SakuraとRenのイギリスライフ

美味しいものとお散歩が大好きな二人ののんびりな日常 in イギリス

De'aths Bakeryのヴィエニーズ・フィンガー

2013年11月29日 | 【イギリス生活】
イギリスに来たばかりの頃、「De'aths Bakery」というManningtreeの小さなパン屋さんによく行ってました。

お目当てはヴィエニーズ・フィンガー(viennese finger)というお菓子。これです



初めてこのお店に行ったとき、なんとなく見た目で好きそうだな・・と思い、一つ買ってみました。
(日本のように、商品ごとに商品の名前や値段が書いてあるポップがないのと、初めて見るお菓子も多いので、選ぶときはいつも勘です

これは、買ってみて大正解!!
しっとりしたビスケットの間にクリームが挟まってて、端っこにチョコレートがコーティングされています。
素朴な味が好きなSakuraはヴィエニーズ・フィンガーにハマり、その後Renも気に入ったため、行くたびにこれを2つ買ってました。
しばらくこればっかり買っていたら、私たちが行くとお店の方が「ヴィエニーズ・フィンガーね?」と言ってくるようになりました。(ちょっと嬉しい。笑)

なにかとヴィエニーズを食べるのが習慣になっていた私たちは、
Colchesterに引っ越したために、ここのヴィエニーズが食べれなくなったことは結構な大問題でした
でも、どうやら伝統的なお菓子のようなので、Colchesterの周りにもあるかも!と思い探した結果、
2件のパン屋さんで発見しましたが、味が全く違い、撃沈・・・

結局、Manningtreeに行ったときのご褒美おやつとなってます

Colchesterで探すこともまだ諦めていませんが、やっぱり「De'aths Bakery」のヴィエニーズ・フィンガーがBestです!

(投稿者/Sakura)

R. Michael Alvarez and John Brehm, Hard Choices, Easy Answers, Princeton University Press, 2002

2013年11月28日 | 
この間の授業で、先生が
「政治行動に関わる本で一冊だけ読むべきものを選ぶとしたらZallerのもの」
とした上で、
「一冊だけだとZallerになっちゃうけど、もう一冊と言われたら、Alvarez & Brehmを選ぶかな」
と仰っていたので、
今日はそのもう一冊のほうである、R. Michael Alvarez and John Brehm, Hard Choices, Easy Answers: Values Information, and American Public Opinion, Princeton University Press, 2002をご紹介しようかと思います。



本書は、Converse(1964)などで大衆の世論調査への回答が、まるで彼らがランダムに答えているかのように不安定であることを指摘されているにも拘わらず、アファーマティブ・アクションについての賛否等のいくつかの論点については回答が比較的安定しているのはなぜかという問題を解き明かそうとします。
この問題について著者らは、人々の価値観がこれに大きく影響していると主張します。

著者らによれば、Zaller(1992)が論証したように人々のpolitical awareness(政治についての関心・知識の高さ)は非常に重要だけれども、それとともに人々のcore value(中核的な価値観)などを構成要素とするpolitical predisposition(政治的立場を方向付けるその人の性質・個性(うまく訳せない!!))が、世論調査に回答するときには使われている。
(Zaller(1992)においては、poitical predispositionはどの情報をacceptするかという段階で働くくらいのものだったのが、Alvarez and Brehm(2002)においては回答する段階で直接参照されるものの一つとして扱われていて、Zallerよりもpolitical predispositionが重要視されています。)

political predispositionを重視する本書が革新的なのは、political predispositionとpolitical awarenessの関係によって、政策が以下の3つに分けられると主張しているところでしょうか。
(1)Ambivalence:ある個人のpredispositionが内面において対立して、一定の結論を導き出すのが難しいもの。political awarenessが大きいほど意見のぶれが大きくなる。
  (例)中絶をめぐる問題:「女性の自律」と「誕生前に人間の生命が始まる」という価値の対立。
     安楽死:「自己決定権」と「生命の尊厳」という価値の対立
(2)Uncertainty:predispositionよりもその人のpolical awarenessが影響するもの。political awarenessが大きい人ほど意見のぶれは小さい。
  (例)人種をめぐる政策(アファーマティブ・アクションとか)
(3)Equivocal:「公務員は個別の事情に融通をきかせるべき」と「公務員はすべての事情を同じように扱うべき」という矛盾する期待が両立するべきと考えるように、複数のすべて実現させることが不可能な価値を同時に抱いているもの。political awarenessが大きい人ほど意見のぶれは小さい。

このように政策を分けることで、各政策における人々の意見の安定/不安定の理由を推測することが可能になり、世論をより細かく分析することにつながります。
しかし、ambivalenceやuncertaintyはなんとなくわかるのだけど、equivocalはどういうものなのか、いまいちよく分かりませんでした。
意見のぶれがpolitical awarenessが高い人ほど小さくなる点ではuncertaintyと共通するけれど、その人が抱いている価値同士が矛盾・対立しているところがequivocalをuncertaintyから分けるものなのか。
Renの読解力ではこれがどういうものなのか明晰判明にはならなかったので、この本を引用して詳しく解説している論文とかを探さないとなと思っているところです。


本書は、その副題にも示されているように、「世論調査への人々の態度及びその変容」の理論を提示するだけではなく、「アメリカの世論がどういう価値(political predisposition)を抱いているか」についても解明をしようとしたものです。
どちらかといえば前者のほうが興味があるRenのような人だけじゃなくて、アメリカ人の価値意識に興味がある読者にとっても、有益となる本なのではないかと思います。

前に紹介したZallerさんのものと比べるとだいぶ薄くて読みやすかったけれど、Renにとっては上述したような分からなさがあり、読後感はいまいちすっきりしないものとなりました。
ただ、世論研究の奥の深さを分からせてくれるような、そんな本でした。

ちなみに、、、
蛇足ですが、本書のカバーの写真は、Converse(1964)が描く理論の要約になっているように思います。
質問者が家までやってきて、回答者は「ドアの前で」(いま初めて、それまで考えたことなかった)政治についての質問への答えを考える。
しかし、ここでこの回答者はpolitical predispositionを利用しているのだ!とAlvarez & Brehmは本書で主張することになります。なんて秀逸なデザイン!!

洋書に時々見られる、こういう深い意図(や遊び心)を込めたデザインの意味がたまに分かると、なんだかとても嬉しい気分になれますね。
残念ですが、Zallerさんの三角形のデザインの意図は、まだ分かりません。。


(投稿者:Ren)


イギリスで買える日本食 ②うどん・ラーメン・パン粉・納豆etc...

2013年11月26日 | 【イギリス生活】
近所のTESCOで発見しました
大型店だし、アジア人も周りに多そうなので、意外と欲しいものがあったりします。



・しょうゆラーメン £0.40
・うどん £2.00
・パン粉 £1.49

値段も悪くないですよね!ラーメンとうどんはストック用によく買ってます。

他にも重宝しているのが、、
・キャベツ(「JAPANESE STYLE FLAT CABBAGE」と標記してあります。UK産らしいのですが、日本のより美味しい気が。)
・しいたけ(そのまま「SHITAKE」と標記してあります。マッシュルームに比べたら割高ですが、美味しいです。)
・しょうが(ばら売りしてます。味も日本とそう変わらない気がします。)
・長ねぎ(日本より短くて、堅いです。Sakuraのレシピによく出てくるので買いますが、これは日本の方が美味しいと思います。)

それと先日、初めてロンドンのジャパンセンターに行きまして!
思わず買っちゃったのが、納豆



納豆、大好きなんです・・・!!!
値段は日本の倍以上でしたが、誘惑には勝てず・・ お買い上げ!

久しぶりの納豆・・・・・至福の時でした。笑
イギリスにおいて、納豆は高級品ですね。残りの納豆を大事に食べたいと思います。。。

(投稿者/Sakura)

ECDISについて(それと、ちょっと愚痴)

2013年11月21日 | 【イギリス生活】学生生活
Renが通っている大学には、大学の学生や職員の家族が受講できる英語クラスがあります。
その名も、English Classes for Depandants of International Students and Staff。略してECDISです。(ちなみに無料)

クラスはレベルごとに分かれていて、

Beginner/Elementary
Elementary
Intermediate
Advanced

・・・の4クラスと、

IELTS Preparation(IELTS対策のコース)
Conversation Club(ボランティアと会話するサークル)

があります。

どれを取るかは自己申告制で、Sakuraも1か月前くらい前からこの制度を利用しています。
今のところ日本人はSakuraだけ。他のクラスメイトの出身地は、
トルコ、メキシコ、カザフスタン、スウェーデン、スペイン、中国、イタリア、リビア、アルゼンチン、サウジアラビア、ナイジェリア等々、
本当に様々です。

たくさんの国の方と授業を取って思ったのは、多くの方が自分の意見を言う、ということです。
たとえ英語が出来なくても、正しくなくても、母国語になってしまっても、思ったことは主張をするのです。
たとえば、他のクラスメイト全員が授業の内容を理解した雰囲気でも、自分が分からなかったら、不快な顔をし、「私は分からない」と言う。

それって、なかなか出来ないことなのです。

少なくともSakuraには難しいことでした。つい場の雰囲気に同調してしまうし、分からなくてもにこやかにしてしまうし、
非常に日本人的だな、と。
つい思ってしまうんですね、周りを見て分からないの私だけっぽいな、じゃあ授業をとめない方が良いなとか、
こんなこと聞いてもしょうがないかな、とか、なんか上手く言えなそうだし、人と違う意見を言うのは、なんか恥ずかしいなとか。

知らず知らずのうちに、自分の性格が非常に日本に(習慣や考えっていうんですかね)影響されてるんだなと、気づきました。

今まで日本で暮らしてきて、まだまだ男尊女卑であったり年功序列なんだな、とはずっと思っていました。
女性だったら、年下だったら、この立場の人には、とか、無言の圧力で求められてる(好まれる)態度や行動があって、
Sakuraの様に20代で女性、社会に出てそこそこな人だと大抵、人と違う意見を言ったり行動をしたり何か主張をしたりすると、
嫌がられることが多い気がします。生意気だとか、常識がないとか。

なぜ意見がないように見せかけ、みんなと同調していないといけないのか、窮屈だなぁと思っていたのですが、
いざ主張主張のクラスの中に放り出されてみると、何も言えないのです。中身がなくて。
恐らく、自分が意見を持つという経験が他の人より少ないし、それを他人に言うという経験が著しく足りていないし、
不満がある時あからさまにリアクションを取ったりする経験もあまりないので、
どんな顔をしていいかも分からないんです。(書いててアホみたいですね。。)

なんかこれって英単語をいくつ知ってるか、という問題ではなく、
自分って中身がないかも・・だから英語しゃべれないんだ、という結論になるんですよね。

もちろん日本のいいとこだってたくさんあります。礼儀正しいところとか好きです。
なぜか妙に欧米的なフランクさを身につけている在英の日本人を何人か見ました。
第一、イギリス人はとても礼儀正しいのに。海外にいると開放的になるのかもしれませんね。

自分自身に凹むことが最近多いのですが、そんな時は窓から学内の庭をぼーっと眺めて、、



うさぎに癒しを求めています。小さいけど分かりますか?これ以上近づくと逃げてしまうんです。

(投稿者/Sakura)

ついでのチャリティー

2013年11月20日 | 【イギリス生活】
プレゼンもなんとか終わって、一安心したら疲れが出たのか体調を崩してしまいました。
昔から何か大きなイベント・仕事の後は体調を崩しがちなので、どうにかしたいものです。
今度は急いでレポートの準備に取り掛からないといけないんだけど。。


さて、実は日曜日は久しぶりにManningtreeに行ってきました。
目的はManningtreeの過去のビデオを流すFilm Festival。
地元のアマチュア歴史家であるDavid Clevelandさん秘蔵の映像とともに、彼が以前出演していた子供向けのテレビ番組のコレクションも流されました。

会場のThe Crown(パブ兼ホテル)には地元の人ががいっぱい。
あとで主催者の方(僕たちがManningtreeに住んでいた頃の大家さん。Manningtreeで行われる楽しいイベントはほとんどこの方が関わっています)にお伺いしたところ、80人くらい来ていたとのこと。
昔の映像が流れるたびに、「ああ、あの店、懐かしいね」とか「あの人、私よ!」とか「あの人はいい人だったなあ」とか、いちいち反応があってそれが特に面白かったです。
Manningtreeの人たちは自分の街が本当に大好き、ということが改めて伝わってくるイベントでした。

このイベントは、地域のために使う資金集めを目的としていました。
チケット代(£7)に加えて、ワインやチョコレートがあたる抽選くじ(一口£1)の売り上げもあって、かなり収益があったのではないかと思います。
大好きなこの地域のためにちょっと貢献できて、なんだか嬉しかったです。

こちらに来て興味深く思っているのは、こういう草の根のチャリティーイベントが頻繁に開催されることです。
今回のイベントも、Film Festivalに行って楽しむついでにチャリティーにもなる、抽選くじに当たるかどうかドキドキできる権利を得るついでにチャリティーにもなるというような楽しみ方をみなさんなさっていたような気がします。

実は僕たちがこういうイベントに参加するのは初めてではありません。
まだManningtreeに住んでいたときに教会で行われた地元も若手ミュージシャンによるクラシックコンサートもチャリティーを目的にしていました。
このときもチケットを売るだけでなくてシャンパンがあたる抽選くじも販売していて、みんなが競うように買っていたことを記憶しています。
残念ながらこのコンサートの質はびっくりするくらいひどかったわけなのですが、それでも、ここの人たちが趣旨(このときは、ある企業が砂浜をフェンスで囲って、これまでみんなが自由に使えたsailingのスポットを使えなくしたことに反対するための活動("Free the Quay!")資金集めが目的でした。sailingに熱くなるのが、Manningtreeの人たちの伝統。)に賛同して会場の教会で楽しく交流する姿を見ることが出来たり、このイベントがそれとともに若手ミュージシャンに仕事の機会を提供するという目的もあるということに気づいて、満足でした。(Manningtreeのためになることには出来るかぎり協力したい!)
僕はこういう、何かを楽しめるついでにそれがチャリティーにもなっているというイベントを、「ついでのチャリティー」と呼ぶことにしています。
(チャリティーだけを目的にしていないから、その活動に参加するハードルが低くなる。チャリティーも目的になっていることが分かっているから、少し高めのチケット代・参加費も喜んで払う。)

日本にはこういう「ついでのチャリティー」文化はあるのでしょうか。
こちらに来る前は僕たちは日々の生活に忙しくて地域の活動に全く目を向けられなかったので、くにたちにこれがあったかどうかは分かりません。
でも、なんとなくだけど、このような草の根の地域全体を巻き込むようなイベントを日本で行うのは難しいのかもなと思ったりします。
みんな仕事に追われていてなかなかこういう活動に参加する余裕がないのではないかと思うし。。(少なくともRenはそうでした。)
ここ数年NPOやボランティアがすごく盛り上がっているような気がするのですが、一時期の盛り上がりではなくて市民に本当に根付くためにはまだまだ乗り越えなくちゃいけない課題がありそうだなと思いました。


それはそうと、僕たちは以前からDavid Clevelandさんのお名前は知っていて、彼の本を購入していました。
(Manningtreeについて書いてあるほぼ唯一の書籍が彼の手によるものなので。)
Sakuraがその本をイベントの終わりに持っていて、なんとサインもしてもらいました!
(ちなみに、サインください!は、「May I have your autograph?」と言うみたいです。)
著者のサイン本を持つなんて、Renにとっては初めての経験。
果敢にDavidさんに話しかけにいったSakuraに感謝するのは言うまでもなく、この本は大切にしようと思います。



John R. Zaller, The Nature and Origins of Mass Opinion, Cambridge University Press, 1992

2013年11月15日 | 
月曜にようやくエッセイ(レポート)を一本提出できたと思ったらすぐに水曜締切の課題(宿題)に追われたり、全然できなかったけどとにかくそれを提出したと思ったら来週火曜のプレゼンの準備をしなければならなかったりと、なかなかゆっくりできません。
プレゼンが終わってもすぐにまた次のエッセイや課題に取り組まないといけません。
クリスマス休暇が来るまでは落ち着いていろいろできなさそうです。
もっとも、休暇中もエッセイ執筆や休暇明けの授業のための予習や修士論文の準備やらでそこまでゆっくりできなさそうなのですが。。

さて、今日は、来週火曜のプレゼンで登場させようかなと思っている、John R. Zaller, The Nature and Origins of Mass Opinion, Cambridge University Press, 1992をご紹介しようかと思います。


著者は本書において、人々が政治に関する意見を形成する際に情報や議論をどのように転換するかを解き明かそうとします。
より具体的には、本書の目的は、
(1)エリートの言説が公衆の意見(世論)の方向や構築に影響を与えていることを示す(p.14)
(2)世論形成や投票行動において、その人の政治についての知識・関心の程度(political awareness)が重要な役割を果たしていることを示す(p.18,21)
(3)世論調査等において人々がどのように回答しているかを説明する一般的モデルを構築する(p.35)
とされています。

本書は、Philip Converseさんという方の古典的(ごく最近知ったんですけど)論文"The nature of belief systems in mass publics"(1964)を下敷きにしています。
Converseさんの論文はいまから50年くらい昔に書かれたものなので、文の構造とか言い回しがとても難しくて読むのに大変苦労しましたが、中心的な主張は、

大衆のほとんどは政治について乏しい知識しか有しておらず、ある争点に関する論争や選挙の候補者を左右のイデオロギー上に位置付けることもできない。彼らは政治について特段意見を持っていないので、政策や選挙について何かを聞かれたときにはランダムに回答している。

というようなものになるかと思います。
Zallerさんは、Converseさんのこの主張(特に政治について詳しい「エリート」と、そうでない「大衆」の区別)を概ね受け入れつつ、これをさらに発展させるべく、以下に要約するRAS(Receive-Accept-Sample)モデルを提示します。

RASモデルは次の4つの公理(axiom)から成り立っています(p.42ff)。

A1:Reception Axiom(受容公理)…その争点についての知識や関心の程度が高ければ高いほど、その人はその争点に関連する政治的メッセージによりさらされやすい(もしくは、より受容しやすい)。
A2:Resistance Axiom(抵抗公理)…人々は自分の元から抱いている政治的立場に反する議論を受け入れない傾向があるが、その度合は受容した政治的メッセージと自分の政治的立場の関係を理解できる文脈的知識をどれだけ有しているかに依存する。
A3:Accessibility Axiom(接近可能性公理)…より時間的に近接する過去に呼び起こされた考慮要素ほど、それを再び呼び起こすためにかかる時間が短い。
A4:Response Axiom(回答公理):ある争点についての意見を質問されたとき、個人はすぐに頭に思い浮かぶ、それを肯定する要素および否定する要素のどちらが上回っているかを判断し、回答する。

これら4つの公理から著者は、「人々は新しい情報を受け取る(receive)と、それを受け入れる(accept)かどうかを判断する。そして、政治に関する質問に回答する際にそれをサンプルとして利用(sample)する」と主張します。

本書はこのように構築されたRASモデルの妥当性を様々なインタビュー調査や世論調査の結果の分析を行うことにより確認していきますが、その中で最も重要な概念がpolitical awarenessです。
ある個人のpolitical awarenessの程度は、「その人が政治にどれだけ関心を払うか」と「見聞きした政治に関することをどれだけ理解できるか」の2つの要素の関数と定義され、具体的には簡単な事実についてのテストを行うことにより測定されます。
(political awarenessを冒頭で「その人の政治についての知識・関心の程度」と訳していますが、冗長になりそうなので、以下では英語のままにします。)
この概念は以下のように展開され、強い説明能力を獲得します。

まず、公理A1の文脈において、political awarenessが高い人はより多くの情報に接する機会があり、低い人は政治に関する情報がほとんど入ってきません。
一方で、公理A2の文脈においては、political awarenessが高い人は自分のもともとの政治的立場といま新しく入ってきた情報とがどういう関係にあるか分かるので、すぐにその情報を説得力あるものとしては受け入れない(抵抗力が強い)ものの、これが低い人はこれとまったく逆のことが起こって抵抗力が弱いので、入ってきた情報に説得されやすくなります。
筆者が例として示す次の数値を見ると、イメージがわきやすいかもしれません。(p.133)

ある事象についての政治的議論が行われているとして、その議論の存在や内容を知ることができる確率を、political awarenessが高い人(0.90)、中くらいの人(0.50)、低い人(0.10)とします。
また、ある政治的議論を受容したときに、それを説得力あるものとして受け入れる確率は、political awarenessが高い人(0.10)、中くらいの人(0.50)、低い人(0.90)だったとします。
いま、「議論を知ることができる確率」×「それを受け入れる確率」で政治的立場に変化が生じると過程すると、その確率は、political awarenessの高い人(0.09)、中くらいの人(0.25)、低い人(0.09)となり、中くらいの人が最も意見が変わりやすいという予想がされます。

もちろん、「議論を知ることができる確率」や「それを受け入れる確率」を操作することにより、この結果は変わってきます。
あらゆるところで話題になっていてみんながその存在を知ることができるような議論なら、「議論を知ることができる確率」は1に近づくでしょうし、ものすごく説得力のあってそれを知ったらみんなが納得するだろう議論(たとえば、左右の立場を問わず政治的エリートの大多数のコンセンサスを得ているものはこれに近いかもしれません。)なら、「それを受け入れる確率」は1に近くなるでしょう。(もちろん、ここではそんなものが存在すると言っているわけではありません。)
もう少し複雑な事例を言えば、もともとの政治的立場によって「それを受け入れる確率」が変わるということも予想されます。
たとえば、「生活保護をもっと充実させるべきだ」という意見については、社民的な政治志向を持っている人ほどこの確率が高くなるでしょうし、「所得税の累進課税をゆるめるべきだ」という意見については、自由主義的経済観を持っている人ほど受け入れる確率が高くなるでしょう。
これらの数値の組み合わせで、politial awarenessが高い人が最も意見が変わりやすいと予想されたり、低い人の意見が変わる確率が最も高くなったりすることになります。

このようにして把握されるpolitical awarenessと時間の経過(そのときの支配的な論調が変わったり、事実や議論の浸透度合いが変わったり)とを組み合わせると、ダイナミックな世論の変化を説明することが可能になります。
ベトナム戦争の支持率の変遷や議会・大統領選挙に対する投票行動など、様々な事例についての説明がこのモデルから大変鮮やかに示されていました。
それらを分かりやすくここで説明する文章力が僕にはないので、興味のある方は原書をご覧いただければと思います。


正直に言うと、本書においてたくさんの計量モデルや統計学的検証が登場したのだけど、僕にはそのほとんどについてそれが妥当な検証なのかどうか判断する能力がありませんでした。
ここで勉強することで、こういうものを批判的に検証できるようになるのでしょうか。
修士論文に取り掛かるころくらいまでにはそういう実力を獲得していたいなと思うばかりです。

それはそうと、この本を読んでから、たくさんの論文にConverseさんの1964年論文やZallerさんのこの本が引用されていることに気が付きました。
どうやら本書は人々の政治行動を論じる際の基本書の一つのようです。
プレゼンをしなければならなくなっていなかったら、たぶんこの本を自分から手に取って読もうとは思わなかっただろうなと思います。
一石二鳥(プレゼン準備+基本書読了)になって、ちょっと得をした気分です。


(投稿者:Ren)

ハロウィンと花火シーズン

2013年11月04日 | 【イギリス生活】
先週末はハロウィンでした。
10月に入ってから近く(といっても、徒歩15~20分くらいの距離ですが)のスーパーの入口には大きなかぼちゃがごろごろしていて(もちろん、売り物として置いてあります)、仮装グッズも所狭しと並べられていました。
レジにも、人の腕(血だらけの)とか大きなクモとか「呪われているから近寄るな」のテープ(レジなので、近寄らないわけにはいかないんですけど(笑))など、いたるところにハロウィン飾りがいっぱい。


大学の中でも、寮や大学内のバーなどで仮装パーティが開かれていたのか、ハロウィン前後の夜には吸血鬼や骸骨や悪魔が歩き回っていました。
なんとなく、ハロウィンはアメリカのイベントだと思っていた(確か、中学校の英語の授業で、「アメリカのお祭り」として習った気がする)のですが、イギリスでもみんなが楽しみにしているイベントのようです。

ただし、子供たちが近所の家々で「Trick or Treat!」と言ってお菓子をもらうのはアメリカでもイギリスでも同様のようですが、Manningtreeに住んでいたときの大家さん(いまでもいろんな機会にお世話になっています)によれば、「アメリカ人は子供たちだけで行かせるけど、イギリスでは子供たちが危険な目に遭わないように親が一緒についていく」という違いはあるそうです。(銃社会のアメリカの方が、よっぽど危険な気がするんだけど…。)
また、Sakuraがお世話になっているイギリス人の方によると、「Trick or Treat!」と呼びかけてもお菓子がもらえない場合は、本当にTrick(いたずら)をされるそうで、その方は去年の夜に外出していたところ、家に卵を投げつけられていたそうです。
「親が一緒についていく」という情報と併せてこの話を考えると、「親が子供にいたずらをしろとけしかける」という情景が浮かんでくるのですが、本当にそんなことあるのでしょうか。

そして、ハロウィンが終わったいま、イギリスの人たちの楽しみは花火にあるようです。
こちらの習慣がよく分かっていないのですが、どうやらイギリス人にとって、いまが花火シーズン。
特に11月5日はGuy Fawkes Nightなるイベントがあるようで、その日は花火が盛んに打ち上げられるそうです。
(寮に住む学生たちに、「大学の中や寮の近くで花火をすることは許可されていない」とのメールが来ました。つまり、毎年、誰かが大学内で花火をするということですね(笑))
ハロウィングッズ満載だった近くのスーパーに今日行って来たら、打ち上げ花火が一番目立つ場所で売っていました。


しかし、みんながハロウィンに浮かれていたときも、花火を打ち上げたくてうずうずしているいまも、僕にはそれを楽しんでいる余裕がありません。
レポートや宿題の提出期限が迫ってきている中で、日々の授業の予習だけでも精一杯。
毎日深夜まで起きて勉強しているのですが、それでも時間が全然足りません。

3か月くらい前(もうすぐイギリスに渡って3か月です)、せっかくだからいい成績を取ろう!と意気揚々とイギリスにやってきたのですが、もはや単位を無事に取得できるかどうかの心配をしなければならなくなってきました。
自分がこれほどできないとは思っていなかったので、最近かなり落ち込んでいます。

今週こそは英語の本を何か1冊ご紹介しよう、と思ったのですが、ちょっと無理みたいです。
来週こそは・・・!

(投稿者:Ren)