SakuraとRenのイギリスライフ

美味しいものとお散歩が大好きな二人ののんびりな日常 in イギリス

Judith Goldstein and Robert O. Keohane, ed., Ideas and Foreign Policy (Cornell University Press)

2014年11月23日 | 
とても有名な本で日本語でも何人もの人が紹介していそうな気がするのですが、せっかく最近読み終わったので、Judith Goldstein and Robert O. Keohane, ed., Ideas and Foreign Policy: Beliefs, Institutions, and Political Change (Cornell University Press, 1993)を今日は取り上げようかと思います。



本書(の特に第1章)は、政治におけるアイディアの役割を重視する文献において必ずと言っていいほど引用される基本文献の一つです。
10章をすべて紹介すると長くなってしまうので、特に心に残った3つの章だけ取り上げます。

まず一つ目は、もちろん第1章「Ideas and Foreign Policy: An Analytical Framework」(Judith Goldstein and Robert O. Keohane)
編者二人による第1章は、この本全体の問題意識と分析のフレームワークを提示します。

著者らはまず、本書は人々の利益(interest)よりもアイディアが世界を動かすと主張するのではなく、「アイディアも利益も」("ideas as well as interests")人間の行動を一定程度説明することができると主張するものだ(pp.3-4)とします。
著者らがそれを示すために採用する戦略が、以下の帰無仮説を各章において棄却することです(p.6)。

H0:政策が国ごとに違っていたり、同じ国でもその時間によって違っていたりすることは、アイディア以外の要素によって説明することが可能である。

こうした上で、GoldsteinさんとKeohaneさんは、アイディアを3つのタイプに分けます。
著者らによるアイディアの3つのタイプとは、
world views:どんな行動がそもそも可能かに関わる信念。文化の中に埋め込まれていて、思考や言説の型に影響を及ぼす(p.8)
principled beliefs:正しい/間違っている、正義/不正を区別する規範的な信念。world viewsと特定の政策を媒介(p.9)
causal beliefs:原因と結果の関係についての信念。個人が目的を達成するためのガイドとなる(p.10)

本書は概ねこの第1章の枠組みを意識して書かれている(第二次世界大戦後の脱植民地化の規範の生成を説明したRobert H. Jacksonさんによる第5章は特にこれに忠実なように感じました。)し、一番理論的にまとまった議論をしているのはこの章だから、本書からこの章ばかりが引用されるのもよく分かります。
でも、個人的には、第1章の最後のこの文章に心を打たれました。

"As scholars, we devote our lives to the creation, refinement, and application of ideas. If we really thought ideas were irrelevant, our lives as social scientists would be meaningless. Our exploration of the impact of ideas on foreign policy is also a search for personal meaning and relevance in our own life." (p.30)


僕もそう願って、勉強しています。


さて、心に残った二つ目は、第3章「Creating Yesterday's New World Order: Keynesian "New Thinking" and the Anglo-American Postwar Settlement」(G. John Ikenberry)
この章のポイントは、アイディアが機能するための"enabling circumstances"(p.85)の重要性を指摘したことだと思います。

戦後の(ブレトンウッズ合意につながる)秩序形成におけるアメリカとイギリスの交渉過程が本章のケーススタディーの対象です。
ケインズを代表とするイギリスは、貿易の自由化を求めるアメリカと、経済に一定の国家の関与が認められるような秩序(「埋め込まれた自由主義」)を合意しようとします。
貿易の自由化をめぐる交渉で双方が譲らずに行き詰ったことから、イギリスは議論を金融システムにシフトさせる。
このことによってケインズの主張に共鳴するアメリカ側のアクターと協調することが可能になって、経済システムの合意が導かれた。

本章によれば、これが実現したのは、以下の理由によります。
・英国と米国のエコノミスト及び政策の専門家に、望ましい国際的な金融秩序についての見方が共有されていたこと(p.80)
・新しい金融秩序がどうなっていくか不明瞭だった中で、新しいアイディアを持っていた専門家たちが、新しい"winning coalition"を形成することに成功したこと(p.83)

新しいアイディアの存在だけでは足りなくて、それが影響力を持つ様々な環境が整って初めて、アイディアは重要になるということをとても説得的に示していて、僕はこの章が読んでいて一番わくわくしました。
著者が以下のように言うのは極めて適切だと思います。
すなわち、
・たとえば、T.H. Greenのsocial resonsibilityに関する講義やWilliam Beveridgeの著作が福祉国家をもたらしたわけではない。
・良いアイディアがいつも良い聴衆を得られるわけでもないし、それに悪いアイディアも世の中にはたくさん出回っている。
・そのアイディアがエリートたちに新しい政治連合を作る機会を付与するとき、アイディアは政策に影響を与えることができる。(p.84)

興奮して余白に書き込みを思わずびっしりしてしまった本章ですが、、いまgoogle scholarで調べてみたら、この章は第1章と比べるとそんなに引用されていないようです。
もっと注目されても良さそうな論文だと思うのですが、、、なぜだろう??


最後に取り上げるのは、第9章「Westphalia and All That」(Stephen D. Krasner)
この章は、ウェストファリア条約は「主権国家」という制度を作った、画期的な出来事だったと言われるけど、実はそうではない、ということを主張したもので、確か何年か前に「ウェストファリア神話」みたいなことが言われていた(ような気がする)ことを思い出すとあまり新規な主張ではないのですが、でも、本書が1993年に出ていることを考えると当時は新しかったのかもしれません。

本章の主張を乱暴にまとめると、
・ウェストファリア以前から自律的な政治主体は存在していた(北イタリアの都市国家等)
・ウェストファリア後も神聖ローマ帝国は残っていた(ナポレオンに廃止されるまで様々なアクターに利用されながら制度としてちゃんと存続。)
・のちの時代を見ても、19世紀~第一次世界大戦の頃に欧州は盛んに東欧・中欧・小アジア・南アメリカの国々に内政干渉していた(主権の侵害)し、経済的権限のみのEEZもあるし、南極はいくつもの国でシェアされているし、極め付けに、ECもある。
・ウェストファリアは現在の主権国家体制の起源だ!と言えるほど画期的な条約ではない。

実は、この章は読んでいる分にはとても面白かったものの、本書全体の文脈にあまりフィットしない感じがしました。
ではなぜわざわざ取り上げたかというと、次の著者の主張が特に興味深く思えたからです。

著者によれば、ヨーロッパにはその政体や政策を正当化するための思想的道具がたくさん揃っていた。
それは、多様な政体がそれぞれをライバルとしながら存在していて、それぞれが思想家たちに身体の保護と物質的援助を与えていたことによって可能になっていた。
他方で、たとえば中国のような強力な帝国だと、新しいアイディアを考える人たちはその帝国の圧力によって圧殺されてしまう。
ヨーロッパはこうした意味で、多様な政治的アイディアが生成するのに理想的な場所だった。

このストーリーが妥当かどうかは分かりませんが、さらに著者は続けます。
多様なアイディアがあることによって、政治リーダーがその中から最も自分たちを正統化するものを選べるし、そのレパートリーの広さのおかげで、劇的な変化が起こっても人々は思想的についていくことができた(その変化やその意味を説明できる思想があった、ということか?)。(pp.261-263)

アステカ文明がスペイン人に遭遇したときのショックの大きさ(彼らはその出来事を説明する概念を持っていなかった)に言及したあと、著者はこう言います。

"Where the number of ideas is limited, sudden external shocks can be devastating. In Europe the rich mix of available ideas facilitated the construction of new legitimating rationales for political entities, soverign territorial states, whose material situation had been advantaged by economic and military changes." (p.264)


ちょっと壮大すぎて本当かな?と思わないわけにはいかないものの、でも、人文社会科学を勉強している僕にとっては、とてもencouragingな主張だなと思いました。

(投稿者:Ren)

教会訪問:St Nicholas Church, Kenilworth

2014年11月21日 | 【イギリス生活】
Leamington Spaからの帰りのバスで、Sakuraが発見した「とんがり」。
急遽バスを降りて、その教会に向かいました。

そこにあったのは、St Nicholas Church。



もう暗くなり始めていたので今日は入れないかもしれないなと思っていたら、



「The Church is OPEN for YOU」という看板が置いてありました。

昔は、この教会のすぐ傍に、St Mary's Abbeyが建っていたそうですが、この教会はもうなくなっています。
1300年代中葉~後半に建てられたこのSt Nicholas Churchの周辺は広い緑地&お墓になっていて、たくさんの親子連れが遊んでいました。

教会の中は真っ暗。



電気を付けようとスイッチを探したのですがなぜか見つからず。
でも、電気がなかった昔は、皆さんこういう明るさの中で礼拝していたんだと思うと、たまにはこういう暗い教会を見学するのも悪くないかもしれません。
ただし、正面の祭壇だけはライトアップされていて、ステンドグラスや彫刻が綺麗に見えました。



ちなみに、バス通りから教会までの道はこんな感じで何もありません。





Kenilworthにはもう一つ大きな教会があったのですが、この日は扉が閉まっていて入れませんでした。
また今度トライしてみて、無事に入れたら改めて紹介します!

(投稿者:Ren)

教会訪問:St. Peter Apostle Catholic Church, Leamington Spa

2014年11月20日 | 【イギリス生活】
All Saints Churchからそんなに離れていない場所に発見した「とんがり」。
「あれは教会に違いない!」
ということで、「とんがり」を目指して二人で行ってきました。

St. Peter Apostle Catholic Church。



All Saints Churchはイギリス国教会でしたが、こちらの教会はカトリック。
教会の中はこじんまりとした、落ち着いた空間が広がっていました。





ステンドグラスの模様と形が面白かったです。

入口の飾りによれば、今年でこの教会が建てられてから150周年とのこと。
Colchesterにいたときに訪れた教会たちが中世のものが多かったので、1864年と聞くと「つい最近建てられた教会なんだな」と思ってしまうのですが、よく考えてみたらちょうどその頃の日本は幕末なんですね(ちなみに、1864年に池田屋事件や下関戦争が起きています)。
同じ年なのに、幕末と聞くとかなり昔のことのように感じてしまう(僕だけでしょうか)ところが、不思議であり、また、面白いです。

(投稿者:Ren)

教会訪問:All Saints Church, Leamington Spa

2014年11月20日 | 【イギリス生活】
Coventryでの生活も新しい大学での生活もかなり落ち着いてきて、最近ようやくSakuraとRenの趣味である教会巡りを少しずつできるようになってきました。
二人ともキリスト教を信仰しているわけではないのですが、教会に入るととても静かな気持ちになって良いリフレッシュになります。

さて、大学からバスで30分~40分くらいのところにLeamington Spaという、大変雰囲気の良い(Coventryと比較してですが)街があります。
そこで一番目立つ教会がAll Saints Church。



教会にあったパンフレットによれば、イングランドで最も大きいparish church(「教区教会」と訳すらしい)の一つであるとのことです。
建築様式はRenが一番好きなゴシック(たぶん)。





これほど見事なゴシックの教会に入ったのは久しぶりだったので、2人でしばらく椅子に座ってぼーっとしていました。

すると、どこからともなく宗教音楽が。
オルガン奏者だと思われる女性が、次の演奏に向けて練習していました。
この教会はオルガンがとても大きいので、教会全体にオルガンの音が響き渡ります。



面白いことに、この教会の中にはカフェがあります。



カフェラテを飲みながら正面の綺麗なステンドグラスを観ることができるのは贅沢ですね。
ただ、たまたま僕たちが行った時間が悪かったのでしょうか、お客さんの姿は見えませんでした。

Leamington Spaはわざわざ観光に行くようなところではないと思うけど(昔は保養地として使われていたみたいですが)、近くに来る機会のある人は、ちょっとだけ寄り道してこのAll Saints Churchだけでも観ていくと良いんじゃないかと思います。

(投稿者:Ren)

Ben Clift, Comparative Political Economy: States, Markets and Global Capitalism (Palgrave Macmillan)

2014年11月17日 | 
今日は、Ben Clift, Comparative Political Economy: States, Markets and Global Capitalism (Palgrave Macmillan, 2014)を紹介したいと思います。



タイトルからすぐ分かるように、これは比較政治経済学の教科書です。
裏表紙にAndrew Gamble、Colin Hay、Ben Rosamond、John L. Campbell、Vivien A. Schmidtという、Renからしたら超スーパースターの方々による賛辞が載っているのを見て、思わず買って読んでしまいました。

本書は、政治・経済・社会を一体のものとしてとらえたアダム・スミスやカール・マルクス、フリードリッヒ・リストといった人たちの精神に立ち返ることの重要性を説いた上で、国家と市場の関係を分析するための次の4つの基本的な視角を提示します(pp.31-37)。

(1)国家と市場は相互に作用しあっている(特に、カール・ポランニーの議論を参照。両者を別々のものととらえるのは誤り)。
(2)市場の形成及びその機能のために、国家の介入は不可避。
(3)市場の機能は社会的・歴史的・政治的コンテクストから離れて行われるものではない。
(4)資本主義のあり方は変化しうるし、実際、変化してきた。

これらは本書を読み進めていく中で何度もリマインドされ、それによって市場や資本主義のあり方を規定する上での政治や制度の重要性が強調され、あるいは、グローバル化による収斂論(資本主義の型であれ福祉国家のレジームであれ)が批判されています。

僕が本書に感銘を受けたのは以下の点です。

比較政治経済学の諸アプローチが詳細に論じられていること。歴史的制度論(5章)と合理的選択制度論(6章)からのアプローチだけじゃなくて、アイディアを強調するアプローチ(7章)まで、たくさんの先行研究を鮮やかに整理して紹介してくれています。

文献が大量に引用されていること。何も文献が引用されていないパラグラフはほとんど存在しない。アカデミズムの作法としてとても誠実だという印象を受けました。ちょっと読むだけで興味深い議論が引用文献とともに紹介されていて、そのたびに末尾の引用文献表からその文献を探していたこともおそらくあって、この本を読み終わるのが予想よりだいぶ遅くなってしまいました。特にこれは読んでみたい!というものをその際にチェックしていたのですが、かなり厳選したはずなのにそういう文献が大量にチェックされていて困っています。著者は先行文献の魅力を読者にとても上手に伝えてくれていると思います。見習いたいものです。

日本の事例が頻繁に紹介されていること。Chalmers Johnsonの開発志向国家(Developmental State)論の紹介だったり、グローバル化を受けて日本の資本や産業の構造がどう変化しているか(「資本主義の多様性論」の関係)の検討だったり。僕は別にナショナリストではないのですが、東アジア研究とか日本研究とかの専門書ではない一般的な比較政治経済学の教科書に日本の事例を入れてくれたことが、なんだか嬉しかったです。こういうところで日本が面白い研究対象として取り上げられるように、政府には日本の世界政治におけるプレゼンスを低下させないように頑張ってほしいし、研究者には日本を対象にした面白い研究を世界の学者がアクセスできるような形でどんどん発表していってほしいです(自分のことは棚上げ。)。

比較政治の方法論についてのまとまった議論が展開されている(12章)こと。本書は、定性的研究と定量的研究にはそれぞれの目的や特徴があってそれぞれに短所があるということを認識し、それらを補うように両者を組み合わせていくべき(methodoloical pluralism)と主張します。その背景にあるのが、定量的研究の方が優れているとする(著者によれば、LijphartもKKVもそういう立場であるとのこと(pp.295-296))、アメリカで主流の政治科学(Political Science)への批判的立場です。イギリスではアメリカとは違って1960年代の行動論革命(behavioural revolution)によって「行動論主義者による科学至上主義」が"never took hold within British political science"だ(p.294)と書いてあったのは本当かなと思うのですが(というのも、去年Renがいたウサギ大学は、まさに「行動論主義者による科学至上主義」の中心地だったと思うので…。)、イギリスでは「political science」よりも「political studies」のほうが用語として多くの場合好まれている、という指摘はとても興味深かったです。僕はまさに「political science」の世界で昨年度を過ごして(そこでshockとaweを受けて)、今年度から「political studies」の世界にやってきたことになるのですが、両者がどう違うのか意識しながら学んでいきたいと思います。


この分野の魅力がいきいきと伝わってくるとともに、理論の枠組みや先行研究の紹介等、大変勉強になる教科書でした。
特に実証分野の政治学では修士課程にちょうどいい教科書がなかなかない中で、これはとても貴重な本なんじゃないか!?と思って、この本を使っている授業を探してみたところ、、、なんと学部2年生向けの「国際政治経済入門」という授業の、いくつか指定されている教科書のうちの一つでした。
学部生のための教科書で「大変勉強にな」ってしまったことがショックです。。

(投稿者:Ren)

大好きなClearspring

2014年11月16日 | 【イギリス生活】
イギリスに来てからずっと、Clearspringという会社の食品をよく使ってます。

HPはこちら→http://www.clearspring.co.uk/

オーガニックのものや、化学調味料を使わない食品を取り扱ってる会社で、日本の調味料や食材を買うことができます。
日本の食材が多いので、てっきり日本の会社だと思っていたのですが、HPによるとイギリスの会社のようですね。



初めてここの会社の食品を見つけたのは、Manningtreeに引っ越してきたばかりの頃、大家さんに教えてもらったお店、the wholefood store(http://www.thewholefoodstore.co.uk/)でした。

Colchesterに移ってからは、WaitroseやMarks & Spencer、
たまに行くロンドンのJapan Centreで買ってました。(品ぞろえはManningtreeが一番◎)

Coventryに移ってから、Cannon Parkにある韓国食品屋さんSeoul Storeでもお茶など少し発見しましたが、お目当ての物が見当たらず。
なので、初めてネットで注文してみました。

ちょっとびっくりしたのが、商品だけでなく、対応も日本のようだったこと。
非常に非常に梱包が丁寧で、

配達の際にはドライバー追跡機能を使って、今自分の荷物がどこにあるか調べることができました。あと何分位で家に来るのか、ネットで確認することができます。

日本だと時間指定で配達をお願いして、その時間だけ家にいれば受け取れますが、
イギリスでそのようなシステムは今のところ聞いたことがなく、いつ来るか一日中そわそわすることが通常です。

ちなみにSakuraのお気に入りは、醤油、玄米酢、胡麻油、豆腐、梅干し(全部有機)。
お試しあれ

(投稿者/Sakura)

TESCOの不可解な値段設定

2014年11月15日 | 【イギリス生活】
何かを複数個まとめ買いをしたら、一個ずつ買うよりもお得になるのはよくあることで、それはもちろんイギリスのスーパーにおいても同じです。
でも、イギリスのスーパーでは、日本では考えられないことがあったりします。

まず、まとめ買いのときにお得になる度合が大げさなことがよくあります。
たとえば、このリンゴのパック。



1パック£2.50のところ、2パック買うと£3.00です。
賞味期限を考えると1パックのほうが便利なのですが、£0.50追加するだけでもう1パック買えると思うと、いつも2パックを買ってしまいます。

実はこれはまだまだかわいいレベルで、中にはこんなのもあります。



サラダの葉っぱ1パックが£0.90のところ、2パックだと£1.00。
2パック買う以外の選択肢が思いつきません。

もう一つ不可解なのは、まとめ買いをするとかえって損をするケースもあること。
たとえば、いま、TESCOではトマト缶がめちゃくちゃお得で、一つ£0.55で買えるのですが、



なんと、4つセットで買うと、



£4.00です。
1つの缶を4つ買った方が、£4.00-(£0.55×4)=£1.80安い。

ばら売りの缶を安くするんだったら、セットのものも安くしてくれたら良いのに。
こういうことが結構あって、スーパーで物を買うときは気を抜けません。

(投稿者:Ren)

Premier League初観戦

2014年11月04日 | 【イギリス生活】
イギリス生活2年目にして初めて、Premier Leagueを観戦してきました。
観戦したのは、Aston Villa vs. Tottenham Hotspur。
Coventryにもサッカーチームはあるようですが、残念ながらPremier Leagueに上がれてはいないようなので、観戦してきた僕たちにとっては、Birminghamを本拠地とするAston Villaが地元チーム。

試合が行われたVilla Parkは、Birminghamから電車で2、3駅くらいのWittonが最寄り駅。
同じように試合を観に行くと思われる、すでに酒臭い人たちについて行くと、スタジアムがすぐに見えてきます。
ちなみに、彼らは途中に何軒かある店で、フィッシュ&チップスを買って食べていました。
普段フィッシュ&チップスを食べている人はそんなに見かけないのですが、こういうときにみなさん食べてるんですね。



ものすごく狭い入口でチケット確認を受けて一人ずつスタジアム内に入っていきます。



なんと、僕たちの席は最前列。



実はチケット代の点からいうと、最前列が一番高いわけではありません。
僕たちがチケットを取った時点で残っていた席だと、ちょっと上の席が一番高い値段でした。
やっぱり、ちょっと上の方が、全体を見渡せるからでしょうか。

試合は、前半にAston Villaが点を入れてリードしたものの、後半になんとフォワードの選手が相手チームの選手と揉めてしまって、



レッドカード(→退場)になったことがきっかけで、ゲームの流れが変わり(サッカー観戦が生まれて初めてのRenですら分かったくらい、がらりと変わりました。)、試合終盤に立て続けに2点を入れられて、結局1-2で敗北。(翌日のGuardian紙――普段は平日に新聞を買ったりしないのですが、この試合についてのコメントが読みたくて特別に購入――でも、この一件が敗北の要因として書かれていました。)
Aston Villaはこれで6連敗だそうで、Premier Leagueから降格してしまわないか心配です。

試合自体はとても迫力があったし、ボールも人もよく動いて観ていて楽しかったのですが、周りにいた観客が怖かったです。
地元チームに不利な判定をした審判やファールをした相手チームの選手にずっと口汚い言葉による罵りが浴びせかけられていました。
たぶん大人たちもそうしているからでしょうか、まだ小学生だと思われる男の子も同じように大きな声で口汚い罵り言葉を叫んでいて、とても悲しい気持ちになりました。(教育に悪い!!)
それだけでなくて、惜しいシーンがあったりしたときに、隣に座っているおじさんが思いきりフェンスを蹴飛ばしたりしていて、殺されるかと思いました(笑)
試合を観ていないときは隣の人もかなり紳士的な方だったのですが、贔屓チームを応援するときのスポーツ観戦はどうやら人の性格も変えてしまうようです。

普段サッカーを全然観ない(日本代表戦ならたまに観るけど)僕たちでもとても楽しめるPremier League観戦。
また是非行ってこようと思います。


おまけ。
ハーフタイムのとき、とても多くの方が買っていたのがこちら。



フライドポテトにカレーのルーをかけたもの。
スタジアムの定番メニューなのか、この地方特有のものなのかは分かりません。
ルーはカレーうどんにかかっているカレーの味。
Renはそんなに好きじゃなかったけど、Sakuraは気にいった様子でした。

(投稿者:Ren)


博士課程の生活

2014年11月01日 | 【イギリス生活】学生生活
博士課程のコースが始まって1か月経ちました。
この1か月何をしていたかなと振り返ってみると、当初期待していたよりはるかにわずかしか研究が進んでいないことに愕然とさせられます。

大学や学部によって違うだろうなと思うのですが、リス大学の政治学部の博士課程では、1年目の学生は週に1コマのセミナーのほかは出席しなければならない授業がありません。
「だから毎日暇です」と博士課程について聞いてくる方みんなに言っているのですが、もちろん、そんなに暇なわけではありません。

博士課程1年目の学生の共通の課題が、今年の春に提出しなければならない「first year review」の完成です。
これは、literature reviewを含む詳細なリサーチデザイン及び博士論文全体の構成を8000wordsで書くもので、春にはこれを提出した上で何人かの教授たちの前でプレゼンテーションもしなければなりません。
「first year review」にパスすれば、2年目に進めますが、落ちてしまうと博士課程のコースからドロップアウトしなければならなくなります。

この課題の完成に向けて、学生たちは指導教授の指導を受けながら各々研究を進めています。
提出期限まで実はそこまで時間があるわけでもなく、授業についていかないといけなかった修士課程とは違った(どっちが上という話ではなくて)プレッシャーを日々感じています。

この1か月、指導教授にある課題を与えられていろんな文献を読んでいたのですが、面白い論文、勉強になった本はそれなりにあるけれど、あまり僕の研究テーマに関係なさそうなものが多かったような気がして、自分の研究の進まなさ具合に少し焦りを覚えます。
「first year review」をちゃんと書けるように、研究ペースを上げていきたいものです。研究を進めていく過程で、先月の成果が活用できると嬉しいのですが。。


博士課程にいる学生たちは修士課程と比べて、大人な人が多く(修士課程では最年長に近かったRenも、博士課程では平均くらいの年齢なんじゃないかと思います)、真面目な人も多く、そしてやっぱり頭の良い人が多いです。
みんなの使う言葉が難しすぎて、何を言っているか分からないことも結構あります。
週に1回のセミナーに参加するたびに、自分はこのクラスで最も愚鈍ではないかと思わされて落ち込みます。

修士課程では、そんな愚鈍な僕でも周りの学生たちの倍以上勉強することでなんとかついていけましたが、博士課程ではみんながすごく勉強するので、みんなとの差が開く一方。
周りと比べてしまうと悲しくなってしまうので、自分の好きなだけ自分の好きな文献を読める幸せを感じながら、今日も文献を読みます。

(投稿者:Ren)