goo blog サービス終了のお知らせ 

Left to Write

司法書士 岡住貞宏の雑記帳

KING OF POP

2009-07-08 00:22:31 | おすすめの音楽
キング・オブ・ポップ-ジャパン・エディション

SMJ(SME)(M)

このアイテムの詳細を見る


 マイケル・ジャクソンのファン投票によるベストアルバム。現在、売れに売れているようで、近所のCDショップでは軒並み売り切れです。

 私が高校生~大学生の頃、マイケルはあまりに普遍的な存在で、その偉大さを意識したこともありませんでした。いま改めてしみじみ聴いてみると、楽曲も歌唱も素晴らし過ぎです。KING OF POPの称号は、まさに彼のためにこそあると断言します。

 歌う姿を、あのダンスを、もう見ることができないなんて・・・悲しいです。

 冬の寒い日、道端に張った氷の上で友達とムーンウォークして遊んだことなどを、とりとめもなく思い出しました。

 このアルバムにも収録の『SMOOTH CRIMINAL』は、やっぱり「パン!茶!宿直」と聞こえて、涙ながらにちょっと笑いました。

不動産登記を見る・読むならこの1冊

2009-07-04 14:57:21 | 本の紹介
不動産登記を見る・読むならこの1冊 (はじめの一歩)
近藤 誠
自由国民社

このアイテムの詳細を見る


 私の友人である司法書士 近藤誠さんが、待望の著書を出版なさいました。

 不動産登記の見方を、分かりやすく丁寧に解説した好著です。

 これから不動産を買い求めようとしている方、不動産の関連業種でご活躍の方、金融機関にお勤めの方には、まさしく「うってつけ」の本。新入社員の研修用テキストとしても最適です。皆さんどうぞお買い求め下さい!


人間失格

2009-07-03 16:43:17 | 本の紹介
人間失格 (集英社文庫)
太宰 治
集英社

このアイテムの詳細を見る



 今年は太宰の生誕100周年だそうで、マスコミ等でも様々に取り上げられています。

 青春の1ページ(こういう言い方をするようになったら、いい加減オッサンになったということですね・・・)を太宰作品に没頭して過ごし、入手可能な作品はほとんどすべて貪り読んだ、自他ともに認める「太宰ファン」の私としても、わが事のようにうれしいです。

 もう何度目でしょう。しかし十何年かぶりに、代表作『人間失格』を読み返しました。心が赤裸にされるような、底なし沼に飲み込まれて行くような、どうしようもなく心細くて泣き出したくなる作品世界を再び味わい、太宰の天才を改めて実感しました。後にも先にも、こんな作品を書ける作家は現れ出ないだろうと思っています。

 『人間失格』は、このたび初めて映画化されるとのこと。私も大いに期待しているのですが、主演男優さんの記者会見のコメントが・・・「小説に任せて狂っていきたい」だそうです。

 主人公 大庭葉蔵は、「狂っていった」のだと言いたいのでしょうか?う~ん・・・太宰ファンとしては何とも頂けません。


―いまはもう自分は、罪人どころではなく、狂人でした。いいえ、断じて自分は狂ってなどいなかったのです。一瞬間といえども、狂った事は無いんです。けれども、ああ、狂人は、たいてい自分の事をそう言うものだそうです。つまり、この病院にいれられた者は気違い、いれられなかった者は、ノーマルという事になるようです。
 神に問う。無抵抗は罪なりや?―
                   太宰治『人間失格』より引用



 太宰は必死の思いで神にプロテスト(protest=抗議)したのです。無抵抗は狂気の証なのですか、と。

 俳優さんもお忙しいことでしょうが、日本を代表する作家の、その代表作を主演するのですから、原作はちゃんと読んで欲しいものです。

地図 初期作品集

2009-07-03 15:36:28 | 本の紹介
地図 初期作品集 (新潮文庫)
太宰 治
新潮社

このアイテムの詳細を見る



 新潮文庫、太宰治の「新刊」です。

 もちろん黄泉の国の太宰が書き下ろした訳ではなく、これまで文庫に収録されることのなかった作品を集めたもの。特に太宰治のペンネームを使用する以前の初期作品を中心に収録されています。

 太宰は才気走った「早熟の天才」というイメージもありますが、中学時代の作品などを読むと、稚拙な文章が何とも微笑ましいです。「すっかり」という語が「しっかり」と表記されていたり、「すきとおる」が「しきとおる」になっていたり・・・津軽弁で「はずめますて、つすますんじです」と自己紹介する津島修治少年の姿が思い浮かびます。

 さて、本書収録の『断崖の錯覚』という作品ですが、当初は「黒木舜平」という筆名で発表され、1980年代になって太宰の作であることが確認された作品です。太宰が大学生のときに起こした心中事件(太宰は助かり、相方の女性は死亡した)をモチーフに、作品では心中ではなく、「男が女を断崖から突き落として殺す」という内容になっています。

 この『断崖の錯覚』が太宰の作であると判明した当時のこと、「この作品によれば太宰は殺人を犯したことになり、その文学に対する評価は大きく変わらざるを得ない」という記事を読んだことがあります。

 ひどくアホらしい論評ですね。

 アホらしさその1。言うまでもありませんが、作品と作家の実体験は、同一ではありません。作家が実体験しか書けない(書かない)とするなら、フィクションという言葉は不要となりますね。「なんで日本を沈没させたんだ!」と、小松左京さんを非難するバカがどこにいるのでしょう?数々の殺人事件を起こした内田康夫さんなんか、死刑になっちゃいそうです。

 アホらしさその2。万が一、本当に太宰は女を殺したんだとして、それに対する倫理的あるいは法律的な批難が、太宰作品に対する文学的あるいは芸術的な評価に、どのような影響を与えるというのでしょうか?優れた芸術家は、人格高潔でなければならない?その逆はよく聞くように思いますがねぇ・・・それこそ「倫理的には不謹慎」な言い方かも知れませんが、清廉・高潔な人物が創る芸術なんて、ツマラナイに違いないとは思いませんか?

 太宰は生前から、このような「作品と実生活の混同」に基づく難癖を付けられやすい作家だったようで、それを嘆く小説も数多くあります。ストーリーや表現が、それだけ真に迫っていたということなのかも知れませんね。