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Left to Write

司法書士 岡住貞宏の雑記帳

デカルトに学べ

2020-12-02 14:15:19 | 世の中のこと

 

 

 アメリカ大統領選挙はようやくバイデン勝利という結果に落ち着きそうです。

 それにしても、実に興味深い現象が起きています。どうあってもトランプの敗北を認めない、バイデンは不正をしたと信じる層がかなりの数います。当初はネット(匿名掲示板等)上のいわゆる「煽りネタ」だと思っていましたが、Facebook等において「顔出し」で堂々と、奇妙奇天烈な陰謀論を繰り返す人々が現実にいて(そしてその友達が好意的コメントを寄せる)、「あー、本気でそう思っている人がかなりいるんだ」と知りました。

 彼らは「マスコミなんて信じない。マスゴミめ!」と既存メディアを攻撃し、それがどうもおかしな方向に向かっているのは前回記事に記したとおりです。しかし「マスゴミ」を批判する彼らとて情報源は必要な訳で、何を根拠に主張を繰り返しているのかと見れば、怪しいSNS記事だったり、YouTubeのまとめ動画だったり、新興(信仰?)メディアだったり。いや、いいですよ、百歩譲ってそれらを情報源とすることは構わないとしても、そのような情報を「鵜呑み」にして信憑性を疑わないというのなら、彼らの批判する「マスゴミに洗脳されている人々」と、何も変わらないのでは?対象がマスゴミからSNSに代わっただけで、その依存的・他律的メンタリティは同じなのではないかと思います。

 マスコミであれSNSであれその情報を鵜呑みにしてはいけないし、さりとて情報源は必要。それではどうしたらいいのか?という嘆きも、ネット上にはあふれています。「もう何が真実なのか分からない」と。

 デカルトは「方法序説」で真理に至るための方法的懐疑を提唱しています。

 

・わたしが明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないこと

・わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること

・わたしの思考を順序にしたがって導くこと

・すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、なにも見落とさなかったと確信すること

 

 つまり、「とことん分析・検討・統合し、これが正しいと確信できるまでは何も信じない」ということ。デカルトは「我思う、ゆえに我あり」という結論だけが有名ですが、真骨頂はその「方法論」にこそあります(だから「方法」序説なのです)。情報をそのまま信じるのではなく、それを元にとことん考え抜くことで、多少なりとも真実に近づくことができるのではないでしょうか。

 「とことん考えろ」なんて、当たり前のことを言ってるに過ぎない?

 そうでしょうか。上記の大統領選挙騒動を見る限り、心許ないものです。

 不正があった、というなら、それはいつ誰がどこで何をどのような方法で行ったというのでしょうか。不正は、「顔のない誰か」がやるのではありません。個別具体的な人、Mr.Sadap Okazy(53歳・ペンシルベニア州在住)という人がやるのです。Mr.Okazyは、どんな手段を使ったのでしょうか。不正な票を持ち込んだのでしょうか。いつ持ち込んだのでしょうか。その不正な票は自分でせっせとこしらえたのでしょうか。それとも誰か別の人が作り、準備したのでしょうか。その別の人って誰でしょうか(この人も「顔のない誰か」ではあり得ません)。選挙結果を変えるには大量の票を持ち込む必要があります。Mr.Okazyはどうやって持ち込んだのでしょうか。自分でトラックを運転して運んで来たのでしょうか。段ボール箱に詰めて持ち込んだのでしょうか。何箱あったのでしょうか。そんなに運んで、53歳の腰は痛くならなかったのでしょうか。どうやって票を紛れ込ませたのでしょうか。段ボールからぶちまけたのでしょうか。たくさんの職員がいる開票所で誰にも見咎められなかったのでしょうか。Mr.Okazyは何のためにそんな犯罪をしたのでしょうか。金をもらったのでしょうか。いくらもらったら、そんな大それたことができるのでしょうか。誰が金を払って、誰が頼んだのでしょうか(この「頼んだ人」もやはり「顔のない誰か」ではありません)。「もし捕まったら」と、自分の将来のことや大切な家族のことは考えなかったのでしょうか。選挙も終わり、いまMr.Okazyは何を考え、何をしているのでしょうか。大変なことをしてしまったと、良心の呵責に泣いてはいないのでしょうか。ヤケ酒を飲んでいないでしょうか。秘密を知った家族は怖くて怯えていないのでしょうか。あるいはまたMr.Okazyは、「このネタをトランプ陣営に売り込めば、逆に高く買ってくれるかも?」と、さらなる悪だくみを抱いてはいないのでしょうか・・・

 「バイデンが不正をした」。言葉で言うのは簡単です。でもその実行犯・Mr.Sadap Okazumyひとりのことだけでも、ちょっと「考える」ならば、すぐにいろいろな困難が見えてきます。全米規模での選挙不正は、たった一人でできるものでないでしょう。数百人の実行犯・関係者がいるとして、その一人一人に上記のようなストーリーがあります。そんな不正を一糸乱れぬ統率で実行する――なんて、とても現実的なものとは思えないですね。

 映画やアニメでは、悪の首領が自由に使い捨てできる「顔のない誰か」によって、都合よく犯行が完成します。でも言うまでもなく、そんなのは現実ではありません。映画の見過ぎなのではないでしょうか。「とことん」でもなく、「少し」考えれば分かることです。

 デカルトは17世紀の人。この400年間、人間はちっとも学んでいないのかと思うと、悲しい気がします。