SakuraとRenのイギリスライフ

美味しいものとお散歩が大好きな二人ののんびりな日常 in イギリス

駒村康平・菊池馨実[編]『希望の社会保障改革』(旬報社、2009年)

2009年06月28日 | 
ご無沙汰してます、Renです。
ちょっと前に『自立支援と社会保障』という本を取り上げた(→http://blog.goo.ne.jp/latraviata0608/e/1db9f5d985f66df96627ff0fbf6bed79)ときに読んでみたいと思った駒村康平・菊池馨実[編]『希望の社会保障改革――お年寄りに安心を・若者に仕事を・子どもに未来を』(旬報社、2009年)が、読んでみるとやっぱりとても素晴らしかったので、ほんのちょこっとだけど、この本を取り上げようかなと思います。


この本は、執筆者の総意としての「提言」と、それを補完する各執筆者の各論からなっています。
執筆者たちの問題意識は、「はじめに」によく表れているように思われます。
1950年の社会保障制度審議会勧告(生存権の理念を軸にすえて、戦後の社会保障制度の基盤とデザインを形成)と1995年の社会保障制度審議会勧告(戦後50年を経て、21世紀に向けた新しい社会保障増を構築するという目的から、「広く国民に健やかで安心できる生活の保障」を社会保障の基本理念として掲げる)の意義を高く評価したあと、本書は以下のように述べます。

 しかし、国家議員や学識者などにより構成され、厚生労働省から独立した提言をおこなってきた社会保障制度審議会は、95年勧告を最後の勧告として、省庁再編の流れのなかで廃止された(本書第12章参照)。それ以降、後継の経済財政諮問会議をはじめとして、厚生労働省会保障審議会、その他政府有識者会議などによるいくつかの政府関連報告書にみられるのは、財政との関連で社会保障のあり方を論じようとする傾向である。もちろん、社会保障の諸給付は財源があってはじめて可能となる以上、このことは当然とも言える。ただ、問題なのは、財政危機への対応から、社会保障給付の抑制を前提にした議論が、「社会保障の持続可能性」の確保の名のもとに進められてきた点である。
 他方、とくに1990年代後半以降、日本の社会保障制度は大きな変革の時期を迎えている。2004年年金改革、2005年介護保険改革、2006年医療保険改革というように、ほぼ毎年と言ってよいほど、市民の生活を左右するような制度改革が社会保障の各分野でおこなわれている。しかし、こうした一連の制度改革が、かつてのように、明確な理念にそって、透徹した視点で描かれた見取り図のもとにおこなわれているとはとうてい思われない現状がある。その時々の政治状況において、いわば場当たり的に個別の制度改正を繰り返しているという側面がないとは言えないのではなかろうか。
 こうした混迷の時代にあってこそ、いわば原点に立ち返って、新たに社会保障の理念を構築し直し、既成の枠組みにとらわれることなく、中長期的視点に立った社会保障像を描くことが求められているように思われる。しかも、「社会保障の持続可能性」をたんに財政面からとらえるだけでなく、社会保障制度を支える社会的ないし市民的基盤の再構築という側面からとらえることも重要である。このことは、社会保障に限定されない「社会」のあり方そのものへのビジョンをもつということでもある。(はじめに:3-4頁。)


この箇所を読むだけで、本書の志の高さと内容の素晴らしさを感じて、わくわくしてしまいます。
具体的な主張としては、生活保護制度を現役期と高齢期で別の制度にすることや、医療保険の保険者を再編成し、一つあるいは複数の都道府県単位で複数の非営利の医療保険制度を設置することで、保険者相互の競争を促すことや、「子育ち・子育て支援に関する基本法」を制定し、子育ち・子育てに思い切った財政措置を行うことや、社会保障制度審議会の政府機関の再設置を求めること等、社会保障政策に関連する領域を広く含み、極めて包括的なものとなっていますが、中でも本書に特徴的なことは、市民の連帯が強調されているところではないかと思われます。
社会保障が社会の亀裂を生むことなく適切に機能するためには、なんとしても市民の連帯が確保されていなくてはならないと思われるところ、本書のようにこの大きな課題を強く意識して社会保障の改革を論議することは極めて重要なことであると思いました。

さて、本書の主張の一つ一つについて本当はご紹介したいところですが、これについては興味関心ある方が実際に本書を参照されることをお願いする(社会保障の改革について考える際には、本書は必読ではないかなと思ったりします。)として、読んでいて特に興味深かった山田篤裕・駒村康平による第5章を取り上げようかと思います。
この章にはよく語られる通念とでも言える言説に対する重要な批判がなされており、本書を実際に読まれない方にもこの議論をご紹介することは有益ではないかと思われるからです。

まずは、デンマーク型の「フレックシキュリティ」を賞揚する言説について。
デンマークは、(1)雇用関連規制の緩和による流動性の高い労働市場、(2)政府による失業時の手厚い所得保障と訓練支援政策を行っており、これが、柔軟な労働市場を確立し、高い経済成長率を維持しつつ、生活不安も取り除く、フレックスとセキュリティーの両方を達成していると評価されているけれども、著者によれば、これには前提条件があると言います。
それは、(1)国の経済規模が小さく、サービス産業を中心とした産業構造であること、(2)労働組合は職業別に構成され、その組織率も高く、賃金交渉は中央集権化された労使の団体交渉によっておこなわれ、正規・非正規雇用者の処遇が均等化されていること、(3)充実した所得保障を維持するために、高い税金や保険料を国民が受け入れていること。
しかし、日本においては(1)については、国の経済規模は大きく、重工業からサービス業まで含んだフルセットの産業構造となっていること、(2)については、企業別労働組合となっていること、などがある。
ゆえに、デンマーク型のフレックシキュリティを直接導入する条件は満たしていない、とされます。(105-106頁。)

次に、「正規雇用と非正規雇用の処遇格差を解消するためには、正規雇用の賃金・処遇を規定する日本的雇用慣行を廃止することが不可欠である」という意見について。
この意見では、他の財・サービスと同じように労働市場においても「一物一価」を達成する価格の裁定がおこなわれるべきであるという結論や、「同一価値労働・同一賃金」という考えにもつながるのだけど、著者によれば、この考えは二つの問題に直面します。
第一に、職務及び職務遂行能力をどのように評価し、各職務間の賃金格差をどのように位置づけるか。このことの困難は、すでに1950年代半ばに日経連は年功序列給から職務給への以降を提唱していたにもかかわらず職務給の定着が観られていないことにも表れている。
第二に、長期雇用によって生産性が上昇する人的資本蓄積の問題。長期間同一企業に勤めることで、しだいに能力が蓄積され、生産性も上昇する。ゆえに、長期雇用のインセンティブを引き出すため、若いときの賃金は生産性より低く設定し、年齢とともに賃金を上げて、中高齢では生産性よりも高く設定する年功賃金体系は経済合理性を持つ。
また、企業における転勤・異動も、正規雇用者にとって、生活変化のリスクであるが、企業にとっては企業内の人的資本の再配置として経済合理的。
ゆえに、表面的には同じ労働であっても、その企業に長くかかわるという点で、正規と非正規では企業に異なる貢献を死ているとの見方も可能であると述べられます。(106-108頁。)

そして、「正規雇用への解雇規制・不利益変更の厳しい制限を課す判例の蓄積は1970年代の高度成長期に整備された雇用関連法に依拠しており時代遅れであり、経済合理性のない年功賃金体系・終身雇用を維持し、企業のダイナミックな人事管理の変更を阻害し、生産性を引き下げている」という見方について。
この見方に対し、著者は次のように反論します。
判例による解雇権濫用制限は、年功賃金体系と相互補完関係にあるとみることもできる。
すなわち、企業が年功給体系のもと、若いときは「賃金<生産性」で処遇しておきながら、中高齢のときに「賃金>生産性」で処遇することをいやがり解雇に踏み切ろうとする行動を、解雇規制が制約する見方も可能である。(108-110頁。)
(このように、著者は長期雇用・年功賃金を排すべきという安易な議論に反対しますが、同時に、正規・非正規の賃金格差が長期勤続の評価によるもの以外の要因にも大きく拠っている可能性を示唆し、これを問題視しています。この議論については、大変重要だけれども、今回は略します。)

さらに、「広くすべての市民に基礎的所得保障をおこなうベーシックインカムを導入することによって、人は自由に労働市場に参入・退出できるようになる」という意見について。
著者は、ベーシックインカムを(1)その財源を所得税に求める考えと、(2)消費税(付加価値税)に求める考えがあるとし、前者について、それは仕組み上は「負の所得税」と同じものになると指摘し、また、現行の所得控除や年金等をすべて廃止すれば財源の捻出が可能であるという試算については、それはベーシックインカム導入によって人々の働き方が変化せず、日本経済が導入前後で変化しない特殊な想定にもとづく計算であり、実現可能性に欠ける旨主張します。
後者の方式をとることについては、そのためには高い消費税率が必要であり、その分、ベーシックインカムの実質価値が低下するだけだと主張します。
その他、著者は、以下のようにも主張し、ベーシックインカムに反対します。

むしろベーシック・インカム導入により、あらゆる労働保護規制を撤廃でき、労働市場を完全競争市場にできるという見方もあり、われわれは、実質的に低いベーシック・インカムで労働保護規制撤廃につながることをおそれている。もちろん、ベーシック・インカムの考え方には魅力的な点も多い。しかし、ベーシック・インカムにたいするもっとも強い違和感は、ベーシック・インカムにより、人々は「真に自由」になり、「やりたい仕事」をするようになるという理想的な労働観、すなわち、自分自身の適性や「やりたい仕事」を人々は初めから知っているという前提である。しかし、逆にベーシック・インカムにより、人は、さまざまな職業を経験する機会がなくなるではないか。さまざまな職との出会いと挫折、技能の蓄積・修練にともなうさまざまな試練の意義について、ベーシック・インカムを支持する論者は楽観的な労働者像をもっているのではないか。むしろわれわれは、ディーセントな労働の保障により、人々が社会とかかわり、さまざまな経験をすることにより、社会連帯が強くなると考えている。(116頁。)


ベーシック・インカムについては、山森亮『ベーシック・インカム入門』(光文社新書、2009年)が非常によくまとまっていて、そこではこの主張がフェミニズム運動や障害者運動のかかわりから紹介されていて、この主張の魅力がよく分かるのだけれど、やはり僕も山田・駒村両氏のような考えのほうが妥当なのではないかなと思います。
ただ、ベーシック・インカム的なアイディアを政策の一部に組み込むことは、検討されていいような気もしています。

この章は以上のような内容に尽きるものではもちろんありませんが、安易に、無責任に言い放たれている言説に対ししっかりした反論を行っていて、僕にとって大変勉強になりました。


今日は第5章をご紹介することしかできませんでした。
他の多くの章も非常に魅力的で、社会保障政策について考えるときに大変参考になります。
この本においてそこまで原理的に掘り下げられてはいない「自立支援」という概念と、それを追求する政策については、まさにこれらについて丁寧に論じた、菊池馨実[編著]『自立支援と社会保障』(日本加除出版、2008年)があり、この本と本書を併せて読む(これら二つの書は、財団法人医療経済研究・社会保険福祉協会医療経済研究機構が、その議論・研究の場を提供したとのことです。)ことで、これからの社会保障についての展望が拓かれるのではないかなと思います。


(投稿者:Ren)

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