河川工学 | |
高橋 裕 | |
東京大学出版会 |
「国家百年の計」という言葉があります。
国の遠い将来までも見すえた遠大な計画――というような意味です。
江戸時代以前、利根川は現在の銚子河口ではなく、東京湾に注ぎこんでいたのを知っていますか?一説によれば、昔の利根川は「暴れ川」でしばしば氾濫を起こし、流域に甚大な被害を及ぼしていたので、江戸を洪水から守ろうと、利根川を「東遷」し太平洋へ注ぎこむようにしたとのことです。この東遷事業は1594年に始まり、一応の完成を見たのが1654年。60年をかけた大事業でした。
また江戸時代以前、現在の日比谷~有楽町のあたりは海だったのを知っていますか?日比谷という地名は、「日比谷入江」という入江の名に由来しています。江戸時代初期の埋め立て工事により、陸地となりました。
さらに江戸時代、東京(江戸)は世界でも類を見ない上水道が完備された大都市であったことを知っていますか?神田上水・玉川上水の整備事業によって、便利かつ安全な上水道網が江戸市中に張り巡らされるに至りました。
江戸時代の全期間を通じて、徳川幕府はこれら都市整備事業に力を注ぎました。このような下地があってこそ、現在の東京の繁栄があると言っても過言ではありません。徳川家が果たして現在の日本の繁栄を思い描いていたかどうか――それは分かりませんが、江戸の、ひいてはわが国の繁栄を願って、都市整備に力を注いだのは間違いのないことでしょう。
このような先を見すえた計画を指して、「国家百年の計」というのでしょうね。
外国に目を向けると、もっとスケールの大きな話があります。
みなさん「万里の長城」は知っていますね。北方騎馬民族による中国への絶え間ない侵略を防ぐために建設されたものです。この建設に最初に着手したのは秦の始皇帝であるといわれますから、紀元前3世紀頃の話、現在の形で完成したのは明代ですので、14世紀以降。実に1600年以上もの年月をかけて完成した大プロジェクトです。無論、ずーっと工事を続けていた訳ではないでしょうし、始皇帝の造った長城は明代のものと場所も仕様も違うようですので、連続性のある構築物ではありませんが、その「理念」は一貫して受け継がれて来たものと言って良いでしょう。
「国家百年の計」どころか「国家千年の計」を立て、ついにそれを完成させたのです。頭の下がる思いです。
さてさて、前置きが長くなりました。言いたいのは「現在の日本」のことです。事業仕分けのことです。
「200年に一度の河川氾濫」にも耐えうるスーパー堤防の建設事業は、「スーパー無駄遣い」との烙印を押され、廃止が決定されました。
曰く――
「このままのペースで行くと完成は400年後。意味がない」
「建設途中で水害が起きたら防災効果は期待できない」
「200年に一度しかない災害に備えて巨費を投じるのはいかがなものか」
スーパー堤防の整備は、1987年河川審議会超過洪水対策小委員会の答申を契機として決定されました。「超過洪水」とは、文字どおり「普通でない洪水」ってこと。超過洪水対策の切り札は、やはりスーパー堤防なのです。それで、江戸川・荒川下流域など、いわゆる「海抜0メートル地帯」で人口の極めて多い地域、言い換えれば超過洪水が起きたら甚大な被害を生ずるであろう地域の治水事業として、その整備が決定されました。当時の河川審議会の委員さんは、当然のことながら、河川工学・治水事業の専門家の方々です。
このスーパー堤防、本当に要らないのでしょうか?この整備事業を止めることは、「国家百年の計」として、後世に恥じることのない決定なんでしょうか?
専門家の言うことが絶対に正しいとは思いません。「専門バカ」という言葉もあるくらいで、専門家であるがゆえに視野狭窄に陥っていることもあるでしょう。しかし河川工学・治水事業の専門家がじっくり検討して整備を推進した事業を、たった何分か、何十分かの議論で、他の専門家の意見も聴かず、ひっくり返してしまって本当にいいのでしょうか?それで本当に間違いのない決定が下せるのでしょうか?
事業仕分けで有名となった女性議員は、今回もキャンキャン吠え立てるような声で担当者を質問攻めにしていましたが……そんなもん議論の前に自分で調べとけよ(怒)。前提知識すら持っていなきゃ議論にならんだろが。
「このままのペースで行くと完成は400年後。意味がない」
だったら予算をもっと増やして完成を早めるという選択肢はないんですか?
「建設途中で水害が起きたら防災効果は期待できない」
上記と同じく、完成を早めたらどうですか?
「200年に一度しかない災害に備えて巨費を投じるのはいかがなものか」
大洪水に見舞われて家や家族を失った人々に、「これは200年に一度の災害だからガマンしてね。洪水を防ぐより、洪水が起こった後で被害補償する方が安上がりだからね」と言うつもりでしょうか?
どんなに費用がかかったって、やっぱり治水は、防災は大切なことです。いまの自分たちだけの問題ではありません。子孫にとっても重要なことです。「財政が苦しい中、100年前の先祖が頑張ってくれたから、いまこうして安心して住める」という国づくりを目指したいですよね。私たちもいま、先祖の努力があってこそ安心して暮らしていられるのですから。
「どうしてもスーパー堤防を推進せよ!スーパー堤防じゃなきゃダメ!」と言ってるんじゃないですよ。そりゃ予算の都合もあるでしょう。妥協的に、もう少し堤防の規格を下げることを考えなければならないかも知れません。堤防整備は一時ストップしても、他にお金を回さなければならない事態もあり得るでしょう。
でもね、国として治水・防災をどう図るのかは、しっかり考えとかなきゃならんでしょうが。それこそ、「国家百年の計」を立てなければならんでしょうが。スーパー堤防はやめる、それはそれで仕方ないとして、それに代わる治水・防災事業は、どう実現して行くのですか。スーパー堤防をやめて、あとは放ったらかし、それでオシマイですか。
事業仕分けは、最初に結論ありき。ただ「廃止する」「縮小する」ことしか考えていないようです。スーパー堤防廃止「後」の治水・防災計画については、一顧だにされることもなく、ただひたすらに「廃止」だけが決まりました。
「廃止・縮小」して生み出したお金を、今度はどこに持って行くつもりなんでしょうか?また子ども手当みたいにばらまく?こんなのもはや「国」ではありません。「国」の体をなしていません。何の将来的展望、公共的視点も持てないなら、いっそのこと「国」自体を止めたらいかがでしょう?「無駄遣い」は1円もなくなりますよ。
「スーパー堤防はスーパー無駄遣いということで廃止」と、ひとり悦に入った顔で宣言した議員さん。私はあなたの下品なニヤケ顔を一生忘れないでしょう。日本中で洪水が起こるたびに、その顔を思い出すことでしょう。
それを聞いて「アハハハ」と馬鹿笑いを上げていた周囲の人々。あなた方が洪水の心配のない高台にお住まいになっていることを、切に祈ります。私はぜんぜん笑えなかった。こんな国になってしまったことが、日本にこんな国会議員しかいないことが、悲しくて悲しくて、泣いてしまいそうでした。
九州・耶馬溪にある「青の洞門」はご存知でしょうか。次のような物語が残されています。
――旅の僧・禅海は、山国川に面しそそり立つ競秀峰の裾にやって来た。ここは断崖絶壁を這うように渡らねばならぬ道の難所。これまでに何人もの村人が足を滑らせ命を落とした。禅海は競秀峰を貫く洞門(トンネル)を掘り抜く覚悟、この同門が抜ければどれだけ人々が助かることかと、岩壁にたった一本のノミを打ち続ける。「あんな小さなノミで洞門を掘り抜くなど、何百年かかることか」と、村人は禅海を狂人扱い。そんな声に耳も貸さず、禅海はノミをふるう。やがて一年が経ち、二年経ち、十年が経ち、洞門を一尺また一尺と掘り進むにつれて、村人の中からも禅海を手助けする者が現れる。それが一人二人と増えて行き、ついには村人総出で洞門を掘り進む。そして三十年の歳月をかけ、ついに洞門を掘り抜くことができた。以後、競秀峰で命を落とす者はいなくなった――
このような美しい物語は、もはやこの先、この日本で生まれることはないでしょう。いつ掘り抜くことができるのか分からない洞門より、目先のカネ・カネ・カネ……400年先の幸せを図ることは、「スーパー無駄遣い」でしかないのですから。