiFiスポットを」ということになるのでしょうが、ちょっと待った方がいいです。

 5Gですよ。5Gが普及したら無線LANてどうなん?ということになりますよね。どうせ遅れているのなら「次」を目指して注力する方が得策なのではないでしょうか。その肝心の5Gも中韓に遅れ気味のようですが、頑張って欲しいものです。

 5Gのインフラ整備とデータ定額料金化。それによって一気に世界水準を実現できます。て、ただの自分の願望じゃん(笑) という意見は却下。


Numlock

2020-06-25 17:13:54 | 考えたこと

 PCのテンキーにNumlockってありますよね。これがオンだと数字入力で、オフだと別のキーの割り当て(↑→↓←の方向キーとか、homeとかendとか)になるヤツです。これ常にオンにしときたいのですが、そういう設定は普通には準備されておらず、レジストリを編集するか、フリーソフト(常駐)を使うかのようです。

 しかしレジストリの編集はちょっとキモチワルイし(しかもPCによって方法が微妙に異なる模様)、余計なソフトを常駐させたくないし。OSの設定で何とかなんねーのかなぁ?「Windowsの設定⇒デバイス⇒入力」のところで選択させてくれてもいいのに。

 そもそもNumlockキーって何のためにあるのでしょう?この切り替えに需要はあるの?ゲームとか?昔はキーが足りなくて方向キーとテンキーを兼用してたのかなぁ?

 さらに現在使用しているPCでは電卓ソフトの起動キーがあります。こいつも要らない。電卓が必要なときはリアルなブツを叩くし、表計算を使うし。これも無効にしたいのだけど。

 Backspaceキーのすぐ右にNumlockキー

 Deleteキーのすぐ右に電卓起動キー

 これなになんかの嫌がらせ?「ああっ間違えた!」とDeleteキーを連打したつもりが電卓が10個くらい起動したり。使いにくくて仕方ないです。


理想の上司、出世させてはいけない部下

2020-06-16 22:28:30 | 考えたこと

 ある会社で目玉となる新製品の発売間近だったとします。市場でも注目度の高い期待の製品です。

 ところが、それまで自信満々だった開発部のオカズミ主任が真っ青な顔で社長のところに来ました。

「社長、申し訳ありません。新製品に大変な欠陥が見つかりました。このまま発売したら顧客に被害が生じる恐れがあります」

 これに対し、どのような態度を取るのが「理想の上司」でしょうか?

 

A社長「そうか、よく言ってくれた。発売は中止しよう。確かに今まで準備を進めてきて中止するのはわが社に痛手だが、しかし最悪ではない。最悪とは欠陥を黙って発売すること、それによって顧客に被害が出ることだ。そんなことになったらお客様に申し訳ないし、その悪評でわが社は倒産するだろう。だから、あえて君には『正直に言ってくれてありがとう』と礼を言うよ。これに懲りず、もっと良い製品の開発を頑張ってくれ。それで今回の損失を挽回してくれよな(笑)」

 

B社長「お前が大丈夫だと言うから進めて来たのに今さら欠陥があるとは何事だ!お前は俺を騙してたのか!この準備にどれだけ金をかけて来たと思ってるんだ。その金をどうするつもりだ、お前が弁償するのか?今さら発売中止なんて恥さらしもいいところだ。なんでお前ごときのために社長の俺が恥をかかされなければならないんだ、あぁ!?死ね、死んで償え!○△□※※+@;!!!」

 

 ま、言うまでもないですよね。優しさとか人間性とか言う前に、B社長は早晩会社を潰すでしょう。だってこの件でオカズミ主任が処分されたところで、このB社長の元では、社員は全員、本当のことを言わなくなるでしょうから。新製品の開発も誰もしなくなるでしょう。怖くてできないですからね。一方のA社長に上記のように言われたオカズミ主任、この後、死ぬ気で働くのではないですか?今度こそA社長のため、素晴らしい製品を開発しようと頑張るのではないですか?

 

 A社長は理想の上司ですが、それでも社内にはB社長のように心根の悪いC係長もいるかも知れません。

 

C係長「失敗してザマーミロ!あいつ『会社のために頑張る』とか偉そうな言ってて、結局は損失出してやがる。クビになれ、クビ、クビ!あーいい気分だ。今夜は祝杯だ」

 

 新製品の失敗を取り戻すために社内みなで協力して頑張らなければならないところ、こういう態度ではダメですよね。C係長は出世させるべきでしょうか?もちろん、出世なんかさせたら会社にマイナスですね。

 

 こういうモデルケース・教室事例では、みんな問題点に気づくのですよね。そしてみな、自分はA社長タイプだと思っていやがる。現実の問題に直面すると、たちまちB社長やC係長の馬脚を露わすくせに。

 

 イージスアショア。

 


適度な運動

2020-06-15 09:50:37 | 考えたこと

 健康のため適度な運動は大切です。自他ともに認める運動ギライの私でも、最近は適度な運動に努めています。

 しかし気になるのは、「適度」ってどのくらい?調べてみたら次の記事に出くわしました。

  健康にいい、適度な運動量ってどのくらい?

 この記事によると、世界保健機関等が、有酸素運動について次のようなガイドラインを出しているとのこと。

・ウォーキングなど、中程度の運動を週150分。できれば1回30分を5回に分けるのが理想。

・ランニングなど、激しい運動を週に75分。25分を3回が理想。

・10分未満の運動は1回にカウントせず、できるだけ1週間のうちにまんべんなく分散させる(つまり、1回で90分やっても十分ではない)。

 待て待てーい!そんなに運動しなければならないのかえ?「中程度150分/週」と「激しい75分/週」は、「および」?「または」?それによって全然運動量が違うんだけど。「および」だったら私なんか死んでまうで。いや死にゃしないでしょうが、疲労困憊して仕事もほかのこともできなくなります。それではとても「適度」とは思えません。

 だいたい10歳の子供でも80歳の年寄りでも同じ基準が適用なのかえ?それもヘンじゃね?

 で、元ネタ的なものを見つけて確認しました。このNHSとは、イギリスの国営医療サービス事業だそうです。

  Exercise(NHS)

 こう書いてあります。

・do at least 150 minutes of moderate intensity activity a week or 75 minutes of vigorous intensity activity a week

 orですよor、「または」。そして冒頭には、Physical activity guidelines for adults aged 19 to 64とあります。19歳から64歳の大人向けのガイドラインだということです。年齢に関しては上記日本語記事でも、「一応補足すると、ここで紹介している運動量の基準は、65歳までの人向けです」というカッコ書きがちょこんと書いてありました。「一応補足」じゃねーよ、重要情報ですがね。

 以前の記事(「新型コロナの『目安』をめぐって」)でも批判的に書きましたが、「または」なのか「および」なのかを取り違えたら大きな誤解を生じます。上記日本語記事の方、どうしてそこに無頓着なのかなぁ?確かに良く読めば「または」を前提とする書きぶりのようですが、たった三文字「ま・た・は」と加えれば何も疑問を生じないのに。

 こういうところが、昨今の情報リテラシー低下(情報発信者側でも受信者側でも)の原因であるように思えてなりません。って、論旨が違った。運動ですよ運動。中程度で150分/週です。

 え?150分?週5日運動するとして1日30分・・・それでも十分キツい(泣)


「断」SNSのススメ

2020-05-28 15:55:14 | 考えたこと

プロフィールの「自己紹介」欄にも書いていますが、新型コロナウイルスの騒ぎでSNSが荒れ、デマや嘘、悪意のある誇張、根拠のない思い込み、無責任な批判(逆に手放しの称賛)など、ロクでもない書き込みが急増したのに嫌気がさして、1月ほど前にSNS(主にFacebook)をやめてしまいました。

SNSをやめて何かが変わったのか?個人的には、ネットを見る時間が大幅に減りました。以前は時間さえあればネットを見ていました。無論、SNSのチェックのためです。今では特に何か必要のない限り、ネットを開くことがありません。そのせいか、時々スマホを忘れて出かけてしまうという副作用に困っています(笑)

折しも、SNS上の誹謗中傷に苦しんだ有名人が自殺するという事件が起きました。痛ましい話です。そこまで人を追い込んでしまうSNSって、いったい何なのでしょうか。

SNSをやめたときは「寂しくなるかな?また戻りたくなってしまうかな?」と思いましたが、3日もかからず慣れました。はっきり言って、もうSNSなんてどうでもいい。SNS上の書き込みに汲々としている人のことも、「何だかなー?」という目で見ています。

人生は短い、SNSなんてやってる時間はないはずです。昔のことはすっかり棚に上げて言いますが(笑)

みなさんもSNSをやめてみたらいかがでしょうか。結構、それだけでQOLが向上しますよ。おススメします。

 

【追記】

ブログもSNSの一種じゃねーのか?と。

ま、そうとも言う(笑)でもブログはTwitterやFacebookみたいな双方向性、同時進行性が薄いからなー。

炎上ブログもあったりするのでそういうのは問題も大きいのでしょうが、私のブログは読者もあまりいないし(笑)

そういうことです。


早慶戦は仲が悪いから?

2020-05-22 16:15:10 | 考えたこと

クイズです。

ライバルとして知られる慶應と早稲田、その創立者である福沢諭吉と大隈重信の仲はどうだった?

 

1 犬猿の仲だった

2 水魚の交わりだった

3 互いに面識なく、交流がなかった

 

正解は・・・

「2 水魚の交わりだった」です。

深い親交のあったことが様々な記録に残っており、先に亡くなった福沢の葬儀では献花香典の類はいっさい謝絶の中、大隈手ずから拵えた供花だけは福沢家も受けたというエピソードが残っています。

そもそもライバルとは互いに認め合ってこそ成立するもの。早慶の関係もそれだと思うのですよね。実際、両校の学生同士も卒業生同士も、決して仲悪くはありません。

テレビドラマ等で「早稲田目線」の物語が描かれると、どうも慶應が戯画的な悪役にされてしまうので、面白くないですね。ええそうです、朝ドラ「エール」のことを言ってます(笑)


タッチタイピング

2020-04-23 13:43:20 | 考えたこと

私はパソコン等のキーボードのタッチタイピングが上手くできません。

「パソコンが苦手?」そんなことはありません。どちらかと言えばパソコンに詳しいほうであり、スペックなどには超ウルサイです。パソコンやワープロ(死語?)を始めたのもかなり早かったです。

皆さんの周囲の人もよく見てみてください。パソコンに詳しい人やパソコンオタク(特に中高年のオタク)などは、案外タッチタイピングができません。自己流で始めて興味の向くまま自己流で詳しくなったため、タッチタイピングを学び練習する機会がなかったのです。

そういうタッチタイピングのできないオタクは打鍵が遅いかというと、これもそんなことはありません。変なタイピングながら、むしろ猛スピードで入力する人が多いと思います。私も若い頃から入力が早く、バチバチとキーを打つ勢いも強いので「キーボードがかわいそう」とよく言われました(笑)エンターキーを叩き割ってしまったことが2度あります(爆笑)

しかしながら…寄る年波のせいか、最近は以前より入力が遅くなり、ミスタッチも増えてきました。若い頃は気付きませんでしたが、自己流タイピングは眼を画面とキーボードに忙しく往復するので疲れます。集中力も必要です。そろそろタッチタイピングに切り替えないと、能率が悪くなってきました。

まだタッチタイピングに慣れていないため入力が遅く、手先がムズムズします。「あー自己流タイピングならあっという間に入力できるのに」と思うのですが、ガマンガマン。早く慣れてしまわなければと頑張っています。

この記事も、手先をムズムズさせながら書きました。


MMTと国債

2020-04-20 16:42:26 | 考えたこと

MMT(現代貨幣理論、Modern Monetary Theory)という経済理論があります。近年、脚光を浴びて来ましたが、特にわが国では今般のコロナ経済対策で赤字国債がまた増えることへの懸念に対し、「問題ない」ということの論拠としてさらに注目されています。

このMMT、いままで私なりに一生懸命勉強して来ました。その結論をひとことで述べれば・・・

難しくて分かんね(笑)

経済学全般について深い基礎がないと、理解できなそうな感じです。MMTに関する「入門書」がなかなか出ないのも、そのあたりに原因がありそう。そもそも経済学上、通貨とは何か貨幣とは何か財政とは何か等々を正確に知らないと、支持するにも批判するにもスタートラインに立てません。

ネット等を見ると、「MMTによれば国債なんか何の問題もなく、それを知らない安倍も麻生も財務官僚もバカ」などという意見が蔓延ってますが、みんなMMTを理解して言ってるのかなぁ?理解できない俺が頭悪いのか・・・

しかし直観的、常識的には、「自国通貨建てならいくら国債を発行しても問題ない」というのは、どうもなぁ。間違っている気がしてなりません。そもそも、「自国通貨建てならいくら国債を発行しても問題ない」というこの結論は、本当にMMTの帰結なんでしょうか?マスコミや一部学者が誇張、歪曲しているという可能性はないですか?

国債発行は「いくらでも」問題ないのか?ということは1京円でも100京円でも問題ない?「それはいくら何でも多過ぎ」ということなら、「いくらまで」ならいいのか?その金額的な限界はあるのか?あるとしたらどういう理屈で算定されるのか?

謎だらけ。誰か専門的に詳しい人がいたら、教えて欲しいです。

 


気になる言葉2014

2014-12-29 17:14:32 | 考えたこと
鉄道員(ぽっぽや) [DVD]
クリエーター情報なし
TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)


 毎年,ほったらかしのこのブログ。今年は,ななんと3つ!も記事を書きました!!

 ・・・とは言え,本当はまだまだ続編があるのに,やっぱりほったらかしなんだよなぁ,三枚橋病院・・・
 そのうち「その4」以降書きますので,期待しないで待っていて下さい。

 というわけで,今年もシーズンとなりましたので,お待ちかねのアレやります。気になる言葉2014。
 「別に待ってねーけど」という意見は聴かん。却下。さー始めるぞ!

 まず第3位!?

 「電話をかける」

 良く使う言葉ですし,もちろん誤用ではありません。しかし,「かける」って,どこに何を「かける」んでしょ?だいいち,漢字で書くとしたら,「掛ける」?「架ける」?まさか「駆ける」じゃないでしょうし,ましてや「賭ける」ではありませんよね・・・?

 「電話をかける」という意味で,「架電」という言葉がありますが(もともと法律用語だったとか),これが正式な日本語であるかどうか微妙なところです。辞書にはあまり載っていない言葉です。

 ところが,この「かける」という言葉,よくよく考えると非常に応用範囲が広いんですよねぇ。

 アイロンをかける,掃除機をかける,ラジオをかける,エンジンをかける,エアコンをかける,レコード(古!)をかける・・・等々。

 共通項としては,「offの状態をonにする」というような意味で括れるのでしょうか?しかし,電話を「かける」には,もっと積極的に「相手につなぐ」というニュアンスがあるようにも思います。自分の電話の通信線を,相手の電話機に「ひっかける」というような。そう考えると,「アイロンをかける,掃除機をかける」のグループと,「ラジオをかける,エンジンをかける」のグループでは,また若干「かける」のニュアンスが違うようにも思います。

 一方,同じような機器でも,例えばテレビは「かける」とは言いません。「つける」でしょうね。電灯など照明器具も「つける」であって,「かける」とは言いません。

 パソコンは「つける」でも「かける」でもなく,「起動する」。いや,ギリギリ「つける」は言うかな?単純に「つける」「かける」というには,メカニズムが複雑過ぎるので,「起動する」なんて,しゃっちょこばった言い方をするようになったんでしょうかねぇ?

 新しく生まれた機器を「作動させる」にあたって,これらの言葉が生まれたのでしょうが,機器ごとの特長や効能に応じて微妙な言い分けを行なっているところに,なんだか日本語の奥深さを感じます。面白いです。

 続いて第2位!

 「汚名挽回」

 ザ・間違った日本語のナンバーワンに君臨する「汚名挽回」。

 汚名を挽回してどーすんだよぉー,それを言うなら汚名返上だろがよぉー,まったくよぉー・・・というヤツです。

 しかしこの「汚名挽回」,誤用ではないとする説が有力に述べられているのをご存知ですか?

 「挽回」という語は,「失ったものを取り戻す」という意味。そもそもの語感に,「悪い状態から,本来の良い状態に戻る」というニュアンスを含んでいます。「名誉を挽回する(名誉挽回)」とは,失った名誉を取り戻し,再び名誉ある状態に戻ること。一方で,「遅れを挽回する」という言い方もあり,この場合,「遅れという悪い状態から,本来の遅れのない状態に戻る」という意味になります。「失った『遅れ』を取り戻す(もっと遅れる?)」ということではありません。この伝にならえば,「汚名を挽回する(汚名挽回)」とは,「汚名をかぶった悪い状態から,本来の汚名のない状態に戻る」という意味になり,誤用ではないということになります。

 似たような用法の熟語に,「疲労回復」があります。もちろん,「失った『疲労』を取り戻す(もっと疲れる)」という意味ではありませんね。「疲労という悪い状態から,疲れのない良い状態に戻る」ということです。

 「正しい日本語」とかなんとかいう安い本を読んで,ワケ知り顔で「汚名挽回はヘンでございますねぇ~,正しくは汚名返上でございますねぇ~」とウンチクをひけらかしていたアナタ!恥を知りなさい。あ,それ私のことだ・・・

 しかし!まだ議論は終わりません。

 もともと「名誉挽回」「汚名返上」という正しい熟語があるのに,わざわざ「汚名挽回」という造語をする必要はない。その意味において,やはり「汚名挽回」は誤用と言うべきだ,という再反論もあるのです。

 どちらが正しいのか?もとより,私のような素人には分かりません。結論は国語の先生にお任せするよりほかありませんが,直感的には「汚名挽回」はアリ(誤用とは言えない)なんじゃないかなぁと思います。

 それにしても,うかつに「それ誤用だよ」などとは言えませんね。そんなこと言いながら,次の1位を述べるのはタイヘン気が引けるのですが・・・

 第1位!!

 「気丈」

 この語の辞書的な意味としては,「非常の際にも動転せず,平常心で事が処理できる様子」(新明解国語辞典・三省堂)ということ。

 まぁ辞書的な意味はそのとおりでしょう。しかし言葉には,上記でも何度か繰り返したとおり,ニュアンスというものがあります。実際に私が目にした(耳にした)次の「気丈」の用例を見て,皆さんはどう思いますか?

 今年,北島三郎さんの弟さんが亡くなったそうです。その喪主はサブちゃん自身が務め,遺族を代表しご挨拶などなさったとのこと。この報道において,次のように伝えるマスコミがありました。

 「北島さんは気丈に喪主を務めた。」

 高倉健さん主演の映画「鉄道員(ぽっぽや)」。この作品紹介にあたって,次のように述べるテレビ番組がありました。

 「妻子を亡くし,それでも気丈に駅を守る主人公を高倉さんが演じた。」

 肉親を亡くし,悲しさで気落ちしそうな状況にあっても,それに動じず,平常心で事に当たる・・・という辞書的な意味では,間違いでないようにも見えます。けれども,絶対に誤用ですよ,これらの「気丈」。

 「気丈」とは,本来,かよわく,頼りない存在・立場の人が,想定に反して平常心を保ち,しっかりとしている様子を述べる言葉です。そこには,「本当は泣き崩れたい気持ちだろうに,それを抑え,ギリギリのところで平静を保ち,しっかりとふるまっている。なんてけなげなんだ」という同情心も,ニュアンスとして込められています。

 「若い未亡人が気丈に喪主を務める」のはいいですが,「サブちゃんが気丈に喪主」はヘンです。「父母を亡くしたため,15歳の長男が気丈に家業を切り盛りしている」のはいいですが,「妻を亡くした健さんが,気丈に家業(ヤクザ?)に精を出す」のは,やっぱりヘン。いや,ヘンを通り越して笑ってしまいます。

 つまり「気丈」は,サブちゃんや健さんのようなマッチョに使ってはいけない(ニュアンスとしてふさわしくなくない)言葉であると思います。マッチョは気丈で当たり前なんです。いや,現実には気の弱い男性もいるでしょうが,あくまでも言葉の使い方の話です。

 基本的には男性に対しては使いにくい言葉のはずです。上記に挙げた2人以外にも,例えば役所広司,渡辺謙,石原慎太郎,松岡修造,アーノルド・シュワルツェネッガーみたいな人に対しては,断じて使ってはいけません。使ったら滑稽ですらあります。男性に対して使ってもいいとしたら・・・う~ん,羽生結弦クンくらいの可愛らしさがないとダメですかね。

 辞書だけ読んでも言葉は分からないよ,という好例ですね。しかし,マスコミには年配の人もいるでしょうし,誰もおかしいと思わないのかなぁ・・・?最近,よくこの「気丈」の誤用を目にするように感じます。

 さて,今年もお世話になりました。来年もこのブログでお会いしましょう。何回書くか分からないけど



追記(2014.12.30)

 「気丈」と言う言葉を男性に使うことは絶対にあり得ないのかと気になり,資料を渉猟したところ,次のような記述を発見してしまいました。

 淀堤の千本松で,薩軍陣地に斬りこむとき身に三弾をくらってもなお生きつづけてきたほど気丈な男だが,乗船のころから化膿がひどくなり,高熱のなかで死んだ。 (司馬遼太郎『燃えよ剣(下)』新潮文庫p213)

 新撰組隊士・山崎烝に関する記述です。

 ほかならぬ司馬遼大先生の記述だけに,こりゃ私も考えを改めなければならぬかなぁと思いましたが・・・,ちょっと待って。

 山崎烝が「気丈」だと言うのは,「身に三弾をくらってなお生きつづけた」ことに対してです。悲しみをこらえて喪主を務めたとか,家業を切り盛りしたとか,そういうレベルのことではありません。

 つまり,こういうことなのかと思います。女性や子供に関する場合と,男性に関する場合とでは,「気丈」と言い得るレベルが違うのだ,と。うら若い女性や子供であれば,肉親を失った悲しみに耐えて喪主を務めればそれは「気丈」,しかし,大の男,ましてや新撰組隊士ともなれば,土手っ腹に三発くらってもなお生き続けるくらいでないと,とても「気丈」とは言えないということです。

 マッチョな男性に対しても,例えば,「アーノルド・シュワルツェネッガーは,銃弾を無数に浴びながら,なおも気丈に戦う姿勢を崩さなかった」というような用法であれば,それは誤用とは言えないのかなと思います。その趣旨において,記事本文の主張を訂正したいと思います。

 しかし,そうではあっても,やっぱり「サブちゃんが気丈に喪主」や「健さんが気丈に駅長」は,「気丈」という評価とそれに対置すべき非常さとのバランスを欠くので不適当な表現であり,滑稽ですらある,という私の見解には変わりありません。

 上記の趣旨の限りにおいて,記事本文の記述は若干の誤りを含んでいるものと言わざるを得ませんが,思考過程を残すために,敢えて消さずにそのまま残して置きたいと思います。


気になる言葉2013

2013-12-24 17:45:04 | 考えたこと
Q&A改正消費税の経過措置と転嫁・価格表示の実務
クリエーター情報なし
清文社


 今年も暮れようとしておりますが,みなさまいかがお過ごしでしょうか?

 2006年に開設したこのブログ,主の飽きっぽい性格を反映し,最近はとんと更新ごぶさた……前の記事が平成24年12月30日「気になる言葉2012」ですから,なんと1年間のブランクを空けてしまいました

 「もう死んでんじゃねーかこのブログ?」との声も聴きながら,どっこい生きてるPCの中

 さて,1年間のブランクを経た最初の記事は,なにはさておき「気になる言葉2013」!……芸のないこって,まことにアイスミマセン。このまま年1回「気になる言葉2×××」を更新し続けるブログにしちゃおかなとも思ってます

 気を取り直して行きましょう。まず第3位は!?

 「初老」。

 みなさんは「初老の男性」と聞いて,何歳くらいの人物を想像しますか?一般的には60歳前後,若いとは言えないが老人と言うにはちと早い,そんな年格好を指す言葉して使われています。昨今の記事・出版物等では,ほぼ9割の確率(当社調べ)で,その年代を指す言葉としての使われ方をしているようです。

 けれどもこの「初老」,もともとは40歳(!)を指す言葉です。なんと私はとっくに初老を過ぎた男なんですよ,これが。

 平均寿命が80歳を超える現代,40歳で「初」とはいえ「老」とは,ちと酷な気もしますが……「初老」が今のように60歳前後を指す言葉として使われた始めたのは,かなり最近のことのように思います。少なくとも私が子供の頃には,本来の40歳を指す言葉として一般的に使われていたと思うのですよ。

 なので,近ごろの「初老=60歳前後」とする用法を見聞きすると,どうしても「ん?」と引っ掛かってしまう。違和感を覚えるのです。

 平均寿命が1.5倍に伸びたからとて,「初老=40歳」も1.5倍して「=60歳」としていいという訳じゃないと思います

 続いて第2位!?

 「性癖」。

 「もー,昼間っからヘンな言葉を書かないでよー」と思ったアナタ,「性癖」の意味を間違ってますよ。

 性癖とは,「性質上のかたより。その人のくせ。」という意味の言葉です(新明解国語辞典・三省堂)。性癖の「性」にはsexualityの意味はなく,characterの意味です。そういう言葉,たくさんありますよ。性格,性質,性能,性急,性善説,性悪女(しょうわるおんな)。「性」という言葉は使っているけど,ぜんぶエッチな意味はないでしょ

 ところがいつの頃からか,「性癖」を「性的な好み・趣味趣向」を表す言葉とする誤用が始まりました。つまり,「縛りたい」とか「ムチでぶたれたい」とか,「女湯を覗くのが趣味」とか,「露出狂」とか「○○を△△で××したい(自粛)」とか,そういう「クセになりそな性の悦び」を指す言葉として使われ始めたのです。

 まぁ,この誤用の気持ちは分からなくもないですがね。

 性に目覚め始めた小学校高学年のオカズ○サダ×ロ少年は,日々,辞書でエッチな言葉を調べては密かに喜んでいましたが,ある日とても淫靡な言葉を発見しました。それは「性癖」。ななんと「性のクセ」ですよ!ウヒョォーどんなヤラシイ意味なのかなぁ?どれどれ辞書で……なぁ~んだ,ガッカリだ……こういう経験をしたのは,何もオカ○ミサダヒ×少年だけじゃないはずだ!

 という訳で,性犯罪者に対して「ゆがんだ性癖」とか書いている週刊誌の見出しは,ありゃ誤用です。ご注意ください。

 そして今年の第1位は!?

 「○○に関する法律」。

 AKB48の新曲は,「鈴懸の木の道で『君の微笑みを夢に見る』と言ってしまったら僕たちの関係はどう変わってしまうのか,僕なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなもの」という長~いタイトルだそうで。歌番組などの紹介では,すべて読み上げるのでしょうかねぇ?

 しかしAKBにも劣らぬ長~いタイトルを付けるのが当たり前の世界があります。それは法律の世界。昨今作られる法律は,法律名(タイトル)が長すぎです。

 例えば,近ごろ私が一生懸命に取組んでいる「消費税転嫁対策特別措置法」。こう書いただけでも漢字12文字のやや長い法律名ですが,これは略称であり,正式名称は「消費税の円滑かつ適正な転嫁の確保のための消費税の転嫁を阻害する行為の是正等に関する特別措置法」です。46文字です。

 こんな法律名,長すぎていちいち言えないので,内閣府でも財務省でも公正取引委員会でも中小企業庁でも,公式文書でみーんな「消費税転嫁対策特別措置法」と書いてます。んなら,最初から「消費税転嫁対策特別措置法」とすればいいじゃん!少なくとも,前半の「消費税の円滑かつ適正な転嫁の確保のための」は要らないじゃん!後半の「消費税の転嫁を阻害する行為の是正等に関する特別措置法」だけで十分だと思うのですが,どうですか?

 憲法・刑法・民法・商法(会社法)・刑事訴訟法・民事訴訟法のいわゆる六法のような基本的な法律を除き,現在作られる法律は「○○に関する法律(または特別措置法)」とするのが主流です。で,この「○○」の部分がめっちゃ長いのは上記のとおり。ちなみに今までで一番長い法律名は,「平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法」だそうです。112文字。

 こんな法律ぜんぜん知らねーや,俺たちにゃ関係ねーや,とお思いですか?実はマスコミ等でも大いに取り沙汰された有名な法律なんですよ。略称は「テロ対策特別措置法」。最初からこっちを正式名にすりゃいいじゃん!

 法律名は内容をきちんと表すものにしたいという意図は分かりますし,不正確な名称,誤解を与えるような名称では困るというのも分かります。しかし,いかにしても長すぎるのでは?丁寧すぎて,逆に何言ってんのかぜんぜん分からないですよ。

 立法者のこういう言語感覚(というか修辞学というか)は,いったいどんな美意識に基づいて生まれて来るのでしょうねぇ?法律も,文学や報道や会話などと同じ「言葉」によって紡ぎ出すもの。国民一般の感覚からあまりにかけ離れた「言葉」を使っていては,内容のよしあしに関わらず,肝心な「立法の理念・精神」がうまく伝わらないんじゃないでしょうか?

 さて,今年もこんな批判めいた内容をもってこのブログ終わりにします。つーか今年初めて書いたんだった来年もよろしくお願いいたします。「気になる言葉2014」書きます