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Left to Write

司法書士 岡住貞宏の雑記帳

気になる言葉2014

2014-12-29 17:14:32 | 考えたこと
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クリエーター情報なし
TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)


 毎年,ほったらかしのこのブログ。今年は,ななんと3つ!も記事を書きました!!

 ・・・とは言え,本当はまだまだ続編があるのに,やっぱりほったらかしなんだよなぁ,三枚橋病院・・・
 そのうち「その4」以降書きますので,期待しないで待っていて下さい。

 というわけで,今年もシーズンとなりましたので,お待ちかねのアレやります。気になる言葉2014。
 「別に待ってねーけど」という意見は聴かん。却下。さー始めるぞ!

 まず第3位!?

 「電話をかける」

 良く使う言葉ですし,もちろん誤用ではありません。しかし,「かける」って,どこに何を「かける」んでしょ?だいいち,漢字で書くとしたら,「掛ける」?「架ける」?まさか「駆ける」じゃないでしょうし,ましてや「賭ける」ではありませんよね・・・?

 「電話をかける」という意味で,「架電」という言葉がありますが(もともと法律用語だったとか),これが正式な日本語であるかどうか微妙なところです。辞書にはあまり載っていない言葉です。

 ところが,この「かける」という言葉,よくよく考えると非常に応用範囲が広いんですよねぇ。

 アイロンをかける,掃除機をかける,ラジオをかける,エンジンをかける,エアコンをかける,レコード(古!)をかける・・・等々。

 共通項としては,「offの状態をonにする」というような意味で括れるのでしょうか?しかし,電話を「かける」には,もっと積極的に「相手につなぐ」というニュアンスがあるようにも思います。自分の電話の通信線を,相手の電話機に「ひっかける」というような。そう考えると,「アイロンをかける,掃除機をかける」のグループと,「ラジオをかける,エンジンをかける」のグループでは,また若干「かける」のニュアンスが違うようにも思います。

 一方,同じような機器でも,例えばテレビは「かける」とは言いません。「つける」でしょうね。電灯など照明器具も「つける」であって,「かける」とは言いません。

 パソコンは「つける」でも「かける」でもなく,「起動する」。いや,ギリギリ「つける」は言うかな?単純に「つける」「かける」というには,メカニズムが複雑過ぎるので,「起動する」なんて,しゃっちょこばった言い方をするようになったんでしょうかねぇ?

 新しく生まれた機器を「作動させる」にあたって,これらの言葉が生まれたのでしょうが,機器ごとの特長や効能に応じて微妙な言い分けを行なっているところに,なんだか日本語の奥深さを感じます。面白いです。

 続いて第2位!

 「汚名挽回」

 ザ・間違った日本語のナンバーワンに君臨する「汚名挽回」。

 汚名を挽回してどーすんだよぉー,それを言うなら汚名返上だろがよぉー,まったくよぉー・・・というヤツです。

 しかしこの「汚名挽回」,誤用ではないとする説が有力に述べられているのをご存知ですか?

 「挽回」という語は,「失ったものを取り戻す」という意味。そもそもの語感に,「悪い状態から,本来の良い状態に戻る」というニュアンスを含んでいます。「名誉を挽回する(名誉挽回)」とは,失った名誉を取り戻し,再び名誉ある状態に戻ること。一方で,「遅れを挽回する」という言い方もあり,この場合,「遅れという悪い状態から,本来の遅れのない状態に戻る」という意味になります。「失った『遅れ』を取り戻す(もっと遅れる?)」ということではありません。この伝にならえば,「汚名を挽回する(汚名挽回)」とは,「汚名をかぶった悪い状態から,本来の汚名のない状態に戻る」という意味になり,誤用ではないということになります。

 似たような用法の熟語に,「疲労回復」があります。もちろん,「失った『疲労』を取り戻す(もっと疲れる)」という意味ではありませんね。「疲労という悪い状態から,疲れのない良い状態に戻る」ということです。

 「正しい日本語」とかなんとかいう安い本を読んで,ワケ知り顔で「汚名挽回はヘンでございますねぇ~,正しくは汚名返上でございますねぇ~」とウンチクをひけらかしていたアナタ!恥を知りなさい。あ,それ私のことだ・・・

 しかし!まだ議論は終わりません。

 もともと「名誉挽回」「汚名返上」という正しい熟語があるのに,わざわざ「汚名挽回」という造語をする必要はない。その意味において,やはり「汚名挽回」は誤用と言うべきだ,という再反論もあるのです。

 どちらが正しいのか?もとより,私のような素人には分かりません。結論は国語の先生にお任せするよりほかありませんが,直感的には「汚名挽回」はアリ(誤用とは言えない)なんじゃないかなぁと思います。

 それにしても,うかつに「それ誤用だよ」などとは言えませんね。そんなこと言いながら,次の1位を述べるのはタイヘン気が引けるのですが・・・

 第1位!!

 「気丈」

 この語の辞書的な意味としては,「非常の際にも動転せず,平常心で事が処理できる様子」(新明解国語辞典・三省堂)ということ。

 まぁ辞書的な意味はそのとおりでしょう。しかし言葉には,上記でも何度か繰り返したとおり,ニュアンスというものがあります。実際に私が目にした(耳にした)次の「気丈」の用例を見て,皆さんはどう思いますか?

 今年,北島三郎さんの弟さんが亡くなったそうです。その喪主はサブちゃん自身が務め,遺族を代表しご挨拶などなさったとのこと。この報道において,次のように伝えるマスコミがありました。

 「北島さんは気丈に喪主を務めた。」

 高倉健さん主演の映画「鉄道員(ぽっぽや)」。この作品紹介にあたって,次のように述べるテレビ番組がありました。

 「妻子を亡くし,それでも気丈に駅を守る主人公を高倉さんが演じた。」

 肉親を亡くし,悲しさで気落ちしそうな状況にあっても,それに動じず,平常心で事に当たる・・・という辞書的な意味では,間違いでないようにも見えます。けれども,絶対に誤用ですよ,これらの「気丈」。

 「気丈」とは,本来,かよわく,頼りない存在・立場の人が,想定に反して平常心を保ち,しっかりとしている様子を述べる言葉です。そこには,「本当は泣き崩れたい気持ちだろうに,それを抑え,ギリギリのところで平静を保ち,しっかりとふるまっている。なんてけなげなんだ」という同情心も,ニュアンスとして込められています。

 「若い未亡人が気丈に喪主を務める」のはいいですが,「サブちゃんが気丈に喪主」はヘンです。「父母を亡くしたため,15歳の長男が気丈に家業を切り盛りしている」のはいいですが,「妻を亡くした健さんが,気丈に家業(ヤクザ?)に精を出す」のは,やっぱりヘン。いや,ヘンを通り越して笑ってしまいます。

 つまり「気丈」は,サブちゃんや健さんのようなマッチョに使ってはいけない(ニュアンスとしてふさわしくなくない)言葉であると思います。マッチョは気丈で当たり前なんです。いや,現実には気の弱い男性もいるでしょうが,あくまでも言葉の使い方の話です。

 基本的には男性に対しては使いにくい言葉のはずです。上記に挙げた2人以外にも,例えば役所広司,渡辺謙,石原慎太郎,松岡修造,アーノルド・シュワルツェネッガーみたいな人に対しては,断じて使ってはいけません。使ったら滑稽ですらあります。男性に対して使ってもいいとしたら・・・う~ん,羽生結弦クンくらいの可愛らしさがないとダメですかね。

 辞書だけ読んでも言葉は分からないよ,という好例ですね。しかし,マスコミには年配の人もいるでしょうし,誰もおかしいと思わないのかなぁ・・・?最近,よくこの「気丈」の誤用を目にするように感じます。

 さて,今年もお世話になりました。来年もこのブログでお会いしましょう。何回書くか分からないけど



追記(2014.12.30)

 「気丈」と言う言葉を男性に使うことは絶対にあり得ないのかと気になり,資料を渉猟したところ,次のような記述を発見してしまいました。

 淀堤の千本松で,薩軍陣地に斬りこむとき身に三弾をくらってもなお生きつづけてきたほど気丈な男だが,乗船のころから化膿がひどくなり,高熱のなかで死んだ。 (司馬遼太郎『燃えよ剣(下)』新潮文庫p213)

 新撰組隊士・山崎烝に関する記述です。

 ほかならぬ司馬遼大先生の記述だけに,こりゃ私も考えを改めなければならぬかなぁと思いましたが・・・,ちょっと待って。

 山崎烝が「気丈」だと言うのは,「身に三弾をくらってなお生きつづけた」ことに対してです。悲しみをこらえて喪主を務めたとか,家業を切り盛りしたとか,そういうレベルのことではありません。

 つまり,こういうことなのかと思います。女性や子供に関する場合と,男性に関する場合とでは,「気丈」と言い得るレベルが違うのだ,と。うら若い女性や子供であれば,肉親を失った悲しみに耐えて喪主を務めればそれは「気丈」,しかし,大の男,ましてや新撰組隊士ともなれば,土手っ腹に三発くらってもなお生き続けるくらいでないと,とても「気丈」とは言えないということです。

 マッチョな男性に対しても,例えば,「アーノルド・シュワルツェネッガーは,銃弾を無数に浴びながら,なおも気丈に戦う姿勢を崩さなかった」というような用法であれば,それは誤用とは言えないのかなと思います。その趣旨において,記事本文の主張を訂正したいと思います。

 しかし,そうではあっても,やっぱり「サブちゃんが気丈に喪主」や「健さんが気丈に駅長」は,「気丈」という評価とそれに対置すべき非常さとのバランスを欠くので不適当な表現であり,滑稽ですらある,という私の見解には変わりありません。

 上記の趣旨の限りにおいて,記事本文の記述は若干の誤りを含んでいるものと言わざるを得ませんが,思考過程を残すために,敢えて消さずにそのまま残して置きたいと思います。