近ごろ、「心に刺さる名言」というような、歴史上の偉人の名言を集めた書籍とかWebサイトとかを目にする機会があります。
「なるほど、深い!」と思う名言もある一方、「それって本当に○○の言葉?」と疑問の残るものもあります。目についたものを3つばかりご紹介。
1 吉田松陰
「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。」
うーん・・・松陰先生がこんな自己啓発セミナーみたいなこと言うとは到底思えないんだけどなぁ・・・。改めてネットで調べてみましたが、その限りでは出典が確認できませんでした。
「僕は忠義をするつもり、諸友は功業をなすつもり。」
これは出典の確かな松陰の言葉です。「友達(ここでは高杉晋作や久坂玄瑞)は功業を目指しているので、彼らとは袂を分かった。僕は功業など考えず、ただ純粋に忠義の行いをするつもりだ」という趣旨です。功業、すなわち「てがら」や「成功」なんてものは、松陰にとってどうでも良いことだったはず。「成否を問わず、やるべきことをやる」のが松陰の主義信条です。
ましてや「計画なし」って(苦笑)。
東北旅行をするための通行手形の手配を忘れたので脱藩し、成算もないまま小舟で黒船に乗り付けアメリカに行きたいと懇願し断られ、老中を吹っ飛ばすから大砲を貸せと藩に迫り投獄され、「幕吏も人の子、真心こめて説けばきっと分かってくれるはず」と余計なことまで喋り、本来微罪で済むはずだった安政の大獄で死罪となり・・・計画性という言葉の対極にあるような人ですよ、松陰吉田寅次郎。
この「夢なき者」の名言、まず間違いなく後世の創作だと思います。
2 二宮尊徳
「道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である。」
二宮尊徳は江戸後期に活躍した人。亡くなったのが安政3年(1856年)ですから明治維新の12年前のことです。
経済という言葉を英語のEconomyの訳語として使用するようになったのは明治になってからのことのようですから、どうも時代が合わないのではないかと思います。また、この名言が表している発想自体、近代的に過ぎるような。渋沢栄一の名言と言われたら信じてしまうかも知れません。けれども二宮金次郎さんじゃあねぇ・・・。
もともと経済という言葉は、「経世済民」を略したものだそうです。「世を経(お)さめ、民を済(すく)う」。仮にEconomyの訳語以前、金次郎さんの時代にすでに経済という言葉があったとしても、それは本来の意味で使っていたのではないでしょうか?「世をおさめ、民をすくう」という観点からした場合、「道徳」はその不可欠の要素なのであり、「(本来の意味の)経済」に対置してその当否を問われる概念とはなり得ないのでは?
「道徳なき経済は罪悪」
この言い方は、道徳と経済を一定の対立概念と見ているように感じます。「道徳は心の問題、経済は金の問題」というような印象。今の時代には面白い発想かも知れませんが、くどいようですが、二宮金ちゃんと時代が合わない。後段の「経済(お金?)なき道徳は寝言」に至っては、かなり現代人の発想じゃないかなぁ?
この名言もネットで出典を調べましたが、ニノのものとは確認できませんでした。
https://mediajuku.com/article/243
2022.1.10追記
3 福沢諭吉
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず。」
さて、名言界のスーパースターが出てきました(笑)これは間違いなく福沢諭吉の言葉、著書「学問のすすめ」の冒頭の一節であります。
んじゃあ、お前は何にケチをつけるつもりなのかと。
この名言は一般的に、福沢先生の平等思想を表したものと言われています。←ココです!異議を述べたいのは。
この名言、もともと「造らず。(マル)」で終わりではありません。「『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』と言えり。」が正確な引用です。「~と、言われている。」です。そして続きがあります。
「されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。」
冒頭からざっくり意訳すれば、「人と人との間に差別はないと言われているが、現実には賢愚・貧富・貴賤、大きな違いがある。その違いは『学ぶか学ばないか』によって生じる。」ということ。だから「皆さん一生懸命学びましょう!」というのが福沢先生の言いたいことです。書名からして「学問のすすめ」ですからね。そこを間違ってはいけません。
無論、福沢諭吉は、この時代の人として先進的な平等主義者でした。男女同権に関する考えなど、現代でもなお先進的と思えるほど、目を見張るものがあります。さらに身分制度、門閥制度に対しては厳しい批判を向けており、「門閥制度は親の敵(かたき)でござる。」という、これまた名言も残しています。
しかしそうではあっても、「学問のすすめ」冒頭の一節を彼の平等主義・博愛主義を説いたものと解するのは、いただけません。そのような解釈は、同書の趣旨を歪めるものとさえ感じます。
「人間は生来平等なはずである。けれども刻苦勉励の差によって様々な違いが生じる。生来の平等の権利を自ら損なうことのないよう、心して学問に励みなさい。」
平等は、権利は、座して当然に保障されるものではない、それらを守るためには努力が必要である。このように解してはじめて、この言葉は名言であると思います。
今後は、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言われている。が、しかし・・・」と、わざわざ付け加えるようにしたらどうでしょうか?
ウゼーか(^^;;