私は比較的「言葉にうるさい」ほうだと思います。「最近の若いモンは言葉遣いが」というヤツです。オヤジクセーと思われるかも知れませんが、実際オヤジなんで仕方ありません。
言葉は時代によって変化して行くもの――それはそのとおりだと思います。源氏物語の時代から見たら、現代の正しい日本語もずいぶん変な言葉でしょう。また、「表現の妙」として斬新な言葉遣いを案出することも否定はしません。そういう表現に接して「面白い」と思うこともしばしばあります。文学では顕著にそう思います。
しかし、だからといって、変化を安易に、無限定に認めてしまう訳にはいかないだろうとも思っています。変化して行こうとする力と、伝統を守ろうとする力と、その微妙なバランスの上に言語は成り立っているのではないでしょうか。
さて、そのような「言語シーン」において、気になる傾向をひとつふたつ。
最近の若いモンは(笑)、自分の知らない言葉に接すると、それを「方言」であると簡単に片づけてしまう傾向があるように見えます。
自由民主党幹事長の二階氏が、保守分裂となった岐阜県知事選挙について、「しこってもしょうがない」と発言したことが報道されました。
ハイ、「しこって」に妙な反応しない、第二次性徴期じゃないんだから。ここで「しこる(凝る、痼る)」は、無論「しこりを生じる」という意味です。「しこり」という言葉すら知らない人はあまりいないでしょう。
ところが、ネット上では嘲笑気味に「どこの方言だ」という声が多く上がりました。嘲笑されるべきはどっちなんだ?と思いますが。一方、熊本には「カッコつける」という意味で「しこる」という方言があるそうで、「熊本出身でもない二階が何でわざわざ熊本弁使ってるんだ」と、ワケ知り顔で別の嘲笑をする輩も見かけました。だから嗤われるべきはどっちだって。
私も以前、「しゃっちょこばる」と言ったらひどく笑われた経験があります。まさに「どこの方言だ」と。
しゃちほこ‐ば・る【鯱張る】[動ラ五(四)]
1 鯱のようにいかめしく構えた態度をとる。しゃちこばる。しゃっちょこばる。「―・って訓辞を垂れる」
2 緊張してかたくなる。しゃちこばる。しゃっちょこばる。「―・ってお辞儀をする」
どうだバカヤロウ。何が方言だバカヤロウ。
方言とは違いますが、ネット上で「好好爺」という言葉を使った人が「中国人認定」される場面も先日目にしました。ネトウヨの多いWeb空間で中国人認定されるのはツラいものがあります(笑)これに対してはさすがに、「好好爺という言葉も知らないのか?小学生かお前は」という反論が数多くありましたが、それでもなお「『好好』というのは中国語だ」と頑迷に譲らない輩が見られました。
知らない言葉あるのは仕方ないとして(もちろん私も知らない言葉だらけです)、笑う前に、中国語認定する前に、辞書で調べようと思わないのかなぁ?目にしたことない言葉に接すると、「どんな意味だろうと」と興味が湧くもんだけどな。辞書を「読む」のって、楽しいもんだけどな。
そんなことないのかな、この頃は。