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Left to Write

司法書士 岡住貞宏の雑記帳

気になる言葉2012

2012-12-30 17:12:12 | 考えたこと
孤高のランナー 円谷幸吉物語
クリエーター情報なし
ベースボールマガジン社


 近ごろ気になる言葉があります。まぁ「近ごろ」に限った話ではありませんが。

 ご存じのとおり私はオヤヂですので、言葉遣いにうるさいです。「近ごろの若いモンは何だ?言葉の使い方がなっとらん!!」とか言うアレです。ちょっとウゼーです。

 で、その近ごろ気になる言葉ベスト(ワースト?)3を発表して、今年のブログの締めくくりといたします。何もそんなモンで締めくくらなくても良さそうなものですが、そこはオヤヂですのでご容赦ください。

 それでは始めます。まず第3位は!?

 「甘い」。

 「ケーキが甘い」とか「砂糖が甘い」とか、実際に「甘い」ものは結構です。別に気になりません。しかし本来は甘くない「肉」とか、キャベツのような「野菜」とか、「豆腐」とか、そういうモノの味を表現するにも、近ごろ「甘い」という形容詞がひんぱんに使われています。

 「味が濃厚である」とか「口当たりが良い」とか、そういうことを表現したいのでしょうが、「ホントに肉が甘かったら気持ち悪いだろ!」と思ってしまいます。

 たぶん使われ始めには、意外性のある面白い表現だったのだろうと思います。しかし、すでにすっかり陳腐化し、何の面白味もありません。止めた方がいいです。

 第2位!

 「自分事(じぶんごと)」。

 これは本当に最近、今年になって使われ始めた言葉じゃないでしょうか?私はその意味をまだしっかりつかめていませんが、多分、「他人ではなく、ほかならぬ自分自身にまつわる事柄」で「当事者性の高い、利害関係の深い事柄」というような意味のようです。「A君がしたこの失敗は、『自分事』として気を付けなければならない」というような用例が正しいでしょうか。

 この言葉、恐らくは「他人事」という言葉からの連想で、「他人」の事ではなく「自分」の事という意味合いで使われるようになったのだと推測しています。

 でもねぇ・・・もともと「他人事」は「たにんごと」ではなく、「ひとごと」と読むのが正しいのですが・・・。「他人事」を「たにんごと」とする誤読は、以前からよく指摘されていました。私はこの誤読からして気になっていたのですが、誤読から派生してさらに造語がなされるに至っては、ついて行けません。

 「じぶんごと」。どうにも落ち着かない言葉です。最初に使ったのは誰なんでしょうか?

 そして第1位!

 「〇〇おいしゅうございました。××おいしゅうございました」。

 この言葉は文法的に間違っている訳ではありません。やや古い印象は受けますが、正当な日本語の用法であろうと思います。

 では、なぜ気になるのか?

 円谷幸吉さんをご存知でしょうか?東京オリンピックで銅メダル、次のメキシコシティオリンピックでも活躍を期待されながら、27歳の若さで自殺してしまったマラソン選手です。

 その円谷選手の遺書は、次のような文面でした(一部を抜粋)。


 父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿、もちも美味しうございました。
 敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。
 勝美兄姉上様 ブドウ酒、リンゴ美味しうございました。

   …(中略)…

 父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
 何卒お許し下さい。
 気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
 幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。



 この「美味しうございました」の繰り返しを、川端康成は「千万言も尽くせぬ哀切」と評したとのこと。私もこの遺書を初めて読んだとき、悲しい韻律に胸ふさがる思いがしました。

 「おいしゅうございました」。とても美しい言葉です。しかしその美しさが、かえって円谷選手の悲劇を際立たせて、私には「使用できない言葉」となってしまいました。他人が使う分には仕方ないと思うのですが、「〇〇おいしゅうございました。××おいしゅうございました」と繰り返しで使われると、どうもねぇ・・・。「あんまり軽く使って欲しくないなぁ」と思ってしまいます。

 ま、これは私の勝手な思い込みですがね。「おいしゅうございました」という言葉遣いは円谷選手のオリジナルではありませんし、ましてや私には何の権利(?)もありません。


 さて、年の最後まで批判めいた内容のブログとなってしまいましたが、お付き合いいただきありがとうございました。

 今年もお世話になりました。来年も、またよろしくお願いいたします!


罪もなき赤子に妙な名を

2012-05-10 23:31:12 | 考えたこと
童蒙おしえ草、ひびのおしえ―現代語訳
慶應義塾大学出版会


 歳を重ねるにつれて「最近の若いモンは・・・」という言い方をするようになります。でもちょっと待って。本当にそれ、「最近の若いモン」だけのことですか?

 最近の若い親には、子供にとんでもない名前を付ける例があるようです。真偽のほどは知りませんが、「光宙」という名を付けた親がいたとか。読みは「ぴかちゅう(!)」だそうです。息子の同級生を見ても、男の子はまだしも女の子は読めない名前がかなりあります。可愛らしい名前が多くて素敵なのですが、誠に失礼ながら、なんだか「源氏名」のような・・・こういう名前、キラキラネームなどと呼ばれるらしいです。

 ついつい、「まったく最近の若いモンは!」と言ってしまいそうですが、ちょっと待って。こんな記述を見つけてしまいました。

 平民一般へ苗字御免は誠に美事なれど、此美事と共に爰(ここ)に飛んだ事を生じたり。其飛んだ事とは何ぞや。近来日本人の名が変梃来(へんてこらい)に成りたる事なり。如何なる訳けか源因は知らず、今日人の名を聞けば、清盛と云ひ、義朝と云ひ、正宗と云ひ、祐定と云ひ、大将の如く、刀鍛冶の如く、又包丁鋏の銘の如し。

 これは福沢諭吉が明治の初期に書いた「姓名之事」という文章の一節。今から100年以上も前のことです。この時すでに、「ちかごろ名前がヘンテコライだ」と嘆いています。

 この一節に続き、爆笑必至、福沢先生一流の悪口雑言が続きますが、ここでは省略。末尾は次のように締めくくられています。

 罪もなき赤子に妙な名を付けて、成長の後に困ることあらしむ可らざるなり。

 子供にとんでもない名前を付ける例は、昔からあったのですね。いや、そもそも「とんでもない名前」と感じることが、ジェネレーションギャップなのかも知れません。

 ・・・なんて言ってたら、もっとずーっと昔の例を見つけてしまいました。

 人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり。

 なんと「徒然草」(116段)兼好法師。いまから700年も前に書かれています。

 う~ん、こりゃうかつに「最近の若いモンは・・・」なんて言えませんね。

君子固窮

2012-05-07 11:52:18 | 考えたこと
論語 (岩波文庫)
クリエーター情報なし
岩波書店



 在陳絶糧、従者病莫能興、子路慍見曰、君子亦有窮乎、子曰、君子固窮、小人窮斯濫矣

 陳に在りて糧を絶つ。従者病みて能く興(た)つこと莫(な)し。子路慍(いか)って見(まみ)えて曰く、君子も亦(また)窮すること有るか。子曰く、君子固(もと)より窮す。小人窮すれば斯(ここ)に濫(みだ)る。

 陳という国で食糧がなくなってしまった。弟子はみな病気のようになり、立ち上がることもできない。子路が怒って、先生に面と向かってこう言った。「君子でも食に窮するなんてことがあるんでしょうか」。先生はおっしゃった。「君子だってもちろん窮することはある。小人は窮すると混乱してしまうものだ」。


 論語の衛霊公篇にある一節。なんだかユーモラスで笑ってしまいました。いや、孔子ご一行様にとっては相当なピンチなんでしょうが・・・

――腹ペコで孔子も弟子たちもフラフラ。そんなとき弟子の中でも一本気で知られる子路が、先生である孔子にプリプリ怒りながら詰め寄る。「先生は君子でしょう?君子が食べ物に困るなんてことがあっていいんスか!?」これには孔子も苦笑い。「そりゃ君子だって困ることはあるさ・・・でもそんなときでも落ち着いているのが真の君子だよ。小人は心乱れてあれこれ騒ぐものだがね」――

 「先生は君子なんだからなんとかして下さいよ!」と、君子をスーパーマンか何かと勘違いしてるような子路のトンチンカンぶりが目に浮かぶようです。孔子も、子路のこんなところがかわいかったのかも知れませんね。子路は孔子に最も愛された弟子だったと言われています。

 ある方の書に「君子固窮」とあるのを見て出典を調べました。その方の座右の銘なのでしょうね。

 私も困ったときこそ落ち着いていたいと思いました。

にぎりめし争奪戦

2011-03-18 08:50:44 | 考えたこと
グッド・バイ (新潮文庫)
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新潮社



――おい、戦争がもっと苛烈になって来て、にぎりめし一つを奪い合いしなければ生きてゆけないようになったら、おれはもう、生きるのをやめるよ。にぎりめし争奪戦参加の権利は放棄するつもりだからね。気の毒だが、お前もその時には子供と一緒に死ぬる覚悟をきめるんだね。それがもう、いまでは、おれの唯一の、せめてものプライドなんだから。――

太宰治「たずねびと」より


 買い占めに走る人々を見て、なにとはなしに太宰のこの作品を思い出しました。

「龍馬伝」の評価

2010-11-23 11:15:50 | 考えたこと
龍馬伝 (NHKシリーズ NHK大河ドラマ歴史ハンドブック)
クリエーター情報なし
日本放送出版協会


 歴史をふりかえって見るとき、さまざまな要素や人物が、複雑かつ玄妙にからみあっています。偶然に起こった小さな出来事が、その後の流れを180度変えてしまったりします。一方で、ほとんど「神の意志」ではないかと思えるほどの歴史的必然が、大きな潮流を生み出すこともあります。

 歴史の楽しさ、醍醐味は、このような諸要素やら偶然やら必然やらを、くっつけてみたり離してみたり、空想したり確かめたり、いろいろに検討してみることにあると言えるでしょう。

 さて、このような検討作業が大好きな「歴史好き」の観点からした場合に、まもなく最終回を迎える今年の大河ドラマ「龍馬伝」に対しては、どのような評価が下されるでしょうか?

 「好きか、嫌いか」は、もっぱら主観的態様にかかわることでありますから、誰にも遠慮会釈は要りません。その意味で胸を張って断言しますが、私は「歴史好き」であります。そして「歴史好きの岡住」が評価するに、「龍馬伝」は、誠に失礼ながらほとんど0点。どんなに甘い点数を与えたとしても、合格点は差し上げられませんなぁ

 主人公ですから、坂本龍馬のことをすこぶる「良い人」に描くのは当たり前で、この点に異論はありません。だけど、どうにも「贔屓の引き倒し」の気味。何でもかんでも「龍馬サイコー!」の一色に染め上げられてしまっては興ざめです。ほぼ現代的感覚で言うところの平和主義者・平等主義者として龍馬を描いていますが・・・当時そんなヤツおらんて。それに平和的なイメージに固執するあまり、かえって龍馬のスケールが小さく見えてしまいました。対照的に、ほんの少しでも龍馬に敵対する立場にある人物は、ほとんど悪鬼のような描かれ方でウンザリ。西郷隆盛・大久保利通・桂小五郎など、「血に飢えた狂気の戦争主義者」のごとき扱いでした。武市半平太などもかなり扱いが悪かったですね。

 例えば、大政奉還。幕府には幕府の思惑があり、土佐には土佐の、武力討幕を目指す薩長にも、他の諸藩にも、いろいろな思惑や展望があったはずです。また、大政奉還は突然ふってわいた出来事ではなく、それに至るまでの過程には大変な厚みがあります。さらに、大政奉還それ自体が驚天動地の事件ではありますが、その影響がどれほどのものか、今後どのように波及していくのかは、この時点では測りがたいものがあります。ところが、「龍馬伝」ではそんな歴史的視点はいっさいお構いなし。平和を愛する龍馬の一念は岩をも通し、なんだかよく分からないけど突如として徳川慶喜は大政奉還を決意、血に飢えたる薩長は「戦争ができねぇ」と歯ぎしりして龍馬を恨み、深謀遠慮みずから大政奉還を決意したはずの慶喜公も、「坂本龍馬っちゅうヤツが悪いんでっせ」と進言されて「龍馬め~」と筋違いの逆恨み――こんな物語でホントにいいんかい!龍馬も「これで平和がやって来たぜよ」みたいに喜んでますが、それでいいんかい!この後、戊辰戦争が起きますぜ。この時期、大なり小なり、薩長と幕府との武力衝突の危険性は続いていたんじゃないか?でもそんなの、龍馬が死んだ後のことだから関係ないんかい!

 毎話、龍馬カベにぶつかる→苦悩する→仲間と共に頑張る→カベを乗り越え仲間と喜び合う、というようなチープなストーリーで、かつ「善玉」と「悪玉」の単純な二項対立。なんだか「ごくせん」でも観ているような気分でした。

 これは監督が悪いのか、脚本が悪いのか。いずれにせよ監督も脚本家も、あまり歴史が好きじゃないんでしょうな。少なくとも、「歴史の楽しさ」を重視してはいないんでしょう。映像は美しく、描写は達者、恋心も友情も豊かに表現されている――こういう評価はあり得るのかも知れませんが、そのような作品をめざすなら、なにも大河でやらなくてもいいんじゃない?大河はストーリーや時代背景に絶対的な制約のある分、表現上マイナスなんじゃないかな?

 もうとにかく、大河は歴史を好きな人が制作してくれーお願いしますよNHK。前作の「天地人」は良かったですよ。

 ちなみに、私がいままででに一番好きだった大河ドラマは「花神」。司馬遼太郎さんの原作で、1977年、私が小学校4年生のときの放送でした。主人公は一応、大村益次郎ですが、明治維新に向かう時代の青春群像を描いた、という趣の作品です。主人公だけに過剰なスポットライトを当てず、同時並行的にさまざまな人物をクローズアップすることで、幕末特有の重層的な歴史構図を見事に映し出していました。特に篠田三郎さん扮する吉田寅次郎(松陰)が秀逸。春風のような爽やかさと新雪のような純粋さと火焔のような激しさが混然として、「本物の松陰もこんな人だったのではないか」と思わせる素晴らしい演技でした。

NHK大河ドラマ総集編 花神 [DVD]
クリエーター情報なし
NHKエンタープライズ



ノーベル賞に思うこと

2010-10-08 15:11:53 | 考えたこと
マンガでわかる有機化学 結合と反応のふしぎから環境にやさしい化合物まで (サイエンス・アイ新書)
齋藤 勝裕
ソフトバンククリエイティブ



 鈴木章・北大教授、根岸英一・パデュー大教授が、そろって2010年度ノーベル化学賞を受賞されました!

 2000年度化学賞受賞の白川英樹さん以後、2000年代に入ってから日本人の受賞は10人目。ほぼ、毎年一人は受賞している計算になります。また今年の受賞こそ惜しくも逃しましたが、iPS細胞研究で有名な山中伸弥さんなども、きっと近いうちに医学・生理学賞を受賞なさることでしょう。日本人の受賞候補者は、目白押しです。

 「科学技術大国・日本」の面目躍如といったところで、ご同慶の至り。国民みんなでお祝いしたいですね

 ……と、浮かれてばかりもいられないようです

 鈴木さん・根岸さんのうれしい知らせに対し、2008年度ノーベル賞受賞者である益川敏英さん・下村脩さんが祝意を述べつつ、はからずも同じような「危機感」をコメントしています。要旨として、次のようなコメントです。

――近年、日本人のノーベル賞受賞が相次いでいるが、いずれも30年以上も前の研究成果が今になって評価されているものである。現在の日本が科学技術に秀でているなどと錯覚してはならないし、むしろ以前ほどの優位性を保ってはいない。日本の若い研究者たちは、もっと奮起しなければならない。そして研究者を支えるための国や社会の制度充実も、喫緊の課題だ――

 益川さんと下村さんは、出自も研究分野も住んでいる所もまったく異なり、交友関係はないと思いますが、そのお二人がほとんど同じ意見を述べておられる。日本人研究者の間には、相当に強い危機感が共有されているのだと思います。

 話は飛びますが、かつて日本は「石油の禁輸」を直接の引き金として、太平洋戦争に突入しました。そして最終的には、圧倒的な物資の差によって敗戦の憂き目を見ました。日本は資源のために戦争を始め、資源のために戦争に負けた――そう言ってもいいと思います。

 戦後の平和日本は、過去の愚を反省し、「資源を持たざる国」として科学技術に活路を見出すことにしました。そして、その戦略はみごとに的中したようです。日本は科学技術によって世界有数の経済大国にまで発展し、繁栄の中にいました。

 繁栄の中に「いました」?過去形?

 そのとおり。益川さん、下村さんらが共有する危機感が真実ならば、それはもはや過去のことと言うべきでしょう。10年後、20年後も、日本は科学技術によって「繁栄している」と言うことが可能でしょうか?どうも薄ら寒い気持ちになるのは、私だけではないはずです。

 そしてまた、最近では「レア・アース」という資源のために、「持たざる国」日本は、大国の横暴に鼻ヅラを取られて引き回される事態に陥っています。このような事態は十分に予想できたはず。「レア・アース」に対抗できるような、有力な科学技術上の優位性も持たぬまま、今後どうやってこの横暴に対処するつもりなんでしょうか?ヤケのヤンパチ、資源を求めて、もいっちょ戦争でもおっ始めるつもりでしょうか、政府は。

 「どうしても1番なんですか?2番じゃダメなんですか?」というのが、現政権から飛び出した科学技術に対する発言です。「も~ぉ、その発言は『失言だった』って言ってるでしょうアゲ足とってシツコイなぁ~!」と、蓮舫さんもウンザリしていることとは思います。でもね、あまりにひどく間違っているから、どうしても繰り返し批判させてもらいます。2番じゃダメです。卓越した1番の科学技術だからこそ、「資源」に対抗できる価値を持っているんです。

 そのような卓越した科学技術を育成するために、日本政府は、そして日本国民は、いったい何をしているのでしょうか?どんな努力をしているのでしょうか?この点こそが、将来を見通したときの「薄ら寒さ」の原因であるように思えてなりません。

 またまた話は飛びます。みなさん「米百俵」の話は知っていますよね。小泉元総理が所信表明演説で取り上げたことで、一躍有名になったお話です。復習のため、一応あらすじを述べておきます。

――幕末から明治維新の頃、北越戦争に敗れた越後長岡藩は、貧窮の極みにありました。その長岡藩に、支藩である三根山藩から百俵の救援米が届きます。決して多いとは言えないが、とりあえず窮地をしのげるこの救援米。どのように分け与えるのか、大参事・小林虎三郎の采配に注目が集まります。ところが小林虎三郎、救援米を分配することはせず、すべて売り払い、そのお金で学校を造ると言います。いきり立つ藩士たち。それに対し小林は、次のように諭します。「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」――

 ちなみに小林虎三郎は、「佐久間象山門下の二虎」のひとりと呼ばれた俊英。「二虎」のもうひとり(ひとトラ?)は、かの松陰吉田寅次郎です。

 さて、この米百俵のお話にひきかえ、わが国の現状はどうでしょうか?学校を造るどころか、「米を一人に一粒ずつ分け与える」ような愚策を犯しているのではありませんか?政府ばかりを責めることはできません。「科学技術なんて後まわしでいい。俺たちはいま腹が減っているんだ。その米を寄こせ!」と、がなり立てているのはいったい誰でしょう?いきり立つ長岡藩士を笑えますか?空腹に耐えながら、それでも「小林の言うとおりだ」と叫ぶことのできる人は、果たしてどれだけいるのでしょう?

 最低限、子ども手当はやめて、高速道路の無料化もやめて、そのお金を科学技術の発展に注ぐことを考えてみたら?

 ノーベル賞からとんだ脱線。思うところを記してみました。

はるな愛さん

2010-08-31 22:56:56 | 考えたこと
世界一のはるな愛になるダイエット
はるな 愛
扶桑社

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 はるな愛さんは近ごろ大人気で、TVによく出演していますね。

 「ニューハーフ系」(???でいいのかな?)のタレントさんは、どうもベタベタしたキャラクターの人が多くて私は苦手なのですが、はるなさんは清潔感があって、好感が持てます。本当に美人ですよね。

 ところで、はるなさんの本名になるのでしょうか?それとも、従前の名前なのかな?「大西賢示」さんと言うそうで……TV番組などでは、他の共演者がことさらにこの「男性名」を強調したり、もともとは男であることを笑いモノにしたり。あまりにシツコくて、最近、ちょっと気の毒な感じがします。

 聞くところでは、はるなさんは性同一性障害で、子供の頃から自分が男であることに強い違和感を覚えていたとのこと。で、ある時から「自分に正直に女として生きていこう」と決心したそうです。そうであるなら、あまり「男性だった過去」をネタに笑うのは、いかがなものなんでしょう?

 まぁ、はるなさんは基本的に「お笑いタレント」という位置付けで、本人も納得ずくでそれをネタにしているのでしょうが……本心としてはやっぱりイヤなんじゃないかなぁ

 世の中には、性同一性障害でいまだ「笑えない」悩みを抱えている人もたくさんいることでしょう。そのことへの配慮も必要な気がします、TV番組の制作者さん。


この人民にしてこの政治

2008-12-18 13:55:54 | 考えたこと
学問のすゝめ (講談社学術文庫)
福沢 諭吉,伊藤 正雄
講談社

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 いまに始まったことではありませんが、政治がシャンとしませんね。

 早いとこ本格的に景気対策をして欲しいものです。その経済効果のほどはともかく、定額給付金はいったいどこいっちゃったんでしょう?

 太平洋を渡ったかの国では、「新しい時代」を象徴するような若きリーダーが選出されました。

 40代にしてあの品格・風格、知的な発言、堂々とした演説。

 「ウチの総理大臣が並んだら相当見劣りするよなぁ~イヤだなぁ~なんで日本にはまともな政治家がいないんだぁ~?」と悲憤慷慨することしきり…

 …だったのですが、言ってくれてました、福澤先生。もう100年以上も前に。


―― 愚民の上に苛き政府ありとはこの事なり。こは政府の苛きにあらず、愚民の自から招く災なり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。我日本国においてもこの人民ありてこの政治あるなり。――


 私たち人民の側でもう少しカシコくならなければ、政治家がカシコくなる訳がありませんね。

 もっとはっきり言いましょう。

 人民がバカだから政治家もバカなのです。

 福澤先生、恐れ入りました。


KYなひとびと?

2008-07-24 13:17:10 | 考えたこと


 先日、運転免許証の更新に行ってきました。

 恥ずかしながら、過去5年間に軽微な違反が1件あり、1時間の講習を受けました。
 シートベルトの重要性、交通事故の悲惨さを訴えるビデオを見て、あらためて「気を付けて運転しなければ」という思いを強くしました。

 私は普段の性格どおり――普段の性格とは違い、と評する人もいますが――自動車の運転はかなり慎重なんですよ。重さ1tもの鉄の塊を、時速何十km~100kmものスピードですっ飛ばしている訳ですから、考えてみれば怖い話だと思います。

 さて、ここからが本題。免許更新の講習中のできごとです。

 受講者に対しては事前に再三にわたり、「携帯電話の電源は切っておいて下さい」という注意があったにも関わらず、途中でピリリリッと着信音が……とまぁ、これだけならよくある話ですが、この電話の持ち主、なんと、「はい、どうもお世話になります」と電話に出たうえで、講習会場の部屋を出ていこうとするではないですか!?

 講師もしばし、唖然……その後あわてて、「電話を切って席に戻って下さい!」と壇上から注意しましたが、ご当人は知らんぷりです。

 講師はやむなく側までかけ寄り、面と向かって、「このままでは講習を進められないから、早く席に戻ってください」と注意したところ、やっと電話を切りました。
20代後半~30才くらいの、ごく普通の勤め人風の男性でした。特に「反社会的な人」という印象もありませんでした。

 またさらに、この講習の始まる前のことです。

 「資料の置いてある席につくように」という指示があったにも関わらず、あまり前の方に座るのがイヤだったのでしょう、自分で勝手に資料を移動して最後尾の席に座った人がいました。電話の彼とは別人の、20代半ばくらいの女性です。この方も、特に変わったところのない、ごく普通のお嬢さんでした。

 ちかごろ、特に若い人の間で、KY(くうき・よめない)な言動を非難し、嫌う風潮があるのは、皆さんもご存じの通りだと思います。しかし、KYが嫌われるのは、例えば仲の良い友達関係の中だけのこと、より広い「社会的な空気」や、見ず知らずの「他人との間の空気」については、それを「読めない」どころか、「読もう」とする気配すらないようです。

 電話の彼も、席を移動した彼女も、注意されてちっとも悪びれた様子はありませんでした。恐らくは、それほど非常識なこととも思ってはいないのでしょう。もし彼らに「あなたはずいぶんKYな人ですね」と言ってやったら、どんな反応をしたでしょうか?「いったい、どこがKYなの?」と、逆に聞かれたかも知れませんね。

 しかしねぇ……この国は、この社会は、こんなことで本当に良いのでしょうか?

 このごろ、しばしばそう思うようになったのは、やはり私がオッサンになったからでしょうかねぇ……


40歳

2007-06-29 14:31:21 | 考えたこと
40歳からの心理学

海竜社

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 もう1カ月経ってしまいますが、6月2日は私の誕生日でした。

 今年でとうとう40歳。

 「40代初頭の感想なり抱負なりをビシッと書こう!」と思っていたのですが、どうにもカッコいい文句が浮かびません(これを考えすぎてブログ更新を1月も放置してしまいました)。

 結論。

 私はまだ30代みたいな40代(笑)。40代の抱負はもう少し40代に慣れてから述べます。

硫黄島からの手紙

2007-01-08 20:39:57 | 考えたこと



 クリント・イーストウッド監督の話題作「硫黄島からの手紙」を観てきました。太平洋戦争末期、硫黄島をめぐる日米両軍の攻防を日本側から描いた映画です。同じ戦闘をアメリカ側から見た「父親たちの星条旗」も、同監督によって同時公開されています。

 大変評判の良い作品なので、期待していたのですがねぇ・・・

 残酷で非人間的な上官、ファナティックな国民、無能で無策な司令部、腐敗し高圧的な憲兵、それらに翻弄される一部の善良な将兵 ― とまぁ、アメリカ人から見た戦前日本人のステレオタイプが、オンパレードのように描かれています。あまりに「型どおり」の姿で、かえってリアリティを感じられませんでした。

 結局、アメリカ人から見た場合、戦前の日本人・日本軍とは、一種の「狂気」に取り憑かれたものとしか考えられないのでしょうね。もっとも、当の日本人においても戦前の評価は確立していないわけですから、仕方のないことでしょうが。

 登場人物を「善玉」と「悪玉」にはっきり分けて、「善玉」はあくまでも「良い人」に、「悪玉」は徹頭徹尾「悪いヤツ」に描くのは、ハリウッド流というべきでしょうか?「回想シーン」の多用ともあいまって、チープなストーリーとの感が否めません。

 ただ、戦闘シーンはめちゃめちゃ迫力があり、自ら戦場に立っているようでした。大人でも「怖い」と感じるくらいです。心臓の弱い方は注意が必要。


あけましておめでとうございます!

2007-01-05 17:46:07 | 考えたこと


 みなさん今年の目標は立てましたか?

 私の今年の目標は・・・

1司法書士業務に励むこと
 今年も本業である司法書士業務に励み、より良質の法的サービスを提供したいと考えています。具体的には、①裁判所関係業務のスキルに磨きをかけ、より多くの事件を受託する、②会社法でますます加速するM&A(会社合併・分割etc.)業務について、専門的に取り組む、③信託法改正で活発化する信託業務について、複雑な登記手続きに専門的に関与する・・・と、いい「初夢」を見ています。

2事務所の移転・東京事務所の開設
 本年3月、事務所を高崎市緑町に移転する予定です。移転先でもいっそう精進しますので、ご指導のほどをお願いいたします。
 さらに、実は昨年から計画中なのですが、仲間の司法書士と協力し、東京事務所(従たる事務所)を開設する予定です。当面は、債務整理業務を中心とする事務所です。それを足がかりに、他の業務へも積極的に進出!・・・と、これまた威勢のいい「初夢」を見ています。

3海外へ行くぞ
 海外旅行などずいぶん長いことしていません。今年はできれば海外に行きたいなぁ~・・・と、またまた楽しい「初夢」を見ています。

 さて、今年の「初夢」は何パーセント実現できるでしょうか?見もしない夢は実現しませんからから、大きく掲げておきたいと思います。

 本年もよろしくお願いいたします!

あわただしい1年

2006-12-31 12:21:39 | 考えたこと
 まもなく2006年が終わります。皆さんにとっては、どんな1年でしたか?

 私にとっては、今年もあわただしい1年でした。

 「あわただしい」という言葉は、一般的にはマイナスイメージを伴うものですが、実はとても幸せな状態なのだと思っています。だって、不健康だったり、無気力だったり、可能性が残されていなかったりすれば、「あわただしい」という言葉とは無縁の生活になるはずですから。

 新しい発見や良いアイデアは、「あわただしさ」の中から生まれて来るのです。じっくり、のんびり考えていては、何も生まれて来ません。

 来年もまた、あわただしい1年となるでしょう。さらに新しいことにチャレンジして、「あわただしさ」に磨きをかけたいと思います。

 さてと、あわただしくてまだ出していない年賀状を仕上げましょうか。あー、あわただしい!

 それでは良いお年を。


パワータイ

2006-11-30 15:35:08 | 考えたこと


 以前このブログで「赤いはちまき」の効用について取り上げましたが、米国では赤い色のネクタイをパワータイと呼び、強い印象をもたらすアイテムとしてビジネスファッションで使われているそうです。

 パワーミーティングにパワーランチと「無類のパワー好き」であるアメリカ人がいかにも言いそうなことですが、やはり「赤」にはそういう効果があるのですね。

 いっそのこと真っ赤なジャケットでも着たらパワー全開でしょうか?



義理人情

2006-11-03 22:25:47 | 考えたこと



 上州人(群馬県民)は「義理人情に厚い」などと言われます。↑の上毛カルタは上州人なら誰でも知っていますし、つい先日もそのような記事を読みました。

 しかし、この「義理人情に厚い」という言い方、どうも気になるんですよね~。

 「義理人情に厚い」とは、「義理」にも「人情」にも厚いという意味なのでしょう。でも「義理」と「人情」とは、もともと対立的な価値であり、並列的な価値ではないと思うのです。つまり、その二つが並び立つのはおかしいのではないかと。

 ♪義理と人情を秤にかけりゃ~、義理が重たい男の世界ぃ~♪と、健さんも「唐獅子牡丹」で歌ってるじゃないですか。吉良の仁吉は、次郎長親分への義理のため、人情を捨て恋女房と離縁してまで、女房の兄の安濃を討ったではないですか(知ってる人いないか・・・)。

 「義理人情」とは、もともと、その両者の「板ばさみ」を表現するためにこそ使用される言葉なのでは?だいいち、「人情に厚い」という表現は分かりますが、「義理に厚い」という表現は正しいのかな?単に「人情に厚い」と言うべきところを、口が滑って「義理人情に厚い」とした誤用が、広く言われるようになったものかも知れません。

 どなたか詳しい方、ご意見のある方がいらっしゃいましたら、コメント下さい。